第33話 森との別れ
男の名はカズン・リックフォート。通り名は『スノウコイン』
黒目、黒髪、黒眼鏡。衣服もコートも全て黒。穏やかな朝陽が射す中で、漆黒に身を包むカズンはまるで朝の到来を忘れているかのようだ。そんな永久の夜の中で、通り名の由来となっているコイン型のイヤリングだけが唯一白い光沢を放っている。
カズンが何故そこまで黒にこだわるのか。彼の心の具現か、はたまた世間の闇に紛れる事も辞さない冒険者としての覚悟か……。心の具現と言うなら、耳元のスノウコインは最後の良心。闇に紛れる覚悟と言うなら、日の当たる場所への小さな羨望だろうか。
そんな仮定を立てたものの、カズンの心はそれほど黒くはない。無論、白雪ほどに白いというわけでもないのだが……。そして、闇に紛れる事も辞さないとは言っても、冒険者という職業は常日頃から闇の中で生活するわけでもない。時として堂々と日に向かって立つ事もある。
現にカズンは今、陽だまりの中にいる。
密猟者達のアンネ・ガレット誘拐未遂から一夜明け、森は夜の騒ぎなど無かったかのように静かな朝の目覚めを迎えていた。朝陽が少しずつ森の枝葉達の隙間を通り抜け、小さな木漏れ日を生んでいく。
そんな穏やかな空気の中、カズンは熱心に……。
――ぱん!
「よっしゃ、完璧♪」
洗濯物を相手に戦っていた。
「やはり、どうにも似合わんな……」
洗ったばかりの白いシャツを広げて嬉しそうに笑みを浮かべるカズンの脇で、猫助は唸るように呟いた。
「ん? なんか言ったか、猫助?」
「いや、今日も良い天気だな、と」
「おうよ。空は快晴、風は微風。洗濯日和とはこのことだ」
目をそらして猫助が誤魔化すように答えると、カズンは空を見上げながら上機嫌で返す。カズンの気分もまたこの空のように晴れやかで、手にしたシャツのように清々しいのだろう。
「それにしても、いざ離れるとなると少々名残惜しくもあるな」
カズンと並び空を見上げていた猫助は、そう言って顔を空から背後へと移す。この森の木々で作ったのであろうログハウス。アンネ達、ガレット一家の住まいだ。
「なら、いっその事ガレット一家の飼い猫になったらどうだ?」
ニヤリと笑みを浮かべるカズンに対し、猫助は渋面を作る。
「よしてくれ、カズン。私は野良猫、一つ所に留まれない性分なんだ。例え名残惜しいと言っても、まだ見ぬ世界への好奇心の方が強い。だいたい、飼い猫として毎日アンネ君の相手をしなければならないと思ったら……」
どうだと言いたかったのだろう? 残念ながら猫助の言葉はそれ以上続く事は無かった。
不意に猫助は話を止め、驚いたように毛を逆立て身震いする。
「まったく、言ってるそばから……」
ぼやくようにそう言い残し、猫助は脱兎の如き勢いで何処かへと走り去る。カズンは突然の彼の行動の真意を測りかねていたが、その答えは彼が待つ間もなく現れた。
「ネコッケ~、ネコッケ~」
そんな舌足らずな声を上げながら家の角を曲がり姿を現したのは、ガレット一家の娘アンネ・ガレット。
(あいつの危機感知能力には恐れ入る……)
カズンは猫助の反応の速さに舌を巻きつつ、駆け寄ってくるアンネを迎える。
「カズおじさん。ネコッケ見なかった?」
「カズンお兄さん、な。生憎だが、今日はどこに消えたものやら俺にはさっぱり……」
通算何度目かのカズンの訂正だが、アンネが聞き入れてくれる気配は無い。そもそも、尋ねてきたアンネはカズンの話自体聞いている様子が無い。
「おい、アンネ嬢。人の話はちゃんと……」
「ネコッケ、見ぃ付けた!」
カズンの説教をも無視した叫んだアンネは、洗い終えた洗濯物の詰まった洗濯籠へと迷う事無くダイブ。そして、洗濯籠から飛び出した猫助は間一髪アンネの腕を掻い潜って逃げる。
「キャアアァァァァァッ!」
悲鳴を上げたのは、もちろんカズン。洗濯物が飛び散るに合わせて、彼の悲鳴もまた森へ空へと飛んでいく。
「なぜだ! なぜ見つかってしまうのだ!」
「知るか! 猫助、隠れるなら他所に行け!」
アンネから逃げながら悔しげに叫ぶ猫助にカズンが怒鳴る。
「むむ、かくれんぼの次は鬼ごっこか。負けないぞ、ネコッケ!」
「ヒィアアァァァァァッ!」
洗濯物の山から顔を出したアンネは、その山を蹴散らしながら猫助を追う。そして、再び木霊するカズンの悲鳴。
「ええい、アンネ君。私はネコッケではなく猫助だ! いや、そもそも猫助でもない! 私の名はリカルド・フォン・レーベント・モーゼル・カッセリア・クレイズ・アルバネオ・ガーランド・ゼス……」
猫助は名乗りながら森へ逃げ去り、アンネがそれを追う。カズンは突風の如く吹き抜けた娘一人と猫一匹によって撒き散らされた洗濯物を前に、ただただ呆然とするしかなかった。
「やれやれ、今日も朝から賑やかだねぇ。ホント誰に似たのか……って、うわっ!」
そうボヤキながら勝手口を開けたのは突風娘アンネの母リンダ。そして、その後ろに立つのはガレット一家の主アース。
アースとリンダは揃って洗濯場の惨状を見て目を丸くする。ただ、同じ驚きでも二人の内心は違ったようだ。
「これはまた、今日は一段と派手にやらかしたねぇ……」
「うむ、元気で結構!」
呆れる母リンダに対し、感心する父アース。リンダは即座にアースの脛を蹴飛ばした。
「ゴメンね、カー君。せっかく洗濯してくれたのに」
背後で無言の悲鳴を上げながら飛び跳ねるアースを無視してリンダはカズンに謝り、そして俯いているカズンの様子に首を傾げた。
「カー君……泣いてんのかい?」
「……気のせいです。あと、カズンです」
うな垂れながらも洗濯物を回収するカズンにリンダが合流し、少し遅れてアースも加わる。未だに俯いているカズンが泣いているかは不明だが、アースの目尻に浮かぶ雫は見紛う事無く涙。脛への一撃は半泣きになるほど痛かったらしい。
「家事を手伝ってくれるのはありがたいんだがなぁ、カズン。荷造りの方は終わったのか? 今日出て行くんだろ?」
アースは手早く洗濯物を集めながらカズンに問いかける。
「心配御無用。荷造りの方は終わってるから。元々そんな大荷物があるわけでもねぇし」
そう言ってカズンは背中越しに指し示した先には、森を構成する樹木の一本。その根元には荷袋が一つ。
「荷造り終わったし、やる事も無かったんでね。発つ鳥後を濁さず、というか世話になった礼というか……」
言いながらカズンが萎れていく。
「洗濯を始めてくれたら、ウチの発たない小鳥がやらかした、と。ホントにゴメンよ、カー君。それと、色々とありがとうね」
落ち込むカズンの背を軽く叩きながらリンダが労う。謝罪に関しては言わずもがな。感謝には言葉通り色々と含まれていた。朝の洗濯然り、昨晩の密猟騒動然り。
「そんな止してれよ、姐さん。礼を言わなきゃならないのは俺の方なんだし。つーか、ホントに貰っちまっていいのか、アレ?」
顔を上げ自分の荷袋へと視線を向けて問うカズン。荷袋の傍らには、元冒険者リンダから譲り受けたボウガンOG-06通称『スウィング』が立てかけられている。
森の大虎、瑠璃毛に愛用のボウガンを破壊されたカズンにとっては武器の補充はありがたい話だ。しかし、もはや幻とも言えるスウィングを愛用者であるリンダから取り上げるのは気が引ける。それが彼女のスペア分だとしても、だ。今回のカズンのように常用のスウィングが壊れたら、彼女は武器を失う事になる。
だが、リンダはカズンの杞憂を気にするなとばかりに笑い飛ばした。
「そっちこそ、姐さんは止しとくれ。遠慮せずに持って行きなさい、カー君。アイツの扱うコツは掴んだみたいだし、どうせレプリカだからね」
「レプリカぁ?」
驚き声を上げるカズン。その驚きようにリンダとアースは思わず吹き出した。
「そんなに驚く事ねぇだろ? アレはめったに店に並ぶ代物じゃねぇ。いくらリンダが愛用してるからって、そう何丁もあってたまるかい」
「そういうこと。カー君にあげたのは旦那が作った偽物よ。あ、でも言っとくけど、本物はもっと扱い難いじゃじゃ馬だからね。あのレプリカでスウィング使いこなした気にならないで頂戴よね」
「うへぇ……あいつ、旦那が作ったのか?」
「おうともよ。まあ、さすがに完璧にってわけにはいかねぇがな。なんならカズンのボウガンも作ってやろうか?」
さらに驚きの顔を浮かべてアースとスウィングを見比べるカズンに、アースは得意げに胸をそらした。話を聞いていた夫の提案にリンダが手を打ち鳴らす。
「なるほど、そいつは名案だね。そうしなよ、カー君。出来上がるまではウチにいるといい。先生が帰っちまって、森番の増員も欲しいところだったし」
リンダの言葉にカズンの眉が動く。
アース達森番の仲間だった生物学者ディオン・ブルームは昨晩のうちに森を出た。名目上は在籍する学院に呼び戻されたという事になっているが、その真意を知る者はカズンと猫助にディオン本人のみだ。
真意はさておきディオンという人手を欠いた森番達にとって、冒険者カズンの存在はさぞ心強いだろう。そして、それはカズン本人もわかっている。わかってはいるが……。
カズンは耳元で揺れるコインに手をかけた。
「さて、どうしたもんかねぇ」
しばらく留まるべきか、すぐに発つべきか……。
コイントスに決断をゆだねるためにイヤリングを外しかけたカズンだったが、その手が耳に触れたところで止まる。
「……悪いな、旦那。ボウガン作る話は、また会った時だ」
コインの下がったその耳で一体何を聞きつけたのか。カズンは溜息をつきながら苦笑いを浮かべた。
「お、おいおい、カズン。急に何を……」
「フニャアアアァァァァァッ!」
「ウキャアアアァァァァァッ!」
戸惑うアースの問いをかき消すように突如響く二色の悲鳴。というか、奇声。
ガレット夫妻が慌てて振り返った視線の先、草むらを突き破って猫助とアンネが競うように飛び出した。
「ア、アンネ? いったいどうし……」
リンダは娘に問いかけて止める。娘に聞くまでもなく、疑問の答えがアンネ達を追って草むらを飛び越えてきたのだ。
「ベニハタオリ!」
娘を追う者の姿を捉えたアースが苦い顔でその名を言う。
ベニハタオリ。鮮やかな紅の羽根と長く伸びた尾が特徴で、ハタオリの名に恥じない細かく編みこまれた巣は自然の芸術と賞される。瑠璃毛と同様、森の保護動物に指定されている鳥だ。優美な姿とは裏腹に気性は荒く縄張り意識が強い。特に縄張りの拠点ともなる巣に接触しようものなら、ちょっとやそっとじゃ許してもらえない。
「ネコッケがベニハタオリの巣壊したー!」
あまつさえ巣を壊してしまおうものなら、そりゃあもう、あなた……。
「不可抗力だ! 私はアンネ君から逃げていただけなんだー!」
言い訳無用で丸一日追い回されるぐらいの覚悟はすべきだろう。
「とまあ、俺達がいるといろいろとトラブルを呼んじまうしな。早々に退散す……って、ゲッ! こっち来んなよ、猫助!」
両親に向かって逃げるアンネと、カズンに向かって逃げる猫助。二手に分かれた逃亡者に対し、追跡者ベニハタオリは迷う事無く巣を壊した張本人を追って翼を翻す。
「カズン! この鳥をなんとかしてくれ!」
猫助が堪らず助けを請うが、当のカズンは荷袋を担いで猫助に背を向けた。
「嫌なこった! テメェのせいだろ、テメェでなんとかしろ!」
ベニハタオリに追われる一人と一匹は、そのままガレット一家から走り去る。
「カズンも猫助も、また遊びに来いよー!」
「カー君、森番の席は空けとくからねー!」
「ネコッケ~、また遊ぼ~ね~!」
アース達の声に振り返るカズンと猫助。笑顔で手を振って返す二人だったが、目前に迫るベニハタオリにその笑顔を引きつらせると再び走り出した。
「まったく、別れの挨拶ぐらいゆっくりできんのか」
「うるせぇよ。だいたいおまえが悪いんだろうが」
猫助は溜息混じりにカズンにぼやき、カズンは恨めしそうに睨み返す。
「そうは言うがな。走っていた先にたまたま足元に鳥の巣があって、それを勢い余って蹴飛ばしてしまったのだ。わざとじゃなければ、謝りもしたのだぞ」
「なんでもかんでもゴメンですんだら苦労しないん……イッテェッ!」
後頭部を襲った痛みに悲鳴を上げるカズン。その痛みの理由がなんなのかなど、考えるまでもない。ベニハタオリの嘴だ。
なぜ巣を破壊した猫助が隣にいて自分が襲われなければならないのか。そんなベニハタオリの理不尽な選択に疑問も浮かんだが、そんな事を考える余裕も無い。今はただ逃げるのみ。
「チキショーめ。いつぞやと鸚鵡といい、このベニハタオリといい……だから鳥頭は嫌いなんだー!」
カズンの心からの叫びが、瑠璃毛の住まう森に響き渡った。
というわけで今回のエピソード終了です。
もう少し良くできなかったんだろうか、と反省。この反省を活かし次回から新たなエピソードへ突入するわけですが……突入する先は未だに霧の中。どうすんだ、私。




