第30話 子供たち
戦列に猫助が加わったものの、アース達は瑠璃毛との戦いに苦戦を強いられていた。森の王者相手に戦い続ける事は善戦しているとも言える。だが、瑠璃毛の強靭な体躯を前に勝機を見出せないではその善戦も時間の問題。
「まったく、同じ猫の類とは思えんな!」
猫助がボヤキながら瑠璃毛の視界を遮るように跳躍し、一瞬遅れてその軌道を瑠璃毛の爪が横切る。その風圧に猫助は今日何度目かの戦慄を覚え、自慢の三毛を総毛立たせた。まともに受ければ致命傷だと、猫助の本能が訴えてくる。
瑠璃毛を前にして、猫助が出来ることは限られていた。自慢の爪や牙は瑠璃毛の身体を傷付けるには至らない。目などの急所を狙うにも、瑠璃毛の俊敏な反応がそれを許さない。
それを痛感した猫助は、交戦してすぐに攻撃の補助に回る事を選んだ。即ち、瑠璃毛の周囲を駆け巡り、時には視界を塞ぎ、届くことの無い爪を立て、瑠璃毛の注意を分散させる事だ。
巨躯の瑠璃毛に対し、小柄な猫助が行うそれらがどれほどの効果があるのか。一撃受ければ大打撃という瑠璃毛の行動範囲を動き回るリスク。様々な考えが猫助の頭をよぎるが、それでも猫助は退かず跳躍を繰り返す。自分の行いも決して効果が無いわけではないと信じて。
事実、猫助によってアース達が攻撃に転じる機会を得た。猫助が生みだした瑠璃毛の死角から、アースが二挺斧を振りかざし、リンダがスウィングを撃ち込んでいる。
(だからって、こっちの攻撃が通じるかは別の話ね。こいつを捕まえようなんて、密猟者の気が知れないわ!)
スウィングに次の矢を装填したリンダは、内心舌打ちしながら瑠璃毛の様子を窺う。
リンダの撃ち放った矢は見事に瑠璃毛に当たっている。当たっているが、突き刺さることは無い。その皮膚に浅い傷を作るのみ。扱いはじゃじゃ馬だが威力は秀逸というスウィングをもってしても、瑠璃毛には効果が薄い。
リンダは瑠璃毛から、旦那のアースへと視線を移し苛立ち気味に息を吐いた。
猫助の爪は絶望的、リンダのスウィングも望み薄の状況で、唯一瑠璃毛にダメージを与えられるであろうアースの二挺斧。その二挺斧の使い手であるアースの疲労の色が、三者の中で一番濃い。
瑠璃毛との接近戦。一撃が致命傷という緊張状態で、二挺斧を全力で振り回し攻防を繰り広げているのだから消耗が激しいのも無理は無い。おまけに瑠璃毛とは既に一戦交えている。
(もう限界超えてるわね……)
このままの展開を続けていけば、リンダの矢が尽きる前にアースの力が尽きる。だが、現状の打開策が浮かばない。泥沼のど真ん中に足をはめた気分だ。
その思いはリンダだけのものではない。アース自身も、今の力の均衡は自分の位置から崩れると確信しながら、ただそれを待つだけの状態。
そして、彼の脇にいる猫助もアースの限界を感じていた。ただ、違いがあるとするなら、アースやリンダが攻勢に回している意識を、猫助は全て瑠璃毛を注視する事に向けられていた事だ。或いは、それがいち早く猫助が打開策に行き着いた理由かもしれない。
「……もしや!」
繋がった答えに、猫助は反射的に振り返った。彼の視線の先にいるのは一人の少女。
「アンネ君……!」
猫助は少女の名を呼び、そこで自分の考えを伝える言葉が無い事を思い出して舌打ちした。
前評判では温厚と称されていたはずの瑠璃毛が、なぜこうも執拗に自分達を敵視するのか。改めて考えてみれば、その答えはとても近くにあった。だが、二挺斧を振るうアースも、スウィングを構えるリンダも、自らヒントを出しながら気付いてはいない。
「カズン! 目を覚ませ!」
猫助がリンダの足元で未だに気を失っているカズンに声をかけるが、反応が無い。
猫助は意を決すると瑠璃毛に背を向けて走り出した。
「な! 猫助?」
突如戦列を離れた猫助に、アースが思わず声を上げる。その声には、たかが猫一匹とはいえ共に戦っていた仲間が逃亡した事への失意がありありと窺える。
猫助の独断を責めるべきか、気を散じたアースを責めるべきか。アースの一瞬の失意は傾きかけていた戦局が一気に崩れるきっかけとなった。気の緩みの伝わった彼の手が握る二挺斧は、瑠璃毛の攻撃を受け止めた途端に容易く弾き飛ばされる。
「チッ……!」
失態に舌打ちしながら、アースは半ば自棄になって空いた手を握り締め瑠璃毛を殴りつけた。拳から伝わる巨木の幹を殴ったような硬い感触に、瑠璃毛の強靭さを改めて感じさせられる。そして、無力さを味わった拳は、圧倒的な勝機に動き出した瑠璃毛により身体ごと押し返された。
体勢を崩されたアースに反撃の時間は無い。防ぎ、逸らし続けてきた瑠璃毛の一撃をついに受ける。
そんな諦めがアースの脳裏によぎる。だが、彼がその致命打を受けることは無かった。
二挺斧を弾いた瑠璃毛の目は、間近にいる木こりの姿を見てはいなかった。
そして、アースは自分の死以上に受け入れがたい未来を瑠璃毛が見ている事を悟る。
「やめろぉぉぉッ!」
彼の叫びは命令ではなく懇願。声と共に瑠璃毛にすがるように伸ばされた手は、跳躍する瑠璃毛を捉える事無く虚空を掴む。
アース達から僅かに離れていたリンダも、一連の出来事は見えていた。
猫助の離脱、アースの叫び、瑠璃毛の跳躍。目前のアースよりも先に瑠璃毛の目標となったのは、瑠璃毛の走る先にいる猫助? たぶん違う。では、瑠璃毛と猫助が走る先はどこ?
リンダもまた、アースと同様の答えに辿り着くとスウィングを放り出して走り出した。そして、猫助と瑠璃毛が走る方向、アンネに向かって走りながら叫ぶ。
「アンネ、逃げて!」
迫る瑠璃毛を前に実を強張らせていたアンネは、母の呼び声にビクリと身を震わせると慌てて立ち上がった。
瑠璃毛は巨躯を疾走させ、前を走る猫助など眼中に無いかのよう容易く抜き去る。
「間に合わん! 伏せろ、アンネ!」
猫助がそう叫ぶ。しかし、猫助の言葉をアンネが解する事は無い。母の言葉に従うように背を向けて走り出すアンネの背後に、瑠璃毛が迫る。
猫助が数秒後に起きるであろう惨劇を想像して青褪める。だが、その想像は現実と化す事は無かった。
ディオンが立てない身体を目一杯伸ばし、アンネの襟首を掴んでいた。そして、そのまま自分の元へと強引に引き寄せる。
突如軌道を変えたアンネに反応しきれず、瑠璃毛は彼女のいた場所を通り過ぎる。無論、瑠璃毛がそのまま走り去る筈も無い。強靭な四肢で自らの勢いを止めるや否や、すぐさま転回しアンネとディオンへ向き直った。
対するディオンに瑠璃毛と戦える腕力は無いどころか、腰が抜けたままの彼では逃げる事もできない。
猫助達の脳裏に再び惨劇の予感がよぎる中、それでもディオンの顔にはいくばくかの余裕があった。
そして、ディオンのとった行動はその場の誰しもが予想していなかった。
「絡み取れ!」
ディオンが叫び、アンネから離した両手を打ち合わせる。
「道術……!」
見覚えのある所作に猫助が声を上げた。その言葉が正解であるかのように、周囲の木々から一斉に枝が伸び今にもアンネに飛び掛らんとしていた瑠璃毛に絡みついた。
突然の出来事に瑠璃毛は当惑し、それでも目標に辿り着こうと身をよじる。枝葉の綱は二本三本とその数を増やし、ディオンの宣言通り瑠璃毛を捕らえた。
「間に……合った……か」
目前で枝葉に取り押さえられた瑠璃毛を見ながら、ディオンは疲弊しきった顔で深い溜息を吐いた。
「なんだ、なんだよ、先生! そんな事が出来るなら先に行ってくれよ!」
ディオンからアンネを渡されるリンダ。その光景を見て安堵したのか、アースは笑いながらディオンの背を叩き抗議する。
疲労しているはずのアースだが、その腕力はディオンの背中が耐えうるものでもない。ディオンは、アースに背を叩かれるたびに盛大に咽た。
「ゲホッ! ゴホッ! いや、すまない。しかし、術は植物の生態系に少なからず影響を与えてしまうから……」
生物学者らしい理由である。
「なんにせよ、アンネが無事だったんだ。礼を言うよ、センセ」
抱きついてくるアンネの頭を撫でながら感謝するリンダに、ディオンは照れくさそうに頭をかく。
ただ、目の前の脅威が勢いを止めた事に森番達が安堵する中で、猫助はその警戒の色を薄められないでいた。
「ディオン。安心するのは、少し早いんじゃないのか?」
ボソリと呟かれた猫助の言葉に反応できたのは、隠していた道士の能力を有するディオン。
「旦那、姐さん……アンネ連れて、ソイツから離れろ」
そして、スウィングを構えるカズン。猫助は思わぬ声に驚いて振り返った。
「カズン。生きていたのか!」
「勝手に殺すな、猫助」
気絶から目覚めて最初の相棒の言葉に、カズンはげんなりとしながら答える。それでも手にしたスウィングは目標から外していない。
「もう一度言うぞ。旦那も姐さんも離れるんだ」
静かに、しかし決して反論は許さない。そんな力がこもったカズンの警告に、瑠璃毛捕縛に安堵していたアースとリンダは従うより無かった。
そんなアース達の聞き取った音。ブツリと綱の切れるような音が、やけに生々しく耳に響いた。
「さすがは、森の王者といったところか……」
呆気にとられるディオンの隣で、猫助が畏怖の視線を瑠璃毛に向けて呟く。
枝葉に拘束されていた瑠璃毛は、前進する事を諦めてはいなかった。自らの体を縛る枝葉に抗うかのように大地に爪を立て、少しずつ四肢を進めている。アース達が聞いたのは耐え切れなくなった枝葉の一本が切れた音だった。
「そんな!」
絶望的な声を上げたリンダはアンネを抱き寄せ、アースは二人を守るように瑠璃毛の前に立ちはだかる。
その親子に向かって瑠璃毛の前進は止まらない。一歩一歩と瑠璃毛が歩みを進めるたびに、道術で編まれた枝葉の綱がブツリブツリと引き千切られていく。
「アンネ君……いやさ、カズンでもディオンでも構わん。誰か、アンネ君から子虎を!」
決壊寸前の堰と化した枝葉と、今にも決壊させかねない洪水のような瑠璃毛を前に、猫助が叫ぶ。
「ニャー……」
猫助の声にいち早く応えたのは、カズンでもディオンでも、ましてやガレット夫妻でもなく、アンネに抱かれた子虎だった。
そして、子虎が鳴いた途端、瑠璃毛の動きが止まった。同時に、荒れ狂う嵐が一瞬にして消え失せるかのように、瑠璃毛の殺気も消え去る。
「ニャー……」
唖然とするカズン達が行動を起こすよりも先、子虎はアンネの両腕から滑るように抜け出すと、目前に迫る瑠璃毛に向かってもう一度鳴く。
「……お母さん、なの?」
そんなアンネの問いに答えるかのように、子虎は少女の方を見て一鳴きすると瑠璃毛の元へ駆け出した。
駆け寄る子虎を見つめる瑠璃毛の表情に、もはや先程までの荒れ狂う森の暴君は存在してはいなかった。あるのは一頭の母虎の姿のみ。
「ハ、ハハハ、そうか、アンタも自分の子を攫った奴を追っていたわけね……」
「ったく……それならそうと言ってくれりゃあ、俺達も手伝ったのに……」
近寄る子虎の毛並みを舐める母虎を目の前に、ガレット夫妻はアンネを間にして地面にへたりこんだ。
「子を思う親の思いに人も虎も無し、か。おい、ディオン。そろそろ母虎を道術から解放してやったらどうだ?」
親子二組を見比べていた猫助は、そう言って隣にいるディオンに笑いかけた。
なんとか、いつもどおりの更新です。
えー、陳腐とか言わないで下さい。
さて、次のお話は『誰か忘れていませんか?』になりそうです。




