第29話 瑠璃色再び
カズンは、自分に何が起こったのか理解できないでいた。
リンダが愛用のボウガンスウィングを自分に向けて構え、しかしその引き金は引かれない。それは真正面に立つカズンが狙いではない事の証明。
彼の頭はそれに安堵する前に、では何を狙ったのかという疑問を生み出した。そして、カズンが自力でその答えに辿り着くよりも早くその答えが出されていた。
「カズン!」
悲鳴にも似た猫助の呼び声が聞こえたが、すでにカズンの視界から三毛猫の姿は消えている。猫助が視界から外れたのではない。第三者によって視界をずらされたのだ。
瑠璃毛に背後から襲われたカズンは、回避行動をとる間もなく前足の一撃を受けて跳ね飛ばされていた。一瞬の衝撃によりコートの背に仕込まれた矢の束が悲鳴を上げ、悉くへし折られる。打撃を受けた背中から全身に向けて伝達された抗い難い激痛に、カズンが目を見開く。
「カ……ハッ……!」
辛うじて口から出た声は言葉にならない。
宙を舞ったカズンは受身を取る事もままならないまま地面に叩きつけられ、落下で殺しきれなかった勢いは彼の体を二転三転と転がしていく。巻き上がる砂塵が、その一撃の威力を物語っていた。
「カー君! しっかりなさい、カー君!」
必死にカズンを呼ぶリンダの声にカズンが返事をする様子も無い。度重なる衝撃は、カズンの意識を根絶させるに足りるものだったらしく、彼はグッタリと地に伏したまま動かない。
「おのれぇッ!」
「クソがぁぁッ!」
仲間を襲った一瞬の惨劇に、二者が怒り瑠璃毛に飛び掛った。猫助が牙を剥き出し瑠璃毛の首元に食らいつく。
無論、虎の牙には遠く及ばない猫の牙で、瑠璃毛の太い首に噛みついたとしても致命傷にはならない。
しかし、顎に懇親の力を込めた猫助の一噛みは瑠璃毛に痛みを与えた。猫助を振り払おうと頭を左右へ振る瑠璃毛。その死角からアースの二挺斧が叩きつけられる。
「ガアァァァァッ!」
一人と一匹の攻勢が発した痛みに瑠璃毛が吼え、本能的な反応を示す。それは痛みの存在、危機感からの逃避行動。勢い良く猫助を振り飛ばした瑠璃毛は、アースの二撃目から逃れるように地を蹴った。
カズンを襲っての登場から一転、守勢に回った瑠璃毛。対するアースと猫助だが、この結果に喜ぶ暇は無かった。むしろ無策に飛び込んだ故の結果と、歯噛みすべき事態。
「リンダッ!」
瑠璃毛登場から今まで、アース達の横で腰を抜かしていたディオンが声を上げる。
あろう事か、瑠璃毛が彼等から遠ざかるべく疾駆する先には、動かないカズンを助け起こそうとするリンダがいるのだ。
ディオンに警告されるまでもなく、リンダも瑠璃毛が自分の元へ迫ってきているのは気付いていた。
リンダは舌打ちしながら目覚めないカズンを脇に押しのけ、自らも瑠璃毛の軌道からそれるように横っ飛び。同時に愛用のボウガン、スウィングを振りかざす。
「こっちはアンタの相手する気なんか無いってのに!」
スウィングから打ち出された矢が瑠璃毛の足を掬う。瑠璃毛は崩れたバランスを立て直しきれずに転倒した。
「先生! アンネの傍にいてやってくれ!」
アースはディオンとアンネ双方を見てそう告げると、二挺斧を手に走り出した。向かうはもちろん、瑠璃毛の元。
瑠璃毛はリンダの矢に転んだものの、すぐさま体勢を立て直しつつある。その瑠璃毛が次に標的を選ぶなら間近のリンダだ。黙って見過ごすわけにはいかない。何より、前衛アース、後衛リンダが彼等の戦闘スタイルを、自分のミスでその形を崩させるわけにはいかない。
「あ、あの……私、腰が抜けて……」
そんなディオンが上げた情けない声は、一目散で走るアースには届かなかった。ディオンが困り顔でアンネを見ると、そのアンネと目が合う。
「センセ……動けないの?」
「うぅ、情けないけど立つ事もできないんだ。アンネ、アースの頼みに逆らうようで悪いが、一人でお逃げなさい」
子虎を抱えた少女の不安そうな顔に、大丈夫だと答えられない不甲斐無さにディオンは深い溜息をついた。
「やれやれ、本当に戦闘に関してはカラッキシな先生だな。アンネ、せめて少し離れていたほうがいい。ここも十分に瑠璃毛の射程圏内だ」
ディオン程ではないにせよ、猫助も溜息をつきながらアンネの傍に歩み寄り声をかける。だが、目の前のアンネにしてみれば、その忠告も猫の鳴き声でしかない。
「……ネコッケ?」
アンネは不思議そうに首を傾げるだけだ。
そんなアンネに対し、猫助は言葉でダメなら行動で示そうと彼女の服を咥えて引っ張った。
「ネコッケ、ひょっとして……」
「ええ、どうやら猫もアンネにここから逃げて欲しいようですね」
アンネとディオンの反応に猫助は意思が通じたと安堵した。アンネは少し微笑むと、子虎を抱く両腕を解き、猫助に手を差し伸べた。
「ネコッケは優しいね」
アンネはそう言うと、催促するようにもう一度服を引っ張る猫助の頭を優しく撫でる。彼女の幼く小さな手の心地良さに、猫助が思わず目を細めて喉を鳴らす。しかし、思い出したようにアンネを見返した。
「撫でてくれるのはありがたい。ありがたいが、悠長に撫でている場合じゃないぞ、アンネ! 急ぎ、ここから離れるのだ!」
理解してはもらえないとわかっていながらも、猫助は再度アンネに忠告する。
「猫助が急かしています。アンネ、ご両親や私の事は心配せず、猫助と共にここから逃げなさい」
猫助の言葉がわからずともディオンの意思も同じらしく、猫助同様アンネを諭す。だが、アンネは目一杯首を横に振った。
「イヤだ」
「我侭を言っている場合じゃないんですよ」
「わかってる。でもダメ」
「アンネ!」
ディオンの言葉をアンネは首を振って頑なに拒絶すると、瑠璃毛に立ち向かうアースとリンダに目を向ける。
「父さんは逃げろって言わなかった。だったら、きっと父さんと母さんがみんなを守ってくれるもん」
その言葉にディオンと猫助は顔を見合わせ、もう一度アンネを見る。
両親を見守るその目には親譲りの芯の強い意志が宿っている。その目を見てしまった猫助とディオンには、彼女をこれ以上説得する言葉が出なかった。
「ッシャァッ!」
アンネの視線の先では、アースが瑠璃毛との戦闘を再開している。
「やむを得ん! せめて、ディオンもアンネもここを動くんじゃないぞ!」
猫助は意を決するとアース達の下へ駆け出した。
一度は瑠璃毛の気迫に呑まれた。そして、それは今も変わらない。一人でもこの場から逃げ出したいというのが、猫助の本音だ。さりとて、目の前の少女に勇気を見せ付けられて黙って逃げられる程、割り切れる性格でもない。
(さて、勝ち目の薄いあの御大をどう相手取るか……)
イザミの実を使って一度瑠璃毛を撃退した事を思い出した猫助だったが、その策を周囲の者に伝える術が無い。伝える唯一の術であるカズンは沈黙したまま動かない。
(せめて、カズンが目覚めてくれれば……)
猫助は走りながら首を振った。使えない策に思いを巡らせたところでどうなるものではない。今出来る最善の策を探し、行使するのみだ。不意打ち同然とはいえ、猫助とアースで瑠璃毛に一撃入れている。勝ち目が薄いと言っても、絶対勝てないわけではないはず。
「いざ尋常に勝負だ、瑠璃毛! このリカルド・フォン・レーベント・モーゼル……えぇい! この猫助が相手だ!」
名乗りたいのは山々だが、名乗りきるには瑠璃毛との距離が無い。猫助は不本意ながら手短に名乗りながら瑠璃毛に飛び掛った。
なんだかんだで気が付いたら一年経過しておりました。ここまでお付き合い下さった読者様には心から感謝いたします。これから先も、飽きずにお付き合い願えると嬉しいなぁと祈っております。
さて、エピソード瑠璃色の森も終盤にさしかかっております。この話をどうまとめるつもりだ、私。




