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斑の猫の館  作者: 紫神川悠
第二章 瑠璃色の森
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第26話 憶え無き罠

「……なあ、カズン」


 夜の森の闇の中を揺れ動いていたランプの灯が、ぼそりと呟いた猫助によって止まる。


「猫助。おまえ、声治ったのな」


 密猟者達の野営跡で遭遇した瑠璃毛を退ける際、自慢の喉を痛めた猫助。その猫助に名誉の負傷を負わせた当人であるカズンは、枝葉を振り払う手を止めて少し驚いた顔で猫助を見た。そんな彼を、猫助の双眸が恨めしげに彼を見返す。


「おかげさまでな。このまま治らなかったら、カズンをどうしてくれようかと思っていたぞ。それより、聞きたい事があるのだが……」


「答えられるかどうかは内容によるが……なんだ?」


 瑠璃毛との闘争の後、カズン達はカズンと猫助、アースとリンダの二手に分かれてアンネ捜索を再開していた。


 娘誘拐で血が昇っていたアースの暴走が懸念された別行動だったが、瑠璃毛戦を終えた今は彼も落ち着きを取り戻している。何より、アースの手綱を操ることができるリンダの合流が効いている。


 そのリンダ達との別れ際の会話に、猫助は違和感を覚えていた。


 リンダ曰く、自分はアースからの定時連絡が途絶えた事が気になって森に入った。ディオンからの救援要請は聞いていない。


 猫助は彼女の話を聞いて、森で別れたディオンの姿を思い出して首を傾げた。


 ディオン・ブルーム。生物学者としてこの森に入り、研究対象保護のため森番に加わった仲間。とても争い事に向いているとは言えない貧相な体格の男。


 定時連絡を入れなかったのはアースの失態として、なぜ一番近いはずのリンダの元へディオンは向かわなかったのか?


 彼には救援要請をする気が無かったのか、救援要請ができない状況に陥ったのか? 前者は考えにくい。今の状況は彼の細腕一つで片付く話ではなく、それはアース達に賢人と言わしめる彼自身も思う事だろう。後者とするなら、なぜそうなったか? 虎などに襲われた。猫助自身遭遇しているのだし、ありあえない話ではない。密猟者に出くわした。これも有りうる。


 猫助がカズンに問おうとした内容は、この考えに対するカズンの見解だ。いや、だった。


「あの木にぶら下がっている巨大なミノムシは……?」


「答える必要があるのか、それ?」


 質問を急遽変更し、目の前の光景について尋ねた猫助。カズンは頭を抱えながら問い返すと、手にしたランプで問題のミノムシを照らした。


 ディオンだった。森の木々の一つから垂れ下がる綱の先、丸まった網の中に囚われているのはどう見てもディオンだった。


 ランプの光に気付いたのか、カズン達の声に気付いたのか、ディオンは網の中からひょっこり出ている頭をカズン達に向けると照れ笑いを浮かべる。


「ああ、カズン君に猫助も。いやはや、これはお恥ずかしい所を見せてしまった。どうも密猟者が罠を張っていたようで、うっかり引っかかってしまいまして……」


 そう言ってディオンは溜息をついた。なんとか抜け出そうともがいたのだろう。彼の手足は、その細さが災いしたのか幾重もの網の目に絡めとられて、もはや身動き一つできない有り様だ。


「やれやれ、なんてざまだ。道理で姐さんが先生に出くわさねぇわけだ」


「納得している場合ではないだろうに。ディオンを助けるぞ、カズン」


 ディオン同様溜息をつくカズンを急かし、猫助が駆け出した。カズンももう一度溜息をついてから猫助に続く。


「しっかし、先生は罠の事も詳しいってアースの旦那が褒めていたが、その先生が引っかかってりゃ世話ねぇよ」


 網を吊り上げていた縄を解きながらぼやくカズンに、ディオンは網の中で恐縮した。


「なんとも面目の無い」


「カズン。おまえも傷口に塩を塗りこむような事を……」


 猫助がカズンの口の悪さに呆れ顔で呟くと、カズンは遺憾だと猫助を見返す。


「事実だろうが。ただでさえアンネが見つかってないってのに、面倒事増やされたんじゃあ堪んねぇよ」


「重ね重ね申し訳ない。……そうですか。アンネ君、まだ見つかっていないのか」


「ああ、リンダの姐さんが合流したんで二手に分かれて捜索中だよ。む、こいつ……」


 そう言いながら固く結ばれた縄の結び目に難儀するカズン。彼の悪戦苦闘する様をしばらく眺めていた猫助だったが、やがて焦れたように口を挟んだ。


「解けないのなら切れば良いではないか」


「どうやって切るってんだよ。ナイフの類は持ってきてねぇし……。猫助、おまえの爪でなんとかならないか?」


 間髪入れずに切り返してきたカズンに、猫助は改めて綱を見ると渋い顔をする。


「出来なくはないが、この太さだと時間がかかる。カズン、リンダに借りたソレを使って切り飛ばせないのか?」


 結び目からカズンの背中へと視線を移した猫助が言う。今度はカズンがその提案に渋い顔をして見せた。


「出来なくはねぇな。ただ、失敗しておまえを撃ち抜くかもしれねぇが」


 猫助の視線の先、カズンの背中には一丁のボウガンが背負われていた。ただし、彼愛用のボウガンではなくリンダのものだ。


「おや? 背中のボウガンは……?」


「ああ、リンダ姐さんのスウィングだよ。さっき瑠璃毛とはちあって、俺のボウガンが潰されてね。代わりに使えって渡された」


 動けない体ながらも目ざとくそれを見つけたディオンの問いに、カズンは結び目から視線をそらす事も無く答える。


 リンダのボウガン。カズンの愛用するOG-07の一世代前であるOG-06。威力こそ高いが、その扱いはボウガンに長けたカズンも手こずるじゃじゃ馬ぶりというOGシリーズ唯一の欠陥品の名に恥じない難物である。


(こんなボウガンを二丁も持ってる姐さんも相当な偏屈だな……。こんなことになるなら、スウィングじゃなく旦那の投げ斧を借りておくんだった)


「アースとリンダは別行動ですか……ふむ」


「女の感だとか言って森の中に飛び込んで行ったよ。そんなんで見つかれば苦労は無いっての。クソッ、旦那がいりゃあこんな縄簡単に叩き切れるってのに……」


「リンダは元冒険者の感と言っていなかったか?」


 手間取るカズン達を他所に、目を閉じて黙考に入るディオン。その顔は学者の名に相応しく静かで穏やかであり、まるで森の木々の一部と化しているほど。ただ、網に捕らわれた四肢がそれを台無しにしている。


「カズン君、女の感を侮る無かれです。それが母親の感なら尚の事」


「はぁ?」


 目を開けて言うディオンに、カズンは彼の言葉を理解しかねて問い返した。


「案外、彼らは密猟者に接近しているやもしれない。いや、もう接触したか……」


(……マジで言ってやがるのか?)


 ディオンの呟きにカズンは呆れ顔で彼を見た。そして、意を決したように背中のボウガンに手を回す。


「お、おい、カズン。本気か?」


「本気も本気。大真面目だよ」


 驚き尋ねる猫助にカズンはスウィングを手に頷き返した。


 ディオンの考察が合っていようがいまいが、ここで縄相手に時間を潰すのが得策ではない事は明白。ならば、この一撃にかけてみるのも一興というもの。


「先生、死んでも恨みっこ無しだ」


「はい? それはいったいどういう事で……?」


 慣れない手つきでスウィングの弓を張るカズンに、ディオンは口元を引きつらせて尋ねる。そんなディオンに対するカズンの回答は無かった。いや、矢をセットする行動そのものが答えになっている。


「その、冗談でしょ?」


「俺は冗談の使いどころを間違えない男だ」


「それこそ冗談だろうに……」


 改めて尋ねたディオンに、ニヤリと笑みを浮かべて返すカズン。スウィングを構えるカズンの脇で猫助が呆れ顔で呟いた。


 猫助が言うとおり、カズンの言葉は冗談に近い。だが、撃つと決めたカズンの意志に偽りは無い。カズンはスウィングを構えて狙いを付ける。


 標的はディオンの入った網を吊り上げている綱。距離的にも的としても、愛用のボウガンならば難無く当ててみせる自信がカズンにはあった。問題は反動の大きいスウィングを使って、どれだけの射撃精度が出せるかだが……。


 なにやらディオンが騒いでいるようだが、カズンの耳にまでは届いていない。カズンはそれほどまでに集中力を高めていた。


(ただ迷ってるだけじゃ時間の無駄だ。決めた時は躊躇わない……)


 ふと、昔ボウガンを教わった冒険者の言葉を思い出し、カズンは軽く息を吐いた。


「ウッシ!」


「わー! ちょっと、カズン君! そんなやる気出さないでー!」


 ディオンの叫びを無視するように、カズンの指がスウィングの引き金を引く。


 カズンの所有するボウガンは三種類。一番使っているのがWハーツ社のOG-07愛称パレード。同じくWハーツ社の改良型袖箭SS-29愛称マーチ。そして、古代の遺産である特殊ボウガン通称カーニバル。


 スウィングの発射時の反動は、単純に力として見るならカーニバル程ではないとカズンは思っている。だが、カーニバルさえ扱いきるカズンがスウィングをじゃじゃ馬として認めたのは、スウィングの反動の無秩序さだった。カーニバルだろうと、そこいらのボウガンだろうと撃った時の反動は一定だが、スウィングはそうもいかない。撃つたびに力加減も方向も変わるという、まさに自由奔放なじゃじゃ馬娘。


「あ……」


 カズンは自分の口元が引きつるのを感じた。


 スウィングの奔放さは、引き金を引いた今この瞬間にも発揮されることとなった。張り詰めた弦が解放された瞬間、カズンの両腕に衝撃が伝わり半身が大きく揺れる。スウィングの愛称通りの格好でカズンが撃ち放った一矢は、当初の軌道から大きくそれた。


 猫助が息を呑み、ディオンが死の瞬間など見たくないとばかりに目を閉じる。


 飛び出した矢は狙っていた綱に向かう事無く、綱の下がっていた枝に深々と突き刺さった。


「むぅ、外したか……」


「外したか、じゃないですよ!」


 一仕事終えたスウィングを見ながら呟くカズンに、ディオンが叫ぶ。


「大きく的外れじゃないですか! 下手したら私死んでたじゃないですか! いくらなんでも、そのボウガンを使うなんて無謀で……!」


 動かない手足をばたつかせながら猛抗議するディオンの傍らで、枝が大きく軋む。


 何事かと目を向けたディオンの視線の先、自分を吊り下げている枝が矢の刺さった所からぽっきり折れた。ディオンは悲鳴を上げる間もなく地面へと墜落する。


 カズンは折れた枝、目を回すディオン、手元のスウィングへ視線を転々と移し、やがて満足げに頷いた。


「ん。結果オーライ」


「それでいいのか、カズン?」


 ディオンの介抱に向かった猫助は、呆れ顔でぼそりとこぼした。




 所変わって、同じ森の中の一画。こちらにも罠に引っかかっている一団がいた。


「ったく、どうなってんだ、こりゃあ!」


 腹立たしげに幹を蹴り上げているのは密猟者と成り果てた元盗賊の頭目ヴァンス・コナー。


「こんな所に罠なんぞ張った覚えはねぇぞ! ええ、違うかい、ブラゴさんよ?」


 八つ当たりするように隣にいたブラゴに食ってかかる。ブラゴは唾を飛ばして怒鳴るヴァンスを宥めるように手で制した。


「落ち着けってんだ、ヴァンスの旦那。俺達が張って回ったんだ。罠の位置は充分心得てる。確かに、ここじゃない」


「じゃあ、なんで俺の手下共と大事な餌達が宙吊りにならなきゃならねえんだよ!」


 再び怒鳴るヴァンスの唾がブラゴの豊かな髭にかかる。


 怒鳴るヴァンスと宥めるブラゴ。彼等の目の前には吊り上げられた網。網の中にはヴァンスの手下二名と人質のアンネ、そして瑠璃毛の子虎がいた。


「だから落ち着けって。俺達の知らない罠があるってことは、他にも瑠璃毛の密猟を企んでいる奴がこの森にいるってことさ。となれば、やる事は一つ。そいつらよりも早く瑠璃毛を捕まえてトンズラだ。その為にも、今やるべきはあのチビ虎を連れて俺達の罠へ向かうことだろ?」


 髭に付いた唾を袖で拭き取りながらヴァンスを諭したブラゴは、網に取り付いた仲間へと目を向ける。


「おい、グリッド。まだ取れねぇか?」


 なんとか罠を解こうとしていた一団の一人が、ブラゴの呼びかけに顔を上げた。彼の弟分であるグリッドだ。


「だめでさぁ、兄貴。解けるどころか、引き千切るのもままならねぇ。こりゃまるで魔法でもかかったみたいだ」


 情けない声を上げるグリッドに、ブラゴの隣にいたヴァンスが鼻を鳴らす。


「何が魔法だ。たかが綱を編んだ網が剣で切れないわけがないだろうが」


「おいおい、グリッドを舐めてもらっちゃこまるぜ、旦那。アンタもあいつの力は一度見たろ? そのあいつが駄目だって言うんだ。あながち魔法ってのも……」


 言いかけたブラゴがふいに口を閉ざし、辺りを窺う。


「んあ? どうした、ブラゴ」


 ブラゴは途惑うヴァンスの問いかけに対し、黙れと言いたげに口元へ指を立てて用心深く周囲の気配を探り始めた。脱獄した日から今まで逃亡を続ける彼ならではの感が、まだ見ぬ気配を感じ取る。


(何かが近寄ってきてる……嫌な感じだな)


 眉をひそめる彼の様子に、流石に異常を感じたヴァンスもまた湾刀に手をかけて周囲を見回した。


「なんだ? 瑠璃毛か?」


「だったら、探す手間が省けてありがたいがな……」


 グリッドへ注意を促そうとしたブラゴの耳が僅かな音を捉えた。


 それは小さな風切り音。音の所在を確かめようと振り返った時には、すでに音の発信者はそこにはおらず、変わりに聞こえたのは背後からの悲鳴。


「なっ……!」


 手下の悲鳴に慌てて網へ振り返るヴァンスと、それにつられるように目を向けたブラゴ。


 都合一拍。密猟者の悲鳴が上がり、全ての視線がそちらへ向いた途端、彼等の死角から二挺斧を手にした雄虎が草むらから飛び出した。


忘れた頃のディオンさん再登場のお話でした。

アース、リンダ組と密猟者達がついに接触。またも戦闘モードに入ってしまうのか。収拾つけられるのか、私。

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