第19話 森番アース
森の夕暮れは早い。
日の光は昼間こそ枝の間を縫うように差し込んでいたが、夕刻が迫ると瞬く間にその威光を失い、鬱蒼と生い茂る木々に侵入を妨げられていく。
木こりとして一日の仕事を終えたアースとカズンは、薄暗い森の中に灯る明かりに向かって進んでいた。
夜が森と結託して作り上げる闇色の空間。その中にあって唯一煌々と辺りを照らすその光は、二人にとって母港を指し示す灯台の火。事実、アースにとってその光の源泉こそ、自分が帰るべき我が家なのである。
「いやー、今日はひどい目にあったな」
隣を歩くカズンに語りかけるアースの口ぶりは、その台詞とは裏腹に楽しげなものだ。
「いやはや、ホントにまったくだ。あの鳥しつこいったらありゃしない」
返すカズンの方は疲労感に溢れていた。
木こりのアースが切り倒そうとした木にあった、ベニハタオリの巣。それを救ったのがアースの娘アンネなのだが、親鳥はあろうことかアンネが巣を取ろうとしていると勘違いして彼女に襲い掛かってきた。急いでアースが鳥の巣を元に戻したものの、それだけでは親鳥の信用は得られず、その後もベニハタオリの追撃を受ける事になった。
「どさくさに紛れて、アンネと猫助は逃げてるし……」
「ああ、我が娘ながら素晴らしい健脚だ。冒険者時代のリンダを彷彿とさせる」
感心しているアースの筋肉質な体にはベニハタオリに突かれた痕が残り、着ている服にもいくつか穴が開いている。
逃げるアースと追うベニハタオリ。巻き添えを食ったカズンをも交えたこの鬼ごっこは三時間にわたった。
「ああ、そういえばリンダさんも冒険者だったんスね」
「そうだぞ。弓の腕は中々のもんだったんだ。まあ、今じゃすっかり主婦だけどな。その証拠に……」
言いながら鼻をひくつかせるアース。カズンも彼に習って嗅覚に集中する。
森の木々と土の匂いに混じる香ばしい香り。いくつもの野菜達と香辛料の織り成す絶妙なハーモニーがカズンの腹の虫を呼び起こす。
「むぅ、こりゃ美味そうッスね」
「おう。こいつは主婦業開始以来屈指の、会心の出来と見た。こういう時のリンダはすごぶる機嫌がいいぞ」
料理の味を思い浮かべたのか、はたまた湯気立つ料理の先にある妻の笑顔を思い浮かべたのか。アースはカズンにニッと笑って見せた。
「一日働いてどんだけ疲れても、疲労感を吹っ飛ばしてくれる瞬間だな。さぁ、腹をすかせた野郎どもを、リンダがどんな料理で迎え撃つ気なのか見てやろうじゃねぇか」
改めて歩みを踏み出したアースの足取りは軽い。続いて歩き出したカズンはやれやれと首を振る。
「あーあー、ご馳走様だぁ」
先を行くアースの背中から放たれる幸福オーラに満腹感を覚え、げんなりした顔で呟いた。
「ほれ、ぶつくさ言ってないで帰るぞ。こんなところで油売って料理が冷めたなんて事になったら、リンダの上機嫌が一変に不機嫌に変わっちまう」
余程夕食が楽しみなのだろう。そう言ったアースの足は我が家を前にして更に早まる。ノソノソと歩くカズンを置いて小走りに小屋へと駆け、カズンが家に辿り着く頃には斧を片付けて帰ってきた。
「おーう! 今帰った……ぞ?」
はやる気が逞しい腕にも宿ったように、勢い良く扉を開けるアース。元気に帰宅を伝えるはずの彼の言葉は、なぜか語尾に向かうにつれ急速に萎んでいった。
「……? どうしたんスか?」
アースの背後に立つカズンが問う。
その問いの意味は二つ。アースはなぜ扉を開けたまま立ち止まったのか。そして、なぜリンダの応対が無いのか。
アースからの返事は無く、リンダの返事も無い。
湧いて出た不安に、カズンは立ち止まるアースの肩越しに家の中を覗き込む。
不在かと思われたリンダは家の中にいた。一人テーブルについたまま、こちらに顔を向けている。
ただ、会心の出来であるはずの料理を目の前に、その顔色は優れない。二人を見るリンダの表情にあるのは、いくらかの安堵とそれを遥かに上回る不安。
視線を移せば、アースの顔からも先程までの笑顔が消えている。
「あ……。お帰り、二人共」
まるで今気付いたかのように口を開くリンダ。受け答えこそしたが、どこか上の空だ。
扉とテーブル。未だにその位置から動かないアースとリンダに、カズンの胸中に湧いた違和感と不安が募っていく。
「リンダ。アンネはどうした?」
アースが一人佇む妻に問う。その声は、内に秘めた焦燥の念を努めて押し殺したかのように、抑揚に欠けた静かなものだ。
カズンの違和感はまさにそれだった。日が暮れて夕食時だと言うのに、アンネと猫助が家にいない。
「それが……、まだ帰っていないの」
リンダの答えを聞いたアースは、目を閉じると深々と息を吐く。
「……そうか」
そう一言呟いて振り返る。当然、アースの背後に立っていたカズンと向き合う形になり、カズンは目の前の男の視線から逃れるように一歩身を引いた。
カズンの背に僅かながら戦慄が走る。
アースの目から普段の陽気さが消えていた。その眼光は見たものを凍りつかせるように冷たく、貫き通すかのように鋭い。おそらく、今の顔が森番アース・ガレットとしての彼の顔。そして、かつて冒険者であった頃の彼の顔だろう。
「リンダ。おまえはここで番を頼む。報せはいつもどおり」
「うん……わかった」
アースの指示に席を立つリンダ。彼女の顔もまた、娘を案じる母から冒険者のそれへと変わっていた。
「旦那?」
二人の変貌を目の当たりにしたカズンは、呆然としたまま問う。そんな彼の肩に森番のアースの手が置かれた。
「カズン。晩飯の前で悪いが、もう一仕事だ」
「アンネと猫助を探す、か?」
「ああ、ただの迷子ならそれでよし。そうでないなら……」
カズンに語りかけるアース。どこから出してきたものか、リンダが手斧の下がったベルトを彼の背に向けて放り投げた。
「この森の王者と戦う事になるかもしれん」
そう言いくくったアースは、自分に投げられたベルトを見もせずに掴み取り、腰に巻きつける。ベルトを締め上げた拍子に、そこから下がっている小振りな手斧達が音を立てた。
慣れ親しんだ儀式のように、手際良く支度は行われていく。その動作を見ていると、カズンには彼らが冒険者から引退して久しい事が疑わしく思えてくる。だが、引退していようがしていまいが、これから始まるかもしれない戦闘を思えば、その姿は実に頼もしくもある。
「森の王者ってぇのは、瑠璃毛の事だよな?」
自らのボウガンを取り出し、調子を確かめるカズン。その口調は空腹から救ってくれた恩人に対してではなく、共に行動する仲間に対して放つくだけた調子だ。
「ああ。もしそうなればカズンの得物じゃ致命傷にはならん。俺が前衛。おまえが後方支援。苦情は受けんぞ」
「待て待て、そういう旦那の得物はどうなんだよ。そんなちっこい手斧投げてどうにかなる相手じゃねぇだろ?」
カズン自身自覚はあったとしても、自分の武器を否定的に言われては気分が悪い。反論するカズンに、アースはやれやれと首を振った。
「言ったそばから苦情かよ……。心配すんな。こいつらは投げる用。振り回す用はもうすぐ届く」
「届く?」
カズンが鸚鵡返しに尋ねるが、アースはその問いかけに答えることなく背後へと両手をかざした。その手に向けて、これまたどこからだしてきたものか、二挺の斧をリンダが放り投げる。
生涯の伴侶となった二人なればこその阿吽の呼吸。リンダの投げた斧は綺麗にアースの手に収まり、アースは投擲された斧の勢いを素振りへと変換し、二挺斧で弧を描く。
打ち下ろし。薙ぎ。かち上げ。二挺斧の素振りを一通り試したアースは、腰に巻いたベルトの左右に設けられたホルダーに斧を収めた。
「な?」
「むぅ……」
ニヤリと不敵な笑みを浮かべるアースに対し、カズンは短く唸りつつ二挺斧の起こした風に乱れた髪をかき上げる。こうも見せ付けられては、どちらが前衛かは一目瞭然だ。
「わーったよ。旦那が前で、俺が後ろだ」
「素直で結構。それじゃ、リンダ。ちょいと行ってくらぁ」
近くの酒場へ飲みにでも行くような調子で言うアース。
夜の漆黒へとその色を変える森に向かって、男達は今その足を踏み出し……。
「待って!」
その行軍に待ったをかけたのは、見送りに出たリンダだった。
「なんだよ。俺と離れるのがそんなに嫌か?」
「あーあー、ご馳走様だぁ」
彼女の制止の声に冗談めかして応えるアースと、それをさらに茶化すカズン。リンダは無言で男達に歩み寄ると、二人の脛を蹴り上げた。
「何か聞こえない?」
リンダは無言の悲鳴を上げて跳ね回るカズンを無視して、アースに問いかける。
「き、聞こえる……俺の足が、折れた音だ……」
苦悶の表情を浮かべつつ答えるアースの足が、リンダに踏みつけられた。
「森から、何か聞こえないかしら?」
足を伝って聞こえてくるリンダの「真面目に聞け」という抗議に、アースは何度も頷き返す。そんなアースの隣で、カズンもまた森に向けて聞き耳を立てている。
「何か、草の根かき分けて近付いてくる」
脛の痛みを堪えながら、ぼそりと呟くカズン。
そっとボウガンを構えながら、カズンはリンダの持つ能力に驚いていた。彼女は森の木々が風になびき枝を打ちたてる中で、接近する異質の音を聞き分けた。それも、家の外にいたカズン達よりも遥かに早く。
鋭敏な聴覚の持ち主、リンダ・ガレット。有り余る腕力を武器に先陣を切るアースに対し、リンダはその優れた感覚を用いての後方支援。バランスの良い組み合わせだ。冒険者としてこのコンビの芽が出なかったのは、些か惜しい話だとカズンには思えてならない。
アースが冒険者として成功しなかった理由が人の良さ。ならば、リンダが冒険者を辞めた理由は一体なんなのか。
カズンは、ふと湧いた疑問を振り払うように首を振る。
(そいつは今考えるようなこっちゃねぇか。今集中すべきは……)
コートから取り出した矢をボウガンにセット。次第に近くなる音に向けて構える。
(音の感じからすりゃあ、こいつは虎じゃない。もっと小さな何か……来る!)
漆黒の森の中から草枝を蹴散らして飛び出す影。
カズンの読み通り、それは森の王者と称される瑠璃色の虎では無かった。虎と同じ猫科でも、こちらはただの猫。そして、カズンには見覚えのある三毛三色。
「ね、猫助!」
カズンは慌てて引き金にかけた指を離し、構えたボウガンを下ろす。そのカズンめがけて、猫助が一直線に飛びかかってきた。長い助走から跳躍した猫助の一撃を腹に受け、カズンは受け止めきれずに尻餅をつく。
「ゴフッ! ね、猫助……。おまえは……俺を……殺す気……か?」
「馬鹿を言うな、カズン! 緊急事態だ! 面目無い話だが私だけでは時間がかかる。手を貸して欲しいのだ!」
腹を突き破るような衝撃に襲われて悶絶するカズンの上で、猫助が怒鳴る。その顔にただならぬものを感じたカズンは、猫助に説明を促すよう視線を送った。
「猫助だけ? アンネは一緒じゃないの?」
「なんだか、随分と騒々しく鳴いてるな」
カズンの腹の上に座りけたたましく鳴き続ける猫助に、ガレット夫妻は揃って困惑の表情を浮かべている。なぜ猫助と話せるかについてへの説明は後回しにし、カズンは猫助の報告を聞く事に集中した。
「猫助、その場所は遠いのか?」
「って……ねぇ、カー君、大丈夫?」
心配そうに尋ねてくるリンダの表情に、カズンは軽く溜息をついた。確かに、猫を腹に乗せたままその鳴き声を真剣に聞き、真顔で猫に問いかけるカズンの姿は、傍から見れば奇妙なものかもしれない。
「旦那、リンダさん、聞いてくれ」
一通り猫助の説明を聞いたカズンは、そう言って二人の顔を見た。アースとリンダは未だに困惑の覚めない顔でカズン達を見ている。
カズンは意を決すると、二人の困惑顔を不安と焦燥に変貌させる一言を言い放った。
「アンネが、瑠璃毛捕獲用の罠にかかったらしい」
波乱の予感です。
さて、脳内スイッチを戦闘モードへ……いや、も少し先かな?




