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斑の猫の館  作者: 紫神川悠
第一章 斑の猫の館
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第1話 冒険者カズン

 安料理屋に立ち寄った旅人カズン・リックフォートは、注文したサーモンサンドを目の前にして唾を飲んだ。


 旅の途中で道に迷い、ここ三日まともな食事を取っていない。腹の虫がどんな声で鳴くかは十分わかった。空腹に苛立って蹴り上げた木からスズメバチの巣が落ちてきた時は、危うく死ぬところだった。


 しかし、そんな過ぎた事はどうでもいい。今、こうして食事ができるというささやかな幸せが、彼の荒んでいた心を癒してくれる。


 カズンはサーモンサンドを一切れ掴むとまじまじと見つめた。


 白くふかふかとした感触のパン生地。瑞々しいレタスの緑。ほんのりと鼻をくすぐる黒胡椒の香りが食をそそる。触覚、視覚、嗅覚が先立って歓喜の声を上げた。


 だが、味覚が満たされてこそ料理というもの。カズンはそれを示すようにサーモンサンドに向かって大口を開け……。


 一瞬の出来事だった。かぶりつこうとしたサーモンサンドが、その右手から消え失せたのは。


 並びの良いカズンの歯が空を噛み切る。


「んが?」


 歯を噛み合わせたまま手を見る。先程までサーモンサンドを掴んでいた彼の手は今、虚しく空を掴んでいる。


 サーモンサンドの行方を探す彼の足元を何者かが駆け抜けていく。とっさにテーブルの下を覗いたカズンは自分のサーモンサンドの末路を目の当たりにした。


「っこの、猫がぁ!」


 カズンからせしめた獲物をがっつく猫に向かって、彼は心の底から叫んでいた。だが、その叫びは急に悲鳴に変わる。


 カズンの声に驚いた猫がその顔を引っ掻いたのである。


「このヤロウッ!」


 テーブルの下から飛び出した猫を追うべく席を立つ。


 黒のコートに黒ブーツ。黒手袋に、服も黒。背中まであるストレートの黒髪。黒い瞳を隠す丸いレンズのサングラス。全身黒の彼の身なりで唯一の白が、左耳に付けた白い硬貨の形をしたイヤリング。このイヤリングからカズンには『スノウコイン』という通り名がついている。


「俺のサーモンサンドを横取りしてタダで済むと……」


 椅子の背もたれにかけていたボウガンを掴むと、コートのポケットから矢を引っ張り出す。


「思うなぁっ!」


 叫ぶと同時に掴んだボウガンから、矢を四本連続で猫に向けて撃ち放つ。もちろん本気で当てる気など無い。驚かせるだけだ。


 矢を撃ち出し、空いた右手を再びポケットに突っ込んだところでカズンの動きは止まった。


(何?)


 威嚇目的で当てる気は無し。それでもカズンはギリギリの位置に撃ち込んだ筈だった。


 しかし、猫と矢の軌跡の間には明らかな間隔があった。


 誤射という言葉が一瞬彼の脳裏をよぎったが、すぐにそれを否定する。ボウガンの腕には自信がある。この距離で狙いを違えることはまず無い。


 空腹で腕が鈍ったのか。それを確認すべく、新たな矢四本を取り出しボウガンを構えた……が。


「チッ、逃がしたか」


 すでに猫の姿は料理店の中に無い。


「……腕、落ちたか?」


 ボウガンに矢をつがえると、振り向きざまに背後の花瓶を狙って発射。


 矢は狙い通り花瓶の中央を貫き破裂させる。同時に料理屋の怒りも破裂させたのは言うまでも無い。




「クソッ! サーモンサンド一切れが随分高くついちまったな」


 店を追い出されたカズンは、やたらと軽くなった財布の中を覗きながら愚痴る。


 猫に食われたサンドイッチ代と、暴れた拍子にこぼれて一滴も飲めなかったコーヒー代。腕試しに壊した花瓶代、それと騒ぎに逃げ出した客の料理代等々。出費と空腹がカズンを苛立たせた。それもこれも……。


「あの猫、今度会ったらただじゃおかねぇ」


 ただでさえ目つきの悪いカズン。その表情は輪をかけて険悪になり、知らずの内に通行人を怯えさせていた。


 これ以上目つきが悪くなる前に財布と胃袋を膨らませる必要がある。


 そんなわけで彼は今ギルドに向かっていた。


 冒険者ギルド。遺跡調査や妖魔退治等、各地で発生した仕事を、魔術を利用したネットワークで世界各地に紹介する機関。カズンのような冒険者達の一番の収入源といえる。


 幸いこの村にも冒険者ギルドの支部がある。楽して高収入、ついでにやつ当たりができれば申し分ないのだが……。


「ギルドって……これか?」


 力無い口調で呟くカズンの先にあったのは小さな煙草屋だった。『煙草』と書かれた看板の下に『冒険者ギルド、ラナイ支部』と書かれた小さな看板がぶら下がっている。まあ、仕事の情報が得られるなら犬小屋でも構わないのだが、それでもやはりやる気は萎えてくる。


「婆さん、ここって冒険者ギルドだよな」


 カズンが煙草屋の……ギルドの窓口に座る老婆に尋ねると、老婆は耳元に手をかざした。


「あんだって?」


「ここは冒険者ギルドなんだろ?」


「グレイターキーは今切らしてんのさ」


「いや、煙草が欲しいんじゃなくてだな……」


 煙草屋の老婆と長期にわたる交渉の後、なんとかギルドの仕事リストを手に入れたカズンは手頃な仕事を探す。


 世界各地にネットワークがあるだけに仕事の依頼場所もあちこちである。いくら良い仕事でもはるか遠くでは意味が無い。カズンには今この場を生きる金が必要なのだ。


(廃屋の調査? この村の依頼じゃねえか)


 このラナイ村の近くにある森の廃屋付近で妖魔らしきものが確認された。廃屋に住み着いている可能性がある為、妖魔の有無を調査し妖魔が確認された場合、それを排除するというもの。依頼料が若干低いのはひっかかるが、交通費がいらない事を考えれば目をつぶるべきか。


「さーて、どうするかな」


 考えながらコイン型のイヤリングを外す。判断に迷った時、コイントスで決めるのはカズンの癖だ。


(表なら仕事を受ける。裏なら他をあたる)


 弾き上げたイヤリングは空中で回転を繰り返し、白い軌跡を残してカズンの手の中に落ちた。コインを確認すると耳に付け直す。


「婆さん、この依頼だけどさ。俺が受けるからギルドに登録してくれよ」


「ヘブンリーミストかい? あんた随分キツイのを吸うんだねぇ」


「だから煙草の話じゃねえって」


 老婆がギルドに依頼受諾を登録し終わる頃には、空は夕焼けを通り越して星が見え始めていた。



注意書き


本編でカズンのサンドイッチを奪った猫は、かなり猫離れした特殊な猫です。

健全かつ良心的な読者様は、間違ってもそこいらの猫に向けてボウガンぶっ放すような真似はしないで下さい。

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