聞こえますか?
――ピピピピ――ピピピピ
――聞こえますか? 聞こえますか?
どこからか音がする。声がする。
意識をそちらに向けてみる。……よくわからない。暗闇のなかに、淡い光か、あるいは靄か。そんなものが広がっているだけであった。
――ピピピピ、聞こえますか?
――私は亡霊。あなたを拐う亡霊です。
ハッと、目の前を見ると、ぼんやりとした人の輪郭のような、白い何かがたっていた。相変わらず周囲は暗く黒くて、他には何もわからない。
白い影が、手を伸ばす。
「私は亡霊。あなたを拐います」
「いいや、あなたは亡霊じゃない」
「なぜそう言えるのです?」
「実態はない。けれど、しっかりと目に見えている」
無意識のうちに答える。影は言葉を発する度、発される度に、ゆらゆらと形を変え、そこに佇んでいる。
クスクスと笑った、ように見えた影は、「では」と続ける。
「私は悪魔。あなたを陥れる悪魔です」
「いいや、あなたは悪魔じゃない」
「なぜそう言えるのですか?」
「悪魔ならば、もっと嫌な感じがするからだ」
影は、何を言われようと、笑っている。実態もない、もちろん表情も分からない。笑い声が聞こえるわけでもない。しかし、影は笑っていた。どこかでそれを確信していた。
「それでは私は天使でしょうか? あなたを幸せにできますよ?」
「違う、天使じゃない」
「なぜ?」
「幸せにはなるかもしれない。けれど、今それは出来ない」
『それ』との問答は続く。いや、続いているようで、終わっている。
――ピピピピ――ピピピピ
終わりを告げる音が、最初から鳴り響いている。
「ならばただの人でしょうか?」
「違う」
「もしかして神様?」
「違う」
「そもそも、存在すらしていないのでしょうか?」
「……違う」
ならば、と、影は最後の問いを口にする。
「私は、『何』なのでしょうか?」
「……それは…………」
――ピピピピ――ピピピピ
――ピピピピ――ピピピピ
「今私は、あなたにとっての、『何』ですか?」
――ピピピピ――ピピピピ
……あぁ、そうか。なるほどな。本当はそんな姿じゃなかったんだな。本当はもっと綺麗で、優しくて、あたたかくて……その姿を……自分が、変えてしまったのだ。
だから、わざわざ現れて、「自分は『何』だ」なんて問いかけてくるんだ。
……ごめん。
※※※
ピピピピ、ピピピピ、ピ――
目覚ましを、止める。目を開く。大きく息をついた。
今ならわかる。あれが、なんだったのか。自分が忘れてしまったから、あんなに曖昧で、実体があるのかも分からなくて、自分がなんだったのかも忘れてしまったんだ。
「……今日は、外に出てみようかな」
十数ヶ月ぶりに、そう思った。
『夢』はまだ、『絶望』に変わりきってはいなかった。