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「イタッ! イタタタッ! イテェっつってんだろ! 離しやがれこの野郎!」
フードを被った彼に抑えられているにも関わらず、ナイフを持った男は暴れていた。
「見苦しいな」
彼は、握っている手の力を強めた。すると男は、呻き声を洩らしながらナイフを取り落とす。
その様子を見ていた男の仲間は、我に返りフードの彼を襲おうと、持っていた鉄の棒を振り上げた。
「テメェ! 何しやがる!」
「あっ! 危ない!」
先ほどまで紗夜の喉に張り付いていた声が出た。
フードの彼は、襲い来る棒をひらりと簡単に躱した。その際、手首を抑えていた男を地面に乱暴に転がすのも忘れない。
「遅い」
顔面から地面に突っ込んだ男は、「ブフッ」と間抜け声を吐き出しながら紗夜の足元近くに転がった。
棒を振り下ろした体制のままの男に彼は、容赦なく顎に膝蹴りをおみまいした。
「ガハッ」
脳が揺れたのか、そのまま棒の男は倒れた。
すると今度は、地面に転がっていた男が怒りで顔を真っ赤にしながら、性懲りもなく彼にまた挑もうとしていた。
そこで紗夜は、自分の持っている物の存在を思い出した。
「このっ!」
男が彼に顔を向けたまま立ち上がろうとする。彼しか目に入っていなかった男は、背後から忍び寄る影に気付かなかった。
「ソイヤッ!」
バッシーーンッ!!
その音と予想外の彼女の行動に、ザワザワしていた街の者も臨戦体制に入っていたフードの彼も固まり、一瞬の静寂がその場に訪れた。
「ハードカバー本、複数冊の威力を舐めないでよね」
そこには、持っていた本を思いっきり男へと振り下ろした姿の紗夜がいた。
一拍遅れて、クレアの「サヤ様っ!」と心配混じりの悲鳴が聞こえた。
男は、蓄積したダメージにトドメをさされパタリと倒れ込んだ。
フードの彼は、ポカンと口を開けていた。
そこでやっと騒ぎを聞きつけた衛兵が現れ、件の男達を連行して行った。
辺りに元の喧騒が戻りつつある中で、紗夜とフードの彼は話していた。
「危ないところを助けていただき、ありがとうございます」
「サヤ様を助けていただき、誠にありがとうございます」
紗夜とクレアは、彼に深々と頭を下げた。
「いや、当然のことをしただけだ。何よりご令嬢に怪我がなくて良かった」
正面から見据えた彼は、フードを被ったままだが、端正な顔立ちであった。何より目を惹くのが、キラキラと輝いているように見える金色の瞳だ。
――綺麗な瞳。
紗夜は、無意識に彼の瞳をじっと見つめていた。すると、彼がフッと笑みを浮かべた。
「この瞳が珍しいか?」
「ハッ! ごめんなさい! 不躾にジロジロ見ちゃって!」
――ああ! 何恩人に失礼な態度とってるの!
「違うんです! 違うんです! お月様のようにキラキラしてて綺麗だなあって思っただけで、変とかそういうのじゃなくて!」
――駄目だ! 言えば言うほど墓穴を掘ってる気がする!
紗夜があたふたしていると、彼は目を見開いて驚いていた。
「月のようだとは、初めて言われたな。……ありがとう」
――あっ……。
先ほどの格好つけたような笑みとは違い、本当に嬉しそうに彼は、笑った。
「勇敢な行動は、時として周りを巻き込むこともある。今回は大事にならなかったが、今後あのような行動は控えた方がいい」
「はい……」
彼が言う行動とは、本を鈍器として使ったことだろう。
――まあ、ちょっとやり過ぎたよね……。
紗夜が遠い目をしながら反省していると、ふと彼に片手を優しく包まれた。
「綺麗な手に傷がつかなくて良かった。……それでは、失礼する」
彼は、紗夜の手を離すと雑踏の中に紛れて行って、すぐに見えなくなった。
「はぁ、災難でしたねサヤ様。でも本当にお怪我がなくて良かったです」
「う、うん」
クレアの言葉にも生返事で、紗夜は彼に包まれた方の手を見つめた。
――ちょっと、ときめいたわ。
ピンチに陥ったところを颯爽と助けてくれるって、どこの少女漫画展開よ。
「あっ! 名前聞きそびれた!」
紗夜は、思わずとっくにいなくなった姿を探す。
――うわあー! 恩人の名前を聞きそびれるなんて、なんたる失態!
紗夜が見るからにガックリと落ち込むと、その姿を見たクレアは、主人を元気付けようとした。
「またお会いする事も出来ますよ! 言葉は粗野でしたが、振る舞いが洗練されておりましたし、どこかの貴族の方かもしれません!」
クレアの勢いは止まらない。
「それなら社交界で出会う機会もございます! その時にお名前を伺えばよろしいのですよ!」
紗夜の為にクレアは、一気にまくし立てた。その勢いで、体も自然と前のめりになっている。それに比例して紗夜の腰は、若干及び腰になった。
「え、ええ、そうね。またお会いした時にお名前は、伺いましょう。改めてお礼もしたいからね」
――クレアの新たな一面を垣間見たわ……。
紗夜とクレアは、当初の予定通りそのまま帰路についた。
帰宅早々、事件のことを聞いたマルガレーテ夫人は顔色を悪くし、事件のことは、瞬く間に屋敷の者達に広まることとなった。
その結果、紗夜の外出許可を取るのが更に難しくなったのは、仕方がないことだった。
***
フードを被った男が城内に繋がる裏門を潜った。
すると、ちょうど探そうと思っていた男が書類を持ちながら吹き抜けの渡り廊下を歩いているのが見えた。
「ソルラント」
声を掛けられたソルラントは、振り向いた。
「おっ! フィロスパード帰ってたのか! お土産は?」
ソルラントが手を出しながら近づいて来た。
「そんなものあるわけないだろう。たった今戻ったんだ。でも土産話ならあるぞ」
フィロスパードは出された手を叩き落としながら、フードをバサリと外した。その下には燃えるような赤髪に一部分黒が混じった髪があり、陽の光に当たり艶めいていた。
「フィロスパードがそんなこと言うなんて珍しいな、良い話か?」
――無口なわけじゃないがあまり多くを語ることがない男が、自ら土産話があると言うなんて何かあったんだろうか?
良い話かと聞かれたフィロスパードは、街で出会ったフィロスパードの瞳を月のようだ、と評した少女のことを思い出していた。
――メイドを連れていたし、どこかのご令嬢だろう。
フィロスパードは、おもむろに彼女の手を取った右手を見つめた。華奢で綺麗な手だった。
――もう少し話してみたかったかもな……。
「良い話というか、面白い話と悪い話ならどちらもあるぞ」
気持ちを切り替えるようにフィロスパードは、ソルラントに選択肢を与えた。
「えっ、なんだそれ。どっちも色々気になるんだが。面白い話しって?」
――フィロスパードが面白いとのたまうなんて、本当に何があったんだろうか!
「まあ、一言で言えば……」
ソルラントの疑問にフィロスパードは、勿体ぶったような間をあけた。
「本は鈍器になる、ってことだな」
「は?」