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「待って!」



「お嬢様!」



 ウィリベールへ伸ばした手は、届かなかった。

 紗夜が目を覚ましたのは、気絶する前と変わらない部屋だった。メイドが心配そうに横になっている紗夜の顔を覗き込む。



 ――目を覚ましたら、全部夢だった展開にはならなかったか……。



「お嬢様、痛い所や苦しい所はございませんか?」



 ベッドに横になったままの紗夜に、メイドが問いかける。けれど、紗夜の内心は、それどころじゃなかった。



 ――えっ! どうすればいいの! 何が正解! まず、あなたどちら様⁉︎



 焦点が合わず、目を泳がす紗夜。そんな紗夜の様子にメイドは、顔色を悪くさせる。



「やはり、お加減が悪いのですね⁉︎ お待ち下さい! 今すぐにお医者様と旦那様をお呼びしますので!」



「あっー! 待って! 待って! 待って下さい!」



 部屋から走り出すような勢いで、ベッドから離れたメイドを紗夜は、起き上がりながら慌てて引き止めた。



 ――あれ? 思わず引き止めちゃったけど、この状態だと誰か呼んできてもらったほうが良かったんじゃ……。



「あ、えっと、その……」



 紗夜が呼び止めたことで、メイドは律儀に扉の前で紗夜の言葉を立って待っていた。けれど目が紗夜と扉の方を行ったり来たりしている。いつ部屋を飛び出して行ってもおかしくない状態だ。



 ――何か! 何か言わないと!



 紗夜は、とにかく情報が欲しかった。だから、決してこの言葉は間違っていない。



「ここは、どこで⁉︎ あなたは、誰ですか⁉︎」



 けれど、それがメイドにとってはトドメの言葉だった。



「…………」



「…………」



「だっ、旦那様ぁぁぁぁぁ‼︎‼︎」



 メイドは、真っ青な顔で部屋を飛び出して行った。紗夜には、止めることなんて出来なかった……。



「……どうしよう」



 すぐに、駆け足のような足音と共に複数人が紗夜がいる部屋に飛び込んできた。

 写真で見た夫婦らしき男女を筆頭に、白衣を着た老医者と最後にメイドが部屋に入る。夫婦と老医者が紗夜の名前を呼びながら次々と質問を投げかける。

 紗夜は、質問に全て「分からない」と答えた。名前も歳も生まれた場所も『霞沢・紗夜』としてだったら全て答えられる。


 しかし、夢でウィリベールが言っていた『身代わり』という言葉が紗夜は引っかかっていた。

 そしてそれは、この場にいる者達の態度や、今の紗夜が置かれている立場の説明をされることによって確信となった。



 ――やっぱり私は、エリザ・ミラジュストの立場になってるみたい……。



 紗夜は、この場にいる者達とは、初対面である。けれども彼らは、()()()()()をミラジュスト家の侯爵令嬢であると説明した。

 誰もエリザのことを指摘せず、紗夜がここにいることが当たり前であるように接する。



 ――ウィリベールは、自身のことを魔法使いって言ってたし、彼等が『エリザ』と『紗夜』の違いに気が付かないのは、何か魔法をかけられているから?



 からかったり、嘘をついてる感じじゃないことは、彼等の顔色や態度から疑いようもない。


 どうやらエリザは、元々病弱体質らしい。


 紗夜が最初に目を覚ましたあの時、本来ここにいるはずのエリザは、一週間高熱に身体を(むしば)まれ寝込んでいた。熱が下がり、皆が目覚めを待っている状態だったのだ。そしてやっと目を覚まして安心したのも束の間、今度は気絶と続き、屋敷中てんやわんやだったとのこと。



 ――で、更に周りから見たら記憶喪失と……。私の立場、可哀想すぎるでしょ。



 けれど紗夜は、エリザ自身に同情しない。

 紗夜を身代わりにしたのは、ウィリベールかもしれないが、エリザも少なからず関わっているだろうことは、容易に想像できる。



 ――ウィリベールとエリザがどういった関係かは、知らないけど……よっぽど親密じゃなきゃこんなこと出来ないでしょう。世界を超えてまで、身代わりを用意するなんてこと……。



 仮に紗夜が同情するとしたら……目の前の夫婦だろう。紗夜は、この人達の本来の娘じゃないが、彼等にしてみたら、記憶喪失というある意味、娘が消えてしまったのだから。



 ――まあ、実際物理的にエリザは、この場から喪失してるけど……。



 エリザの母、マルガレーテ・ミラジュスト侯爵夫人は、顔を覆いながらさめざめと泣いている。その肩を涙こそ流していないが、悲痛な面持ちで抱いているのは、マルガレーテの夫であり、エリザの父、ジョルジュ・ミラジュスト侯爵だ。



「サヤお嬢様も病み上がりに起きたばかりで、混乱しておりますでしょう。今日はもうゆっくりお休み下さい。明日、またお時間をみてこちらに伺いますので」



 前半は、紗夜に向けて、最後は、ジョルジュへ老医者は、言葉をかけた。



「先生、よろしくお願いします」



 ジョルジュがマルガレーテの肩を抱いたまま、老医者へ力強い眼差しを向ける。それは、心底娘を案じる父親の姿だった。


 老医者の言葉によって、皆部屋から退室していった。退室する前にマルガレーテは、紗夜の頬を震える手で撫でて、ジョルジュは、紗夜の肩に優しく手を置いた。メイドは接触こそ無かったが、その瞳が雄弁に紗夜への心配を物語っていた。

 誰も彼もが紗夜を、いやこの場合エリザを心配していた。



 ――身代わりを置くぐらいだから、家族仲が悪くて、それに伴い屋敷中の者達から冷遇されている、っていう展開も予想してたんだけど。



「大事にされてるよね。えー、お嬢様何が不満だったんだ?」



 家族や屋敷の者達に大事にされている、病弱な侯爵家のお嬢様。客観的にみると病弱という点は、気にかかるかもしれないが不満点は感じられない。



「一般家庭出身者には、分からない悩みでもあったのかな?」



 疑問は尽きないが、それに答えてくれる人はいない。

 目が覚めたばかりなこともあり、休めと言われたが眠気は全然訪れない。


 紗夜は、窓に近付き外の様子を伺う。そこには大きな庭園が広がっていた。屋敷から門までは、等間隔に剪定(せんてい)された木々が立ち並んでいるのが見える。門の先には、遠目に見覚えのある大きなお城が見えた。



「って! あれって! 夢で見たお城!」



 それは、ウィリベールが夢で紗夜に見せたお城だった。



 ――そうだ、確かウィリベールが起きたら、机の上を見てって……。



 紗夜が机に近付いていくと、気絶する前には何も無かったはずの机の上に、何かが置かれてる。

 ウィリベールが着ていたローブの色を思い出させるような、青い文庫本サイズの冊子がいつのまにか存在していた。

 表紙には、見慣れた文字が金色で横書きされていた。



 ――【説明書】――




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