3
気がつくと紗夜は、真っ白な空間で佇んでいた。
上下左右、どこを見てもただひたすらに、真っ白な空間が続いているだけの寂しい場所だ。
――カァーンー。
その何も無い空間に、何かを叩きつけたような音が響いた。
すると音に合わせるように、床に波紋が広がった。
紗夜は、音の発生源である波紋の中心に目を向ける。
そこには一人の美しい男が、紗夜からちょうど、人を三人ほど挟んだ位置に立っていた。
柔らかそうな短い金髪、澄んだエメラルドグリーンの瞳が紗夜を見つめる。
青いローブを身に纏い片手には、その身と同じくらいの長さの先端に水晶が付いた杖を持っている。
――なんか、物語に出て来る魔法使いみたい……。
「えっと……ここは、どこで? あなたは、誰ですか?」
紗夜が声を掛けると、男は徐に杖を持ち上げて床についた。
――カァーンー。
先程と同じ音が響き、波紋が広がった。
「初めまして、霞沢・紗夜さん。どうも魔法使いです」
「本当に魔法使いだった」
反射的に返した紗夜だったが、言っている意味がすぐには理解出来なかった。
「えっ? 魔法使い? 魔法使いって、言いました?」
「言いましたね」
魔法使い。その名の通り、魔法を使える者を指す総称である。古くから小説や童話に登場し、近年は、ゲームや漫画本・アニメ・映画と登場の幅を広げている想像上の存在だ。
――そう。……あくまで紗夜にとっては、想像上の存在なのだ。
「そっか! 夢か! こんな夢見るなんて、寝る前の私、そんなにDVD観れなかったのが心残りだったのね!」
――だったら、早く目を覚まして、今度こそ心置きなくDVD再上映会を開催しなくちゃ。ジャンルは、ファンタジー系にしよう……。
紗夜は目を瞑り、覚めろ、覚めろと念じた。
「おーい、確かにここは夢の中ですけど、目を覚ましてもDVDは観れないですよ」
――だって、あなたをこの世界に連れてきたのは、わたしですから。
衝撃的な言葉を告げられたのに、紗夜が先に思ったのは……。
――魔法使いの口からDVDとか聞きたくなかった……。
「……この世界って、どういうこと? それに連れてきたって……」
今更ながら、夢の中なのに紗夜の心臓がドク、ドクと全力疾走した後のようになっている。
聞いてはいけない。けれど、聞かなければいけない。相反する思いが紗夜の心に芽生えた。
そんな焦りにも似た心を抱えている紗夜に対して男は、そうそうとしていた。
「そのままの意味ですよ。この夢も含めて、ここは、本来あなたがいた世界とは異なる世界なのですから」
口元に笑みさえ浮かべている男は、どこか楽しそうだった。
「申し遅れました。わたしは、ここアンファングターク王国でしがない魔法使いを生業としている、ウィリベール・エスポワと申します」
どうぞお見知り置きをと、ウィリベールは、胸の前に手を添えてその場に似合わぬ優雅なお辞儀をしてみせた。
綺麗な所作のはずなのに、今の紗夜の心境では、その態度さえどこか態とらしく感じる。
「……そのしがない魔法使いが、私に何のようですか?……」
紗夜は特に感が鋭いわけではない。
それなのに、先程から第六感なのか、嫌な予感がしていた。
ウィリベールは、紗夜のその考えを肯定するように、残酷な言葉を吐き出した。
「あなたは身代わりですよ」
――身代わり?
身代わり。主な意味として、他人の行動や役割を代わることだ。
話しの流れからして、この場合は、誰かの代わりの方だろう。
「私は、誰かの身代わりとして……あなたにこの世界に連れて来られたってことなの?」
紗夜の答えにウィリベールは、満足そうに笑みを深くした。
「ご名答。あなたには、彼女の身代わりとしてこの世界で生きていただきます」
有無を言わさずウィリベールが断言する。それに慌てるのは、突然理不尽な言葉をかけられた紗夜だ。
「はあっ! いきなりそんな勝手なこと言われて! はい、分かりました。って、誰が了承するのよ!」
紗夜が至極真っ当の物言いをするのを見ながら、ウィリベールは変わらずニコニコとしている。
「おや? 気に入りませんか、おかしいですね?」
――わたしは、あなたの願いを叶えてあげたのに……。
ウィリベールの決して大きくないはずの囁き声は、確かに紗夜の耳に届いた。
「私の願いって……」
「願ったでしょう、異世界に行きたいと」
矢継ぎ早にウィリベールから言われた言葉に紗夜は寝る前にふと、考えたことを思い出す。
(せめて夢の中だけでも良いから、好きなキャラクターに会いたいな。それか、異世界行く体験とかしてみたいわ)
――確かに紗夜は、願った。けれど、そんなことって……。
「嘘……だって……あんなちょっとした思いつき……」
紗夜は動揺を隠せなかった。
だって、そうだろう……紗夜のように創作物が好きで、空想に想いを馳せたことがある者ならば――異世界に行きたいと願ったことはあるはずだ。
「……何で、私だったの?」
――そうだ、なぜ紗夜が選ばれたのか。
「彼女……エリザ・ミラジュストと同一の魂を持ち、身代わりになれるのが霞沢・紗夜だった……」
ウィリベールは、そっと一度瞼を伏せた。