現代日本にて
「おっぱい」
「……は?」
「貴方は今おっぱいって思いましたね?」
「思ってませんよ……?」
「嘘はいけませんね。私は神なのです、人の子の心など全て見透かしてますから」
「大丈夫か?」
「深層心理の奥の奥の奥の奥の奥の奥の奥の奥の奥の奥の奥の奥の奥の奥の奥の奥の奥の奥の奥の奥の奥の奥の方で貴方は今、おっぱいと確かに囁きました」
「……」
こめかみを抑えた。
何言ってんだろうこの娘……。
改めて目の前の女の子を見る。
黒髪でありながら、どこか西洋っぽさを思わせる顔立ち。
服装はゆったりとしたローブを着ていた。
なぜ俺はそんな娘にこんな事を言われないといけないのかと、痛い頭を抑えて記憶を遡った。
――
「あんっ……♡ あんあんあん……っ♡」
「ヴォェ……ッ」
壁越しに隣の部屋から喘ぎ声が聞こえてきた。
恐らく妹の物だろう。
間違っても彼氏の物だとは思いたくない。
もしそうなら壁ドン連打待った無しである。
気持ちが悪いので読んでいた手帳サイズの本をポケットにしまい、部屋を出て一階のリビングへと向かう。
「あら? 部屋から出てきたの? 珍しい」
そこに居た母ちゃんに珍獣を見る目で見られてしまった。
「うっせ」
それに返事しながら右手を突き出す。
「?」
「いや、金」
小首を傾げた母ちゃんに外で時間を潰すから金をよこせと催促した。
怒られた。
……本気じゃねえよ。
貰えたらラッキーくらいの気持ちの冗談で言ったんだよ。
まあ金を貰えないどころかゲンコツをもらってしまったので、街をブラブラと歩いて時間を潰す事にした。
家を出て近所を徘徊する。
公園は親子連れが多いので行かない。なんか怖い。
「あっ!」
ふと思いつく。
そうだよ友達と遊べばいいじゃーん。と
善は急げと携帯を見て戦慄した。
なんと妹と母ちゃん以外の連絡先が登録されていないのである。
バグだろうか?
問い合わせするべきだろうか?
警察に通報した方がいいだろうか?
(なんてな)
残念ながら仕様なのだ。
生まれてこの方連絡先が二件から増えた事はない。(一時期妹に着信拒否されていたので一件に減った事はあったりする)
(ん)
すれ違う人々の視線が冷たいことに気が付いた。
考え事をしているうちに顔がニヤけてしまっていたらしい。
このままだと俺が通報されてしまう。
そそくさとその場から離れて俺はカラオケにでも行くことにした。
勿論独りで。
――
「ただいまー」
家に帰る。
「あっおかえりー♡」
「ひえっ……」
リビングへ向かうと媚び媚び顔の妹がいた。
寒気がする。
「あ、おかえりなさい。お義兄さん」
「はい?」
よく見てみると俺の席に謎の男が座っている。
こいつが件の彼氏か。初めて見た。
イケメンじゃねえか。
まあうちの妹は母ちゃんに似て? 美人だし?
うちの母親は外国人だからハーフって奴だな。
男なんて選び放題でイケメン食い放題なのだろう。
俺?
なんでだろうな?
イケメンじゃねえんだよな??
目元は母ちゃんに似てるって言われるんだけど
それ以外の親父要素が強すぎるのかね??
親父に会った事ないし顔も知らんけどさ。
「結城、あんたは私の横に座りなさい」
四つある椅子
母ちゃん、親父(行方不明なのだが席は作っておきたいらしい)が横に並び、そして向かい合うように俺と妹が座るというのがいつもなのだが、今日は親父の席に座るように促された。
仕方ないのでそこに座る。
「どっこいしょ」
って痛え!?
弁慶を何者かに蹴られた。
彼氏の方を睨むと爽やかな笑みで返されてしまう。
こいつじゃない。
妹を見る。
汚物を見る目で睨みつけてきていた。
こいつだな。
あれだろう。
どっこいしょっていうのがおっさん臭いからやめろとかそういう事だろう。
うるせえんだよバーカ。
この間もポイントカード出そうとしたら「貧乏くさいからやめろ」とかキレてきやがって。
年頃過ぎてイライラすんだよバーカ。
蹴り返そうともぞもぞしてるとまた睨まれた。
非常に怖い。
……ごめんなさい。
「あ、いけなーい!!」
「ん」
母ちゃんが何やらドタバタと忙しなく動きはじめた。
食べかけの料理をラップで包むと冷蔵庫へ入れ、空いていた食器はシンクへ浸けてそのまま玄関から外へ出て行ってしまった。
「……え? 何?」
俺は妹に問いかける。
……返事がない。
俺と話したくないらしい。
代わりに横にいた彼氏さんが答えてくれた。
「あー、そういえばこの後お友達とヨガ教室に行くって言われてましたから、それっぽいっすねー」
「へ、へぇ」
なんでこいつの方が詳しいんだよ……と思いながらも、そういえば俺は部屋から出ないからそもそも母ちゃんと話してないんだと気づいた。
そら知らねえわ。
いや別にどうでもいいけども。
「お義兄さんはどこの高校なんですか?」
「ん? 中卒だよ?」
「……」
爽やか笑みのイケメンが一瞬でブルースカイ。
最高に気持ちいい。
絶賛十七歳の俺は先日高校を辞め、現在進行形のニート中であった。
(――勝った。……って、痛えッ!?!?)
意味のない勝利に酔っていると足をグリグリと抉るように踏みつけられる。
間違いない。妹だ。
まあ、先程の攻撃といい日常茶飯事なのである。
最近はその攻撃力で怒り度合いがわかるようになってきた。
この痛みは……。……うん。……激おこですね。
年頃の妹にはこんな一族の汚点が許せないのだろう。
知らねえよバーカ。
てか知ってるからやってんだよバーカ。
お前が俺を気に食わないように俺も気に食わないんだよバーカ。
「へ、へぇ大変だったんですねぇ……。学校をやめて何されてるんですか?」
笑顔を取り戻したイケメンが聞いてくる。
めっちゃ良い人やん!
こんな良い人妹には勿体無い……。
仕方ないな。
俺が解き放ってやろう。
エロゲやって毎日オ○ニー三昧してます。
「……し、資格取るために勉強してます」
「凄いじゃないですか。立派ですよ」
「ははは……」
寸前の所で堪えた。
……そうだよな。
流石にそれは可愛そうだよな。
何だかんだ妹には情がある。
この爽やかイケメンはきっと妹を幸せにしてくれるだろう。
それを邪魔するのはちょっとな……。
資格云々は勿論嘘なんだが。
オ○ニーマイスターとかいう資格があるのなら取る自信があるけどそれだけである。
「そういえば今度うちの学校で文化祭やるんですよ。お義兄さんも来ませんか?」
俺が行っていた高校と妹が現在通っている高校は違う場所だ。
妹の方が二段階くらい頭の良い所に通っていて、彼氏もきっと同じ学校なのだろう。
「へぇ文化祭ってあれですか? バニー着てライブするやつ」
知ってる! ハ○ヒでやってた。
「え、あ、……あはは」
このイケメンは本当に良い奴だった。
こんなに人と会話が弾んだのは久しぶりかもしれない。
それくらいいろんな事を話した。
「妹さんには凄くお世話になってて……」
「ホントですか? いやー、こいつ馬鹿だから仲良くしてやってくださいね?」
「あはは……」
いろんな事を話した。
「え、えっと……お義兄さんはアニメがお好きなんですか?」
「ばっか、好きなんてもんじゃないですよ。愛してますね。けど最近のアニメはどうかなー、って思ってたりもしちゃってて、ちょっと昔のアニメが好きなんですよ。え? オタクだって……? ははは、よく言われますね。そんなんじゃないんですけどね。というよりも最近のアニメはちょっと数が多過ぎて駄目ですねー。声優も媚びた声ばっかりだしてるし、一昔前の方が全体的に業界のレベルは上だったんですよ間違いなく。昨今の作品は何もかもが劣化してますね劣化」
「え、あ、えっと……あははは」
いろんな事を話した。
「僕ら来年修学旅行で、今行き先が沖縄か北海道かっていう話になってまして」
「いや沖縄でしょ! だって水着だよ水着。JKの生水着よ? 見るっきゃないでしょ!」
「はは……」
いろんな事を話した。
「……それで、この間くりすが――って、あ、くりすっていうのは同級生で」
「クリスちゃんは俺の嫁!!」
「……はい?」
「ん? なんでもないなんでもない。ただ俺の好きなキャラ、ってか嫁? の名前と一緒だなーと思って。話続けちゃって?」
「……」
いろんな事を話した。
「あ、俺トイレ」
尿意を催して席を立つ。
「……ふう」
自分のトイレ音を聞きながら一息つく。
いやぁ。彼はなんて良い人なのだろうか。
久しぶりに人といっぱい話したなぁ……。楽しかった。
あの人なら安心して妹を任せられる!
なんてガラにもない事を考え水を流す。
「〜♪」
口笛吹きながらトイレから出るとそこには妹がいた。
「ん? どし――」
衝撃。
「――ガッ……!?」
腹に受けた衝撃が蹴られた事による物だと認知するより早く俺は地面へと倒れ込む。
「あんたホントなんなの!?」
嗚咽に苦しむ俺をガシガシ足蹴にしながら妹が泣きそうな声で叫んだ。
「ちょっ……まっ……なに……なんだよ……っ!?」
手で頭を覆いそれに耐える。
「うっさい!! うっさい!! うっさい!!!!!」
「ぶ――ッ」
大きな声と共に顎を蹴り上げられ、ひっくり返るように倒れた。
頭をモロにぶつけて軽く目眩がした。
「ねぇ……ホントなんなの? あんたホントなんなの??」
「何が……だよ……?」
普通に話してただけじゃないか。
そう思い視線を妹へ向けた。
その視線の先の表情は、心底冷めきっていた。
な、何だよ。
何でそんな目で見るんだよ……。
「……もういい、もういいからさ。一晩でいいから出てってくんない? 今晩彼氏お泊りなの」
「い、嫌だよ……。それに金だってないし……」
昼間のカラオケで小遣い使っちまったんだ。
「……ちっ。はい、これッ! これでいいね?」
顔の前に差し出された紙切れ。
よく見ると五千円札だった。
「は……? いやわけわかんねえよ。なんで――」
そんな事言われないといけないんだ! と続けようとした俺の言葉は、悲痛な叫びに遮られた。
「わかってよ!!! 私も限界なの!!! わかってよ!?!?」
「……え」
「ほら!! 早く出ていって!! 出ていって!! お願いだから!!!」
「いや……でも……」
「出ていけよ!!!!! 早くッ!!!!!!!!!!」
「――ッ」
こんな妹は見た事がない。
その剣幕に押されるように、俺は早足で家を飛び出した。
――
「さっむ……」
吐いた息が白く染まった。
(どうすっかな……)
急いで飛び出して来たせいで上着も来てないしサイフも何も持ってないし。
靴だって履き忘れてしまった。
……妹から差し出された五千円は受け取っていない。
受け取る間もなかったというのが半分意地半分。
(そういう所、なのかな)
またやってしまった。
なぜ俺は学ばないのか。
ついつい話しすぎて要らない事まで話してしまったんだ。
冷静になって思い返してみれば、今すぐ布団で悶たくなる。
(まぁ、その布団がないんだが)
あん?
ふと太もも辺りが硬いことに気が付く。
チ○コ……じゃねえな。
こんなに大きくないしこの状況で元気になれるほど優秀でもない。
ポケットに手を入れてみると手帳サイズの本が出てきた。
そうだったよ。
昼間これを読んでる途中に喘ぎ声が聞こえてきて部屋出たんだった。
親父の書庫から見つけた謎の本。
何が謎かって言うとまず何て書いてあるのかわからない。
何語かすらわからない不思議な文字だった。
なのに内容はわかるんだ。
文字は読めないのに書いてある事が直接頭に入ってくるんだ。
それが不思議でつい読みふけってしまっていた。
内容はオカルト系の物で、魔法陣の描き方が載っている。
何でも異世界から何かを召喚する魔法陣らしい。
(アホらし)
言っておくが、別に本気にしてる訳ではない。
中身どうこうじゃなくて直接頭に入ってくるのが謎すぎて読んでるだけだからな。
「――でさー」
「――マジで?」
「――べぇ」
公園のベンチで夜空を見上げていると出入り口の方が騒がしくなってきた。
見るからにガラの悪い三人組がタバコをふかしながら公園に入ってきた。
ああいう輩は苦手なのである。
怖いし怖いし何より怖い。
絡まれる前に去ろう。
そう思い俺は公園を後にした。
ぶらぶらと街を歩く。
行く宛てなんてない。
ふと、山の上に見える廃病院が目に入った。
ちょっとした心霊スポットになっていて、いつか行ってみようと思っていたのだ。
丁度いい。
今から行ってみよう。
小さな山を登り、廃病院の中へと入った。
薄暗く気味悪い。
人の気配もなさそうだし、ここで夜を明かすのもありかもな。
何て考えていた。
「ふんふんふ〜ん」
暇とは怖いものである。
スマホも家に置いてきちゃったからね。
やる事無いの。
「はいできたー」
何ということでしょう。
何もなかったこの病室の床には、こんなにも大きな魔法陣が――。
落書き。
落ちてたチョークで魔法陣を描いた。
「美少女美少女でておいでー」
異世界から美少女召喚されないだろうか。
さて、どうすればこの魔法陣は起動されるのかなと本の続きを読んだ。
(そして出来上がった魔法陣に魔力を流す――と)
……?
魔力……?
いや当たり前のように出すなよ。
魔力ってなんですか?
かめ○め波すら撃てなかった俺にそんなのあるわけ無いだろ。
「はーぁ。つまんね」
唐突に訪れる賢者タイム。
(何やってんたよ俺は)
いや大丈夫。
ちゃんと消すからこれは犯罪じゃない。
チョークだから。
すぐ消えるから。
「――何をやっている」
「ごめんなさい!?」
唐突に声をかけられ反射的に謝っていた。
振り返って見るとそこには一人の男が立っていた。
(コスプレ?)
その男は、西洋の貴族を彷彿させる服装をしていた。
顔立ちもどこか西洋人っぽい。
この建物の所有者か?
やばい。
怒られる。
「ちゃ、ちゃんと消しますんで!! 後不法侵入してごめんなさ――」
ひゅっ。
俺の真横を何かが勢いよく通過した。
肌で感じる熱気からそれは炎を連想させる。
いや――連想させるというか――
「――ッ!?!?」
後方で爆ぜた。
キーンという耳鳴りを我慢しながら恐る恐る振り返って見ると床の上で炎が轟々と燃えているのが見える。
「――はい?」
「その魔法陣をどこで知った?」
「へ?」
「この世界の人間がなぜその魔法陣を知っているの聞いているんだ」
「え?」
何……? 何が……?
混乱する俺を見て目の前の男は苛立ちを隠さず舌打ちをする。
「早く答えろ。燃やされたいのか?」
落ち着け。
落ち着け俺。
何が起きてる?
この魔法陣がなんだって?
てかあいつ今何した?
見間違いじゃなければ手から炎出したよな?
なおも右手をこちらに突き出している男のその姿に、今更ながら恐怖が湧き出てくる。
「まあいい、一度全身を炙ってやろう。そうすれば答えたくなるだろうさ」
「――」
やばい。
やばいやばいやばいやばいやばいやばい。
家にありました。
って答えたいのに恐怖で喉が動かない。
やばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばい。
死ぬ。
いや殺されはしないだろうが生き地獄を味合わされる。
そんな錯乱した俺の思考は、腕を伝う冷たい感触によって正気に戻された。
血だった。
先程攻撃された際、小石か何かが飛んできて皮膚を切ったらしい。
つーっと。冷たい感触が重力に従うように下へ移動していく。
そして地面に――俺の足元にある魔法陣に滴り落ちた。
「――ッ!?」
驚愕はどちらの物だったか。
「この世界の人間が魔法陣起動させただと!? 馬鹿な!!!」
俺の描いた魔法陣が紅く輝き始めた。
眩しい。
わけがわからない。
童貞のまま死にたくない。
怖い。
緊張で息ができない。
殺される。
怖い。
眩しい。
再び俺の思考はパニックに陥った。
あまりにも情報量が多すぎるのだ。
「やむを得ん!! 死ぬがいい!!!」
男のそんな声を最後に、俺の視界は真っ赤な炎に包まれた。
2020/07/10 リメイク済