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その幼女、化け物につき  作者: ハモニカ
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第七話 戦火の足音


 人間界において、人を殺せばそれ相応の罰を受ける。人を殺してはいけない理由は明確でないが、人を殺せば罰を受けるという事実が抑止力となり、法として機能しているのだ。それは魔界においても同じだ。特段の理由なく隣人を殺せば報いを受けるのは当然のことである。


 しかし、異常事態のさ中にあって法が必ずしもその機能を十分に果たすかというとそうでもない。


 例えば、戦争。戦時の英雄は平時の殺人鬼、そんな風に取られることがあるように、戦争という社会現象は殺人を合法化し、むしろ推奨する。もちろん、戦争にもルールは存在する。特定の兵器の使用禁止や捕虜の扱いについての決め事、多種多様な戦争を経て、その決まり事も実に幅広いものになっている。


 それでも、たとえ戦時中とはいえ一般人が戦場外で殺人を犯せば犯罪だ。占領下となれば通常の刑法ではなく、軍法が適用され、大抵の場合は極めて厳しい罰則を科されることになる。正当防衛だったと証言したところで、敵軍の検察官がまともに取り合ってくれる見込みは薄い。まして、レジスタンスの隠れ家で起こったこととなれば、馬鹿正直に通報する方が正気を疑われてしまう。


 あの神父は歪んだ性的倒錯の持ち主だった、という事実と虚構の合間のそれはあの場に居合わせた全員が目撃している。故に、昨晩の一件でミアが何か罪に問われたり、ここから追い出されるという可能性は極めて低い。全員の同情は襲われた側であるミアに向けられている。同情される、ということ自体は気分の良いものではないが、ここは味方が多いという風に認識することでプライドに強化ガラスをはめ込むことにする。


 とはいえ、レジスタンスの面々は神父の遺体の処理に頭を抱えている。これがその辺のごろつきならば後腐れなく道端に放り出すか、せいぜいどこかに穴を掘って埋めるくらいはしてやるところだろうが、相手が聖職者となると、いかに変態と言えどもその扱いで意見が割れてしまうことを避けられなかった。


「そいつは人間の屑だ。捨てちまえ」


 男女問わず、この意見は強い。だが、その一方で少しでも信心深い者は「いや、しっかりと弔うべきだ」と反論する。戦う事では今まで一度も意見の食い違いを見せたことがなかったヴェルーゴの面々がたった一人の死体の処理でここまで白熱するとは、おそらく当の本人たちも思っていなかっただろう。異常な状況下だからこそ、自分たちの考える「正常」を守ろうという自衛本能なのかもしれない。


「……諸君、このような事を仲違いの原因にはしたくない。どうだろう、弔ってはやるが、あの男のしたことは必ず白日の下に晒すということでは」


 ヴェルーゴのリーダー、オズモンドはあえて距離を取り、議論を見守ることに終始していたが、収拾がつかなくなることを危惧して重い口を開いた。彼はこの問題について「どうでもいい」と言うのが正直な感想だった。故に傍観を貫いていたのだが、何時まで経っても埒が明かない上、皆白熱しすぎて騒ぎだしていた。何が彼らをそこまで激高させるのか理解しがたい。


「我々にはやるべきことがある。大事の前の小事、冷静になるんだ」


 やるべきこと、その言葉に全員が押し黙る。そうだ、なんのためにこんな事を続けているのか、それを忘れた者など誰もいないはずだ。


 突如として国境を越えてシャウレアーン王国の土地を蹂躙したオルゴワ王国軍。慣れ親しんだ街並みを砲火で吹き飛ばし、馴染みの警官は収容所送りにされ、代わりに占領軍が道端に立つようになった。食料は配給制だが、被占領地の者に分け与えられるものなど微々たるもの。国境に近い街は占領の苦しみと共に飢えとも戦わなければならなかった。


 それから何年経った。もはや月日を数えるのも馬鹿らしくなった。幾ら待てども懐かしきシャウレアーン王国の国旗が街に翻ることはなく、西から東へ鉄道と車両で次から次へと物資が運ばれている。正規軍が必死に踏ん張ってはいるが、決定的な反攻には繋がっていないのが実情だ。ならば、我々も座して祖国の敗北を受け入れるはけにはいかない。


 そうして結成されたのがヴェルーゴに代表されるレジスタンス組織だ。連絡は途切れ途切れであるが、少なくとも五つは他の抵抗運動が占領された街の地下で活動している。元軍人、警官に留まらず、家族を失った者たちがこぞってそこに参加している。四年の間に多くの同胞を失った。仲間の為、家族の為、占領軍の車列を襲撃して撃ち殺された者は数多い。それでも続けられるのは、仲間が皆、同じ方向を向いているからだ。それはきっと、こんな異常事態でも起こらなければ決して実現しないような意見の一致だ。個を抑え、自分たちが依って立つ社会のために働く。それを些細ないざこざで崩壊させられてたまるか。


「そうでなくとも、次の襲撃は大仕事なんだ。皆、しっかりしろ。いいな?」


「リーダー、すまない。少し熱くなりすぎたようだ」


 頭を下げたのはコリンだ。あの少女を助けた手前、責任感の様なものを感じているに違いない。本来であればとっくに娘の一人もいて然るべき年齢、感情的になるのも理解できる。しかし、それはそれ、これはこれだ。子供にうつつを抜かし、見えるものまで見えなくなってしまっては困る。ここはしっかり気を引き締めなければなるまい。


「次の襲撃はお前が先頭だ。良いな」


「……分かった」


 オズモンドの言葉に込められた思いを読み取ったかどうかは分からない。だが、コリンは低い声と共に頷き、部屋を後にしていった。



★★★



 当然と言えば当然のことであるが、あれ以来ミアのいる部屋に不必要な来客は来なくなった。子守を言いつけられたと思われるトーシャ、それにコリンとルドーが時々来る程度だ。ミアに話しかける雰囲気は変わらないが、銃を持ち込むことはなくなった。


 一度撃って感じたことは、やはり体格が銃を撃つことに耐えきれていないということだ。引き金にかけていた指、それに胸元を反動で飛び跳ねた銃によって手ひどく痛めつけられてしまったのだ。それでも、ジープの下敷きになってできた傷に比べたらなんということもない。その傷にしてももはや治りかけている。コリンやトーシャの驚き具合からしても、それが人間の治癒速度をはるかに上回っていることは察することができた。


 何故、という疑問を投げかけられても「それはこっちの台詞だ」としか言いようがない。奪われたと思っていた権能がわずかに残っていたのかもしれないが、それなら自覚症状の一つくらいあってもよさそうなものだ。それもない、と言うことは権能とはまた別の力、いや呪いと評した方が良いものが付与されていると言う事か。


 いずれにしても、どうやらこの肉体は通常の人間以上の何かを抱え込んでいる。どこぞのくたばりぞこないが彼女に簡単に死なれては困るからそうしたのかもしれないが、致命傷も数日で完治するというのなら、何もできない時間は少なくて済むわけだ。貴重な時間の浪費を避けられる、という点では何も悪い事ではない。


 もちろん、そんな深傷は御免蒙りたいが、復讐などと言う物騒な事を考えている身である上に、人間界は燃え上がっている。これからの行動次第では「今週の致命傷」なんて習慣が付いてしまいかねない。この治癒能力はあくまで保険であり、猪突猛進するのではなく、深慮遠謀に邁進しなければならないことに変わりはない。元々肉体労働は得意な方ではなかったし、頭脳労働に重きを置けるならそれに越したことはない。


 しかし、そうなると問題はミアをかしらに置いたとしてもその命令に従って動く手足がないと言うことだ。かつては決して少なくない軍勢を従えていたが、この世界でこんな幼女に従う兵隊がいるわけもない。力づくで人間を従えるなんてことも夢のまた夢、それでは体の成長を待って軍隊に入るなり、政界の仲間入りを狙うという手もあるが、そうなると問題となるのは現在シャウレアーン王国とオルゴワ王国との間で四年続いている戦争だ。


 ミアは曲がりなりにもシャウレアーン王国に生まれた。占領地生まれという特殊な事情はあるが、軍にしても政界にしても潜り込むならシャウレアーン王国しかない。しかし、この戦争、泥沼化して停滞しているが、分があるのはオルゴワ王国だ。このまま行けば現在の前線が暫定的な国境線として固定化され、この周辺一体はオルゴワ王国になってしまう。外交交渉でシャウレアーン王国の国民が返還されれば良いが、そうならなければ大事だ。死ぬまでオルゴワ王国の為に働かされることになる。敵国生まれの者が軍や政界で大成するほどお人好しなお国柄でもないだろう。


 そうなっても、時が経てば戻れる可能性はある。だが、時間の無駄は避けられない。現状すぐに百点の回答を出せないのだから、目指すべきは如何に失点を少なくするか、だ。少なくともこの戦争が続いている間に何とかして戦線の東、シャウレアーン王国の支配地域に行かなければならない。そして出来る限り早い段階で軍か政界に接触し、人脈を構築する。それでも、十数年は何もできない公算が高い。人間界での成人はおおむね二十歳前後、ミアの肉体年齢は四歳と少しだから、単純計算してもあと十六年は動けない。羽付きと魔界の老人たちがその間黙っている保証はどこにもない。


 何しろ、魔界の長である大公はミアの意図を知っているし、天界の羽付きにも宣戦布告とばかりに神父の生首を送り付けるような真似をしたのだ。どんなに腰が椅子にへばり付いている連中でも多少はしてくるはずだ。手を出してくれば相手の考えも読めるというもので、むしろ好都合なのだが、最悪を想定するならばミアに対して強硬策に打って出る可能性はある。その時、身を守れるだけの力、或いは味方を確保することが急務だ。当面はこのレジスタンスたちの中に紛れることにするが、いつまでも守られっぱなしでは女男爵レディの名が泣くというもの。そう考えると、やはり軍というのは魅力的に映る。のし上がれば指揮下の部隊を剣、そして盾として使うことができる。


 考え事をしているとつい時間を忘れてしまう。昔はそういう時、耳元で鳴いてくれる相棒兼目覚まし時計の猫がいたのだが、今はもういない。しかし、この体になって四年も経つと言うのに、未だに肩の軽さには違和感を拭いきれない。寝る時は仰向けかうつ伏せになるしかないという極めて面倒な相棒であったが、自分が気づかないことを感じ取る力があった。さすがは獣と爬虫類、様々な点で人間の頭より優れていた。


(そういえば、真ん中の頭が猫アレルギーを発症した奴もいたな)


 あれは見ていて同情したくなった。三つ首仲間の同僚が、よりにもよってアレルギーを発症した相手は隣の猫だった。以来、彼の素顔を見た者はいないのではないか、と思うほどだ。二十四時間、三百六十五日顔を覆うマスクをするようになったおかげで、いつからかマスクマンなんて不名誉なあだ名をつけられていた彼も今では爵位に届いただろうか。


 さてと、とミアはベッドから降り、少し背伸びをしてドアノブを回すと部屋を出る。扉の先は急な階段が文字通りそびえ立っており、手すりもないその階段を上るには両手も使わねばならないほどだ。それを登り切ると再び扉、外から見れば内開きの扉は、反対側に人がいると気づかず開ければ階段の上から突き飛ばしてしまう危険な作りだ。この地下室が急ごしらえで作られたことを窺わせる構造と言える。


 扉を開けた途端、少し冷たい風が頬を撫でる。解放感に溢れる壁からは日差しも入ってきていて、わずかに青い空も覗く。話し声を辿っていくと、キッチンも兼ねた一室にレジスタンスの一同が集まり、机の上に視線を落としながら話し合いをしているところに出くわした。


「隣町の連中は?」


「一週間前にやられた。動けるのは十人ってとこだ。爆薬を運ぶのに人を貸してほしいと言ってきている」


 レジスタンスの本業、破壊工作の作戦会議と言ったところか。ミアが扉のところから覗いていることに気が付いたトーシャがミアを呼び、沸かしたお湯を持ってきてくれた。ここはもうちょっと手の込んだ物を持ってくるところだろうが、とつい悪態を付きたくなるが、よく考えればレジスタンスが潤沢な物資を持っているはずもなかった。少し茶色がかってはいたが、煮沸してあるし、何より水分を欲している体は「いいから寄越せ」と叫んでいる。


「最近は特に警戒されている。前回の一件以来、鉄道周りは近づくのも至難の業だ。今からでも車列狙いに変えたらどうだ、オズモンド」


「だが、あれを叩かねば占領軍の補給線を切ることはできん」


 オズモンドと話をしているのは別のレジスタンスの連絡係のようだ。トーシャに肩車を頼み、上から皆が見下ろしている物を俯瞰すると、感嘆と共に舌打ちがしたくなる衝動に駆られた。


 そこにあったのは地図だ。この辺りの地理を俯瞰できるその地図には北から南に長い線が伸びていて、西からその縦線に太い矢印が描かれている。説明されずとも、縦の線が件の前線を示していることは理解できた。今の話から察するに、横の矢印はオルゴワ王国の兵站線、鉄道を意味しているのだろう。それを破壊する計画を立てているというわけか。


「陽動をかけるか。敵の拠点で騒ぎを起こすというのはどうだ」


「決死隊になるな……、できるならばしたくないところだ。軍の方は何と言ってきている?」


 オズワルドの問いに連絡係の男は首を横に振る。


「自国民を誤爆しかねない状況で航空機は出せない、と」


「沿線にもはや誰もいないことぐらい予想できるだろうにッ。消耗を恐れているに違いない」


「俺たちだけでやるしかない。占領地でも戦っている人たちがいるってことをあいつらに示すんだ。そうすれば、きっと動いてくれる」


 確かに、あの前線の様子から考えると敵地上空まで航空機を飛ばしている暇があったら、砲兵陣地を吹き飛ばすことを優先するかもしれない。とはいえ、後方かく乱は前線の敵を弱体化させると言う意味で極めて重要な任務だ。軍の情報を担当する者や占領地戦略を少しでも考えた事のある者ならすぐにでも分かりそうなものだが、それをするだけの余裕がないほどにシャウレアーン王国軍も切羽詰まっているのかと思うと、事は思った以上に深刻かもしれない。


「次の汽車は三日後、考えている時間はない。何より、この情報を手に入れるために大勢が死んだ」


 オズワルドは数秒考えを巡らせ、決断を下した。


「陽動をかける。頼めるか」


 その言葉に連絡係はニヤリと不敵な笑みを浮かべる。それは死を恐れない覚悟に裏付けされた笑み。


「任せろ。盛大な花火を上げてやる」


「ああ、期待しているぞ。我々も必ず仕事をやり遂げてみせる」


 嗚呼、いつ見ても死を覚悟してなお、前に進み続ける者のなんと美しいことよ。それは魔界でも人間界でも変わらぬ華やかさだ。こればかりは何度見ても飽きるものではない。


 たかが人間、されど人間。この覚悟を持てる者が、いつまでも家畜に身を窶すわけがない。自分の考えは間違っていない。そう思える瞬間であった。



☆☆☆



 今日も今日とて参謀本部の会議室は煙が充満し、視界不良を起こしている。四年も似たような事を繰り返していると、新鮮味にも欠けるおかげで自ずと灰皿に山を作ってしまう。


 それもこれも平時の防衛計画があまりに希望的観測に依って立つ代物であったせいだ。シャウレアーン王国は三方に陸の国境線を有し、唯一隣国の存在しない南部海岸線の向こう側には海洋大国が鎮座している。陸続きの隣国があるということがいかに戦争を招き寄せやすいかは歴史が証明している通りで、王国の歴史は実質的にラダ大陸における戦争史と片付けることが出来てしまうほどだ。


 だと言うのに、この体たらくである。


 情報参謀のファルビウス・マルケルス中佐は僅かばかりの休憩時間の間に空になったタバコの箱をぼんやりと眺めながら王国の行く末を思い、肩が落ちそうになるのを何とか耐え忍ぶしかなかった。平時における警戒監視、情報収集を行った失態の責任を取る形で更迭された前の情報参謀の後釜に座れたのは良かったものの、おかげで情報部が白い目で見られる羽目になったのだ。居心地の悪さはこれでもかというほどだった。


 それでも、その後は一度も異動になることなくこの肩書を背負い続けることが出来ているのはひとえに部下たちの並々ならぬ活躍のおかげである。情報は生もの、という言葉が示す通り、作戦立案に係る重要な情報をいかに迅速に察知し、インテリジェンスとして提供することができるかが情報に生きる者にとって自分の命の次に大事とも言える。そのために何百何千という情報提供者を雇い、集まった情報の分析官を国中からかき集めているのだ。その活躍を生かすも殺すも、参謀本部に出入りする自分に懸かっていると思うと凄まじい遣り甲斐と責任を感じる。


 不意に風の流れを感じた。密閉されたこの部屋でそれを感じるのは誰かが出入りの為に扉を開いた時くらいだ。視線を扉の方へ向けると、情報部の部下が脇に封筒を抱えている。煙の中にファルビウスの姿を見つけると、彼はそそくさとその横に歩み寄ってくる。


「情報部からです」


「ご苦労」


 若干息が上がっているところを見ると、建物の入り口からここまで走って来たのかもしれない。労いの言葉をかけて彼を下がらせると、生ものが腐らぬうちに確認することにする。


 封筒には何枚かの写真が挟まったファイルが入っていた。ファイルの上で写真を広げ、同封されていた殴り書きの報告書と照らし合わせながらその意味を探る。写真は航空機からの偵察写真だ。これでもかというほど引き伸ばされてはいるが、それでも地上がかなり鮮明に写し取られている。航空機用のカメラに若干の予算を振り分けることが出来たのは正解だったようだ。危険な低空飛行を伴う偵察が出来なくとも、高空からこれだけ克明に撮影できるなら、偵察部隊の負担も少しは軽くなるだろう。


「中佐、何事かね」


 休憩から戻ってきたお偉方はファルビウスが自身の前に写真を広げているのを見逃さない。座るなり声をかけてくるので、頭の半分を分析に回しながらも「情報部から先ほど届きました」と返事をする。


「場所はブルック越境鉄道の貨物ターミナル。相当量の物資と共に連結している客車に兵員を乗せ、東へ向かうものと思われます」


 シャウレアーン王国とオルゴワ王国の間には越境鉄道がある。平時には観光や経済活動に一躍買っていた鉄道網であるが、今では軍用列車が引っ切り無しに走り回る兵站線となっている。オルゴワ王国軍は越境鉄道を使ってシャウレアーン王国領土内に食い込んだ前線に物資と兵員を輸送していることはかねてより分かっていたことであり、現地のレジスタンスとの協力によりその破壊を何度も試みてきた。一時期は空爆も行っていたが、沿線に対空砲が配備されるようになって国境近くの線路を破壊することが難しくなっていた。以降、レジスタンスに情報や物資を提供しつつ破壊工作を行っていたが、最近はそれも困難になり、ほとんどレジスタンスが独力で戦っているような状態に陥っている。


「規模は」


「車両の形状から、一編成で一個大隊というところでしょう。それが……少なくとも三つ」


「増援か。まあ、考えることはお互いに同じだな」


 ブルック越境鉄道は東西に長く伸びる鉄道網だ。西はオルゴワ王国の王都、東はシャウレアーン王国を横断し、東の国境の街まで伸びている。当然、シャウレアーン王国にしてもこの鉄道を使わない理由はない。東方や北方から部隊を引き抜き、西部戦線に投入するためにはトラック輸送ではとてもじゃないが追い付かない。その点、陸上輸送の中でも鉄道は効率のいい輸送手段である。敵の攻撃が少ない地域では鉄道、前線に近くでトラックに分散し、前線へ投入。これをするのとしないのとでは兵站線の強度に雲泥の差が出る。


「しかし、その程度であれば茶飯事だ。急ぎなのはその他にも理由があるのではないかね」


 一個連隊の増援程度の情報であれば、参謀本部の議題に載せるには少々インパクトに欠ける。


「はい。オルゴワ王国内における大規模な部隊移動、ブルック越境鉄道の複々線化、それに伴う警戒強化、この一個連隊は更なる増援の前触れかと」


 情報部はオルゴワ王国内での敵部隊の動きを敏感に感じ取り、調べていた。師団、或いはそれ以上の規模での増援となれば、西部戦線で大攻勢の可能性もある。それを直前になって知るのに比べれば、今回は情報部の大勝利とも言える成果だ。情報部に戻ったら部下にビールを奢らねばならないかもしれない。


「軍団規模の移動ともなれば、どこかしらで停滞していた戦線が動きますな。情報部ではそこのところ、どう考えているのだ」


「一大攻勢となれば、そのまま後方司令部、或いは国内に深く突き刺さる事を狙うかと。その場合、戦線北方、南方は適切ではありません。北と南で陽動を行い、中央を一点突破してくると考えます」


「ふうむ、それはまた厄介だな」


 呻き声を上げたのは陸軍参謀総長のセルビオ・ルントシュテット陸軍大将だ。彼はファルビウスの考えを斟酌しながら、現段階での手持ちの部隊と想定される敵軍の動きを頭の中で思い浮かべる。


 そもそも、そんな単純な動きと捉えてよいものか。確かに師団、軍団レベルの移動となれば、偵察部隊からすればオーケストラを伴って歩くほど騒がしいと評されるほどに目立つ。遅かれ早かれこの動きにシャウレアーン王国が気が付くのは織り込み済みだろう。となれば、敢えて大きな動きを見せて何かから目を逸らそうとしているとも考えられる。ファルビウスが言う通り、戦線の背後を考えれば中央を突破するのが最も合理的と言えようが、必ずしも北方や南方に致命的な地理的問題を抱えているわけでもない。この動きそのものが陽動と考えることもできるのだ。


「カステル大将、海軍の動きはどうですかな」


 ルントシュテット大将はテーブルを挟んで反対側に座るゲイル・カステル海軍大将に声をかける。口をへの字に閉じていた彼は胸を張り、わずかに身を乗り出す。


「輸送艦を用いてどこかしらに奇襲上陸してくるという可能性はあるとお思いか」


「ない、とは申せませんな。開戦以来、我が艦隊は一度たりとも敵艦隊との決戦をしておりません。敵は洋上砲台に徹し、主力艦隊を未だに温存しとりますからな。その支援の下……、そうですな、アルブム湾の防衛線の背後に強襲上陸、それに合わせて前線を圧迫し、突破、そのまま時計回りに前線の背後を回り、後方を叩く、というのは」


「その場合に想定される上陸部隊の規模は」


「四個師団は固いですな」


 ピストン輸送されればさらに増えるだろう、とカステル大将は鼻を鳴らす。そして「無論、そうならぬよう徹底的に撃滅して御覧に入れる」と言い放つ。


「敵の意図を正確に掴むのだ。今の段階で複数の可能性に戦力を裂くわけにはいかない」


 参謀本部議長ケーニヒ・ロッテンドルフ陸軍上級大将が重い口を開く。上座に鎮座したこの老獪は深慮遠謀という言葉に手足が生えたような人物だ。情報重視、可能な限り不確定要素を埋め、その上で決断する力も兼ね備えていて、まさしくシャウレアーン王国軍の頭脳とも言える存在である。将官や左官が大半を占める参謀本部に尉官も積極的に連れてきては忌憚のない意見を言わせる。戦史に学び、過去の経験から物事を考えるだけでなく、他者の経験からも学ぼうと言う姿勢が窺えるやり方だ。たいていの場合、血の気の多い尉官クラスはここぞとばかりに勇ましい事を言うことに注力してしまい、二度とこの会議室に顔を出すことはなくなるが、それでも頭のリフレッシュにはなるという。


「逆手に取ればこの戦争を振り出しに戻せるかもしれん。諸君、抜かるでないぞ」


「戦況をひっくり返せる」と言わないのは、彼の慎重さの表れなのか、それとも彼の見据える戦争の悲しい行く末なのか。その真意は彼の胸の内にしかない。


「議長、陸軍の方からも一つ報告を」


 ルントシュテット大将が挙手し、そう言ったのを合図に補佐官が列席者の前に書類を置いていく。


「新編魔術大隊構想」と書かれた表紙を見るや、カステル大将が豪快に笑いだした。


「ルントシュテット大将、よもや絵本の中から大隊を呼び寄せましたかな?」


「カステル大将、口を慎むように」


 列席の海軍関係者がくぐもった笑い声を漏らす中、参謀本部副議長を務めるベウルランド・コマーズ海軍大将はそれを諫める。


「魔術師の戦力化についてはかねてより研究されていたな。できそうなのか」


 ロッテンドルフ上級大将の質問にルントシュテット大将は力強く頷く。


「制圧力、生存性、様々な側面で従来の歩兵大隊を凌ぐ潜在能力を持っていることは確実です。現在、私の部下が具体的な部隊編成を進行中。今月中にも編成を完了する予定です」


「ふむ……。ルントシュテット大将、編成なった際は私も視察に向かおう。古臭いと思われていた魔術師の兵隊がどれほどのものか、私も興味がある」


「承知いたしました。では、そのように手筈を整えます」


 魔術師、その言葉にマルケルス中佐は複雑な気持ちになってしまう。


 この世界には科学技術とはまったく異なる歴史を遂げた技術が存在する。人はそれを魔術と呼び、おとぎ話に出てくるそれと重ねるが、科学技術が大きな発展を遂げる前は社会基盤の一つとして幅広く使われていたと言う。科学技術が戦争と共に爆発的な進化を遂げたことによって表舞台から姿を消して久しいが、彼らは俗世から離れて脈々と技術を受け継ぎ、生き延びていた。魔術の研究は一代ではなく、何代にも渡って行われるもので、数百年も続けられることすらあるほど。当然、そんな研究をおいそれと表に出すはずもなく、魔術師と言えば偏屈で、排他的な人間の代名詞でもある。


 絶対数も少なく、国中からかき集めても一個大隊。それも定員割れ著しい張りぼての大隊だ。いかに魔術師が一人で歩兵数人分の戦闘力があると言われても、有史以来魔術師を本格的に運用したことがないのだ。果たしてこの構想が上手くいくかは甚だ疑問であった。しかし、陸軍としても停滞する戦況を打開するため、試行錯誤を繰り返した結果。前例がないということを理由に却下するのも酷な話だった。それに、魔術師がただの歩兵より力があるというのはこれまでの技術研究でも既に明らかになっている。問題はそれを運用する体制をどれだけ整えられるか、それこそ参謀本部がこの構想にどこまで本腰を入れるかにかかっている。


「よもや、火の弾を飛ばしたり、箒に乗って戦うわけではあるまいな」


 先ほど注意されたにも関わらず、カステル大将が再び横やりを入れる。どこの国でも陸海軍の反目は不可避だと言われているが、この男のそれは特に酷い。今回の戦争の主戦場が陸のため、余計に皮肉めいた事を言うことが多い。


「カステル大将、あなたこそおとぎの国の魔法使いをお連れのようだ。我々のそれは絵本のそれよりはるかに鉄臭いですぞ」


「ほう、もやしのような魔術師があの前線を這い回るのか。せいぜい気張ることだな。海軍への転属は丁重にお断り申し上げる」


 海軍は魔術師嫌いだということがこの構想が表に出てきた時にはっきりした。


 海軍は兵士一人ひとりが戦うと言うよりは、数百人が集まって一つの艦を動かし、その艦が戦闘力の単位となる。故に、スタンドプレーのようなことは難しく、常に論理に裏付けされた戦いを好む。そう言う意味では極めて合理的ともいえる。


 一方、陸軍は精神力に依るところが大きい。どんな屈強な兵士も、強靭な精神がなければあの地獄の塹壕で砲弾の雨霰を耐え忍ぶことはできない。また、一人でも戦う点は魔術師のそれとも相性が良い。魔術師は共闘を好まない。それを部隊としてまとめ上げるのは並大抵の労力ではないことに目を瞑るとしても、優秀な魔術師の戦闘力は侮れない。


 マルケルス中佐も魔術師については情報を集めている。地域の名家も多く、跡取りを軍隊に出すことに大きな抵抗があった。しかし、そういう家は極めて現金なところもあり、長男でなければ、多額の研究費用支援等を条件に要請を受諾した者も少なくない。


 だが、いかんせん当主を出せぬ理由から皆若い。二十歳以上を基本としているが、少年と呼べる年齢もわずかだがいる。先方としては、当主を継がせる長男は出したくない。ならば、次男や三男、あるいは長女を出したいというところもあった。しかし、魔術師という特異な職種とはいえ、女性が最前線に立つことを上が快く思わなかった。女性にはこの国の次代を担う子を産んでもらわねばならないという考えが軍ではなく、政界に存在するのだ。そうなるとただでさえ少ない母数がさらに減り、あっという間に大隊を編成するのも苦しい有様。名ばかり大隊が一瞬で粉砕されぬことを、マルケルス中佐は祈らずにいられなかった。

 諸君、後書きである。傾注せよ。


 前回更新から約四か月後の更新、この愚図の駄作者の厚顔ぶりは筆舌しがたい。呆れを通り越すとはまさにこのことだろうな。どれほどの悪態をつかれたところでしばらくすれば元に戻るその姿はプラナリアのそれに近い何かを感じる。惰性で日々を無為に過ごすその姿は「生きている」と評するには値しないとは思わないかね?


 さて、今回はこの世界における魔術師について若干の補足をしようと思う。


 本編でも少し出てきたが、この世界の魔術師は若干「鉄臭い」。魔力と言う名の燃料を燃焼させ、そこから得られるエネルギーを様々な形で発現させるわけだが、空を飛べるわけでもなければ、無から有を生み出すことが出来るわけがない。物理法則が存在するように、魔術においても法則が存在し、それに則らなければ屁ほどの価値も生まれない。


 所詮、奴らは人間に毛が生えた程度の存在でしかない。撃たれれば死ぬし、不老不死など夢のまた夢である。それを求めて何代にも亘る研究を続ける者もあるだろうが、無駄なことだ。その努力を少しは別なことに向ければ、或いは何かが起こるかもしれないにも関わらず、だ。


 気を付けておくことだ。魔術師に限らず、自らを信じて疑わない者は必ず足元を掬われる。絶対的な真理などそう簡単に見出せるものではない以上、視界狭窄は自分の首を絞める結果になる。他者の言葉に耳を傾けよ。他者の振る舞いに目を光らせよ。世界は我々を中心になど回っていない。巨大なシステムの中で一人退行すれば、システムはそれを不要と断じる。


 魔術師はそうして世界の表舞台から姿を消したのだ。


 諸君が信じるモノも、何時の日か世界が不要と断じるかもしれない。その時になって気が付いても遅い。信じるものを失って尚、前を向ける者がどれほどいるだろう。


 いや、そもそも確たる支柱を持ちながら生きる者などそうそういるものではなかったな。


 自らの意思など微塵もない無責任な交配で生まれ、育ち、確たる目標もないままにシステムの歯車の一つとして惰性で働く。何故、と問われれば「そういうものだから」と在り来たりな説明に終始し、自らの行動に理由を見いだせない。


 救い難いな。


 信じる道を突き進んでも、信じる道も持たないままでも、結局同じ穴のムジナなのだろうか。


 そうではない、と思わせてくれるような出会いがあれば、私の考えも変わるのだろうかな。


 話が脱線したな。近々別のものが派手に脱線するだろう、と述べてお茶を濁すとしよう。


 近々、が一体何か月後になるかはあの駄作者の頭の中を覗かねば分からないがな。



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