決行準備
死ねなかった。覚悟が足りなかった。いや、最初から、死ぬ気などなかったのかもしれない。
腹の虫はまだなっていた。どうする?
結局、道は変わらない。
男はまず、覚悟を固めようと決めた。
元々男にはこうなる前から自殺願望があった。子供だった時、自分が他の、他人とあっさり感情を共有できる人間とどこか違うと感じた子供の時からその小さな欲望、憧れはあった。
好きな画家はゴッホだった。
好きな作家はヘミングウェイと、太宰治だった。
好きなミュージシャンは、カート・コバーンとシド・ヴィシャスだった。
男は偏執的な自己愛を持っていたのだろう。社会に適合できない自分と、偉大な人物を重ねあわせた。
俺は彼らのように繊細で、偉大な事をやる人物であるから、今世界にこんな目にあわされているのだ。そう思う事だけが、男が少年だった頃から心を慰めるものだった。
違うんだ、母さん。俺は、その悲しさを、怒りを表現して欲しかったんじゃない。ただ、話を聞いて欲しかったんだ。
母とはいえ、肉体も精神も別のものであるから、男のその、奇妙な自己愛、社会への隔たりは理解できず、ただそれは、家庭の不和から少年が変人になってしまったととられ、そしてその家庭という戦場に赴く銃として、少年の心は使われた。
その時少年はこう思った。血を分けた母親ですら俺の考えが理解できないのだから、ましてや他人にはとても、俺という人間の偏執性は理解できないだろうし、また受け入れる事もしないだろう。
少年はそう考えを固め、他人を鏡のように真似るようになった。わざと失敗する、奇妙な鏡になる事で、ある程度のアイデンティティも獲得した。しかし内面では、益々自己愛と偏執性は膨らむばかりだった。
そして、今、ようやく、それを自分で表現すべき時が来た。男は自分のルーツを掘り下げる事にした。
そうして男は図書館に足繁く通った。
ゴッホの画集を読みあさった。
彼の絵では特に後期が好きだった。
"ひまわり"なんかはちっとも良いとは思えなかったが、空の絵や、杉の木の絵の、陰鬱とした、しかし強力にあふれだす、どう処理していいかわからない鬱々としたもやを感じる後期の絵が好きだった。
太宰治とヘミングウェイの本を読みあさった。
両者ともに、人間と、自然が、好きで好きで、たまらないのだ。
しかし、同時に、自分にはどこにも居場所がない事を理解している。それがまるで自分の事を言われているようで、自分が一人ではない気分になれた。
カート・コバーンの伝記を読み、家にあるCDを大音量で鳴らし、一緒に歌った。
彼は繊細ではなかった。
豪胆というわけでもなかった。
普通の人間だった。ただ、ただ。本当に、この、社会生活を生き抜く力がなかった。
男は自分は、何も成し遂げていないのに、その偉大なる先人たちの足あとを少し舐めたぐらいで同じく肩を並べた気分になり、ただの逃避行動を、まるで偉大な行為であるかのように思い込んだ。思い込もうとした。
ああ、偉大なる先人たちよ。自分も、今よりそちらに向かいます。
男は、死後の世界は信用していなかった。
死後は、完全なる無、または死ぬ前に感じた苦痛を電波、思念として感じ続けるという奇妙な妄想に囚われていた。
そのため、"そちら"という表現は正しくないかもしれない。
ただ、無になり今の苦痛から開放され、後始末に来た親戚が、あの子は繊細な、変わった子だったから。そう言ってくれる事。それだけが、男にとっての"そちら"だった。