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…………………!!!!!!!!!
少女らは目を見張って、唾液とともに息を呑んだ。
鼻で感じるふんだんな香味が底抜けになった腹の中身をこれでもか、と叩いていて、口の中は涎でとろけ、目の前の世界にはそれただひとつしか無い。
「‥‥‥、、、」
果たして、アルミの肉差し(フォーク)と匙を子供らしい手握りで持ち構え、その茶褐色髪の少女は、眼前の皿の上の獲物へと目を大きくさせている。
ほかほかのパスタ。おいしそうなぱすた。
まぎれもないそれが目の前にある。
「………!」
ごくり、と唾を呑んで、それから──
“喰った”、
肉差しで麺を巻くのは、少
女はまだ覚えてもいない行儀だ。なので、横合いから水平に麺の山へとつっこまさせた後、引き上げるようにして口へと、ぱぐり、っと押し収めた。すると………
「 ! 」
かちゃり、と音が立った。
片っぽうの匙を皿の上に落としていた。目を見開いた少女は、そのまま、二べん、三べん、と麺をつっこみ、かきこみ、熱さと勢いにふぅふぅと咽せながらも、──とにかく食べた!
「~~~~~~~っ!」
かつかつ、がっがっ、かっかっかっ、
手と口が止まらない。
調味された具と麺の、程良い塩気、程良い香味、程良い食感、その塩梅、
それから、強すぎもない程度に利かされた絶妙な加減の辛味…旨辛(ウマカ
ラ)と言い換えてもいい。すべてが食欲を刺激した。
次いで、それらによって旨味のもたらされたどろりとした煮込み具の中に、塩気と弾力と切れの良い歯ごたえのスパゲッティ麺が絡まり合う。からまったそれを、口に入れる。咀嚼する。飲み干す。ぱく、もち、ごくりっ、
はむはむ、はぐはぐ、あぐあぐ……──ごくっ、ふぅ…
「おいしぃ!」
皿の上から仰ぎ見て、男を向いた少女──リィエッタの開口一番の顔は、目に涙を浮かべて幸福に満ちたものである。
ただ、その幸せをもたらした遣いは、少女の口いっぱいに“訪れた印の朱い大判”も残していった様だった。
「なにこれ、うめぇ!」「あ
ぐ、うぐっ」「こら、いけないだろうゆっくりくわなきゃ…あぐうむぇ」「ふむ、…ボクのショクヨクをナットクさせられるモノはそういないのだが…はむ、ふむ」「うまいー」「おいしー」「みんなお行儀がわるいのです! ──はぐふが」「あらあら」「ぱく、っはむっ」
皆が口を朱くしながら、思い思いに舌鼓する。憂いなく輝く表情の今のそれらは、なによりも、消え失せかけていた生命感に溢れたものだ。
一同の様子を見守っていた男も静かに充実した面もちになって、パスタを巻いて口に入れる作業を再び始めた。
──部屋の様子を伺う魔族らも、目前の光景に唾を呑んで、涎を垂らして羨望している。
「むしゃ、あぐ
…なぁ、ウソひゃろ(だろ)、これってウソひゃろな(だよな)!? あぐむしゃ」「ウソじゃないっ、はぐ、ホントウのホントウに、ふむ、ホントウだとも、ごくっ、イチブシジュウを、あむうむ、ミたとおり、だ、はぐっ…ふむ」
猛然とかきこむ口を止めることなくウェリアとエミルが述べ合う通り、少女らにはまるで見当付かなかった。
あの野戦調理用スパイス・パックなるものは、元々が、くさりかけの食材と水でも腹を下させることなく無理矢理兵卒に喰わせるためのものでしかない…連合軍の悪糧の象徴たるものである。なまぐさくからみがつよくくすりくさくダマになってひどくとけにくく、少なくとも己らの経験してきたものはそうであ
って、さんざんに厭な思いをさせられてきた! なのに、なにが違うのか。
煮込み具を作る時の男の行動で思い当たるのは、一度少量の湯で、スパイス・パックのその中身を溶いていたことくらいである。
そうしてスープ状となったそれをブイヨンのように煮込み具の元とし、まず平鍋で揚げ焼いたカンヅメ肉のほぐしの中へと加えて油ごと煮立て、それから釜の中で煮込んでいた赤茄子のひとすくいを杓子で入れ、煮込み赤茄子の色味が赤から朱へとなった所で、その平鍋の中身を元の赤茄子の釜の中へと少量ずつなじませた…──ことまでは覚えている。
なぜこんな手間をかけるのだろう、自分も隊伍の同僚らも先任らも、あれは
ただ、封を切ってから煮立った飯盒にさらさらと落とすものだったのに、…──と不思議がった。
しかし本当の真実は、そのスパイス・パックの本来の使用方法と調理法こそが、男がやってみせた使いかたの通りなのである。
澱粉加工法による粉末スープの理想的調理方法、そしてその使用法。男本人もこのスパイス・パックには辟易とさせられたものだから、苦心と模索の末、やり方を覚え身につけた能力のひとつだった…──もっとも、後で輜重の友人にこの本来の使用法を内緒として教えられ、愕然となったのも思い出だが──…し、それは、連合軍の実働の現場においては、本来の教育の不徹底が仇なって間違った使用法が口伝されているという、
その証左でもあった。
まぁ、おかげでかつての部下らからは、“美味い料理の出来る上官”として、誼を深めてくれた気も、薄々だがする。…実はもう一つタネがあるのだが、
それはともかく、そう思うと、自分のこの凝り性というのも悪くはないなぁ、と思うのであるが。
──部屋の様子を伺う魔族らも、漂う芳味に腹をすかせ、涎を垂らして欲求している。
「…ふむ、」
食べ進めながら男は思いを馳せていた。
──魔族は直に食える糧品には抜け目がないが、調理が必要なものとなれば話は違った。
湯戻しが必要な乾燥食品は、論外。
瓶詰めされた保管食品は、魔族の上級も欲しがる甘味物だったり
すればおよそ違うが、下級の雑兵どもの末端はそもそもビンの開け方さえ知らない。カンヅメも同様である。
奴らにとれば薬か食物かも得体の知れない個封包の粉末物も、経験知的に“安全で、美味”であると認識されていないものであれば、まずまずの回収となれた。
なにより経験知として、これらをそもそも食糧ともみなしていない魔族は、これら残存物資の破壊を企てることもないようだった。
…と、そんな程度に今日この日の糧食調達は、まぁある程度は打算があったのだ。──最前線での激しい攻防は、めまぐるしい戦線の変化が付き物であった。第一線部隊の指揮官であった男も、拠点を取られて取り返して、という日々の中での隊の
自活には頭を悩ませていた。
その折に、奪還した拠点の再構築の際に、残存多少の物資をも余さず再生させるための“裏技”として、部下の下士官たちから教えられたことの一つである。
ただ、問題とすればこの砦は今現在、魔族の手に堕ちている物であって、こころあたりのある場所での調査とその収穫には大変な神経を使ったことだ。いや、それらは都度、くぐり抜けることが出来た…………戌の将に伺いを立てたとき、なぜか督戦の位を持つ監視を預けられていたのも原因としてあろうが、
──して、砦の調査は成功した。
残存物資の荒らされ具合から駐屯の魔族どもの綱紀のゆるみを推し量り、兵に対する監督の程度から様々な事を読みとることが出来る。
どれだけ兵が消耗しているのか、…言い換えるならば、どの程度までを現地自活(調達接収)せざるを得ない兵の消耗に、前線後方になったばかりのこの現在地への輜重の補給は追いついているのか、
その回復の速度は、現在までの補給の規模は、
その回数と、それに応じて到着した補給物資はどのようにして魔族軍内部で分配され、行き及ぶのか、行き及んでいない兵はどのようにして消耗を補填するのか、
あるいは、規律を徹底させる下士官や上級は充足しているのか、現在の魔族軍の士気はどれほど
兵の綱紀を緩ませていて、どの級までの上級が、それを是認する様となっているのか。
その責任の持たされ程度と具合は。累の及び方は階級系統上でどのように機能しているのか、その処理のされかたは、
緩んだ者とそうでない者、その見分け方、度合いのはかり方、用心するに覚えておくこと…──など、
全てが重要だった。こうして得たおおよその要素情報を、士官としての学習知と経験知に照らし合わせる作業だ。ただ、それは連合軍の戦闘としての行動ではない。
──自らが新たに預かったこの僚卒ら…──少女らを、業が及ぶことなく、一分一秒でも安全に生き延びらせる為に。
そして、この少女らに新たな展望を繋げるた
めの橋頭堡を築く──その足がかりを得ようとする──その最大の努力の開始であった。
迷いはない。思考は既に切り替えている。
自分に出来ることはいつだってそう変わりはないのだ。
まぁともかく、あるいはこうだった。
自分の再奔のその先にこの謎の答えがあるのではないか、魔族どもはなぜ何も仕掛けてこないのか、なぜ、自分らを見逃したのか──と、
「…………っ、? ──ひっ、」
少女らの一人、アリス・イングレッドがふと目を見やって、そのまま慄然としたのはこの時だった。
その目が向けられた先、視線の向こうの部屋の入り口の扉が、やや微妙に閉じ切られていない…いや、四分半分、
開きかかっている。おそらくは外からによって。
何故?
不思議に思い目を細め………
そして見てしまった。
その開きかかった扉の狭間、その隙間から、魔族たちがこちらを“覗いている”。
まるで羅刹の気配の如し形相の冥界の牛鬼と猪鬼と犬鬼とが、涎を垂らしながら、この安全な内界を獲物を求めて覗き込んでいるその光景。少女は震え上がって怯え、戦慄と恐怖に悪寒が迸り…──
「…──あぐあぐ、ごっくん、がっがっがっッ、」
今目前のこの最後の晩餐を、腹に収めねば死に切れぬ、と、よりがっつくのに戻った。
人間は考える葦、とは誰の言葉であったろうか、とはいえ、恐れや
疑いの念で腹は満たされない──のが事実であった。
……────部屋の前の魔族どもの様子がなにやら変わりはじめた。
「ふぅむ、」
アルミの立椀のレモネードを口にしつつ、男は考える。
これからの為す事、そしてその行く先。
われわれは何者か、われわれは何処へ行くのか、…われわれは何処からきたのか、
ドゥーゲは、人が人たる為に濯ぎを甘んじん、とした。
だが、それを男は、受け入れて身を捧ぐことも出来なかったし、あまつさえ、上級から配下を切り取って奪う真似までも………無我夢中であったから、今でもこれが“自分のありかたとして正しい”とは、思えていな
い。
ただ、連合軍の軍人の第一の本分は、連合国市民の剣となることである。
そして連合国軍兵士とは、市民民草がその意志で自らの権利を行使した、そのあり方、有り様のひとつである。
だから、本分の元に勤務する士官であるならば、その配属たる兵士らの生命と身体と意志の自由こそを、なによりの第一とするべきだ、──と男は解釈している。教本通りかはしらんが、自分自身で、それに納得している。
何よりも、重要なことがあった。
…──連合国は、降伏していないのだ。
仕えるべき相手がそこにあり、それから託された者らもまた、今、ここにいる。
ならば、己の今の職務はそれしかない、と
男は確信していた。
「…………、」
水杯ではないが、立杯を呷った。
軟白銀を削って粉にしたかのような渋みと酸味と人工的な毒々しい甘み、最後にくる痛烈な辛み…脳漿を直に刺激するそれらの摂取は、ようやく男を現場の人間へと復活させたのだ。
酔うようなこれによって男は思考をほぐしつつ、尚も没頭せんとし…──
──ドゴォン!
部屋の中の者たちが驚愕に目を見開いたのはその時である。
破壊されるかのような轟音とともに、扉が開かれていた。そして押し入ってきたのは…──魔族。
「 ! 」
男は迎撃を執っていた。
悪鬼の形相となったお
ぞましい魔族の牛と猪の二体が、猛然と突っ込んできてがっぷりとした牙を──ぬらぬらとした口を大開けにして──光らせていた。
だから、なぜか同じ様な形相になってはいるものの同族を押さえ止めようとはしていた警衛の犬獣兵の制止を振り切って、“斬り捨てる”。
立杯を投げ当てる、先頭が怯んだ次の瞬間に構えを執り、腰の長剣を抜き放とうとし…──
──しまった、丸腰だ!
「 っ! 」
──男が覚悟をし、少女らは愕然とした、そして、
……──────フギャヒィぃッ!!!!!
………いつまでたっても、攻撃がこない。
「…………?」
目を瞑ってしまってい
たリィエッタが恐る恐ぉると目を開けたとき、なにやらガチャガタ、という音が聞こえていて、見ると、男はその物音の方向を向いたまま、呆然と固まっている。
「…………え゛っ」
リィエッタも、見たときに呆然とした。
………──待ちきれない様子の牛と猪の二体が、おそらくは砦の倉庫から持ってきたのだろうほこりまみれの乾燥パスタの麺を包装ごと釜につっこみ、突っ込まれた煮込み具の中で、それがゴポゴポ……と浮き立っているとき、
「………」「「「「「「「「「「「「………」」」」」」」」」」」」
「「………」」
……………
ギャッフィ、と猪が鳴いて、モォウ、と牛も鳴いた。
ずい、っと差し出してきたその前脚のひづめには、ほこりまみれの乾燥パスタの袋と、さかなや貝などの雑多なカンヅメ、それにやぶれかけになったスパイス・パックの山。──それらががさり、と、床に落ちた。
男と少女らの一同は、これらの様を呆然とみているしかなかった。