93:裏切り
そこへ向けて、一つのファイアーボールが飛んで行った。
恐怖に駆られた魔法職の一人が、冷静さを失って放ったもののようだ。
「死ねぇー! リーダーの仇だ、燃え尽きろっ!」
そんな叫び声と共に、燃え盛る火球はテリーベアの集団に向かってゆく。
しかし、それが到達するよりも早く、テリーベアは素早い動きで散開した。
俺たちの処にも、その中の一匹が駆け寄ってくる。
じゃれつくように振るわれた前腕が、俺の張っていた拒絶結界に激突して弾かれると同時に、地面がズンと揺れた。
「うわあぁあ、来るなっ!」
そんな叫び声と共に、迫るテリーベアに向かって剣を振り上げる一人の騎士が居た。
次の瞬間、彼は身に着けている鎧ごと赤い肉の塊と化した。
虚しく折れた剣が、クルクルと宙を舞う……
それを見て、俺は全員に『コンポジット・アーマー』を掛ける事を決めた。
「イオナ! 俺…… 」
「うむ、この期に及んで出し惜しみをしておる暇は無さそうじゃ。 じゃが目立つなよ」
俺は一人ずつ、生き残っている調査隊に『コンポジット・アーマー』を掛けてゆく。
しかし、それよりも速いスピードで調査隊のメンバーが、次々とテリーベアによって赤い肉塊に変えられて行った。
調査隊を中心に地面設置型の防御結界を張ろうにも、既に右往左往している調査隊のメンバーと、ちょこまかとすばしこく動き回るテリーベアが入り乱れているせいで、調査隊だけを防御結界で囲う事は物理的に不可能な状況だ。
俺の、無詠唱で魔法が使えるという特技によって、辛うじて調査隊の半分程度には『コンポジット・アーマー』を張り終えた。
だが、それは調査隊が全滅する時間を僅かに引き延ばしたのに過ぎない事に、俺は間もなく気付かされる。
それは、身に纏った防御結界ごとテリーベアの打撃を受けて、次々と調査隊のメンバーが吹っ飛ばされ、岩壁に何人もが激突して行くのを見てしまったからだ。
防御結界のお陰で体の外部に損傷は無くても、口と耳と鼻からドロリとした血を流した姿を見て、俺は反射的に『ヒール』を飛ばす。
だが、これでは切りが無いと言うか、連続して発生し続ける犠牲者の多さに比べれば、如何に俺が無詠唱と言っても、一人ずつ掛ける必要のある個別の治癒魔法では、追いつかないのだ。
かと言って、この空間全部に『サンクチュアリ』を展開してしまえば、テリーベアが不死や闇や悪魔属性でない限り、広範囲の聖属性魔法でテリーベアまでも回復をしてしまう。
俺は近くに居た、怯えている『昴星旅団』のエルフに問い掛けた。
「奴の属性は、判るか?」
「ぞ、属性? それは資料に記載されていなかったから、俺には判らないんだ。 しかし記録では、物理攻撃耐性も魔法攻撃耐性も、相当に強いらしいぞ」
物理も、魔法も、強い耐性があるのか……
それが俺の魔法に対してどの程度の物なのかはさておいて、俺はとりあえず時間を稼ぐ為に地下の広間一杯に広範囲治癒魔法である『絶対聖域《サンクチュアリ』を展開させた。
ちょっとした体育館ほどもある岩場の地面が、全て薄青白い巨大な光の魔方陣に包まれる。
例え、テリーベアまで回復させてしまう可能性があるとしても、まずは犠牲者を少しでも減らす事を俺は最優先とする事にした。
「な、何だ? このバカでかい魔方陣は、何が起きてるんだ?」
俺の後ろで、エルフが叫んでいるけど、とりあえず無視をする。
何故って、説明のしようが無いからに決まっている。
無詠唱で、何かをする動作や素振りも見せず魔法を発動させる事が出来るから、俺がこれをやっているとは、たぶん誰も気付いていないだろう。
今は、助けられる人達を助けることが最優先だ。
あちこちで暴威を振るっているテリーベアへの対策は、『サンクチュアリ』の効果時間が切れる迄に考えれば良い。
焦る俺の横で、イオナとバルが揃って何かを呟いていた。
それは、紛れもなく魔法の呪文だった。
詠唱破棄すらも使いこなすイオナやバルが長々と詠唱をしているという事は、それ相当に強力な魔法を放とうとしていると言う事だろう。
だが、奴は魔法耐性が強いと言われるだけに、何処までダメージを与えられるのかと言う不安も残る。
そして、俯きがちに呪文を唱えていたイオナが、顔を上げてカッと目を見開いた。
「水龍乱舞!」
グッっと、左手のロッドを前方に突き出すイオナ。
その先端から、複数の白い何かが高速で次々と飛びだして行く。
それは空中で弧の軌跡を描きながら大きく蛇行して、あちらこちらに散らばっているテリーベアたちに次々と直撃した。
直撃を腹や頭に喰らい、そのまま吹き飛ばされて地面を転がるテリーベアたち。
どんな魔力を使って強大な破壊力を産み出しているのかは知らないが、流石に体の質量は小さな見かけ通りのようだ。
小柄なテリーベアたちは、イオナの魔法の直撃を受けて次々と吹き飛ばされて、ゴロゴロと地面を転がってゆく。
俺は、テリーベアが調査隊から強引に引き離されるように吹き飛ばされるのを見て、すかさず生き残っている人達をぐるりと囲うように、地面設置型の『拒絶結界』を二重に重ねて張った。
これで、自分から結界の外に出なければ安全だ。
しかし、一面が水浸しになった地面から、次々とノーダメージでひょっこりと立ち上がるテリーベアたち。
全然、効いてない。
俺はイオナの様子を伺うように、そちらを見る。
イオナは、さも予想していた通りだとでも言うような風で、表情を変えずにバルの方を向いた。
「今じゃ、場は整えたぞ」
コクリと頷いて、幼女バルが小さな両手を前に突き出す。
キン!と言う甲高い音があちこちから聞こえたと思ったら、バルの居る場所を中心として、地面が放射状に次々と凍結して行った。
そこにイオナが中空から発生させた雨が、針のように激しく降り注ぐ。
その雨はたちまちその場で凍って行き、氷雨の直撃を受けたテリーベアの全身は白く凍り付き、凍った地面の上にはかき氷のような層が出来た。
巨大な冷凍室の中に居るかのような冷気が、俺の頬を刺激して息も白くなる。
だけど、服に掛けた付与魔法のおかげで体の寒さは感じない。
〈みな、向こうの世界で買っておいたアウトドア用品の中に、アイゼンがあるはずじゃ。 すぐにそれを装着せい〉
イオナの念話を受けて、全員がアイテムバッグの中から、冬山用の十本爪のアイゼンを取りだして足に装着を始めた。
俺も、慌ててアイテムボックスから、アイゼンを取り出す。
履き替えながらもチラリと敵の様子を伺うと、テリーベアたちは体に貼り付いた氷を軽々と弾き飛ばして、動き出す。
これでも、全然効いてないみたいだ。
自分たちに魔法を放ったイオナとバルに向かって動き出したテリーベアが、足を滑らせて無様に転んで顔面から凍った地面に激突していた。
他の個体を眺めてみれば、ツルツルに凍った地面に足を取られて以前のような素早い動きが取れずに、トテトテと可愛く転倒する個体が続出していた。
どうやら縫いぐるみっぽい外見通りに、スパイク代わりになるような鋭い爪は無いみたいだ。
その隙に、俺の仲間たちは全員がアイゼンを装着し終わっていた。
〈これから全員で熊退治じゃ! 和也よ、我ら全員にレベル制限を解除してブーストを掛けるのじゃ。 相手が相手だけに今までのようなレベル制限は無しじゃが、まだ皆の体が慣れぬ故に七割程度で良かろう〉
俺はコクリと頷いて、レベル七の『ブレス』と『アクセル』を掛けた。
そして念のために、複合防御結界である『コンポジット・アーマー』も、仲間全員に掛け直す。
〈良いな! まずは自分の体の反応速度とパワーに慣れることを最優先に考えるのじゃ。 力を制御できずにバランスを崩せば、自滅すると覚悟せい!〉
全員が、各の武器を手にしてコクリと頷く
長物の武器を持たない俺も、仲間全員のアイゼンに『強化』を付与してから自分のアイゼンにも『強化』を付与した。
長物が無いなら無いで、ここは『身体能力向上』のブーストを掛けた俺のサッカーボールキックでもお見舞いしてやろうと、そう考えたって事だ。
チラリと、カインさんが『防御結界』の中に無事で居る事を確認して、俺たちは飛び出した。
十数分後、ブーストの効果が切れる前にテリーベアを全滅させる事が出来た。
流石に、いくら高い物理攻撃耐性や魔法防御耐性を持っていたとしても、実体は軽く小さなサイズの魔獣だけに、足場を固めてブーストを掛けた俺たちの敵では無い。
しかし、調査隊の被害も甚大だ。
俺の治癒魔法と防御結界のおかげで死を免れた者も居るが、その大半は赤黒い肉塊へと変わり果てている。
防御結界の中に取り込む事が間に合って生き延びられたのは、俺の見知った人ではカインさんとキヨクラさんが確認出来た。
ハラーキィさんは、一番最初に吹っ飛ばされて蹲った位置のままピクリとも動かない。
暫くすると、防御結界の中で意識を失っていた人達が目を覚まし始めた。
広範囲治癒魔法の『サンクチュアリ』も、その効果時間を終えている。
俺は、動かないハラーキィさんの様子を見に行こうと思い立ち、ふと何かの違和感を覚えた。
その場で戸惑っていると、アーニャがトコトコとハラーキィの近くへと歩いて行った。
「そろそろ茶番は止めにして、起きたらどうなの? さっきからチラチラとこっちを見てるのに気付かないとでも思ったの?」
ビシッと右手の人指し指を突き出して、アーニャがハラーキィに向かって叫ぶ。
俺の隣で、イオナが呟いた。
「ほぉ、アーニャも気付いておったか」
「そのようですね」
イオナの呟きに、レイナがすかさず答える。
ヴォルコフたちは慌ててアーニャに駆け寄ると、彼女を庇うように倒れたままのハラーキィとアーニャの間に割り込んだ。
「つまり、どういう事なんだ! メルは判るか?」
俺は自分の抱いている違和感の正体が掴めず、それが喉元まで出かかっているのに出て来ないストレスから、同じようにキョトンとしているメルに訪ねた。
要するに俺以外は皆が判っているっぽいので、判らない仲間が欲しかったって事だ。
「うーん。 テリーベアの攻撃をまともに喰らったのにハラーキィさんだけ派手に吹っ飛んだのが、他の人が同じ攻撃で受けたダメージに比べて軽すぎるって事くらいしか思い浮かばないけど…… 運が良かったとか、当たり所が良かったとかんだろうなって思ってたけど、違うのかな?」
「それだ!」
俺は、自分が抱いていた違和感の正体に、ようやく気付いた。
一撃で人を鎧や盾ごと肉塊に変えるほどの攻撃をまともに受けて、無事で居られる方がおかしいのだ。
テリーベアの攻撃を受けた人は皆、ハラーキィさんのように派手に吹っ飛ばず、その場でただの肉塊にされていた。
派手に吹っ飛ぶと言う事はテリーベアに手加減をされたか、あるいは事前に衝撃を緩和させる手立てを打っていて、衝撃を逃がすために自ら跳んだかのどちらかだろう。
ハラーキィさん程の人なら、それは後者だと俺は思う。
だけど、それならどうして調査隊の人達がやられるのを黙って見ていたのかと言う疑問は残る。
「どうなの? ずいぶん前から意識があるのは判ってるのよ!」
アーニャが、まだ倒れたままのハラーキィに向けて、詰問するような話し方で問い掛けた。
そんなこと、俺はまったく気付かなかったけど、アーニャたちは気付いていたようだ。
「やれやれ、ずいぶんと勘の良いお嬢さんだ」
そう言いながら、ハラーキィがムクリと上体を起こす。
ボンボンッっと二つ弾けるような音がして、ハラーキィとアーニャたちの間に長刀を構えたアゲハとカゲロウが出現した。
「いやいや…… みなさんには、ここで全滅していただく予定だったんですがねぇ…… まさか、あなた方がテリーベアを倒す程の力を持っているとは、思ってもみませんでしたよ」
「ふーん。 偶然だとか事前に衝撃を軽減する防御魔法を使っていたとか、もっともらしい言い訳をすると思ってたら、やけに素直なのね」
そう、意外そうに言い放つアーニャを、長刀を構えてハラーキィを守る姿勢を見せるアゲハとカゲロウを前にして無言で後ろに下がらせるティグレノフとヴォルコフ。
式鬼である彼女たちの実力は、キトラで最初の夜に見て判っているだけに、それは賢明な判断だ。
「いえいえ…… 既に、本来の目的は達成されたも同然ですからね。 後は私が皆さんを始末してしまえば済む話ですよ。 それにしても…… 」
ハラーキィは、そこで言葉を句切ってから、改めて俺たち全員をグルリと見回した。
こいつの言っている、本来の目的って何だ?