92:テリーベア
先へと進んで行くうちに地下道は右へ左へと緩いカーブで曲がり始め、どちらの方向へ向かっているのか次第に判らなくなってきた。
ときおりコンパスを取り出して方角を確認するけど、見るたびに示される方角が異なるので、自分がキトラの王都に対してどの位置を進んでいるのかが少し不安になる。
それでも、いざという場合は転移魔法を使って脱出する事は可能だから、大きな不安は無かった。
キトラの王都内であれば、最初の夜に百魔の襲撃を受けた中央通りと、ハラーキィの屋敷なら『ワープポータル』の登録をしてあるから、多人数の転移も可能だ。
自分一人だけで『ワープ』するだけなら、王都内で行った事の有る場所であれば、何処でも問題は無い。
それよりも問題は、俺が転移魔法を使えることを見られてしまう事の方が大きいだろう。
どうやら転移魔法と言うのは、伝説級の魔法らしいのだ。
その伝説と言うのは、建国神話の中の話を差すらしい。
俺以外に『エクソーダス』の仲間で転移魔法が使えるのは、ハイプリーストのミリアムとモンクのパンギャさん、そしてハイウィザードのサブでハイプリーストのスキルを取得しているアモンさん、この三人だけしか居ない。
それが本当ならば、俺が人前で転移魔法を使って見せる事は極力控えるべきだろう。
地下道は狭い部分と、比較的広い空間が交互に現れる。
広間に俺たちが到着するのを待っていたかのように出現する様々な魔獣に進路を邪魔されて、俺たちが進むペースは著しく遅くなっていた。
既に夕食も済ませて、かなり時間が経過している。
魔獣に邪魔をされ続けた遅れを取り戻そうという事で、本来ならもう野営の準備をしている時刻だけど、次の広間まで先へ進むことになった。
「あったぞ! 通路がかなり広くなってる。 油断するな! 次の広間だ」
斥候役の冒険者が、合図を送ってきた。
それを見て、一次停止の指示が飛んだ。
斥候役から、異常なしのハンドサインが来る。
それを確認して、全員が広間へと入っていった。
俺の気配感知にも、怪しい反応は無い。
これまで、広間に到達する度に魔獣の襲撃を受けていただけに、何も居ないのが本当なのかという疑念が消えない。
しかし、俺のスキルを俺が疑っては何も始まらないだろう。
理由は不明だけど、居ないものは居ないという事でしかない。
荷物を下ろして、俺たちは一息ついた。
今夜は、ここで泊まる事になるんだろう。
カインさんの様子を伺ってみると、中衛辺りに居たハラーキィさんが、前衛の後方に居るカインさんの近くに移動していた。
何としても、カインさんは無事に家族の元へと戻してあげたい。
地下に居るから判らないけど、もう時刻は夜の十時を過ぎている。
地上では、あの魔物の群れが王都を襲っている頃だ。
その時、俺の気配感知に小さな何かが引っ掛かった。
たぶん、反応の小ささから考えると、最初に襲って来たドラギくらいの大きさしか無いだろう。
「イオナ! 何か近づいてくるぞ」
たぶん、反応の小ささから考えると、最初に襲って来たドラギくらいの大きさしか無いだろう。
そうそう簡単に、休ませてはくれないようだ。
しかし、その数はドラギほどじゃ無いにしても、思ったよりも多い。
少なくとも、二十匹以上の反応は確実にあった。
「どっちじゃ? わしには、まだ掴めぬぞ」
イオナが、俺にそう訪ねた。
俺は、広間から進行方向にある通路の入り口を指差す。
殺気だとか敵意だとかいうものが希薄だからなのか、俺の危険感知スキルには何も反応が無い。
純粋に俺の気配感知スキルだけが、物理的な接近者に対して反応を示しているだけだのようだ。
「うむ、何か来たようじゃの」
しばらくして、イオナも感づいたようだ。
レイナと顔を見合わせて、頷き合っている。
ヴォルコフたちも、バルやアーニャも何かを感じているようだった。
二人にも、ピリッとした緊張が走っているのを感じた。
メルだけが、状況を把握出来ずにキョロキョロしている。
それでもアーニャが武器を取り出すのを見て、理由も聞かず同じように武器を手にしていたのは、修羅場慣れをしたと言う事なのかもしれない。
調査隊の面々も、徐々にその気配に気付き始めた人が出始めた。
ザワザワとしていた話し声が止まり、シーンとした静けさの中に、剣を鞘から抜く音や衣類が擦れる僅かな音だけが伝わってくる。
ほぼ全員が油断無く、広間から通路へと抜ける入り口付近を注視していた。
沈黙が場を支配していた時間は短い筈なのに、体感的にはとても長く感じる。
広間に通じる通路の角から、ひょっこりと小さな物が顔だけを覗かせた。
それを見た調査隊の女性を中心に、緊張の糸が一瞬で途切れる。
「やだ、かわいい!」
「うそ、何?あれ」
「いやーん、持ち帰りたいわ」
そんな嬌声が、チラホラと聞こえて来る。
確かに、岩陰から顔だけを覗かせてこちらを見ているのは、つぶらな瞳をした体調三十センチ程の白黒ツートンカラーが特徴的なミニサイズの熊だった。
判りやすく言えば、まるで縫いぐるみの小さなパンダだ。
縫いぐるみのような三頭身の小パンダが岩陰から顔だけ出して、キョトンとしたあどけない顔でモフモフした手を口元にやって、やや愛らしい上目使いでこちらを見ていた。
確かに男の俺でも、その顔や仕草を見れば可愛らしさを真っ先に感じてしまう。
何故こんな殺伐とした場所に、こんなにも心を和ませるキャラクターが存在しているのか、そのギャップの大きさに先程までの緊張感が全てぶっ飛んだ。
「バカ! あれは、テリーベアーだ。 油断するなっ! 俺たちは一度見たことがあるぞ。あれはヤバイ!」
「まさか! あいつが何でこんな場所に…… 」
A3ランクを誇る『竜の顎』メンバーが、まるで恐怖に駆られたかのように、ジリジリと後ずさる。
複数のエンブレスを相手にしても、恐れずに向かって行った『竜の顎』が目の前に現れた一匹のミニサイズのパンダを恐れているのは、誰の目にも明白だった。
「ねえカズヤ。 あたしテディベアじゃなくてテリーベアって聞こえたんだけど、聞き間違いじゃ無いわよね?」
アーニャが首を傾げながら、そんな事を呟いた。
確かに、あれが茶色の毛で覆われていたら、テディベアーって名前でも違和感は無い。
白黒のツートンカラーを抜きにして言えば、縫いぐるみのティディベアが前方の岩陰にいる物のイメージに一番近いかもしれない。
あっちの世界の小学生でも勝てそうな相手の小さな姿と、それに怯えているA3ランクの冒険者達とのギャップが凄い。
事情がわからずに、顔を見合わせているのは王都から派遣された騎士達と魔法師たち、そしてA1ランクパーティ『昴星旅団』の面々だ。
たまたま俺たちの所へスープのお代わりを貰いに来ていた『昴星旅団』の斥候役であるエルフが、何かを思い出したように呟くのが聞こえた。
「テリーベアーって噂に聞いたことがあるけど、まさかアレがそうなのか?」
「テディじゃなくって? 何でテリーなの? ひょっとして、こんな場面で駄洒落なの?」
アーニャがゴチャゴチャと同じ事を言ってるけど、俺は構わず男に尋ねた。
アレは、いったい何なのかと。
「お前らも逃げる用意をしておけよ。 ありゃあ、正式名称はテリブル・ツートンベアーつって、略称が確かテリーベアーなんだ。 俺は以前に冒険者ギルドの資料室で、あの魔獣に遭遇して唯一生き残ったAランクパーティが残した資料を読んだことがある」
エルフの男は、静かにそう答えた。
答えた男の顔は、それほど怯えているようには見えない。
「それは、どういう内容なんだ?」
俺は、そう訪ねた。
それは、A3ランクの『竜の顎』が怯える相手について、もっと知りたかったからだ。
「何年か前にワイバーンの討伐クエストがあってな、Aランクパーティが合同で南に高くそびえている白龍山脈の麓付近まで手負いのワイバーンを追い詰めて、そこでアレに遭遇したって話しだ。 そして、討伐隊に参加していたけれど偶然にも隊列の最後尾だった『竜の顎』を残して、他のAランクパーティは全滅したって内容の報告書だよ」
「マジか!?」
そんな話を聞いても、俺は半信半疑だった。
そこに、突然前方から沈黙を破るように小声で、調査隊全員に向けた指示が発せられる。
「全員荷物を捨てて、奴を刺激しないように静かに後退しろ。 あれはヤバイ奴だが、自分のテリトリーを越えてまで追いかけては来ない筈だ。 俺たちは、それで以前助かった事がある」
『竜の顎』のリーダーが、恐怖で裏返りそうな掠れた声で、全員にそう告げていた。
それを受けて、『竜の顎』のメンバーが白黒ツートンの小熊を刺激しないように、細心の注意を払いつつも一斉に後ずさる。
調査隊の他のメンバーたちは、事情が理解できないらしく、仲間達の様子を伺っているだけで動かない。
俺たちも、どうすべきなのかの判断を仰ぐために、イオナの方へ視線を向けた。
「静かに、撤退するんじゃ。 エンブレスに立ち向かっていった『竜の顎』が、あれ程慌てるだけの理由が何か判らぬが、あるのは間違い無いじゃろう」
俺たちが頷き合って、立ち上がり掛けた時にテリーベアーが動いた。
トコトコトコと言う擬音が聞こえそうな、可愛らしい歩き方でテリーベアーの一匹が調査隊の方へと歩いてくる。
「ひぃぃぃぃ!」
『竜の顎』のリーダーが、それを見て悲鳴を上げた。
腰を抜かしたかのように、立ち上がれずに尻餅をついたまま後ずさろうと足掻いている。
相当なトラウマというか、テリーベアーに対してPTSDがあるみたいだ。
『竜の顎』のリーダーを庇うように、近くに居たハラーキィさんが前に出た。
そして、体長三十センチほどのテリーベアーに、あっという間も無く吹っ飛ばされた。
小さな掌による打撃を、手にした扇子で受けたところまでは見えたけど、そこからは目が追いつかない。
宙を飛び、そしてゴロゴロと地面を激しく転がって壁際に倒れ伏した。
壁に激突しなかったのは、運が良かったとしか言えないだろう。
次の瞬間、全員がテリーベアーに対する警告の意味を知った。
有り得ない状況に頭が追いつく前に、『竜の顎』のリーダーの頭が、ただの赤い肉片に変わった。
ポンと、軽く飛び上がったように見えたテリーベアーが、尻もちをついたままのリーダーの真上までフワリとジャンプして、ペチッと言う可愛い擬音が聞こえそうな軽い打撃を加えただけの筈だった。
しかし、まるで巨人の重い打撃をまともに受けたかのように、頭がその場で弾けて霧散し、まさに血飛沫と肉片が辺りに散らばる。
頭を失った体は、その場で力なく地面に伏して動かない。
その場に着地したテリーベアーが、伏したままの上半身を可愛くトンと叩いた。
グシャリという擬音がピッタリ当てはまりそうな音がして、小さな手のひらが軽く当たっただけの上半身は、その場で赤い肉の塊である、粗びきの肉片と化した。
やや遅れて、周囲から長い悲鳴が上がる。
「これは、途方もない身体強化の魔法を使っておるようじゃ。 見かけに誤魔化されるでないぞ
イオナが仲間を見渡して、そう警告した。
俺はすかさず、全員に『コンポジット・アーマー』の身体防御結界を重ね掛けする。
再び、調査隊が居る方から大きな悲鳴が上がった。
振り返って見れば最初の一匹が現れた岩陰から、今度は多数のテリーベアがつぶらな瞳の、あどけない顔を覗かせていた。