90:逃げ場無し
カインさんが斬りかかろうとしていたエンブレスの足が、素早くカインさんを弾くように動いた。
カインさんの体が、軽々と後方に吹っ飛ばされる。
その後ろに居た守護騎士を二~三人巻き込みながら、カインさんは壁に激突した。
ぶつかる瞬間に合わせて、俺はカインさんの背中に空気の塊を発生させながら同時に『ヒール』を飛ばす。
俺が『コンポジット・アーマー』を掛けてあるから、裂傷や打撲による外傷は有り得ない。
唯一あるとすれば、俺もかつて経験している衝撃による内臓や脳へのダメージだ。
だから、俺は空気の壁で衝撃を和らげると共に、壁に激突するタイミングを狙ってカインさんのダメージを『ヒール』で癒やす。
仮に体の内部が損傷していたとしても、本人が意識する前にそれは回復しているはずだ。
頭を左右に振りながら、カインさんが立ち上がった。
不自然なよろけ方だったけど『コンポジット・アーマー』を掛けていなかったら、C3ランク程度の肉体強度しか無いカインさんだと、足による打撃を受けた時点で即死していたかもしれない。
俺がホッとしたのと同じようなタイミングで、エンブレスの一体がガクリと崩れ落ちた。
続けて、最前列の残り二体も地面に伏して動かなくなる。
「少し火魔法は控えろ! 煙で息苦しくなってきたぞ」
指揮をとる『竜の顎』が居る辺りから、そんな声が上がる。
いや煙じゃなくて、たぶん酸欠を起こし掛けてるんだと思う。
俺は風魔法『ストーム』を井戸の真上でゆっくりと逆回転させて、井戸の外から風を俺たちが居る場所まで送り込んだ。
そよ風のような緩い空気の流れが出来て、煙は通路の奥に流れてゆく。
「おお、良いタイミングで風が流れ込んできたぞ」
「中では判らぬが、外は大風かもしれぬな」
風が発生した理由を知らない誰かが、そんな事を言う。
密閉空間に近い地下道で延々と何かを燃やし続ける事の危険性は、こっちの世界の人は知らないのだろう。
そのまましばらく風を送ってから、俺は風魔法を止めた。
軽い酸欠による息苦しさは、ほぼ無くなったようだ。
ガサリと音がした。
音の出た方を見れば、表皮が炭になった仲間の黒い死体を乗り越えて、後ろで動けずにいた別のエンブレスが、死体の上から顔を出していた。
「次が来るぞ!」
「煙が晴れたから、同じ手順で行くぞ!」
その時、ポンと先頭のエンブレスが跳ねた。
魔力回復薬を口にしていた魔法職の前に、それは着地した。
なんと、軽々と十メートル以上は楽に跳んでいる。
短めの前足で魔法職の一人を抱き寄せると、頭から齧りつく。
悲鳴を上げる間もなく一人がアッサリと喰われ、国の魔法師と冒険者の魔法職集団にパニックが発生した。
鈍い音がして、魔法職の一人を喰らったエンブレスの横っ腹に空気の歪みが発生する。
そのエンブレスは、丸い腹をひしゃげさせながら真横に吹っ飛んだ。
離れた位置に居たキヨクラさんが、両掌を吹っ飛んだエンブレスに向けて立っていた。
掌の指を真っ直ぐに伸ばした状態で軽く手首内側に傾けて、親指と人指し指を接触させている。
両方の人指し指と親指で、自分の胸の前に三角形を形作っていた。
むくりと、さほどダメージを受けていないかのように、腹を見せていたエンブレスが立ち上がる。
しかし、それは一時的なパニック状態から立ち直るには、充分な間だったようだ。
ハラーキィさんの式鬼が一体飛び込んできて、真上から拳をエンブレスの四角い頭に向けて叩きつけた。
丸く大きな単眼が一つ、糸を引いて少し飛び出したのが見えた。
ブラブラと垂れ下がる単眼を、式鬼が引き千切る。
怒ったエンブレスが、体当たりをして式鬼を押し倒した。
別の場所では、前衛と別のエンブレスが戦いを再開している。
今までは広間の出口付近一ヶ所で食い止めていたというのに、飛び込んできた一匹に前線を突破されて、広間の複数箇所における戦闘へと分散させられていた。
ハラーキィさんが、アゲハとカゲロウを呼び出した。
魔法師の呼び出した式鬼たちも、エンブレスと戦っている。
魔法職たちは、再び火炎弾をエンブレスに向けて飛ばしていた。
今まで見て来たCランクやBランクの冒険者に比べて、詠唱から発動までの時間も早いし、速度も威力も当然ながら上のようだ。
たぶん、魔力量もランクに応じて多いんだろう。
交代で青いボトルの魔力回復薬を飲んでいるとは言え、これまでに放った魔法の数は多い。
〈レイナよ。 ウズウズしておるじゃろうが、まだじゃ。 ハラーキィ殿とキヨクラ殿がしきりにこちらを見ておるが、新手でも現れぬ限り負けはせぬ。〉
肩の剣に手を掛けて今にも飛び出して行きそうなレイナを、イオナが諫める。
て言うか、それ、またフラグなんですけど……
俺は乱戦の中、仲間全員とカインさんにだけ『コンポジット・アーマー』を重ね掛けした。
何とも、歯がゆい気分だ。
〈イオナ! 誰か犠牲が出てからじゃないと、助けないのか?〉
俺は、そう訪ねた。
助けようとすれば無傷のうちに助けられるのに、あの夜の助太刀と何が違うと言うんだろう。
〈冒険者ギルド関係者がおるのが、ちと気になるのじゃ。 少数の下っ端であれば戯れ言と流しも出来るが、これだけのAランクが証言すれば冒険者ギルドも我らの実力に対して、その真偽を確かめずにはおられまい〉
〈でも、ハラーキィさんとキヨクラさんには、しっかり見られてるぜ。 だから、俺たちの方を、チラチラ見てるじゃないか〉
〈国と冒険者ギルドは、本質的には犬猿の仲じゃ。 ただの噂程度では冒険者ギルドも、そうそう簡単には動かぬじゃろうし、国も冒険者ギルドに利する情報はおいそれと渡さぬじゃろう。 まあ、国に目を付けられるのも厄介じゃが、長居をする予定も無いでな〉
〈じゃあ、このまま見てるのかよ〉
〈ふむ、そうじゃのお…… 正直なところ、目の前で犠牲が出てからでは後味も悪いでなあ…… 〉
〈イオナ! 今度は後ろから来る!〉
ズン!という、重い音が後方から鳴り響く。
俺の感知にも後ろから何か大きいのが来る事が、しっかりと捉えられていた。
「これは…… 」
俺は、思わず口に出していた。
後ろから来るのは二体だけだが、どちらも大きい。
〈仕方あるまいの。 この乱戦の状態で後ろから来られては後衛の魔法師たちは全滅じゃ。 そうなれば戦局は一気に不利となるじゃろうて。 後ろから来られては、わしらも遣り過ごす訳にも行かぬか〉
〈ヴォルコフ! ティグレノフ! 良い機会だから、武技の練習だと思って行きなさい。 フォローはします〉
レイナが二人に気合いを入れ、自らは既に背中の剣を抜いていた。
俺たちの後ろで、いったい何が起きているのか判らないという顔をしていた冒険者のエルフが、ようやくビクリと反応して通路の後ろに向かって剣を構えた。
のそりと、通路の後方から姿を現したのは、一つ目の巨人だった。
体長は五メートル程で、天井まで1メートル程しか空いていない。
大きな棍棒をズルズルと引きずってくる巨人を見て、俺は自分と仲間全員にだけ、『ブレス』と『アクセル』を掛けた。
なんだろう、狭い場所に適した体格じゃ無いのは確かだ。
ラノベとかだと、ダンジョンマスターとかコアの意思があって、次々とモンスターが出てくるというイメージなんだけど、ここはわざと不利な大型魔獣ばかりが出てくるような感じだ。
適材適所とは、程遠い。
つまりそれは、現実はゲームとは違うって事で、ダンジョンマスターとかコアとかの意思なんてのは存在しなくて、たまたま棲み着いた魔獣や巨人が出て来たって事なんだろう。
とは言え、後ろは井戸の入り口以外に、何処にも分岐路は無かった筈だ。
あの巨人達は何処から出て来たのかという疑問が浮かぶ。
俺は、エンブレスと戦っている人達の様子を確認するために、チラリと後方を確認した。
そして式鬼とアゲハやカゲロウにガードされながら、こちらを見ているハラーキィと目が合った。
こちらから迫る、巨人のただならぬ気配に気付いたのだろう。
俺は、軽く会釈して巨人の方へと急いで向き直った。
既に、こちら側はヴォルコフとティグレノフが、レイナと共に最前線に立っている。
「お前ら、ただのCランクだろ! あれはヤバイって。 キュクロップスはお前達なんかが何人集まっても傷一つ付ける事なんか出来る訳がない怪物だぞ。 逃げろ、逃げるんだ! 二体もいたら下手なAランクパーティだったら全滅だぞ」
確か、この人が所属している『昴星旅団』はA1ランクで、B5ランクからAランクに上がってすぐの位置だ。
恐らく、それが嘘隠しの無い、率直な戦力分析なんだろう。
「ふむ。 この状況で、何処に逃げる場所があると言うのかの?」
イオナがそう言いながらロッドを手にして、その人の前に出た。
俺は後ろからその人の肩にそっと手を置いて、黙って少しだけ引き寄せる。
「つまりここは、やるしかないって事みたいだよ」
エルフの長い耳元で、そう囁いてから『睡眠』スキルで意識を刈り取った。
エルフの男が崩れるように寝落ちするのを受け止めて、壁際にそっと寝かせる。
エンブレスを相手にしている向こうは向こうで、ハラーキィさんとキヨクラさんを除けば、こっちの事を気にしている余裕は無いだろう。
俺は、巨人キュプロックスの方へと向き直った。
万が一見られたときの事を懸念して、俺は地味な支援魔法だけを使う事にする。
派手な攻撃魔法は、イオナに任せることにした。
とりあえず、広くも無い通路で僅かに左後方に位置しているキュプロックスに対して、『速度低下』と『エアロバインド』を掛ける。
どちらも、エフェクトが地味で外からは判りにくいスキルだ。
たちまち後方の一体が歩きにくそうな動きを見せて遅れだし、先頭のキュプロックスに対して距離が開いた。
俺は距離が開いたのを確認してから、先頭のキュプロックスにも『速度低下』を掛ける。
それでも、空を切る巨木をねじ切って作ったような棍棒が横なぎに振り回されると、風が巻き起こった。
それを掻い潜って足下に飛び込んだティグレノフが巨人の膝に向けて、剣を叩き込む。
後ろで跪いているキュプロックスは、イオナの雷撃を浴びてうなり声を上げていた。
かなりタフというか、手加減をしているとは言っても、俺の空気の塊を使った拘束魔法を受けていてるのに動ける処を見れば、俺が魔力調整をしている事を割り引いても固体の魔法耐性はそれなりに強そうだ。
ヴォルコフは左に飛び込んで、棍棒を振り切った肘に切りつけていた。
しかし、二人とも大きなダメージを与え切れてはいないようだ。
僅かに刃が食い込むが、血が出る程のダメージには至っていない。
二人の使っているのが鍛冶スキルで俺が造った特別製の属性剣でなければ、もしかしたら傷一つ付けられないんじゃ無いだろうか。
こいつは、物理攻撃に対する耐性も相当にあると見た。
なにしろ二人は、俺の『ブレス』と『アクセル』を受けて動いているのだから、普通の人間並みの攻撃力じゃ無いなずなのだ。
俺は、二人に掛けた『ブレス』と『アクセル』のレベルを更に上げた。
上げすぎると二人の訓練にならないから、ブースト関係のスキルはレベル3迄とレイナから言われているのだ。
ヴォルコフが斬りかかった巨人の左膝に、メルとアーニャから属性矢が射かけられた。
しかし、与える傷は浅い。
バルは、メルとアーニャの側で周囲を警戒している。
レイナの言った武技の訓練という言葉を、バルなりに理解して動いているのだろう。
レイナも、二人の動きを後方から見つめていて、まだ動いていない。
懸命の攻撃が功を奏したのか、集中攻撃を受けていた左膝を巨人が地面につけた。
「今よ! 練習通りに武技を叩き込んでみなさい!」
レイナの指示を受けて、二人が巨人から僅かに離れた。
そして、剣を後ろに引いて体全体に力を入れ始めたのが判る。
二人の体が、迷彩服を通していてもバンプアップされて膨らんでいるのが、俺の位置からも感じられた。
獣の唸り声のような低い咆吼が、二人の口から溢れてゆく。
バリバリと髪の毛が逆立ってゆき、一回りからだが大きくなったように見えた。
たぶん正面から見たら、二人の犬歯が獣のように長く伸びているんじゃ無いだろうか?
あっちの世界でパワードスーツに襲われて、アーニャがピンチになった時に二人が見せた鍛冶場の馬鹿力のような、獣化現象が起きているような気がする。
二人の握っている剣が、どちらも薄らと淡い光を帯びてきた。
足下からも、陽炎のような空気の揺らめきが見える。
裂帛の気合いと共に、二人が当時に跳んだ。
一瞬で間合いを詰めて、ティグレノフが右からの袈裟切りを、ヴォルコフが左からの袈裟切りを巨人に放つ。
先程まで、大きなダメージを与えられていなかった二人の攻撃が、豆腐に包丁の刃を入れるかのように、スッパリと抵抗もなく巨人の上半身を斜めに切り込んだ。
絶叫と共に多量の血反吐を吐いて、巨人の胸から上がV字型に断ち切られたかと思った次の瞬間、ズン!と重い音を立てて、地面に胸の部位ごと巨人の頭が落ちる。
やり遂げた二人は、そのまま力尽きたように剣を地面に突き立てて、膝を落とした。
二人とも、息が荒いのが判る。
相当に体力を消耗しているようだ。
「ようやく、武技を開眼したようじゃの」
「でも、まだ一発が限界のようね」
イオナがレイナに向かってそう言うと、雷撃を後ろで藻掻いている巨人に見舞う。
目立つ中空からの雷撃ではなく、地面から走る地走りの雷撃だ。
巨人が苦しそうに体を痙攣させて、天に向かって叫んだ。
そこへレイナが静かに近づく。
「二人は動けないようだから、トドメは私が…… 」
次の瞬間、レイナの姿は巨人の後ろにあった。
そして、ぐらりと巨人の首が傾き、ズン!と重い音を立てて地面に落ちた。
僅かに遅れて、断ち切られた首から真っ赤な血しぶきが上がる。
俺は、ヴォルコフとティグレノフに『ヒール』を掛けて、体力を回復させた。
さあ、エンブレスの方は、どうなっているだろうか?