84:建国祭と聖剣
「アゲハさんとカゲロウさんは、あの角さえなければ可愛い童女じゃが、ハラーキィ殿の使役する魔物か何かじゃろうかの?」
ハラーキィの屋敷で夕食をごちそうになった際に、イオナがそう切り出した。
ずっと俺も気になってはいたけど、流石に居候の身で詮索するのは遠慮していたのだ。
二人はハラーキィの身の回りの世話もやっているらしいけど、食事の時は用意だけして別室に下がってしまう。
ちょうど二人が下がったのを見計らって、イオナが訪ねた形になる。
「そうですね。 皆様がお判りになる言葉で、どう言えば良いのでしょう…… あの者達は、言わば個々の性質を取り纏めた複雑な構造体の集合が予め定義してあって、それを用いて魔素の集合体として作り出す者とでも言えば良いのでしょうか」
「すると、その定義を取り纏めた物が、あの紙に描かれた不可思議な文字と言う訳ですな」
「ほう…… これだけで術の本質をご理解されるとは、イオナ殿は只者ではございませぬな」
「なに、何かの媒体を用いて作り出すと仰るのでな、その媒体はあの不可思議な文字が描かれた紙かと思ったまでじゃよ。 して、あの文字の形状そのものが、呪文の詠唱を肩代わりする代物じゃろうの」
イオナの推理に、ハラーキィは驚きが隠せない顔をしていた。
俺は、イオナに念話で訪ねてみる。
〈つまり、イオナ。 どういう事なんだ〉
〈和也よ、以前教えたであろう。 あの謎文字自体が鬼のクラスや童女のクラスなどの、式魔と呼ばれる者の形状や性質を予め定義してあるオブジェクトじゃと言う事じゃよ。 つまり、予め定義されたあの媒体を使用する事で、長々と詠唱すること無く複雑な魔法を駆使しておるのじゃ〉
〈お、おう…… つ、つまり、そういう事だったんだな〉
〈本当に判っておるのか? またミッチリ勉強せぬと、いかんようじゃの〉
イオナは、チラリと怖い目で俺を見た。
俺自身は無詠唱で魔法が使えるだけに、あの紙きれに描かれた謎文字の重要度が判らないけど、どうにも、この質問は俺にとってやぶ蛇だったようだ。
「イオナ殿のご推察された通りです。アゲハもカゲロウも人ならぬ者故に、人と同じような命という概念は存在しません。 例え倒されたとしても、形状を維持するだけの要素が欠けたというだけで、再び同じ定義をもって同じ者を呼び出すことも可能なのです」
「それじゃあ、姿形が同じでも中身は別物って事なんじゃ…… 」
俺は思わず、そう突っ込んでしまった。
だって、姿形は定義できるかもしれないけど、今まで一緒に暮らしてきた記憶とか経験とかそういう物は、予め定義する事ができないだろうって考えたのだ。
「完全に彼女たちを構成する要素すべてを破壊されてしまえば、そうかもしれません。 しかし、彼女たちを構成する個々の要素その物に僅かずつ記録領域という物があって、再び集合体となった時には破壊された一部を除いて、かつての記憶や経験や個性と言った物を覚えているのですよ」
「ほほう、それは興味深い。 その個々の要素というのは…… 」
イオナとハラーキィの高度な会話について行けなくなった俺たちは、早々に別室に下がって寝ることとなった。
イオナが部屋に戻ってきたのは、それから小一時間ほど経過してからの事だった。
結局、今夜の魔物退治はジエイさんの番だからという事で、俺たちは行かなくても良くなった。
ほぼ毎晩と言う事になるので、彼ら三人は交代で王都警護隊のサポートをしているらしく、その順番を『守番』と称していた。
翌日、俺たちは朝食をごちそうになってから、街中へ出掛けていた。
当日は建国祭の歴史行列のある日で、言わば一週間続いたお祭りのフィナーレみたいな物だ。
今度は言われる前に、自前で具材の多いパンケーキのような物を買ってアーニャたちに配ってやったから、デリカシー云々とは言われていない。
逆に、お礼だと言ってアーニャとメルからは、黄色い果実を搾った飲み物をもらったけど、トータルでは俺の支払いの方が多いけど気にしたら負けだと思う。
「もしや、カズヤさんではないですか?」
人混みの中から突然名前を呼ばれて振り向くと、そこにはキトラまでの道中を一緒に旅した親子連れの、男性の方が一人で立っていた。
近くを見回したけど、奥さんも子供も居ないようだ。
「あ、カインさんでしたね。 奥さんのハヅキさんと娘さんのクリスちゃんは一緒じゃ無いんですか?」
俺は何気なく、そう訪ねた。
とたんに、カインさんの顔が曇った。
「いやあ、妻の家から嫌な用事を言いつけられたってのもあるんですけど、本音は家の中に居辛くてね。 格式が高いんですよ、ハヅキの家は」
自嘲気味にカインさんは、そう口にして押し黙る。
その様子を見て、イオナが何かを察したのか口を開いた。
「世間に良くある身分の差って奴かの? 嫌がらせでもされておるのじゃろうが、そんなもの気にするだけ時間の無駄と言うものじゃよ」
ああ、そう言えばイオナとレイナも身分の差ってやつで一緒に駆け落ちしたのが、俺の元居た世界へ転移してきた理由だったな。
あっちの世界で聞いた、そんなエピソードが甦る。
カインさんは知らないだろうけど、これは実際にそれを経験して来た者の言葉だ。
何気なく言っているようでいて、その実は言葉ほど軽く無いんだろうなと思う。
「そうは言いますけど、妻の家系は王と謁見が出来る程の上級魔法師の家柄ですよ。 下級兵士の我が家系とは格式やら面倒なしきたりが違いすぎるっていうか、まあ正直ハヅキの両親は今でも俺との結婚に反対なんですよ」
そう言って、しょんぼりと肩を落とすカインさんだった。
どうやらその後の話を聞く限りでは、娘であるクリスちゃんの十歳のお披露目だけではなく、本当は祖母のクズハさんという人が病に伏せっていて、孫娘であるハヅキさんと曾孫であるクリスちゃんに会いたいと言っているのが、ヤムトリアから呼び寄せられた理由らしい。
「ハヅキの両親は俺たちの結婚に反対してたんですけどね、祖母のクズハ様が『家の事なんかよりも、好きな人と一緒になるのが一番よ』と言って、親の決めた縁談を進められていたハヅキを、俺のところに逃がしてくれたんですよ」
だからこそ、カインさんとハヅキさんはキトラの王都へクリスちゃんを連れて行く事にしたらしい。
そんな恩のあるお祖母さんの具合が悪いんじゃ、最後に一目会っておきたいって言うハヅキさんの気持ちをカインさんが汲んだんだろう。
「そんな事より、今日は皆さんお揃いでお祭り見物ですか?」
今日は最終日だから、歴史行列で盛り上がりますよと嬉しそうに言うカインさんに、実はジュディスの遺したと言われている宝剣のレプリカを見に来たのだと言った。
それなら、じっくりと見られる場所がありますよと、カインさんが案内してくれたのは、東の方にある川に近い大きな十字路を渡った先だった。
「ここでジュディス様の宝剣を飾った山車が九十度ターンするんですよ。 だから通り過ぎるだけの場所で見ているよりも、ここの方が比較的長い時間山車を見物が出来るんです」
ジュディスの聖遺物である宝剣のレプリカを飾った山車は、王都の南北中央辺りを西から東へと横切った後、この十字路で北にターンして行くらしい。
もちろん、同じ事を考えている人が多いらしく、山車を正面から迎える位置になる今の場所は相当に見物客でごった返していた。
やがて、ゆっくりとしたリズムで笛の音や時折聞こえる甲高い鐘の音が、遠くから耳に届き始める。
俺たちの居る位置から真正面になる通りの西側から、大きな山車がゆっくりと向かってきているのが見えた。
「山車の順番は毎年変わるんですけど、先頭の山車だけはジュディス様の宝剣と決まっているんです」
カインさんが、そんな解説話を横から聞かせてくれる。
確かに、『遠視』スキルを使って山車の最上部をズームアップしてみると、高く掲げられた一本の剣と言うよりも太刀と言うべき片刃で反りのある剣が確認出来た。
それは紛うこと無く、俺がジュディスに防具一式と共にプレゼントした属性太刀だ。
いや、正確に言えばレプリカという事なのだから、きっと本物では無いのだろう。
近寄ってくるそれを詳しく観察すると、確かに細かな意匠は単純化されているようにも見える。
カインさんに言わせると、あれがキトラ王国建国と統合の象徴なのだそうだ。
ヤムトリアのソードメイスに続き、ジュディスの太刀も自分の目で確認する事が出来て、俺は彼らが本当にこの世界の始まりと建国の時代に存在していた事を、今更ながら確信する事が出来た。
今回の旅のルートからは外れているけれど、ミッシェルのコンポジットボウもレイナの故国であるエストリアにあると聞いている。
恐らく、この先通過するフジノ公国にはハイドさんの大剣とか大楯があったり、アルメリア王国にはパンギャさんの手甲であるフィストや、目的地であるエスタシオ王国にはアモンさんのロッドとかがあったりするのかもしれない。
彼らがどうやって、何のためにこの世界に居たのかは判らないけれど、何らかの事情があって俺の元居た世界から、同じようにこっちの世界へ転移してきたと思われる。
いったい彼らの身に何が起きたのか、そしてどうなってしまったのか、それだけでも知っておきたいと思う。
「あれ、宝剣の山車は?」
ふと気が付くと、宝剣を掲げた山車は俺の前を通り過ぎていた。
今現在、俺の目の前を通過して行くのは全然別の山車とその後を着いて行く各時代を象徴する衣装を身に纏った仮装の行列だった。
「お目当ての山車はもう通り過ぎちゃったわよ。 真剣な顔をしてた割に、考え事でもしてたの?」
「ああ、つい…… な」
煮え切らない返事を返す俺に、アーニャが不満そうに腕を胸の前で組んで溜息を吐いた。
他の仲間も、バル以外は不思議そうな顔をして俺の方を見ている。
「すまん。 ちょっと考え事をしてたんだ」
「それじゃあ、カインさんがキトラの民族衣装について説明してくれていたのも、カズヤは聞いてないって事よね」
「ああ、ごめん。 カインさん、すみません」
俺は素直に、カインさんに頭を下げた。
エクゾーダスの仲間の事は、ヤムトリアでミリアムの事を俺がしつこく聞いていたから、みんな何となく知ってはいるんだろうけど、俺が何を考えていたのか迄は、きっと判らないだろうし、長々とそんな説明をする気も無いのが正直なところだ。
「ははは、良いんですよ。 ここキトラは、神話の時代からの遺物が至るところから出てくる土地でね、他の土地とは一風変わった衣装とか風習とか宗教とかが色々あって、そんな話をしただけですよ」
「それは残念だなあ」
俺はちょっとだけ、社交辞令的な返し方をした。
正直ジュディスの聖剣の事に比べれば、通り過ぎるだけの国の衣装とか風習の事なんかは、どうでも良いと言えるだろう。
「ずいぶんとジュディス様に興味がおありのようですけど、少し離れた場所にジュディス様を祭った社もあるんですよ。 良かったら、この後に案内しましょうか?」
その提案に、俺は飛びついた。
特に予定の無かった他の皆も同意してくれたので、全員で都の北西辺りに位置している社へと向かうことになった。
「その社までの最短距離を通ろうとすると、うちの嫁の実家の前を通るんですよね。 これが実に気まずい」
自嘲気味にそんな自虐ネタを言うカインさんに着いて、俺たちは王城の城壁の南側をグルリと廻って、王都の北西部にある社へと歩いていた。
ふと、俺は大きな屋敷の近くで立ち止まっている、見覚えのある人を見つけた。
「ジエイ殿、でしたかの。 もしや、この辺りにお住まいですかの?」
一番先に声を掛けたのは、イオナだった。
イオナも、彼に気が付いていたらしい。