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 8:薄明の戦い

 結界に対して何かが接触した方を注意深く見ると、そこには夜の暗闇に紛れて見つけにくいけれど、見間違いでは無く、一人の人間が立っていた。


 そいつが見つけにくかったのは黒っぽい服装と、もう夏では無いのに良く日に焼けたような褐色の肌をしていたからだ。

 背がスラリと高く痩せた体つきで、しかもストレートロングにした髪型の人物は、良く見れば女では無く男だった。


 そいつは見えない結界の壁に行く手を遮られて、何が自分の行動を妨げているのか手探りで確かめている様子だった。

 俺は物憂げに立ち上がって、ゆっくりと静かに、その男の方へと近付く。


 その時は、何だか面倒な事にならなければ良いな、くらいの軽い気持ちだった。

 それに、この世界の人間を見るのは俺にとって初めての事だったから、興味が無かったとは言えない。


 結界自体は、魔獣避けに張ったスタンダードな物理・魔法の防御機能だけで、外から中は素通しで見えるようになっている。

 男の居る結界の外側からは、普通に焚き火とテントが見えているだろうけど、その行く手を遮る見えない壁がある事に驚いて、そして戸惑っているのだろう。


 近付いてみて判ったのは、男が俺と同じか少し高いくらいの身長だと言う事だ。

 つまり、あっちの世界の常識でも高身長という事になる。

 やがて、一心に結界を探っていたその男が、俺の接近に気付いた。


「これは何だ?」


 そいつは結界越しに、日本語で訊ねてきた。

 イオナとレイナから、異世界の言語は日本と同じだと聞いていたから、それに驚きはしないけど、彫りの深い美形の外国人から突然流暢な日本語で道を尋ねられたかのような、場違いな違和感を覚えた。


 まだ夜も明けきらぬうちに、こんな場所に近付いて来た不審者だと言うのに、なんとも堂々としたものだ。

 俺はその質問に答えず聞こえない振りをして、そいつをジッと観察する。


 背は先程感じたように割と高い、長い髪の毛は薄い緑色で、女性のようなロングヘアを首の後ろで纏めて束ねていた。

 焚き火の明かりに照らされている肌の色は、見間違いでは無く日に焼けたような濃い褐色をしている。


 まだ日が昇っていない薄明の中では正確な色も判らないけど、黒っぽいダボッとした衣服の下から鈍い銀色の、全身甲冑らしき装備が垣間見えた。

 その装備から察するに、おそらくは戦士であると思われる男の顔立ちは、まるで女性と言っても信じられるような中性的で彫りの深い美形だった。


 彫りが深いと言えば俺も同じなんだけど、俺が痩せたゴリラ寄りの残念な顔だとすれば、この男は西洋系の美形俳優のような端正な顔立ちをしている。

 子供の頃からゴリラとあだ名されてきた俺からすれば、無意識な殺意を覚えるような、美形の異世界人だ。


 もっとも、そいつを男だと俺が判断した理由は、顔つきから受ける印象と胸元の平坦さだけしかない。

 こいつが男っぽいだけの女性だったら、『ゴメンナサイ』と謝るしかない。


 俺はその時、気が付いた。

 そう、この男の耳が妙に長くて尖っている事に。


「エルフ?! ――まさかいきなりダークエルフ登場とかマジなのか?」


 俺は信じ難い現実に直面して、いささか狼狽していた。

 イオナからも、そんな予備知識は伝授されていない。


 まさにファンタジー世界の代表格とも言えるエルフ、その中でもレア存在のダークエルフが目の前にいるのだ。

 流石にエルフたん萌えじゃない俺だって、ここは興奮しない訳にはいかないだろう。


「こ…… 」


 俺はダークエルフが何だか興奮しているのが判ったので、彼が大声を上げる前に、キャンプ地の周囲を取り巻く防御結界に遮音結界を重ね掛けしていた。

 ダークエルフは何事かを叫んでいたけど、口がパクパクと動くだけで、結界の中にいる俺には何も聞こえない。


 幸いな事に、みんなが目を覚ました気配は無かった。

 ダークエルフは必死で何かを叫んでいるようだけど、外からの音を遮断された結界の内側からでは、何を言っているのかまったく判らない。


 俺は自分自身にも防御結界を張り直して、キャンプ地を覆っている防御結界の外に一歩踏みだした。

 結界を自由に出入りが出来るのは、それを張った術者だけに許された特権だ。


「これは何だと聞いている! これは対地シールドの技術を使っているのか? 作動原理はなんだ! どうしてこれを使えるんだ?」


 結界の外に出ると、たちまちダークエルフの大声が俺の耳に突き刺さる。

 その美形男子な顔つきとは不似合いな、荒っぽい言い方だ。


 目の前に出てきた俺が障壁の効果範囲外に居ると直ぐに認識したらしく、ダークエルフの男は両手を伸ばして、俺の襟首を掴もうとしてきた。


 たちまちダークエルフの動きが、見慣れたスローモーションに切り替わる。

 いつもの防御スキル『見切り』がパッシブに発動した事で、俺は難なくその動きを躱してダークエルフの背後にスルリと回った。


 その男から見れば、一瞬で俺が自分の背後に回ったように見えた事だろう。

 突然目標を失って、伸ばした男の手が空を切る。


「くっ!」


 そのダークエルフは俺が手を下すまでもなく、突然苦悶の表情を見せて、何故かその場に倒れ込んだ。

 見れば、脇腹を押さえて苦しそうに唸っている。


「なんだお前、怪我でもしているのか?」


 暗視スキルを働かせるまでも無く、焚き火に照らされたダークエルフの背中は衣服が焼け焦げて、大きな穴が空いていた。

 その下に見える甲冑の脇腹付近には、まるで溶けたように周囲が変形した直径3cm程の小さな穴がポッカリと開いている。


 真剣に男を観察してみれば、どこか肉の焦げたような嫌な匂いも感じられた。

 俺は倒れた男の後ろに腰を落とし、背中に空いた穴の上に右手を当てて、黙って治癒魔法ヒールを発動させる。


 背中の傷は、瞬時に塞がった。

 甲冑の穴まで直してやる気はなかったので、穴からは傷1つ無い褐色の肌が見えていた。


「どうした、誰にやられた? これは何の傷なんだ?」

「なんだこれは! 詠唱も聞こえていないのに、あれほどの傷と痛みが一瞬で消えた。 お前はいったい…… 」


 ダークエルフの男は俺の質問に答えようともせず、自分の脇腹に手を当てて、傷があった場所をしきりに確認していた。

 そして、ハッと気付いたように空を見上げるが、その目は眠りに引きづり込まれる寸前のように、とろんとしていて緩慢だった。


 傷が治った安心感と、その痛みから解放されたからなのか、男の意識が急に朦朧としてきたのが判る。

 恐らく傷の激しい痛みがもたらす緊張感が、彼に疲労を感じさせず覚醒させ続けていたのだろう。


 さっきまで真っ暗だった空が僅かに明るくなり、黒から濃い青色に変わりつつあった。

 それでも、また夜明けまでは1時間近くあるだろう。


 俺はダークエルフの疲労を癒やすために、全身にヒールをかけた。

 その効果で、沈み掛けていたダークエルフの意識が少しだけ戻って来たようだった。


「逃げろ…… 俺と一緒にいると、お前達も狙われてしまう…… 」


 それだけ言うのがやっとだったのか、男は静かに目を閉じ、そのまま意識を失ってしまった。

 俺はダークエルフを地面に横たえて、その周囲に小さな防御結界を張った。


「それ、ちょっと言うのが遅かったみたいだな」


 俺は既に意識の無いダークエルフにそれだけを告げて、少し右に体を捻る。

 そして俺は、自分の背後になる上空に向けて、顔も向けずに右手を突き出した。


 直後! 振り向いた俺の右手の少し先の空間に眩い光の束が直撃して、すぐに拡散して消えた。

 その眩く強い光に、俺の右手の先に存在する半球状の障壁が光の屈折率の違いからか、輪郭だけを浮かび上がらせて消える。


 俺の右手の先で拡散した強い光の束は、周囲に散って草地を僅かに燃え上がらせた。

 しかし、皆が寝ている結界には、まだ何の影響も与えていない。


 俺は水魔法を発動させて火を消すと、ゆっくりと立ち上がり、そして光を俺に向けて発した方角の空を見上げた。


 そこには、2対の光るトンボの羽のような物を背負った、人間の姿をした奴が宙に浮いていた。

 そいつは白いケープのような、ゆったりとしたドレープの付いた衣装を着ている。


 光る細長い羽からは、まるで蛾か蝶の鱗粉のように、輝く光の粉のようなものが周囲に撒き散らされては、宙空で掻き消すように消滅していた。

 見方を変えれば、とても神々しい光景だと表現できるだろう。


「なんと、地を這う人間風情が、我が神威の槍を防ぐか! 貴様何者だ? プロメテに味方し我に敵対するとあれば、許さぬぞ」


 そいつは自分の攻撃を俺に防がれた事が、どうにも納得がいかないようだった。

 異世界に、こんな変な奴が居るなんて聞いてないぜ、イオ爺。


「いきなり攻撃してくるとか、お前の頭はどうかしてるんじゃないのか? 普通、警告するもんだろ、こういう場合」


 俺は、そう言いながら少しずつ位置を移動していた。

 みんなが寝ているテントと意識を失ったダークエルフが俺の真後ろに位置しているのは、例え防御結界を張っているとしても、まだ奴がどんな力を持っていて、どんな攻撃をしてくるのか判らない現状では、どう考えても得策では無いからだ。


 相手の攻撃力の上限が読めない以上、万が一の事が起きる可能性は出来るだけ減らしておきたかったのだ。

 先程受けた光の束が今まで見た事の無い物だった事も、俺の行動を後押しした。


 俺が移動する事で、テントに対する敵の意識を逸らしたかった。

 わざと挑発するような言い方をしたのも、俺に意識を向けさせるためだった。


「その力、何処で手に入れた? いや、何処からそれを掘り出したのか、正直に答えてもらおうか」


 そいつは、両手を広げて胸の前で祈るように合わせると、少しずつそれを開いてゆく。

 その両手の間にアーク放電のようなスパーク光が何本も見えた。


「おいおい、俺の質問には答えずに、お前の質問にだけ答えろってか? どこまで我が儘なんだよ、お前!」


 もう少し挑発してやるつもりで、俺は意図的に暴言を吐いた。

 どうやら、その効果はあったようだ。


「警告とは、言葉の意味を理解できる者同士にだけ成り立つもの。 お前ら如き地べたを這い回るウジ虫どもに、我らが崇高な神意を理解できるとでも言うか!」


 俺と言葉を交わすだけでも身が汚れるとでも言うのか、まるで吐き捨てるかのように、そいつは言い放つ。

 とりあえず、俺の言葉に応えさせることには成功した。


「じゃあ、これならどうだ? 同じ目線なら、少しは謙虚に話も出来るだろう」


 俺は、反重力魔法の浮力と風魔法での姿勢制御を使って、奴より少し上の高さまで舞い上がった。

 これで、地上から意識が逸れてくれれば、俺の作戦は大成功だ。


「な! なんだと、神威の翼も無しに、飛べるだと…… 仮に風魔法だとしても、そこまで高位の魔法使いを、我が知らぬはずが無い」


 そいつは思惑通り、俺を僅かに見上げる形になった。

 奴の視界には、もう地上のテントや倒れているダークエルフは映っていないだろう。


 何にしても、見知らぬ相手から上から目線で話されるのは、とてもムカつく。

 こいつからは、俺の親父と妹を自分たちの薄汚い目的の為に虫けらのように殺した、あのダイクーアの馬鹿共と同じ匂いがする。


 自分を特別だとか、選ばれた者だとか言う奴にろくな者が居ないのは確かだろう。

 そんなものは仮に有ったとしても誇るものでは無いし、大抵は只の勘違いか気のせいでしかない。


「残念ながら、俺は飛べるぜ。 それは、偉そうに踏ん反り返っているお前が知らない事が、まだまだ世の中には有るって事の証拠じゃないのか?」


「ぐぬぬ…… 」

「うわ! ぐぬぬ、とか本当に言っちゃう奴とか、初めて見たぜ」


 俺は、尚も挑発を続けた。

 しかし、これはやり過ぎだったのかもしれない。


「馬鹿め! 貴様の策など、我にはすべてお見通しだ!」


 そいつは、いきなり地上を目がけて両手の間に作っていたバスケットボール大の球電のような物(プラズマボール)を発射した。

 その球電のような物(プラズマボール)が向かう先には、みんなが寝ているテントがある。


「しまった!」


 俺は瞬時にテレポートした。

 結界の前に突然現れた俺の姿に、奴は驚愕の表情を浮かべる。


「なんだと! どうやって其処へ転移した!! 貴様はいったい…… 」


 俺は両腕を突き出して防御結界を発動し、それを正面から受け止めた。

 俺の周囲を球状に覆う防御結界が、球電のような物(プラズマボール)の放電を受けて半球状に浮かび上がる。


 奴が使うのが魔法なのか、それとも物理攻撃なのかは、現時点で判らない。

 だから、俺は両方の防御魔法を同時に展開して、それを受け止めた。

 これが無詠唱ならではの、同時多重展開魔法だ。


「お前、俺の家族や仲間に…… 」


 俺は、激しく気持ちが高揚するのではなく、逆にスーッと冷静になるのを感じた。

 血が頭に上るのでは無く、血が逆に下がるという感覚だ。


 感覚が鋭敏に研ぎ澄まされ、周囲の状況も敵の状況も全てが俺の脳内に把握されてゆく。

 テントの中で、アーニャが寝返りをうつ様子さえ俺は把握していた。


 この境地を自分の知っている言葉で表現しようとすると、陳腐な言い方しかできないけど、『明鏡止水』とでも言うのだろうか?

 これはゲームの中で得たスキルとは異なるもので、いつでも好きなときに呼び出せる物では無い。


 自然と、口で相手を罵倒しようという気持ちが失せる。

 俺の心の中に、静かな殺意が生まれていた。


 二度と、俺の家族や仲間を殺されてたまるものか!

 そんな強い想いが、心の底から湧き上がる。


 淡々とダイクーアの幹部達に復讐をしていた時の、冷徹な感覚が蘇る。

 俺から大事な家族や仲間を奪おうとする奴らに、容赦をする理由は1つも無かった。


 奴の心臓の鼓動すら、俺の感覚の中にあった。

 静かに、俺の中に生まれた殺意が大きく膨らんでゆく。


 それが臨界点に達したとき、俺は奴を瞬殺する為の魔法を発動させた。

 奴を中心にした半径10m程を、瞬時に膨大な量の超高温プラズマガスが球状に取り囲む。


 あれほど魔力の微妙な調節に苦労していたのに、奴に冷徹な殺意を抱いた今は、その微細なコントロールが苦も無く出来ていた。

 俺はとても冷静に、そして明確な強い意思を持って、奴を殺そうとしている自分を感じていた。


 周囲を超高温のプラズマガスにグルリと囲まれて逃げられない事に気付いた奴は、一見冷静に両の手を胸の前で、アルファベットのエックス状に交差させる。

 左右の手の平を外側に向け、指を真っ直ぐに伸ばして広げていた。


「たかがゴミ虫の使う魔法ごとき、恐るるに足りぬ! 我のフルパワーで相殺してくれるわ!」


 ブーンと言う、羽虫のような唸り音が微かに聞こえていた。

 それと同時に、奴の周囲にプラズマガスを寄せ付けない球状の結界のようなものが生じた。


 おそらく、火属性の上位互換である火炎属性のプラズマガスにより発生する超高熱すらも、奴は何らかの方法で相殺しているのだろう。

 それが魔法なのかは不明だけど、奴は俺を見て勝ち誇ったようにニヤリと笑った。


 俺も奴を見て、ニヤリと笑い返してやる。

 奴の早鐘のような心臓の鼓動を聞いていると、冷静に見せている表情とは裏腹に、奴がかなり必死なのが判る。


 しかしまだ俺の方は、フルパワーには程遠い。


 僅かに魔力を追加すると、奴の両腕に装着された幅広な白銀色の手甲のような物が、パリン!と音を立ててバラバラに弾け飛んだ。

 同時に背中の光る羽が萎れるように小さくなり、やがて消失した。


 姿勢を制御できなくなった奴の笑いが吹っ飛び、焦りと驚愕の混じった醜い表情に変わる。

 奴は何かを叫ぼうとしたのか、目を見開いて口を大きく開いた。


「ひっ! まさか、お前はマォ…… 」


 俺の殺意に当てられたのか、それとも自分の死を悟った恐怖からなのか、短い悲鳴を残して、奴はこの世から跡形も無く消え失せる。

 奴を大きく取り囲むように作られた俺の結界の中で小さな太陽(プラズマボール)が生まれて、そして掻き消すように一点に収束して消滅した。


 いつの間にか夜は明け始めていて、ローズピンクに空は染まっている。

 俺は地上に降りて、倒れたままのダークエルフの傍らに近寄り、軽く頬を叩いた。


 すでに俺の中にあった溢れそうな殺意も、明鏡止水な境地さえも、嘘のように消えていた。

 人、と呼んで良いのかどうか判らないけど、1つの命を奪った事に対する痛みも悩みも無い。


 それが、あの復讐の日以来、俺の心の何処かが壊れてしまったのか、それともこの世界に来て以来、命という物をかつての世界と同じ価値のある命だと考えていないのかは、判らない。

 魔獣を殺す事に何の抵抗も抱かなくなったように、異世界へ来たという事で俺の価値観が変わったのかも知れないけれど、それはまだ結論を出すには早いだろう。


 ただ1つ判ることがある。

 それは、この世界に来て俺の気持ちが楽になったという事だ。


 今まで自分を縛っていた、法律やルール、そして色々な枠組みと言ったものが無いこの世界。

 当然、この世界なりのルールや枠組みというものは有るのだろうけど、それは追々判ってゆく事で、今の俺を縛るものでは無い。


 それが、思っていたよりも俺の気持ちを楽にしていた。

 一言で言えば、世の中の考える『常識のある良い子』でいる必要が無いという事でもあるだろう。


「あ、俺は気を失っていたのか…… 」


 ダークエルフが目を覚ました。

 そして、突然思い出したように、慌てて空を見上げる。


「あー、トンボの妖精みたいな奴なら、もう居ないから心配無いよ」


 俺は何の気負いもなく、そう答えた。

 そう、あの光るトンボの羽のような物を背負った白装束の奴なら、もうこの世に存在してはいない。


「トンボの妖精って、君あれは…… 」


 ダークエルフの男は、突然口ごもった。

 まるで、その先が言ってはいけない、不幸を呼び込むキーワードかののように押し黙る。


「一応全身は治療しておいたから、他に怪我は無いと思うよ」


 そう言って、俺はダークエルフの背中にある鎧の穴に手を当てる。

 俺の錬成スキルによって、手を外すと鎧の穴は跡形無く塞がっていたが、男はまだそれに気付いてはいない。


「悪いが、水を少し貰えるかな?」


 呆れたように俺を見ていたダークエルフの男は、遠慮がちにそう言った。

 俺は頷いて、腰のアイテムバッグの中から無造作にスポーツドリンクのペットボトルを取り出して渡す。


 男は、それを見て驚いたような顔をしていた。

 そして、何かを警戒したような顔つきになる。


「ありがとう、君が僕らの味方である事を願うよ。 これを何処で手に入れたのかって聞いても、きっと答えてくれないよね」


 そう言って、ダークエルフの男は立ち上がる。

 俺は心配で、つい訊ねてしまった。


「1人で大丈夫なのか? 魔獣がうろうろしてるだろ、このあたりは」

「完全武装したハンター…… そう、君が言うトンボの妖精には勝てないかもしれないけど、元気になった今なら、このあたりの魔獣くらいに負けはしないよ」


「俺の名はカズヤ。 あんたは?」


 そう言って、俺は右手を差し出した。

 成り行きで、イオナに相談もせず勝手に助けてしまったけれど、見捨てるよりはそれで良かったと俺は思う。


「済まなかった、まだ名乗ってなかったね。 僕はリュードだ、プロメテのリュード」


 ダークエルフのリュードも右手を出して、俺の差し出した手を握る。

 プロメテというのは地名か出身地なのだろうと、俺は思った。

 無意識に右手を差し出してから『しまった』と思ったけど、どうやらこの世界でも握手は挨拶として通じるようだ。


「ひとつ忠告しておくけど、プロメテという呼称は誰にも口にしない方が良い。 うっかり言ってしまったけれど、僕の仲間だと思われると君だけじゃなくて、君の仲間も命を狙われかねないからね」


 そう言い残すと、リュードは足早に立ち去って行く。

 俺は、その意味を聞き返すこと無く、黙って彼を見送った。


 小走りで立ち去る彼が見えなくなってから、俺は遮音結界だけを解く。

 次に、土魔法で焼け焦げた草を、土属性魔法で地面の中に引き込んで隠した。


 俺は、明るくなった空を見上げる。

 空の色はローズピンクから、いつの間にか明るい青へと変わっていた。

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