78:バルの告白
「覚えてるかな…… 私が、あそこで小さく不死化ウィルスって呟いたのを。 小声だったしトラブルの真っ最中だったから、カズヤには聞こえてなかったかな?」
「そう言えばイストを追求してる時に、はしかウィルスとか、変なこと言ってたよな。 そう言えばお前、まかがく研究所とか訳の判らない事も言ってたぞ」
俺は、遺跡の中で足を怪我したイストをバルと二人で追求していた時の事を思い出していた。
たしか、バルはそんな事をボソリと口走っていたはずだ。
「はしかじゃ無くて、死ななくなるって意味の不死化よ。 不死化ウィルスは簡単に死なない兵士を作り出すために、人為的に作り出されたウィルス型のナノマシンなの。 それを研究していたのが魔素にまつわる科学を専門に扱う研究所、通称『魔研』と呼ばれていた魔科学研究所なの」
「お前、何言っちゃってんの? そんな研究所なんて聞いたことないぞ。 そもそも魔素なんて俺たちの世界には無いし、ナノマシンだってアニメとかSF漫画でしか聞いたこと無いぞ」
俺は、バルの言った言葉を半分も理解できずに、反射的に否定で返した。
少なくとも、俺たちが元いた世界に魔素なんて物は無かった筈だし、化学や生物の授業でも習った事は無い。
「ううん、違うの。 カズヤの居た世界…… それも違うわね。 あの時代には、まだ魔素は存在を知られていないはずだわ」
「だよな。 自己流の語呂合わせを作って必死で元素記号を覚えたけど、魔素なんて物が無かったのは間違いないはずだ」
「でもね、わたしは科学史の授業で習ったんだけど、たしか魔素が最初に発見されたのは、たぶんカズヤが居た時代よりちょっと先くらいの話よ」
「へ? 先って、未来って事か? まさかな…… 」
俺の問い掛けに、バルは真顔で肯定を返してきた。
冗談だと返事が返ってくる事を想定していた俺は、かなり戸惑う。
「科学史の授業で習ったって言う事は、俺の居た時代を過去の話として扱ってるよな。 まさか、お前は自分が未来から来たって言ってるのか? だって、お前は少なくとも五百年以上前に日本に来たって言ってただろ」
ロリババアという、目の前の美少女に対して俺の理性を保つためのキーワードが脆くも崩れそうに成り、俺は焦っていた。
五百歳を越える謎のロリババアだと思って居たからこそ、巨乳の美少女を前にして平静を保っていられるんだから、その前提を崩されてしまえばバルを同年代の一人の女として意識せざるを得ない。
いや、その前にバルは猫だったはずだ。
そうだ、バルはいったい何者なんだ?
「まだ、百%の確証は無いけど、わたしの元居た世界と、カズヤの元居た世界と、今私たちが居るこの世界は、たぶん同じか或いは極近い平行世界の時間軸上にあると思うの」
「その理由って言うか、そこに思い至った根拠は何だ?」
「それは…… 」
バルが言っている内容は、イオナが言ってた異世界未来説と似たような物だ。
イオナは、今こうして俺たちの居る世界こそ、俺が元いた世界の延長線上にあると言っていた。
そして、それが遠い未来なのか有史以前の遙か過去なのかは、イオナ自身も判らないとも言っていた。
ただし、超古代説については、それを示す物が世界中の地層のどこからも出土していなかった事を考えれば、異世界と言うのは遠い未来だと言うのがイオナの言う異世界未来説だ。
しかし、イオナ自身の説を裏付けるような証拠という物は、まだ見つかっていない。
あくまで、俺たちが転移した元の場所から類推して、距離や方位などの関係から今居る場所が京都付近だと言っているだけに過ぎない。
実際に遠く南の方角には、山頂が雲の中に隠れて見えない程に信じられない高さの山脈が壁のように連なっているのが見えるし、ここが日本の未来だという説には、まだまだ無理がある。
本来の日本なら、その方角には太平洋と言う大海がある筈なのだ。
だけどバルには、ここが未来だというイオナとは別の根拠が何かあるように俺には思えた。
バルの話から想像すると、アンデッドの湧いた遺跡へ行っていたのも、それを確かめるためだったように思える。
「お前自身の元いた世界と、この世界は関連性があると思ってるみたいだな。 その理由は何だ?」
何かを言い淀んで迷っているバルに、俺は重ねて問い掛けた。
いったいバルはあの遺跡で何を見て、そして何を考えているのだろう……
彼女を追い詰めるつもりは無いけれど、そう問わずには居られなかった。
「まだ、全部は言えない…… 何よりも、まだ確証は得られていないの」
バルは戸惑いと迷いを端正な顔に浮かべながらも、溜まっていた想いを吐き出すように言葉を選んだ。
バルの言う確証ってのは、何を指すのだろう。
「あの遺跡で、何かを見つけたんじゃ無いのか? それで、もう一度確かめに行ったんだろう?」
「私の知っている事と照らし合わせれば、ここがカズヤの元いた世界の未来だって言う可能性は、たぶん間違いが無いと思う。 私が迷ってるのは、平行世界に転移した可能性も含めて、何処まで元居た世界と同じなのかって事なの」
「元居た世界の未来にある、まったく同じ世界だったらバルはどうするつもりなんだ? ――ってか、元の世界と何か違ってたらマズイのか?」
「それは…… 」
俺の問い掛けに対して、しばらく何事かを考えていたバルが再び口を開いた。
元居た世界を見限って捨てた俺にとって、その関連性ってのは正直どうでも良い事だ。
むしろ、忌まわしい元の世界との関係性など無い方が、俺としてはスッキリすると言っても良いだろう。
いったい、バルが拘っている元居た世界との同一性というのは、何処までを指すのだろう。
「ここが元居た世界に対する平行世界だと仮定するのならだけど、違いってのはアレだろ? 俺が家を出るときに右足から踏み出すか左足から踏み出すかだけの些細な違いから、そもそも俺が存在しない違う歴史の世界まで色々あるって事だよな?」
「そうね、それ以外は全く同じだけど家を出る時間が一万分の一秒違うとかも含めて、の差異なら問題は無いの。 それは同じと言っても良いのだから…… 」
そこまで言って、バルは口ごもる。
まるで、バルの知っている元の世界と限りなく同じであって欲しいと願っているかのように、俺には見えた。
「俺は同じだろうと違っていようと、元居た世界を捨てた身としては、どっちでも構わないんだけどな。 だけどバルは、まるで世界が違うことを恐れているみたいに見えるぞ」
ビクリ!と、バルが俺の言葉に対して図星を突かれたかのような反応を見せた。
まったく、いつもの不敵なバルらしくない。
「バル! お前はいったいこの世界について何を知っているんだ? 何か気付いている事があるんだろう?」
「わたしも、元居た世界に対して未練も思い入れも何も無いわ。 ただ、この世界が私の知っている世界の未来であるのなら、ただ一人だけ消息を確かめたい人が居るの…… 」
「いや、お前が確かめたいって言っても、ここが未来だとすれば尚更だけど、お前の知ってる人はもう寿命的に生きてる訳ないだろ」
「…… 」
そこまで言って、俺は思った。
バルの自称している年齢が本当であるのなら、バルが探している人というのもエルフのような長寿な種族とかではないかと……
再びバルは、何事かを考え込むように押し黙った。
そして、意を決したように俺の方を向く。
「納得できる確証が得られたら私から皆に話すから、それまでは黙って居て欲しいの。 こんなことをカズヤに話したのは、自分でも何故なのか良く判らないわ」
「ああ、判った。 話の流れで聞いてはみたけど、お前がまだ話したくないのなら、無理して話さなくても良いぞ」
あれ程バルに何があったのか、何を考えているのかを知りたかった癖に、いざバルに面と向かって深刻な顔をされてしまうと逆に戸惑ってしまう。
そう、俺だって誰かが秘密にしておきたいと思って居る事を、無理矢理に聞き出そうって訳じゃないんだ。
隠したいと思えば思う程、その反動で誰かと秘密を共有して楽になりたいって思う気持ちは俺にも解る気がする。
そんな俺の思いを知ってか知らずか、再びバルはポツリポツリと話し始めた。
「あくまで、元居た世界と同じ時間軸上の未来にいるという仮定で話すけど、私が生まれたのは恐らくカズヤの居た世界のもっと未来なの。 そして、それはたぶん今居るこの世界の過去だと思っているのよ」
「つまり、あれか? バルは俺たちの世界の未来からやってきて、今居るこの世界はもっと未来だって言う事なのか?」
「そう、まだ不確かで小さなヒントしか無いけれど、たぶんそうだわ。 いえ、そうであって欲しいと思っているだけなのかもしれないけど…… 」
バルが言っているのは、一つの時間軸上で古い順に並べるのなら、きっとこういう事なんだろう。
俺の居た日本>バルの生まれた世界>今居るこの世界
その人はバルの何なんだと訪ねたい気持ちを、俺は心の中に押し込んだ。
何となく、そんな質問自体が馬鹿にされそうだと思ったのも事実だけど、本当はそういう事を気にしている自分が、この場で真面目に話をしているバルに対して、妙に気恥ずかしかっただけでしかない。
「何で、その人が今も生きてるって思うんだ? ここは、すごく遠い未来なんだろ? エルフみたいに凄く長寿な種族なのか?」
結局、俺はその人がバルの親族なのか、或いは恋人なのかという事を訪ねる代わりに、そんな質問をしてしまった。
言った後で、軽く自己嫌悪に浸る……
結局、その人がバルにとってどういう存在なのかを、言葉を変えて遠回しに聞いている事に変わりは無い。
そんな事を気にして、俺はどうしようって言うんだろう。
「そうね。 元居た世界の静岡県東部地方辺りまで行ったら、ハッキリすると思うの。 だから、それまでは聞かないでくれるかな」
「わかった。 すまないな、変なこと聞いて」
「良いわ。 言い出したのは、私の方だし…… 何だか、この土地は魔素の濃度が他の場所より濃いから、わたしも普段と違った気分になっちゃったみたい」
「ああ、確かになんか魔力が溢れそうな、そんな雰囲気はあるよな」
都合良く変わった話題に、俺は飛びついた。
確かに、この土地はヤムトリアに比べると、魔力を持て余しそうな変な感覚がある。
これが魔素濃度が濃いっていう状態なんだろうか?
魔力を微細にコントロールできるようなった筈なのに、なんだかこっちの世界へ来た当初に感じていたような、そんな魔力に関する微妙な違和感の原因はそういう事なのかもしれない。
「この土地は余所に比べて何故か魔素濃度が濃過ぎるから、ドカンと何処かで魔法でも使わないまま幼女体系を維持するのも大変なのよ。 このままじゃ鼻血が出ちゃうわ」
「ああ、鼻血って言えば俺も、こっちの世界に来てすぐに出したなあ」
「ふふ、今も出てるわよ」
バルの、いや少女体形の時はバレリーだったか……
彼女の指摘にハッとして、俺は思わず自分の鼻先に右手人指し指の根元を当てて、スッと擦る。
その右手を確かめてみるけれど、血はついていなかった。
気が付けば、バルがクスクスと笑っていた。
「ちょっ、おま…… 」
恥ずかしさの余り文句を言おうとした俺の口元に、突然バルの人指し指が当てられた。
間近に寄せられた美少女の顔と、その指の冷たい感触が大きな声を出すなという合図だと気付いた俺は、ゴクリと口の中に湧いた唾液を飲み込んで続く筈の言葉も一緒に飲み込んだ。
いきなり何を…… と目で訴える俺に、同じくバルが視線を動かす事で彼女の右の方角、つまり南の方角を示した。
そして、短く呟く。
「何か、来るわ!」