76:魔界都市キトラ
それはヤムトリアの東門を出てから、半日ほど歩いた頃の話だ。
「あれ! もしかして、襲われてるんじゃない?」
アーニャが指さす方向には、親子連れらしき三人連れが十数匹の獣に囲まれる寸前の様子が見えた。
取り囲もうとしているのは、狼なのだろうか? 大型の犬に似た獣だ。
親と思われる二人は獣を寄せ付けないように牽制しているけれど、狼のような野犬のような獣は執拗に小さな子供だけを狙っていた。
必然的に、それを庇いながらの戦いとなるため、それほど強そうでも無い野犬のような獣相手に、防戦一方という戦いを強いられているようだ。
多勢を相手に子供を庇いながらだから、自分から打って出る事が出来ないんだろうと思われた。
獣の方もそれなりに知恵があるようで、ある程度の距離を保てば相手が出て来られない事を判っているような嫌らしい間合いを保っている。
俺たちは、その現場に向けて走った。
走りながら全員に『アクセル』を掛ける
冷たいようだが、基本的に俺たちは誰が襲われていても無条件で助ける訳じゃ無い。
何より一番大事なのは仲間の安全だから、後味は悪いけど、時と場合によっては見捨てる事だってしなければならないと思っている。
襲っているのは大型の狼型の魔獣で、数が多いとは言っても俺たちのメンバーが苦戦するような相手には見えなかった。
こっちの世界では、救える力があるなら助けるのが義務では無いし、それで罪に問われることも無い。
それは十分理解しているはずなんだけど、心から納得できている訳じゃ無かった。
でも、そんな俺の小さな正義感のために、仲間を危険な目に遭わせる事は出来ないのも、充分に判っている。
助けられそうだと判断したから、助けに向かっている。
単純にそれだけであって、理由はそれ以上でもそれ以下でも無い。
テレポートを使えば直ぐに現場へ到着できるけれど、そこまでしなくても襲っている相手を倒す事は可能だろう。
俺は走りながらチラリと、イオナの様子を伺うように見た。 魔法を、襲われている人の前で使っても良いかという確認だ。
コクリと頷いているのを確認して、俺はレベル1の『ファイアーボルト』を一発放つ。
単発のそれは、魔法使いに転職して最初に覚える魔法だ。
魔法使いに転職したばかりで魔力も少ない当時のステータスでは、威力も大したことは無いけれど詠唱時間と術後硬直時間が極端に短い事を利用して、移動しながら何発も撃ってダメージを蓄積させる事で低レベルモンスターをソロで倒していた事を思い出す。
今現在、俺の魔法の射程距離は対象を目視できる限り、制限は無いに等しかった。
それは、魔法が現実でも使えると初めて判った時に、西伊豆にある人の入らないような岩場の磯で密かにテストをして判っている。
しかも、ゲームで使っていた魔法が使えるようになったせいか、俺の魔法は対象をロックオンしてしまえば、別の魔法で弾かれたり相殺されない限り必中だった。
その点では、ある程度の軌道コントロールが出来るとは言え、早めに察知すれば避けることが可能なこちらの世界の魔法とは大きく異なっている。
俺の放ったレベル1の『ファイアーボルト』は中空から突如現れると、後ろから子供を執拗に狙っていた犬型の獣の一匹に突き刺さり、瞬時にその体を燃え滓に変えた。
当然ながら、威力も初心者だった当時とは雲泥の差がある。
「え! 何あれ!」
後ろから、アーニャの声が聞こえた。
倒した獣から親子連れに視線を振り向けて見れば、同行していた夫婦連の奥さんの方が、懐から何か紙切れを取り出して唇に当ててから、獣に向かって放り投げていた。
たちまち、その紙切れがあった場所に少しオリエンタルチックな鎧姿の武者が現れる。
そう、元居た世界のお寺で見かける守護の武者に姿が似ている。
その背格好は、無骨で足が太く短い奈良の四天王とか十二神将のようではなく、比較すればどこかスマートに見える京都のお寺で見かけた四天王とか十二神将に近かった。
どこか時代錯誤な格好をしたその武者が、一太刀で目の前の獣を切り倒す。
いや、時代錯誤というのは、あくまで俺が住んでいた日本での見方だ。
こっちの世界で古いとか時代錯誤とか言うのは意味が無い事だなと、俺は思い直した。
俺は、母親らしき女性が使ったスキルに見覚えがあった。
それは、魔術系の職業として何度目かのバージョンアップ時に追加された『陰陽師』の使う、式神を使役するスキルに酷似していると思ったのだ。
たぶん、俺が『ファイアーボルト』で一匹を倒して魔獣の群れに動揺が走った事で、ようやく魔法を詠唱する時間が取れたんだろう。
それにしても、こっちの世界に来てから初めて見るタイプの魔法だ。
高い精神力であるINTや、器用さと詠唱速度に関係する高いDEXを有効に使える魔術系の職業を制覇した俺だから、当然のように一次職の法師から転職できる二次職である陰陽師も、一応二次職のカンストレベルである99まではやりこんだ。
さすがにその先にある三次職までは進んでいないけど、戦い方としては派手な魔法をバンバン使うウィザードがメインだったので、あくまで『ネトゲ廃人』として集められるスキルは集めたかったと言うだけでしかない。
フリーな位置取りで自由に剣を振るう事の出来る武者の登場によって、膠着していた獣たちの包囲は崩壊した。
先ほど迄の間合いが取れずに混乱する獣を、男の方が何匹か叩き切って勝負はついたようだ。
我先にと逃げ出す獣たちが、不思議な転倒の仕方をして地面をゴロゴロと転がった。
そこに次々と矢が、そして氷の槍が突き刺さる。
逆方向に反転して俺たちの方に向かってきた狼型の魔獣三頭を、十メートル程の距離を瞬時に詰めたレイナがあっという間に切り捨てた。
たぶん、距離を詰める何らかの剣技を使ったんだろう。
獣が転倒したのはイオナの微細な魔力コントロールによる小さな雷撃で、矢を射かけたのはアーニャとメル、そして氷の槍はバルの仕業だろう。
走るのを止めて振り返れば、後ろには鼻の穴を広げて自慢げに無い胸を張るアーニャの姿があった。
油断無く弓の構えを解かないところは、きっと誉めるべきなんだろうけど、なんだか素直に誉める気がしない。
ヴォルコフたちは剣に手を掛けた姿勢のまま、唖然としている。
この距離は、まだ剣の間合いじゃないから仕方ない。
俺は、親子連れの方へと向き直った。
そんな回想をしながらも、キトラの王都を前にして、俺たちは丘を下り始めた。
偶然助けることになった親子連れは、キトラの南門の前まで一緒に行く事になっている。
俺たちは揃って長い街道の坂を下り、ちょっとした川を二つ越えたりしながらも約三時間程かけて城壁の前に辿り着いた。
街道の突き当たりは南門の真正面では無く、何故か街道の突き当たりから少し東側に進んだ辺りに大きな門がある。
門に着いたら、そこでお別れだ。
俺たちはキトラの冒険者ギルドに立ち寄って、義務である軽いクエストを1つくらいこなしてから名古屋方面へと向かう事になっているから、もう会うことも無いだろう。
南門の前には、とても長い行列が出来ていた。
俺たちは列の最後尾に着いて、無駄話をしながら時間潰しをする事にした。
「あの時は、本当に助かりました。 あの一発が切っ掛けで、私も式を呼び出す時間を稼ぐ事ができたんですよ」
そう言って、奥さんの方が俺の方に向かって頭を下げた。
俺はそれを見て、ちょっと混乱した。
「え!? 何で俺がやったと思うんですか?」
俺は思わず聞き返す。
何故ならば、無詠唱で何のモーションも無しに放った魔法だから、誰が放ったかすら判らないはずなのだ。
しかも、俺は通常魔法使いが持ち歩くスタッフなどは持っていない。
しかし、彼女の視線は俺に向けられていた。
カマをかけられているのかとも思ったけれど、それは自分の言った事に何の疑念も持っていない確信に満ちた視線だ。
「うん! クリスもお兄ちゃんがやったのは、判ったよ。 魔法を使うと、みんな体の周りがモヤっとするんだよ」
「そうね。 普通の魔法使いさんよりは、ちょっと少なかったけど、モヤっとした物が見えたわよね」
親子連れの子供が、俺に向かって無邪気にそう言い放つと、母親が同意した。
モヤって、何だよ?
俺は、思わず自分の体を見回してしまう。
別に、何ともなっていないはずなんだが……
そこに、黙って聞いていたイオナの指摘が入る。
何だか、驚いたような顔をしていた。
「咄嗟の場合は、まだまだ魔力制御が甘いようじゃの。 僅かに魔力が漏洩しておったぞ! それが、モヤッとした物の正体じゃの」
確かに、自分でも素早く撃たないと間に合わないと焦っていて、魔力制御が雑だったのは認めるしかない。
しかし、その僅かな魔力漏れを看破するこの奥さんは、いったい何者なんだ?
旦那の方は、何の話なのか未だに判っていない様子に見えた。
いや、母親の隣に立っている娘も俺の漏洩魔力を見たことになるけど、いったいこの母子は何者なんだ?
「魔法使いにとって、自分の使うオリジナルスキルは秘中の秘。 あえて道中は聞かなんだが、貴女は変わった魔法を扱われるようですな。 あの時懐から取り出した紙切れは、魔法を練り込んだ呪符か何かですかな?」
イオナが、そんな指摘をすると、その奥さんはコクリと頷いた。
そして、紙切れを懐から取り出した。
「はい。 キトラの魔術を扱う家系に古くより伝わる呪符でございます。 まだ詠唱に少しばかり時間が掛かっておりまして、未熟者でお恥ずかしい限りです」
「キトラには、独自の体系を持つ魔法が発達しているという話を、かつて聞いたことがありますな。 それが、その呪符という訳ですか。 いや、とっさに持ち出せるのは、身に馴染んでおる証拠でしょう。 あれだけの僅かな時間で発動した事を振り返れば、あなたの詠唱短縮はかなりのレベルじゃのお。 恥ずることなど、何もありますまい」
イオナは、後学のために呪符を見せて欲しいと頼んだけど、門外不出を理由に断られていた。
なんでも、独特の図形に魔力を封じ込める力があるんだとか何だとか、良く判らない事を言っていたようだった。
「皆様は、キトラが初めてのご様子とお見受けいたします。 差し出がましいようですが、かつてキトラに生を受けた者として他所の国と異なる事を二つだけ、この場でお伝えしておこうと思います」
親子連れの奥さんの方が、俺たちに向かってそう言った。
なんだか、とても真面目な顔をしている。
「キトラは、私共が住んでいた頃と変わっていなければですが、昔から城壁の中にも魔物が多く徘徊している国でございます。 昼間はなりを潜めておりますが、夜に出歩かれるのは余程の事が無い限り控えることをお薦めいたします」
「いま魔物と言われたが、それは魔獣とは違う物が街中に出ると言う事ですかな?」
「はい。 めったに出会うものではございませんが、普通の武器では傷を付けることもできない魔物が市中の深夜を徘徊しているのが、この国の実情でございます。 魔法か属性を帯びた希少な武器であれば倒す事は可能ですが、ご存じのように魔法は誰でも使えるわけでは無く、属性を帯びた武器と言う物も希少な存在故に何処にでもあるという物ではありません」
「ほう…… これだけ大きな国で夜の賑わいも無いとは、もったいない。 我らも早めに宿を決めておかねば、ならぬようじゃの」
イオナは、そう言って思案するようにレイナを見た。
レイナはさり気なく、背中のクレイモアを確認するように手を添えている。
おおっぴらには言えないけど、俺たちの持っている武器は全部俺の鍛冶スキルで作った属性武器だ。
ふと見れば、ヴォルコフもティグレノフも、アーニャたちも、俺とイオナとバルを除いた全員が自分の武器を、さり気なく確認していた。
その点では、武装に関しての心配は無いだろう。
とは言え、夜とは言え街中に魔物が出るというのは、いただけない。
「いえ、少しばかり誤解があるようです。 人に害を及ぼすような魔物が出るのは何故か深夜の時間帯が多いと言う意味なのです。 もちろん薄暮時を過ぎれば他愛の無い魔物も出ますが、人に害をもたらす程の魔物とは滅多に出会うことは無いはずです。 ですから、日が暮れてしばらくは普通の町と同じように、賑やかでございますよ」
「妻が言うように、王都の住人は雑魚な魔物には慣れっこでしてね、さほど驚きもせずに酒を飲んでますよ。 まあ、昔と今は違うのかもしれませんけど、余所から来た方は皆驚かれるので、少しお知らせして置こうという訳です」
「すみません。 皆さんも、あまり怖がっていないようですね。 もう一つだけお知らせしておきたいのは、この国には六神様以外に古くから有る土着の宗教がございまして、市民は両方を分け隔て無く信仰しておりますが、神殿関係者は良い顔をしておりません。 その点で両者に軋轢はございますが、現実として市民の安全を守っておりますのは建国以前からあると伝えられている古代宗教の系統なのでございます」
「白い狩衣を着た集団に出会ったら、その方達が王立の魔術守護隊です。 国王は代々、キトラ独自である古代宗教の神官でもありますから、この国の宗教問題は複雑なのです」
そう言うと、二人は顔を見合わせて俯いた。
話はそこで終わるかと思われたが、唐突に男の方が俺たちに顔を向ける。
「そう言えば、もう一つ大事な事がありました。 今日の南門の賑わいは年に1度の収穫祭が城内で行われるからでございます。 おそらく宿は相当埋まっているかと思われますので、早めに宿を決めた方が良いでしょう」
「建国から現在までに至る、時代それぞれの様々な衣装を着て大路を練り歩く行列も見事ですが、各地より集まった色んな食べ物や物品の露店が軒を並べて楽しいですよ。 是非楽しんでいってくださいね」
長々とそんな話をしているうちに俺たちの順番が回ってきた。
俺たちは日が暮れる前に宿を探すことにして、南門から真っ直ぐ北に続いている幅広いメインストリートを歩き始めた。




