75:ケイハン街道
小高い丘の上に、俺たちは立っていた。
目測でもまだ相当離れているようには見えるけど、都市の城壁が左右に延びているのが見える。
「おそらく、あれがキトラの王都であろう」
ぽつりと漏らしたイオナの言葉に、俺は黙って頷いた。
あくまでも、この世界が俺たちの住んでいた日本と何らかの関係があると言う仮定の上での話だけど、キトラ王国の王都とは修学旅行で行った事のある京都の市街地あたりなのだと言うのが、イオナを含めた俺たちの見解だ。
何故そう思ったかと言えば、俺たちが転移したポイントが以前に住んでいた和歌山の山奥と同じ座標だとすればだけど、北へ向かった先にあったヤムトリア王都の位置関係は大阪付近という事になる。
そこから、キサーラ王国の東端あたりを通り過ぎて北東へと向かったのだから、ここがかつての日本だと仮定するのなら京都と考えるしかない。
高校の修学旅行は大阪、京都、奈良のコースを選択して、たしか京都だけは二泊した思い出がある。 ちなみに、それ以外に九州コースと北海道コースもあった。
当時は出発の何ヶ月か前に事前学習とか言う事をやって、高校生なりにネットや図書館などで色々と京都や奈良の事について調べた記憶がある。
要するに、クラスをいくつかの班に分けて、京都や大阪・奈良の事について色々調べた事を、旅行前に皆の前で発表するイベントがあったのだ。
で、自分たちで旅行最終日の自由時間に、事前に決めたテーマに沿って何処をどのように廻るのかを決める事が、発表以外の目標になる。
幸いにも、受験勉強に影響を及ぼさないようにと、うちの高校も修学旅行は二年のゴールデンウィーク明けに行われていたから、一応俺も参加している。
秋だったらゲーム内に拉致されていて、アウトだっただろう。
とは言っても中二病が抜けきらない当時の俺は、魔界都市京都という観光向けのキャッチフレーズに引っ掛かって、怪しい話ばかりを集めていたのだが……
だから、せっかくの自由時間も皆が有名な場所へ行く中、一人で羅城門跡や西寺跡を探して東寺の西側を歩いてみたり、朱雀大路があった場所は今の千本通りじゃないかと予想して狭い道を歩いてみたり、小野篁ゆかりの異界へ通じる井戸を見たくて六道珍皇寺へ行ってみたり、旧一条戻橋の場所を探してみたり、晴明神社へ行ってみたりした訳だ。
目の前に見えるケイハン街道は、京阪電鉄の路線とは関係無いようで、たぶんあっちの世界で東寺の西端あたり突き当たる国道一号線なんじゃないかと、俺は思っている。
そう考えれば、今俺が立っている場所はたぶん久御山のあたりなんだろう。
ヤムトリア王都からキトラ王都までの距離は事前知識から考えても、それほど離れているようには思わなかった。
しかし、あっちの世界とは地形が幾分変わっているのか、案外と起伏に富んだ道中だった事や、迫り出す森を迂回しながらの道中で、結局三日ほど掛かってしまった。
丘の上から王都を『遠視』スキルを遣いながら見下ろすと、キトラ王都で特徴的なのは左右に長く延びた城壁だという事が判る。
ヤムトリアや、キトラの王都に向かう途中にあった地方都市の無秩序に拡大をしたと思われる曲線の多い城壁と異なり、キトラ王都は几帳面に直線を繋いだ長方形の広大な城壁で囲まれている。
町並みも碁盤の目のように大小の道路が規則正しく並び、東西南北を意識した都市設計が為されているようだった。
俺たちが立っている場所から、ほぼ真っ直ぐに城壁まで比較的広い街道が伸びている。
王都の南側は広い平地になっていて、その周辺には一面に田園地帯が広がっていた。
そんなキトラの王都を取り囲むように、向かって左右と後方には山が取り囲んでいる。
ヤムトリア王国からキトラ王国に至る大きな街道は、実のところ二つあった。
一つはヤムトリアの東門から出て途中から川沿いに北へと向かい。キトラの南門へと至るケイハン街道だ。
そしてもう一つは、ヤムトリアの北門から出て一旦北へと向かい、大きな川を越えてから山沿いに北東へと進路を変えて、キサーラ王国の王都を経由してキトラの西門へと至るハンキウ街道だ。
ハンキウ街道の方が地図上ではトータルの距離はあるけれど、途中に幾つかの地方都市とキサーラの王都があるため、比較的に街道の整備が進んでおり道幅も広く歩きやすいそうだ。
対してケイハン街道は、最短距離を稼ぐには良いが途中に巨大な湿地帯があって、そこを迂回するために複数の川を渡る必要もあり、途中にあるのは小さな開拓村くらいで街道の整備もハンキウ街道に比べると進んでいないという話だった。
その為、キトラへ行くのならハンキウ街道が良いだろうとライオネル国王に勧められたけど、先を急ぐ俺たちは最短距離であるケイハン街道を進む事にした。
暗灰色のローブを身に着けたイオナは、ライオネル国王から特別に分けて貰った地図を広げて、時折自分たちの位置を確認しながら歩いていた。
地図とは言っても、かつての日本で手に入ったような詳細なものじゃない。
単純で大雑把な地形図に、輪を掛けて大雑把な街道がフリーハンドの曲線で描かれているだけでしかない。
それでも、ライオネルがくれた物は周辺に存在する物や脇道などが、丁寧に描かれている。
一般的に出回っている地図は更に単純に描かれていて、主要な街道の分岐が判れば上等という代物だから、これでも国家の軍事機密に属する地図らしい。
エスタシオ王国へと向かうために、俺たちはまずキトラ王国を経由して、そこから南東へと向かう国道一号線に近いルートを選んだ。
ヤムトリアに居た時と違うのは、俺たち全員が迷彩服の上から足首まである長いローブを身に着けていた事だろう。
その理由は、朝晩がかなり涼しくなってきたからという訳では無く、ライオネル国王から直接俺たちの服装が悪目立ちし過ぎると言われたからだ。
明確には理由を言われなかったけど、目立って良い事は無いと熱心に言われたので、それにしたがったまでの事だ。
冒険者ギルドと神殿には、あまり近寄るなとも言われたけれど、神殿はともかくとして冒険者ギルドに立ち寄らずに通り過ぎる訳にはいかないだろう。
迷彩服は俺の付与した魔法で暑さ寒さを伝えないようになっているけど、季節が冬へと向かっている時期に防寒装備をしていないように見えるらしく、それが悪目立ちをするという評価に繋がるらしかった。
つまり、誰も知らない何らかの方法で俺たちが防寒対策をしていると見られる事が、良く判らないけどマズイらしい。
まだ日の射す日中であればローブを脱いで歩いている人も多いが、冷え込み始めた朝夕や夜は流石に防寒衣料を身に着けていない人は居ないようだ。
そんな訳で、ライオネル国王から貰った庶民的なローブを俺たちは身に着けている。
「ありがとうございました。 お陰様で私たちも無事に辿り着けそうです」
「本当に、ありがとうございました」
「お兄ちゃんたち、ありがとう」
俺たちの横で、十歳くらいの子供を連れた夫婦がペコリと頭を下げた。
連れている女の子も、その真似をして頭をチョコンと下げる。
俺たちにそんな声を掛けてきたのは、ヤムトリアを出て半日ほどの場所で狼型の魔獣に襲われていたのを助けた縁で、ここまで一緒に旅をしてきた親子連れだった。
キトラまで一緒に同行させてもらう事にしていた商隊から、子供が慣れない旅で足を痛めたせいで、歩くペースが遅すぎると置いて行かれたそうだ。
キトラ王国出身の彼らは、幼なじみの奥さんと一緒にヤムトリアで冒険者をしていたらしかった。
キトラの王都へ向かっていたのは、娘を連れてたまには里帰りをするようにと言う手紙が届いたので、ちょうど十歳になった娘を実家でお披露目するために戻る途中らしい。
ちょうど、そんなタイミングで吹いた北からの風を受けて、イオナのローブがバサリと音を立ててひるがえる。
それを切っ掛けにして、俺たち小休止を終えてキトラの王都へと向かうことにした。




