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69:王妃と侍女

 時は少し戻り、和也がアーニャの元へ駆けつけた頃。

 ライオネル国王は、和也に強制転移させられた王立歴史博物館の敷地から王城へと、部下を引き連れて大急ぎで戻っているところだった。


 ヤムトリアの王城に設えられた、石造りのバルコニー。

 そこからは眼下に王城の有する広大な敷地と、小さな屋根が密集して連なる王都の様子がよく見える。


 王妃シャロンは、眼下に広がる王城の敷地を眺めていた。

 彼女の左側後方には、彼女の生まれ育ったキサーラ王国から仕えている侍女のエメリアが控えている。


 シャロンは、隣国キサーラ王国がヤムトリアに差し出す形の政略結婚でライオネルに嫁いできた。

 当時三十代半ばだったライオネルが、まだ十代だったシャロンを正妻として迎え入れたのは、前国王時代からの宰相であるマルコ卿の働きかけによる事が大きい。


 王となってからも冒険者時代の仲間との交流を続け、一向にマルコの差し向けた貴族出身の侍女たちにも手を出さず、当時は世継ぎの問題が貴族たちの噂話で常に流れていた。

 そんな頃、隣国キサーラにシャロンを王妃として迎えたいと手を回したのは、神殿の上位神官とも関係の深い旧守派でもある、前国王時代からの宰相マルコだった。


 ライオネル国王が冒険者時代の仲間と今でも隠れて交流を続けている理由は、当時の仲間であるエルダと言う女性にあると睨んだマルコは、密かに暗殺を企む。

 しかし、腐っても相手は元Aランク冒険者である。

 その企みは、ことごとくが失敗に終わった。


 ライオネルのエルダへの想いは、大国ヤムトリア国王であるライオネルの立場を考えたエルダの拒否によって潰えていた。

 それでも市中見回りと称して、こっそりと王城を抜け出して仲間に会いに行くライオネルの事は、その脱出方法は判らぬまでも王城関係者にとっては周知の事実であった。


 バルコニーから一望できる視界の右手には、よく手入れをされた精緻な庭園が広がり、その公園を遠く隔てた左手側には、王妃専用に建てられた立派な離宮が見える。

 その離宮は、隣国キサーラ王国より嫁入りしたシャロンのためだけに作られた、彼女専用の宮殿である。


 城門の外側には貴族街が広がり、その一角には国王ライアンの発案で設立された王立歴史博物館の白い建物の豪奢な屋根が見えた。

 その場所は貴族街の一角らしく、一つ一つの建物は広い敷地を持っていて、それぞれの建造物は林立する事無く、充分な距離を持って建てられていた。


 ふと下へと視線を移した王妃は、黒い装備の騎士に守られて城門から入ってくる一人の男を認めた。

 王妃はベランダから部屋に戻り、急いでその部屋を出る。


 数分後、王妃の姿は国王執務室に通じる廊下にあった。

 彼女の前方から忙しない歩き方で、黒衣騎士を引き連れてライオネル国王が歩いて来る。


 自分の身なりを手早く確認し、何処か変なところが無いかと侍女のエメリアに確認する王妃シャロン。

 エメリアの肯定を受けて、自らを落ち着けるように胸元に手をやり安心したシャロンは、笑顔を作って歩いて来るライオネル国王に満面の笑顔を見せた


「これは国王陛下、朝から地下にこもっていらっしゃると聞いておりましたが、いったいどちらに?」


「シャロンか…… すまぬが、火急の用だ。 俺に話があるのであれば、後にしてくれぬか」


 相手を咎めるようなことを言いたい訳では無かったが、口を突いて出て来たのは不在がちな夫に対する不満だった。

 自らの意に反した言葉が出てしまった事に、それを放った自分自身が一番驚いてしまう。


 何よりも妻のことを顧みず、仕事にかこつけて顔を会わせる機会の少ない夫に対する不満が、つい出てしまったのだ。

 そしてそれは、皮肉めいた事を言ってでも自分に注意を向けて欲しい、構って欲しいという夫ライオネルに対する甘えの発露でもあった。


 そんなシャロンを見て、キサーラ王国で彼女が王女として人々に愛されていた時代から長らく仕えているエメリアは、その心情を見かねたのか一歩前に出る。

 そして、それが己の身分をわきまえぬ大罪と知りつつも、ライオネルに具申をした。


「このエメリア、お恐れながら国王陛下に申し上げます。 昨今はシャロン様とお会いになられる機会も減り、シャロン様は大変寂しがっておいででございます。 今回も陛下をお出迎えにと、シャロン様自ら参上されましたのに、あまりのご対応。 どうか、姫様…… いえ、シャロン様にお慈悲を」


 エメリアの、その顔を見てライオネルは思う。

 シャロンの事を想い、不敬である事を承知で言ったのであろうと…… 


 しかし、今はそれどころではない。

 魔獣どもが押し寄せてくる、魔海嘯の時が迫っているのだ。


 繁栄を極める、ヤムトリア王国存亡の危機なのだ。

 一言優しい言葉を掛けてやっても良かったかと、そうも思う。


 しかし既にゴブリンの王も、その強大な軍勢も今は和也に瞬殺されて存在しない事をライオネルは知らない。

 故に、僅かに浮かんだシャロンへの情けを振り切って、先を急ぐ。


「いまはそれどこれでは無いのだ。 許せ!」


 すでに全兵力の招集を済ませたライオネルは、その場を足早に去って行く。

 つい先程その目でゴブリンキングの存在と、その大軍団を間近で目撃したのだから余裕が無いのは当然だった。


 王妃にとってみれば、タイミングが悪かったとしか言えない。

 しかし、ライオネルの抱える切迫した事情を知らないエメリアは、意気消沈するシャロンに向かって小声で耳打ちをする。


 険しい顔をして、頷くシャロン。

 ポツリと、一言こぼした。


「やはりマルコ卿の仰った通り、ライオネル国王には…… 」


「その件は、私にお任せ下さいませ。 マルコ様も姫様の事を、いつも案じておられます」




「陛下がご到着なされる少し前ですが、王都に珍しく小規模な地震がありました。 その後すぐに、王都南東部の大森林地帯において広範囲に黒雲が立ち上がり渦を巻いたかと思えば、巨大な光の柱が天より射し込んだという目撃証言もございます」


「うむ、地震は知っておる。 その光の柱も気になるが、まずは兵力の配備状況を確認しよう」


 ライオネルは玉座に座り、各所からの報告を聞いていた。

 すでに兵の配置は終わり、王都各所に設けられた通用門も閉鎖され、外的に対する守りを固めている処だった。


「実は、隣国キサーラに妙な動きがございまして…… 」


 一人の男がライオネルの前に進み出る。

 それは、黒衣騎士団のマーシャだった。


「何だ? 我が国を襲い来る魔海嘯に対する協議よりも大事な事なのか?」


 貴族の一人が、それを咎めるような口調で叱責する。

 その叱責には、年若くして王の親衛隊副隊長として仕える貴族出身では無いマーシャに対する嫉妬もあった。


「はっ。 キサーラに放った手の者より入った報告によれば、キサーラ国軍が国境付近に兵を集めている模様です。 」


「何っ! 魔海嘯が迫り来るこのタイミングで、何故にキサーラが…… 」


「万が一、我が軍の総力を挙げて魔海嘯を食い止めたとしても、我が軍の被害は間違い無く甚大。 いかな小国キサーラ国軍と言えども、その時には我が国にそれを食い止める力は残されておらぬでしょう」


「もしや、魔海嘯を食い止めるために我が国への援軍では?」


「馬鹿な。 もしそうであれば、事前に打診があるわい。 通告も無しに国境へ兵を集めるなど、隣国に対する宣戦布告にも匹敵する事は自明の理よ」


 口々に悲観的な意見を述べる家臣たちを見て、ライオネルは呆れる。

 今は、暢気にあれこれと無責任な評論をしている場合では無いのだ。


「万が一に備えて、国境守備隊はモリグチ砦に残す。 残り全ての兵力は魔海嘯に備えて待機させよ!」


 ライオネルは、そう命じる。

 そして、マーシャを手招きで近くに呼び、指示を伝えた。


「お前も見ていたから判るはずだが、カズヤの消息を確認させるためにシーフの能力を持つ者を派遣せよ。 恐らく我らを転移させた力を使い、仲間と合流するために戻ってきて居るはずだ。 奴の力は、我が方の戦力を増強するのに役立つ事は間違いが無い。 それに、お前の言う通りだとすれば、あのイオナとレイナも魔海嘯を食い止める大きな戦力となろう。 必ず探し出して、何としても協力を仰ぐのだ」


「はっ! 必ずや」


 マーシャは、足早に立ち去った。

 それを契機にしてそれぞれが持ち場に戻り、王の身辺には一部の高位貴族と黒衣騎士団の精鋭たちが残された。


「くれぐれも、奴等を敵に回すなよ」


 ライオネルは、思わずそう呟く。

 彼らがカズヤによって転移させられた場所は、王立歴史博物館の敷地だった。


 つまり、カズヤがその気になれば、兵力を誰にも気付かれずに王城の間近まで無傷で運び入れる事が可能だと言う事だ。

 これは、従来の警備体制を根底から揺るがしかねない事態だった。


 ライオネルは、王城の一部分とシャロンの住む離宮に施された魔力阻害結界を、早急に王城一体に広く張らせる事を考えていた。

 絶対に敵に回してはならないと認識せざるを得ない相手、それが封印の首輪を意に介する様子も無く、簡単に外して見せたカズヤとイオナだった。


 和也がライオネルたちを転移させた場所は、ライオネルに招待されて連れて来られた王立歴史博物館の敷地だった。

 和也は馬車から降りた場所を、不測の事態が起きた場合の転移可能場所として登録していたのだ。


 最初は宿泊している宿に送り込もうかとも考えたが、さすがにそれは宿の人達に迷惑を掛けるので、取り止めにした。

 それに登録してある場所は部屋の中なので、出て行かれた後に自分たちの部屋の鍵を開けっ放しにされるかなという余計な心配もあったのは、どうでも良い話しである。




 王妃はエメリアと共に、離宮へと戻ってきて居た。

 ライオネルに愛され、子供も三人いる。


 乳児死亡率の高いこの世界では、子供が必ずしも成人まで生き残るとは限らない。

 治癒魔法を使える神殿の神官は、人口に比べて数が多くは無かった。


 金持ちの商人や貴族や王族であれば、高位神官の治療を受けることは可能だ。

 しかし、数少ない高位神官は居て欲しい時に居るとは限らない。


 神殿も治療院では無いので、治癒神官が治療にあたるのは週の中の限られた日だけだった。

 神による人々へに対する加護の具現としての治癒魔法は、出し惜しみをされている上に神官への謝礼が必要だった。


 多くの子供が三歳までに様々な理由から命を落とし、運良く生き延びても十歳までの生存率は著しく低い。

 一二歳まで生きれば一人前として扱われるのは、そのような理由による。


 メルが一二歳の誕生日を盛大に祝われたのは、そのような背景があった。

 国王だけでなく、多くの貴族や金持ちが正妻以外の女性に手を出して子供を設けるのは生存率が悪い事に他ならない。


 愛とは別に、一族の血統を絶やさぬために様々な女性に子種を残すのは、この世界の常識でもあった。

 ましてや国王ともなれば、自らの意に反しようとも多くの子を作る事を側近から半ば強制されるのだ。


 もちろん、多くの女性と事を為すのは男の本能でもある。

 ライオネルも例外では無かったが、政略結婚で半ば強制的に隣国より迎え入れた若いシャロンに対しては軽い負い目があった。


 冒険者時代に好いていたエルダに仲間である以上の関係を望まないと言われた事が、二回りも若いシャロンとの結婚を決意させた大きな理由でもある。

 それ以来は人が変わったように侍女にも手を出して男女四人の子を産ませ、シャロンとも三人の男子を成してようやく義務を果たしたと思ったのか、その後はパッタリと女遊びを止めた。


 シャロンは、結婚して当初こそライオネルに反感を持っていたが、彼の人柄に触れてその感情は徐々に消えていった。

 二回りもある年の差さえも、子供っぽい彼の行動によって気になるものでは無くなっていた。


 多くの時間を共に過ごし、重ねたエピソードの数だけ心の垣根は埋まってゆく。

 シャロンは、有る時に気付いた。


 三人目の子供を産んだ後から、徐々にライオネルと過ごす時間が減っている事にだ。

 彼女はエメリアに訊ねる。 自分は歳を重ねて、醜く衰えてしまったのかと。


 しかし、三人の子を産んだとは言え十代で嫁いだシャロンは、まだ二十代の半ばである。

 エメリアは心から否定する。 シャロンは以前にも増して美しくなったと。


 エメリアは密かに調べさせた。

 ライオネル国王に、別の女が出来たのでは無いかと考えたのだ。


 隣国からシャロンと共にヤムトリアへやってきたエメリアには、信頼出来る手の者が居なかった。

 辛うじて頼りにできそうなのは、嫁いで依頼何かと親身になってくれる宰相のマルコと、離宮に勤める僅かな側近たちだけだ。


 彼女は密かに、隣国キサーラがヤムトリアに送り込んでいた情報収集員に連絡を取り、国王が城を抜け出して街中で何をやっているのか調べさせた。


 そして、ライオネル国王の元冒険者時代の仲間の一人である、エルダの存在を知った。

 何度か刺客を送ってエルダを亡き者にしようと画策するが、ことごとく失敗に終わる。


 なにしろエルダも、そしてその仲間も元Aランクの冒険者なのだ。

 引退して歳を取っているとは言え、まだまだ腕利きの刺客程度では歯が立たない。


 エメリアは思いあまって、信頼する宰相のマルコに相談をしていた。

 今回の大海嘯騒動が起きる、少し前の事であった。


 元気の無いシャロンに、神殿に併設された薬所で貰ってあった薬を飲ませて眠らせた後、エメリアは離宮付き侍女の一人にシャロンを任せて階段を下り、一人地下の倉庫へと向かう。

 薄暗い地下の通路へと照明用の太い蝋燭のの取り付けられた銀の燭台を携え、二度三度後ろを振り返り人目を避けるように入ってゆくエメリア。


「まだ薬で眠っているようだ。 しばらくは目覚めまい」


 しわがれた男の声が背後から聞こえて、エメリアはビクッと反応を示して立ち止まる。

 聞き覚えのある声の主が誰なのかは判っているが、誰も居ないと思っていた場所で突然背後から声を掛けられるのは、心臓に良くない。

 エメリアは、ゆっくりと後ろを振り返る。


 声の主は、やはり彼女の予想した通りの人物だった。

 いったい何時から自分の後ろに居たのか、先程確認した時には周囲に誰も居なかったはずだったのに…… 


 その男の背後には、二人の痩せた貧相な面をした従者が付き従っているのも見えた。

 エメリアは、これだけの人数を自分が気付かなかった事に疑念を覚える。


 キサーラの下級貴族出身であるエメリアは、幼い頃よりシャロンに仕えるためだけの教育を受けてきた、ある種のエリート従者でもある。

 武芸についても、シャロンを守る為に女性でありながらもBランクの冒険者に匹敵する程度の嗜みはしてきていた。


 それが、まったく気配を感じる事が出来なかった事に驚く。

 今までの行動から考えてもシャロンの味方である事は確かなのだろうけれど、薄気味の悪い男だった。


 最初に出会った時は、もっと印象が違っていたと記憶しているのだが、今間違い無く目の前にいるのはその本人なのだから、疑う余地も無い。

 エメリアはコクリと後ろの人物に頷いてからドアに向き直り、倉庫の扉を開けた。


 普段使われない倉庫の奥には、別の部屋がある。

 その扉の前まで進み、取りだした鍵を鍵穴に差し込んでゆっくりと回す。


 カチャリと言う軽い音と共に、扉の鍵が解除された。

 ギイという軋み音と共に扉が開き、その室内の様子を照度が充分では無い燭台の灯りが照らし出す。


 薄暗い部屋の奥には、手足を縛られ猿ぐつわをされたメルが意識を失い、床に転がっていた。


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