6:脱出!魔獣の森
いつも余裕たっぷりなイオナも、流石にこれじゃあ冷静では居られないだろうと思った俺は、チラリとその表情を窺ってみる。
だけど、端正なその顔立ちに銀色の前髪を無造作に垂らしたイオナは、相変わらず緊張感の感じられないポーカーフェイスのままだった。
「ふほほ…… あれだけ居ると、ちと厄介じゃの」
「訓練は、ひとまず中止ね」
イオナの漏らした呟きに対して、同じく綺麗な銀髪を首の後ろで無造作に束ねたストレートロングのレイナが、スタイルの良い体には似つかわしくない大きな剣を握り直しながら、仕方ないとでも言うような表情で答えていた。
そんなやりとりを見て俺は、誰に言うでもなく自然と心の中で呟いていた。
いやいや、そうじゃないでしょ。
流石にここは焦って下さいよ、二人とも。
心の中でブツブツ愚痴を言いながら、支援職として自分に出来る事を考える。
確実に迫り来る、今すぐにでも抹殺してしまいたい程におぞましい黒鬼蜘蛛の集団に備えて、俺はまず自分にブーストと防御結界を掛け直した。
重ねて言うけど、俺は蜘蛛とゴキブリが大嫌いだ。
例え砂粒ほどの小さな蜘蛛やゴキブリだとしても、心の準備が出来ていない時に不意を突かれて顔なんかに張り付かれたら、間違い無く発狂して見境無く暴れてしまう自信があるくらいだ。
それくらいに俺の心は、天敵とでも言うような化け物の群れを前にして、今すぐにでも無慈悲な超特大殲滅魔法を放って、後腐れ無く片付けてしまいたかった。
そして今の俺の膨大に増えた魔力量ならば、それは不可能ではないと思っている(もっとも、イオナに固く禁じられているけど…… )。
「白銀狼が戦っている隙に、私たちが脱出するって選択肢は?」
アーニャがイオナに問い掛けた。
その問いかけに、イオナが首を振る。
「敵は前だけとは限らんがのぉ」
イオナの否定的な返事と向いている顔の方向から何かを感じたのか、全員がハッとした表情になってそちらを振り向く。
イオナの顔が指し示している方向を振り向いてみれば、まだ遠い位置だけど確かに俺たちが進もうとしていた方向からも、何かが大量に、そして確実にこちらへと近付いて来ていた。
その黒っぽく見える小さな何かが、実は膨大な数の魔獣である事が次第に大きくなってくるその姿で判る。
「カズヤが見渡す限りを空き地にしたからな、色々と見えなかった物が出て来たようじゃぞ」
バルが他人事のように、平然と状況を評した。
こいつも、イオナに負けないくらいに考えている事が掴みづらい。
「ちょっ、俺のせいかよ…… 」
確かに、こんなに見渡しの良い広大な空き地を俺が作らなければ、遠くに居た相手だって俺たちを見つけることも無かったんだろう。
だけど、それはわざとやった訳じゃない。
「まあ、そう気にするでない。 歩きにくい森をしばらく歩く手間が省けたと思えば良いじゃろう」
イオナは、こんな状況だと言うのに少しも慌てていなかった。
それを見て俺も不安が完全に消えた訳じゃ無いけど、少しだけ気持ちが楽になる。
「とりあえず責任を取って、俺が数を減らすよ」
ちょうど全員に支援スキルを掛け終わった俺は、イオナにそう言った。
(自分のミスは自分で挽回しなければ!)
俺はそう思った。
「少しは仲間にも敵を残せよ、あくまで訓練は必要じゃでな」
この期に及んでも、まだ訓練とか言っているイオナに俺は呆れた。
どんだけ余裕があるんだよ。
て言うか、もしかしたらイオナの恐怖感とか不安感ってものは、ぶっ壊れてるんじゃ無いかと思う程だ。
「仲間のミスはパーティのみんなでカバーするものよ、和也」
レイナが、いつもと変わらぬ優しい態度で、俺に声を掛ける。
ありがたい事に、俺の内心の焦りを察してくれているのだろう。
その言葉の中に含まれていた『仲間』と言う共通のキーワードに俺は遅ればせながらも気付いた。
自分一人で何とかしようと考えていた俺は、あらためて全員の顔を見回す。
「まさか自分だけで失態を挽回しようなんて、思ってはいないわよね?カズヤ」
アーニャが呆れた表情で、弓を持ち腕を組んだ姿勢のまま俺に問いかけている。
ヴォルコフとティグレノフも同じ考えなのは、俺に笑いかけてくれる顔を見れば判る。
「あんな雑魚など、雑作も無いわ」
バルが構えもせずに、ニヤリと笑った。
チビ幼女のくせに、言葉と態度だけはいつも強気だ。
「その代わり、あなたの支援を当てにしてるからね。 しっかり守りなさいよカズヤ!」
「うん、和也兄ちゃんの支援があれば、どんな敵でも怖くないよ」
アーニャが照れくさそうに、無愛想な顔をして弓を構えながらそう言い、それにメルが笑顔で頷いて同意した。
そんな事は言われなくとも、出来て当たり前の事だ!
俺が自分の性に合っていると感じているゲームの職業は、最高位まで極めた魔法使いだけじゃ無い。
同じく高位にまで登り詰めた支援職としてのプライドが、仲間から怪我人を出すことを俺に許す訳が無いのだ。
ティグレノフたちは、もう剣を構えて臨戦態勢に入っていた。
こんな状況なのに嬉しそうに舌舐めずりをする仕草が、彼らの修羅場慣れしている素性を端的に表している。
「さて和也よ、わしらは魔法使いの仕事をするかの」
「ああ… 」
イオナの言葉に、俺は短い返事でその意図を理解している事を伝えた。
支援に徹する前に、まずは魔法使いとして出来る事をやるのだ。
この状況で俺たち魔法使いがやることは、まず敵の数を出来るだけ減らす事。
そして、それでも残っている敵には出来るだけ多くのダメージを与える事、それしか無い。
其処を抜けてきた敵や生き残った敵の始末は、メルたちハンターに任せよう。
それでも接近してきた敵は、レイナたち頼れる剣士に任せれば良いだろう。
そんな意識で俺は少し高揚した気持ちになり、すぐさま魔法を放とうとした。
今ここで必要なのは、やはり広範囲殲滅魔法しかないだろう。
「そうじゃった、和也よ! 今度はレベル調整を忘れるでないぞ」
拍子抜けするタイミングで、イオナの注意が耳に入る。
たしかに、俺が調子に乗ってレベル調整を忘れる処だったのは、間違いが無い。
「判ってますって…… 」
良い気分だった処で魔法発動の腰を折られた俺は、ちょっと不服そうにそう応えた。
なんでもお見通しってのは、中々気恥ずかしいものがある。
「お前が本気を出せば、この森など軽く消し飛ぶ事を忘れるなよ」
イオナの付け加えた言葉に、俺はぐうの音も出ない。
うっかりして、この広大な空き地を造ってしまったのは、俺自身なのだから。
「うぐっ…… 」
あまりに指摘が図星過ぎるから、俺は気恥ずかしくてイオナの呼び掛けに応えなかった。
そして何食わぬ顔で、密かに魔力量のイメージを野球のボール大からパチンコ玉大に変更した。
『連鎖火炎障壁!』
たちまち、俺たちを中心とした半径100m程の周囲を、連続する炎の壁が取り囲む。
離れていても、その熱気が顔に伝わってくる。
まずは広範囲殲滅魔法を実行する前の保険となるべき障壁魔法を俺は発動させた。
それに続いて、俺はもう一つ保険となるべき使い慣れた魔法を選択した。
『誘爆火炎地雷!』
続けてその内側に、無数の火炎地雷をランダムにバラ撒いた。
その数は、範囲を考えるとべらぼうな数になる。
こんな魔力の無駄遣いをしても、魔素とかいうものが大気に充満しているこっちの世界では、俺の持っている魔力量は些かも減じた気配が無い。
『多重石棘刺殺陣!』
ファイアーウォールに遮られて見えない炎の外側で、俺が放った広範囲殲滅魔法による、連続した地鳴りの音が響く。
そしてその影響を受けて、離れているこちらの地面も小さく揺れていた。
きっと火壁の外側にいる魔獣達は、地面から飛び出した太く長い石の突起で串刺しになっている事だろう。
そしてその内側では、突如地面から噴き上げた炎の柱が所々で轟々と燃え盛っていた。
ファイアーウォールの火炎柱1つが敵に与えるダメージは、ゲームの設定では計12回だった。
そのダメージ回数を消費すると火壁は効果時間内であっても消えてしまう。
そこを数に頼んで突破してきた奴らは、俺が予めバラ撒いて置いた火炎地雷の餌食になって火だるまになり、たちまち燃え尽きていた。
イオナが呆れたように俺を見て深く溜息を吐くと、悔しそうな表情で手にしたロッドを下に向けて振り下ろす。
「これでは、わしの見せ場が無いわい…… 」
拗ねたような表情で振るうイオナのロッドの動きに合わせて、中空から突如三筋の眩い雷撃が地面に落ちた。
耳をつんざく激しい轟音と共に、ファイアーウォールの内側で倒れている若い白銀狼に覆い被さっていた3匹の大きな黒鬼蜘蛛が、雷撃の直撃を受けて一気に吹っ飛ぶ。
奴らは黒鬼蜘蛛の名の通り、真っ黒焦げになって腹を上にして倒れると、ピクリとも動かなくなった。
辺りにはツンと鼻を突くようなオゾン特有の臭いと、焦げ臭い臭いが漂っている。
吹き飛んだ黒鬼蜘蛛を見て、周囲を取り囲んでいた白銀狼の群れが倒れている仲間の処へ駆けつけていた。
ボスらしき大きな白銀狼は、こちらを警戒しながらも倒れた仲間の処にゆっくりと近づいて行く。
魔獣と言えども、人間のように仲間の安否が気になるのだろう。
「犬は割と嫌いじゃ無いかラ、なんか気にナるな」
「ヴォルコフは、狼の遺伝子が入ってるものね」
ふとヴォルコフが漏らした言葉に、アーニャが突っ込みを入れた。
そりゃそうだ、もしかすると狼繋がりで、何か感じる物があるのかもしれない。
「進化して大型化した魔獣は、人間並みの知能を持つと言われておるでな」
「そうね、あのボスは他の白銀狼達とは少し格が違うようね」
イオナとレイナがボス白銀狼を見て、そんな事を言っていた。
先程黒鬼蜘蛛だけでなく俺たちをも襲った、状態異常効果のある遠吠えを思いだせば、その意見には同意せざるを得ない。
「これだけ残っていれば、訓練にも問題は無いよな?」
ちょっとやり過ぎたかなと思いつつも、グルリと視線を周囲に巡らしながら、イオナに俺がやった事の確認をしてみた。
まだ俺たちを中心とした半径70m~80mほどの範囲内には、いくつも生き残った魔獣がうごめいている。
だから、やり過ぎじゃないよな?と、不安を払拭したかったのだ。
もっともそう聞く時点で、やり過ぎだと自分で自覚している事になるんだけど……
「それにしテもカズヤの魔法ってのは凄イもんだなぁ、ティグレノフよ」
「ああヴォルコフ、各国が手に入レようと躍起にナったのも、あらためて判る気がするヨ」
「だけど、それが人間の手でコントロールできる程度のものならって前提は、絶対に忘れちゃダメよね」
ヴォルコフとティグレノフの呆れ顔に向けてアーニャが、したり顔で補足を加えていた。
コントロールできるように、頑張ってるんですよ俺は……
「こやつが特別なだけじゃ。 この世界の住人でも、魔法とは本来これほど強力な物を連発できるものじゃ無いわい。 そもそも威力が有れば有る程に、術者の使える属性を含めて、色々と制限の多いものなのじゃ」
イオナはそう言うけれど、これは紛れもなく、こっちの世界に来て俺の得た力なのだ。
これでも力をだいぶセーブしているなんて言っても、きっと誰も信用なんてしてくれないだろう……
イオナは、大気中に魔素の存在しないあっちの世界に居る時は、自身の魔力がこちらの世界の100分の1くらいになった感じだと言っていたから、もしかすると俺の魔力も、こっちで100倍くらいになっているのかもしれないのだ。
それって、100分の1のコントロールをして始めてゲームの時と同じと言う事になるはずだから、フルパワーの魔法は既に俺の想像を超えているし、使う事を想像も出来ない。
そうこうしているうちに、残っていたファイアーウォールの効果時間が切れて、周囲の状況がより明らかになった。
ファイアーウォールがあった場所の外側はすべて、もう生きて動いている物の姿が何も見えない、凄惨な死の満ちあふれた死骸だらけの世界になっていた。
なんだか、一仕事を終えて高揚している気持ちのせいなのか、体が変にむず痒い気もする。
ヴォルコフたちも無意識なんだろうけど、首筋を指で掻いていた。
「和也よ、お前の魔力は桁が違いすぎる。 これは世界のバランスを崩しかねん代物じゃ」
その情景を目の当たりにして、イオナが珍しくシリアスな顔になっていた。
普段が飄々としているだけに、珍しく見せたその真面目さが、俺の解放させた僅かな魔力の大きさを如実に物語っているようだった。
「まさに、バランス・ブレイカーね」
アーニャがそれを評して、そう言い切る。
その整った愛くるしい容姿と相まって、俺を見るエメラルド色の瞳はとても大人びていて、子供の姿には似つかわしくないものだった。
「前の世界のように、世界の覇権争いの道具として狙われたく無かったら、和也のその力は極力隠すことね」
レイナの意見には、俺もまったく同意だった。
もうあんな風に俺の居場所を奪われるのは、俺だって御免だ。
「かつて宮廷魔術師筆頭じゃったわしの魔力が、せいぜい一つの戦局を変えうる程度とすれば、お前の魔力は一国の戦略を左右するだけに留まらず、その存亡すら左右しても余りある程じゃな」
「あらあら、戦局を一人で変える事が可能なイオナの魔力も、私から言わせて貰えば、充分にこの世界では桁外れですのよ」
考えようによってはイオナのさり気ない魔力自慢とも取れる発言に、レイナが阿吽の呼吸で突っ込んだ。
はいはい、いつも仲の良い事で身内とは言え羨ましいですねと、俺は心の中で呟く。
「うむ、そうじゃったの」
イオナがすかさず頷いて、レイナと二人で楽しそうに笑っているけど、俺はなんだか笑えない。
バランス・ブレイカーとか、中二病のような二つ名の付く人間には、俺…… なりたく無いんですけどね。
それは、こっちの世界ならば、俺の魔法が向こうの世界のように異端の目で見られる事もないだろうと思っていたのに、これでは以前と変わりが無いと思うからだ。
まあ、それでも魔法を使うこと自体が変な目で見られる訳ではないだけ、前の世界よりマシだと思う事にしようと俺は思った。
「世界の調和を壊してしまう者に対して、世界は冷たいでな。 何時でも何処でも魔力コントロールを忘れぬよう、肝に銘じておくが良いじゃろう」
イオナは、俺にそう言うと真面目な顔になった。
「それでは、目的のポイントまで押し通るぞ」
「はい」
「うん」
「当然よ」
「ヤー」
「リョウカイ!」
「ふむ」
イオナの号令に、皆が思い思いの返事を返した。
「よし、みんなの支援は俺に任せろ!」
俺も自分に言い聞かせるかのように元気に声を出して、みんなに続いて走り出した。
進路は遙か前方、その前に立ちはだかる魔獣の群れを突破するのだ。
俺は、少しだけ振り返って後方を確認した。
『高位解毒!』
『高位治癒魔法!』
俺の魔法を受けて、今まで倒れていた白銀狼が、何事も無かったかのようにムクリと体を起こした。
ボス白銀狼がそれを見て、いぶかしげな目で俺を見たけど、きっと何が起きたのかすら解っていないだろう。
魔法の事は色々考えさせられたけど、前の世界と違って俺には一緒に戦う仲間がいるのだ。
それを再認識させられて、俺は今とっても気分が良い。
この俺の魔法の力が仲間を守る為に役に立つのなら、世界が俺を拒絶したとしても、俺は構わない。
その時は、バランス・ブレイカーとして開き直って生きてやるだけだ。
俺は、俺の頼もしい仲間達に遅れないように、再び前を向いて駆けだした。
この世界、たっぷりと楽しませてもらうぜ!
そう、心に誓って。