4:旅の始まり
元々こっちの世界出身で、レイナが王女をしていた国の宮廷魔法使い筆頭だったと言う経歴を持つイオナは、何故か俺のひい爺ちゃんでもある。
なんでイオナとレイナの二人が俺の生まれたあっちの世界へ行ったのかと言えば、それは政略結婚させられそうなレイナと恋仲だったイオナが駆け落ちして、追い詰められた末の事だと聞いている。
まあ、あっちの世界で起きた色々な事は、もうあまり想い出したくは無い。
明け方に何度か夢で見たような苦い想い出しか残っていないから、俺はこっちの世界に来た訳だし、俺はあっちの世界で憎い奴らに復讐を果たして国を捨てて来たという自負もある。
それは、俺があっちの世界に拒絶されて居場所を無くしたんじゃ無くて、魔法を使えるようになった俺を受け入れてくれないあっちの世界を、俺が見切って捨てて来たというだけだ。
俺は剣と、そして魔法が実在するこの世界で、俺の使えるようになった魔法が異端では無いこの世界で、これからの人生を生きて行くと決めたんだ。
それが何度目かはもう覚えていないけれど、俺は一人になると自分自身にそう言い聞かせる癖があった。
そう思う事で、18年も暮らした元の世界への未練と、最愛の女性だった紫織との想い出を断ちきろうとしているんだろう。
イオナの言う最終試験が終わってからの数日は、待機状態のままで何も動きが無かった。
だから、試験終了と言われて意気が上がっていた俺たちは、少しばかり拍子抜けをしていた。
そんな状態で各自が訓練をしていたある日、定例となっている早朝の偵察飛行から戻ってきたイオナから、俺たちは突然の出発を言い渡された。
「すぐに出発するでな、みんなわしがもう一度戻るまでに、旅立ちの支度をしておくのじゃ。 わしはこれから、和也とルートの確認に出る」
「ちょっ、マジかよ爺ちゃん!」
つい先程、俺たちに出発を言い渡したイオナは、いま俺の横で周囲の風を全身に纏うようにして空を飛んでいた。
出発前に森を脱出するルートを確定しておこうと、今度は俺を連れて再度確認に来たのだ。
今頃は、みんな慌てて出発の準備をしている頃だろう。
この森での生活も、振り返って見ればあっという間だったように思えるけれど、実際は3週間以上が経過しているし、それなりに出発の為の荷物整理は大変だろう。
後ろから見ていると良く判るけど、イオナは風魔法のコントロールがとても滑らかだ。
とてもスムーズに、空中を滑空しているように見える。
それを追う俺は、まだ飛行そのものに慣れていないから、かなり必死だ。
なにしろ、まだまだ風の微妙なコントロールが甘いらしくて、イオナを真似して纏うように風を使うと、やり過ぎて逆に自分のバランスが取れなくなってしまうのだ。
色々と考えて試した末に、俺は風魔法を使って自分の体の各部からジェット推進のように強い風を噴き出す事で、空を飛ぶことにした。
それは、ロボット物で定番の推進装置が体中の各部分に存在するというイメージだ。
足裏から背中から胸から、そして腕や手の平から、ジェット推進のように風を噴きだして姿勢を安定させる飛行方法だ。
方向転換も、向きたい方向の反対側から風を吹き出す反動で向きを変えるのだ。
些か強引だけど、空を飛びながら体のあちこちから風を噴きだして姿勢を調整している。
そして、揚力を得るためにもう一つ、重力魔法も使って引力に反発する力を発生させて浮き上がり、簡単に地面には落ちないようにしてもいる。
それに加えて速度を上げる時は、防御結界だって遠慮無く前方展開させているから、本気を出せばイオナよりも速度を出せるのは、俺の強みだ。
お前にしか出来ない強引な飛行方法だとイオナにも呆れられているけど、こっちの方が俺にはコントロールしやすいんだから、それは仕方ないだろう。
俺とイオナは、空の上から俺たちの居る森と隣接して設けられている街道を確認して、みんなの居る森の奥深い場所へと戻ってきた。
スッと何事も無いように自然に着地するイオナに比べると、俺の着地はまだ危なっかしい。
なんとか重力魔法と風魔法を微調整しながら逆噴射を使って降下するけど、ともすればバランスを崩しそうな不安定な俺を、みんなが心配そうに見ていた。
俺とイオナがルート確認に出た時間は、実際それほど長い訳では無いのに、みんなの身支度は既に終わっていた。
「皆、準備は良いかの?」
イオナの問い掛けに、全員が無言で頷いて見せる。
俺の準備はと言えば、もちろんアイテムBOXに全部放り込んでOKだ。
何しろ荷物はアイテムBOXの中なのだから、見た目だけ不自然にならない程度の荷物を持っているだけで済む。
基本的に全員が、製造スキルを使って俺の作った革製のアイテムバッグを身に着けているから、それほど重装備という訳では無い。
旅をするには不自然に少ないかもしれないけれど、それ以外に身に着けている物は、武器と防具くらいなものだ。
街道に出るまでは深い森の中をおよそ10kmほど進むので、下手なカムフラージュはしない事になっているのだった。
旅支度の擬装は、街道に出てからで良いだろうというイオナの判断なのだ。
全員が元居た世界で手に入れた迷彩服の上に、俺が作った金属製の簡易な防具を着用している。
その気になれば、みんなのアイテムバッグに収納してある本格的な戦闘装備も召喚装着が出来るのだけれど、そこまでの装備はまだ不要だというのもイオナの判断だった。
もちろん、どちらにも俺の防御魔法が多重に付与してあるから、今の迷彩服だけでも、特に戦闘に関しての支障は無いはずだ。
「本当は和也に森の出口まで飛んで貰って、ワープポイントの登録をして来てもらうのが一番手っ取り早いんじゃが、自分の足で森を抜けるのも訓練じゃでな」
イオナは、そう言いながら、高く周囲を囲うように聳え立っている土塁に手を当てた。
スッと自動ドアが開くように分厚く高い土の壁が縦に割れたかと思えば、その割れ目が左右に広がって森へと続く通路が出来あがった。
それに合わせて、俺は自分に防御結界とブーストを掛けて10数えた。
みんなにブーストと防御結界を掛ける前に、自分に掛けて少しだけ時間を空けるのは、自分が効果時間切れを先に知る為の保険だ。
緊張が垣間見える面持ちで、まずはティグレノフが大剣を背に歩き出した。
俺はみんなに、少しずつ時間を空けてブーストと防御結界を順次掛けてゆく。
それは、魔素とか言う物が大気に充満しているとイオナが言うこっちの世界では、必要性の薄いただの習慣になっている。
とは言え、その程度の魔力消費を無視出来るほどに魔力が膨大に増えた今でも、スキルを掛けるタイミングにあえて間隔を空けるのは、一気に大量のMPを消費する事を避けるという意味だけでやっているのでは無い。
少しでもスキルを掛ける間隔を空けて、その合間に僅かでもMPを回復させたいというのも、膨大な魔力を持つ今の俺には意味が無い。
俺にとってこの習慣が大事なのは、思わぬ戦闘などで混乱している中でも一斉に同じタイミングで魔法効果が切れる事が無くなるから、これは俺にとって緊急時の保険になるのだ。
「打合せ通りのフォーメーションを、みな忘れるでないぞ」
イオナが、先頭を歩き出した筋肉質で大きな体のティグレノフに声を掛ける。
ティグレノフは、無言で頷いてそれに答えた。
「右ハ俺に任せてクれ」
そう言って、ヴォルコフがティグレノフに続いて歩き出した。
細身のフランベルジュをニンジャ刀のように背負っている姿が、体脂肪の少ない細マッチョな体には似合っている。
イオナに無言で頷いて、レイナが続く。
レイナは左サイドを受け持つようだ。
背にした両手剣の太さと大きさが、不思議とスタイルの良い後ろ姿にマッチしてアンバランスには見えない。
それはレイナの剣士としてのオーラが、並外れて力強いからなのかもしれないと、俺は思った。
続いてメルとアーニャが、ヴォルコフとレイナの間に少し後れて挟まるように並び、その後ろにイオナが続いて、最後尾は俺とバルが受け持つ。
基本的なフォーメーションは、前衛がティグレノフ、ボランチ的に攻撃と防衛を右サイドのヴォルコフと左サイドのレイナが受け持つ。
その三角形のやや後方内側にメルとアーニャの二人、その後ろでイオナが全体を見て指揮を執る事になる。
俺とバルが殿を守る事になったのはイオナの指示なんだけど、ちょっと理解に苦しむ。
一番後ろなんて、背中に目がある訳じゃないから、危険度も高いんじゃないだろうかという不安だ。
なにしろ、俺の後ろは誰も守ってくれないと言うことなのだから……
しかも、俺の隣は何故かチビ幼女のバルなのだ。
今日は向こうの世界のように子猫の姿じゃ無いと言っても、バルはどうみても8歳~10歳くらいの幼女だ。
偉そうなのは話し方だけで、どう考えても頼りになるとは思えない。
もし何かあったら俺がバルを守らなければと、そう決意してみんなの後に続いた。
俺が最後尾になったのには理由があった。
もちろん、チームリーダーであるイオナの指示だからなのだが、その理由も教えて貰っている。
一つは後ろからパーティの全体を見る訓練だ。
支援職でもあり魔法職でもある俺が、いずれはパーティの指揮を執れるように色々見て覚えろと言われている。
もう一つは俺が『見切り』スキルと『危険感知』スキルを持っているからだった。
仮に俺が攻撃を受けても、『見切り』スキルの効果で不意打ちを喰らう事が無いだろうという、そんな理由だった。
それに、俺はパッシブスキルで不死身に近い再生能力『超再生』も持っているから、色んな意味で心配する必要が少ないらしい。
まあ、それは否定しないけど……
それに、訓練を兼ねているから本気で魔法を撃つなとも言われている。
規格外れの魔法を見せずに、基本は支援に徹することがこの世界では俺の当面の役割らしい。
それだけではなく、何故か高レベルの支援が出来る事は、この世界の人の前では内緒にするようにも言われている。
攻撃魔法だけで無く、支援魔法に関しても俺はこの世界で規格外れらしい……
バルは俺の前をトコトコと、気ままに歩いて居る。
チビのバルは気まぐれなので、ポジションの指定は特に無い。
とりあえずは向こうの世界からの流れで、俺の近くに居るだけだろう。
イオナはバルに対して「好きにやれ」と言っていたけれど、まあ戦力としては当てにならないだろう
幼女の姿になったバルが、みんなの足手まといにならなければ良いと言う不安はある。
だけどイオナはバルを見て、遊軍扱いで特定のポジションを割り当てない事にしたようだ。
言葉遣いは古くさいし、謎に包まれているバルだけど、どう見ても気まぐれな只の幼女にしか見えない。
いざとなったら俺が守ってやるしか無さそうだなと、チビ幼女を見て俺はそう思った。
バルは暢気に、あちこちをキョロキョロと見回している。
きっと俺と同様に、この世界の色々な物が珍しいのだろう。
全員が土塁の外に出ると、イオナが出口を元通りに閉じた。
これまでは俺が、見上げるほどに高い土塁に沿って防護結界を張っていたから、森の魔物が中に入ってくることは無かった。
しかし、ここからはそう言う訳にもいかないのだ。
俺は、鬱蒼と茂る森の中で気持ちを引き締めた。
「ほいじゃ、行くかの」
気負いを感じさせないイオナの掛け声を切っ掛けにして、全員が一斉に歩き出す。
俺も、周囲の警戒を怠らないように集中しながらも、遅れずに歩き出した。
ここから隣接する街道までの約10km、徒歩ではどれくらい掛かるのだろう。
都会の平地で、1時間に歩ける距離は4km~5kmだと思う。
それが、こんなに深い森の中だと同じようには歩けないから、仮に倍の時間が掛かるとすれば、5時間~6時間くらいは掛かるのかもしれない。
俺は、イオナが何故朝早く出発したのか、その意味が解った気がした。
途中の休憩や食事の時間を含めると、たぶん街道に出るまでに8時間くらい掛かるのかもしれない。
ブーストが掛かっている事で、どれだけ時間を早められるのだろう。
なんとか、夕暮れまでに森を出たいものだ……
「油断するでないぞ、回りは魔獣ばかりじゃでの」
イオナの指示に、全員が再び無言で頷いた。
俺の感知出来る範囲内にも、いくつか魔獣らしき大きな反応があるけど、こちらに近付いてくる物は居なかった。
山岳用コンパスを左手に持ったティグレノフが、イオナの合図を待ちかねたように刃渡り約40cmの大きな山刀を腰から抜いて、歩くのに邪魔な前方の藪を斬り払う。
進む方角は、予めイオナが空から確認しているから、方位さえ狂っていなければ間違うことは無いだろう。
異世界でメルの国を目指す俺たちの旅は、これから始まるのだ。
そう俺は心の中で決意を新たにして、はやる気持ちを引き締めた。