28:因果の果て
俺は、間に合ってくれと願いながら、彼女に問いかけた。
予想に反して、彼女からは冷静な答えが返ってきた。
〈あたしが何とかしたから、今はまだ大丈夫。 でも、早く来て!〉
〈判ってる。 もう小屋の前だ!〉
俺はそう答えながら、ザウルと共に小屋の角を曲がって裏手に向かった。
そして、そこで見たものは……
地面に尻餅をついたように座り込んでいるサクラと、その足下で間抜けに股間を押さえて屈み込んでいる小柄な男だった。
その左右には彼の取り巻きだろうか、四名ほどの男が居て訝しげに股間を押さえて苦しんでいる男を、心配そうに見ていた。
地面に投げ出された、男達の持っていた魔法式ランプの明かりが、その場の状況を明確に照らし出していた。
まだ、俺たちには気付いていないようだ。
「ザウルが待っているんです。 変なことは、もうやめてください。 あの話はキッパリとお断りしたはずです」
明確に拒絶の姿勢を崩さないサクラの言葉は、かなり口調が厳しい。
しかし、それはこの場の状況を見れば、誰でもその理由を理解ができるだろう。
「あいつは、もう戻っては来ない。 いや来られる訳が無い。 奴はもうお前の前に姿を現せない訳があるのだ。 だから、奴のことは諦めろと言っているんだ」
苦しそうに、顔を上げてサクラにそう告げる男の顔が、ランプの明かりに照らし出される。
それを見た瞬間、ザウルの発する雰囲気が変わった。
「貴様、シャニア…… 」
歯軋りをするような口調で、ザウルが絞り出すように言った名前は、あの隊長のシャニアだった。
たしかに、股間を押さえて呻いている男に、俺も見覚えがあった。
その声を聞いて、真っ先に反応したのはサクラだった。
半ば叫ぶように、彼の名を呼んだ。
「ザウル! あなた、どうして今まで…… 」
最後は声にならない嗚咽に変わっていた。
反対に、驚愕の声を上げたのはシャニアだ。
「ザウル! どうしてここに、なぜ人間の姿に戻れたのだ? 貴様は人では無くなったはず…… 」
最後は、驚愕の余り声がかすれて言葉になっていなかった。
二人の問いかけを受けて、ザウルが口を開いた。
「サクラ、君に逢いたかった。 だけど、君に逢えない理由があったんだ。 それは、このシャニアの汚い罠に嵌められて、僕はもう人では無くなってしまったからなんだ」
「どういう事? だって、あなたは元のザウルと何も変わらないわ」
そんなサクラの問いかけに、黙って首を左右に振るザウル。
その表情は暗くて、ともて哀しそうだった。
「そうだ! どうやって人間に戻った? それが解明できれば、俺の出世は間違いが無い。 それを教えろザウル、これは隊長命令だ!」
相手が人間だと思って侮ったのか、股間の痛みも和らいだのか、シャニアはザウルをなじるように叫ぶ。
その言葉を聞いて、ザウルはゆっくりとシャニアの方へと顔を向けた。
「村から遠い森の中に魔獣退治と称して俺たちに大きな穴を掘らせ、その落とし穴に凶悪な魔獣を大量に誘い込んで落とし、仕掛けた杭で魔獣が絶命したのか調べろと命令したのはお前だよな、シャニア」
「ふん、足を滑らせてその穴に落ちたのは、お前ではないか。 何を逆恨みしている」
「俺が穴に落ちたのは、後ろで支えているからと言ったお前が、俺の背中を蹴ったからではないか。 俺はあの時の背中に走った痛みと、穴の底に溜まった魔獣の血溜まりに全身を包まれた時の絶望感は、未だに忘れていない」
「知らぬな。 お前の勘違いではないのか? それに、人間に戻れたのなら、良いではないか。 お前と俺の付き合いだ、水に流せ」
あくまで白を切るシャニアを見ていると、話を聞いている部外者の俺の方がムカついてくる。
それはサクラも同じだったようで、屈み込んでいるシャニアに突然掴みかかった。
「なんて酷いことを! そんなにまでしてザウルを苦しめて、何が楽しいって言うの?」
涙で綺麗な顔がグチャグチャになったサクラを、邪険にシャニアが払いのける。
それに合わせて手下らしき男達が、尚も食い下がるサクラを強引に引きはがした。
小柄なサクラは男の力で払いのけられてしまえば、ひとたまりも無い。
彼女が地面を転がった時、辺りに響き渡る凄まじい咆吼が、俺の前から聞こえた。
それはザウルが放った咆吼だった。
人間のものとも思えない咆吼に驚いて、サクラを含むこの場の全員が吼えるザウルの姿を茫然として見ていた。
「カズヤくん、ありがとう。 もう、魔法を止めてくれないかな」
小声で、そう告げるザウル。
俺は、その意図を理解して、少し躊躇する。
「下手な言い訳をして彼女の心を傷つけるよりも、それが一番良いと思うんだ」
重ねてそう言われてしまえば、俺にそれを拒む理由も無い。
俺は、ずっとかけ続けていた『エクストラヒール』を止めた。
俺が引っかかっていた点は、まさにそこだった。
嘘をついて自分が悪役になり彼女の前から姿を消すことは、強制的に自分の事を諦めさせるという意味では有効だろう。
もう気持ちが無いと相手に拒絶されてしまえば、自分がどんなに相手を好きでいても関係を続けることが出来ないのは、誰しも納得するしか無い事実だ。
だけど、それは沸き上がる強い想いを無理矢理押さえつけて切り捨てる行為であって、どこか相手の心に大きな傷や過大な歪みを残すのではないかと俺は心配していたのだ。
ザウルは嘘をつくことを止めて、真実の自分を隠す事無くサクラに見せる事にしたのだろう。
その結果が大いなる絶望をもたらす物だとしても、愛する者に自分が愛されていないという嘘から生み出された絶望よりは救いがあるのかもしれない。
ザウルは、俺の貸したポンチョを脱ぎ捨てて、裸に近い自らの全身をランプの薄暗い灯りに晒した。
見る見るうちに、全身に小さな斑点が広がって行き、それが徐々に身体を侵食してゆく。
残酷にも、額に捻れた長い角が生えてゆき、長い牙は伸びてゆく。
おぞましい斑点がザウルの身体を侵食してゆく速度から考えれば、その爪が黒光りする黒曜石で出来たナイフのようになるまでに、さほどの時間も掛からないだろう。
最初はザウルが何をしようとしているのか判らずにキョトンとしていたサクラも、それがどういう事なのかを理解して、驚愕の表情を顔に張り付かせていた。
シャニアは、逆に嬉しそうな表情を見せていたかと思えば、懐から何かを取りだして口に咥えた。
夕闇の静寂の中に、シャニアの慣らす甲高い笛の音がピイイイと何度も繰り返して鳴り響く。
おそらくは緊急連絡用の『呼び子』と言う笛なのだろうと、俺はそれを見て思った。
「もうお前は逃げられないぞ! もう、うちの兵士たちだけでは手に負えないからな、今回は兵士たちだけでなく冒険者ギルドにも応援を要請してあるんだ。 大人しく討ち取られて魔人として不名誉に死ね!」
今ならまだシャニアを殺れると、俺は思った。
しかし、まだ変身途中のザウルは何かを待つかのように、攻撃を仕掛けずにシャニアをジッと睨んでいた。
それを見ていて、俺はハッと気付いた。
きっと、ザウルは自分が人間で無くなる迄の様子を余すところなく、サクラに見せようと考えているのだと。
ふと何かに気付いたかのようにシャニアから視線を外したザウルは、半魔人の姿のまま急に優しい眼差しに変わり、座り込んだ姿勢のまま驚愕の表情を隠さないサクラを、静かに見つめる。
それは事情を知っている俺にとって、とても哀しい決別の意思表示にも見えた。
〈もう、見ちゃいられないわ! カズヤ! もう姿を隠す意味も無いから、あたしの結界を解いてちょうだい〉
アーニャからの念話を受けて、俺もそうだなと思う。
ここから先は、俺たちが何かすれば余計なお世話でしかない。
俺は彼女の隠遁結界を解いてから、ザウルから少し離れて自分の隠遁結界も解いた。
突然、サクラの横に姿を現したアーニャの事は、茫然としたままのサクラには認識出来ていないようだった。
同じように、俺の姿も目に入っては居ないようだ。
「な、なんだお前たちは! どこから現れたんだ?」
俺たちに気付いたのは、シャニアとその手下たちだった。
たぶん状況が理解出来ないのだろう、ただ何もせずに狼狽している事だけは判る。
〈あたしがシャニアを殺っちゃっても良いんだけど、それは余計なお世話ってものよね〉
アーニャから、そんな念話が飛んで来た。
俺たちは通りすがりの傍観者に過ぎないのだから、ザウルの意思に反して何かをする事は彼女の言う通り、余計なお世話でしか無いのだろう。
〈ああ、俺たちに出来る事は、たぶんここまでだ。 だけど、ザウルの計画を邪魔する奴が居たら、遠慮無く介入するぞ〉
〈判ってる。 こっちも、そのつもりよ〉
俺は、アーニャの意思を確認して、再びこの場の様子を見守ることにした。
アーニャも同じつもりなんだろう。
言われなくても、既に一歩引いた位置に下がっていた。
「答えろ! お前たちは何者だ!」
相変わらずシャニアが喚いているが、俺には興味の無い存在だ。
俺は、冷たく言い放った。
「クズは黙ってろ! 燃えカスにするぞ」
俺は、沈黙の魔法をシャニアにかけた。
たちまちシャニアは、モゴモゴと声にならないうめき声しか出せなくなる。
やがてザウルが半魔人に変身し終えた頃、わらわらと兵士たちや冒険者風の男達が武器を手に集まって来た。
よほどシャニアの段取りが良いのだろうと、俺は少し関心をした。
野次馬も、方々から集まって来る。
たちまち、周囲はザウルを中心にして、サクラとシャニア、そしてその部下と俺とアーニャ、そして冒険者たちや兵士たちに取り囲まれた。
その輪から少し離れた比較的安全と思われる位置で、俺たちを取り囲んでいるのは、野次馬たちだ。
その中に、俺はイオナたちを見つけた。
〈何事じゃ? 要点を掻い摘まんで話せ〉
念話で、イオナの声が届く。
アーニャに視線をやれば、こちらを見てコクリと頷いていた。
間違い無い、これは全体に通じる念話だ。
俺はイオナに事情を話して、余計な手を出さないように依頼した。
不介入を最初に言い出したイオナだから、それに異論があるはずも無い。
むしろ、治療の邪魔をしに現れたシャニアの態度を苦々しく思っていただけに、どちらかと言えばザウル寄りの立場を取る俺とアーニャに、理解を示してくれた。
ただし、独断で俺とアーニャが動いたことは、後でしっかり説教が待っているらしい。
それでも構わないから、俺はこの場では好きにさせて欲しいとイオナに頼む。
そして、それは全員の同意を得て、受け入れられた。
〈後でお前には、仲間をないがしろにしたペナルティを課さねばならぬがな…… 〉
そう言って、イオナは黙る。
俺は僅かに頷いて見せて、イオナと仲間たちに感謝の意を伝えた。
ドン! と言う鈍い音が聞こえて俺がザウルの方を振り返ると、彼の腹に深々と槍よりも太い、まるで丸太のような矢が突き刺さっている。
キリキリと何かを巻き上げる音に気付いて振り向くと、そこには台車に乗った大きな弩が三台も並んでいた。
腹に大穴を空けられてよろめくザウルに向かって、一斉に周囲からの攻撃が開始された。
剣や槍をもってザウルに遠慮無く襲いかかる冒険者達と、及び腰なまま武器を構えているだけの兵士たちが、明確にそれぞれの立場の違いを現している。
五本六本と、ザウルの身体に通常サイズの矢が突き刺さる。
しかし、半魔人となったザウルには深手を与え切れていない。
ザウルが抵抗をしないのを良い事に、冒険者たちが次々と襲いかかり、その身体を斬りつけ、魔法でダメージを与えようとする。
俺は見ていられなくなって、離れた位置からヒールを掛けた。
たちまち全快するザウルの傷跡を見て、野次馬たちや冒険者達からどよめきが上がる。
ザウルは、俺の方を見て哀しそうに首を振った。
そして寂しそうな眼差しで、座り込んだままのサクラを見つめる。
再び、ドン!と言う鈍い音が続いて、ザウルの肩に、そして腹に、弩から発射された直径10cm程の太い矢が次々と突き刺さった。
よろめくザウルを見て、逆に意気上がる何も知らない冒険者たち。
俺は、ついその光景から目を逸らしてしまった。
ザウルの考えは事前に聞いてはいたけれど、それを目の当たりにするのは惨すぎて耐えられそうに無い。
彼は、サクラの目の前で忌むべき魔人として死のうとしていたのだ。
人間では無い魔人として出来るだけ不名誉に無残な死を選ぶ事で、人間としての自分に対するサクラの未練を断ち切らせ、強引に新しい道を踏み出し易いようにと言うのが、ザウルの選んだ方法だった。
ただし、それは最後にシャニアに意趣返しをしてからの話なのだが、弩はザウルの想定していなかった武器だった。
このままでは、シャニアに復讐を遂げずに倒されてしまうのではと、心配をしながら俺はザウルの最後を見守ろうと、彼に向き直った。
既に矢が全身に突き刺さって、まるでハリネズミのようになっているザウルが、そこにいた。
体中の切り傷も、いたるところにある。
一つ天を仰いだザウルが、大きく息を吐き出して右腕を振るった。
たちまち巻き起こる突風が、目の前の冒険者達を軽々と吹き飛ばす。
彼が本気で戦えば、この村に居るような冒険者たちでは刃も立たないのだろう事が、良く判る。
冒険者たちが吹き飛んで出来た場所に、シャニアが居た。
彼は『サイレンス』の効果が持続しているせいで、上げているであろう悲鳴すらも声になっていない。
必死で、逃げ去ろうとするシャニアが、突然足をもつれさせて無様に転んだ。
俺が『バインド』系の魔法を使って、見えない鎖で彼の足を縛り付けたのだ。
彼の復讐を妨げる奴は俺が排除するとのつもりで、俺はその場面を見つめる。
腹に大穴の空いたザウルは、ゆっくりとシャニアに近付いてゆく。
這いずって逃げようにも、シャニアの足は見えない鎖に縛られていて、まともに動くことは出来ないだろう。
背後から襲いかかろうとする冒険者を、左手をふるって巻き起こした突風で吹き飛ばし、更にシャニアに近付いてゆく。
満身創痍のザウルがシャニアの前に立って、何かを言った。
「そんなに、力が欲しいか?」
当然『サイレンス』の効果中であるシャニアは声が出せない。
元々効果時間の短い術だけれど、俺は意図的に『サイレンス』を解除した。
「や、やめてくれ。 助けてくれ…… 」
ようやく、シャニアが何を言っていたのかが判った。
まだ手を出さずに、いつでも殺せる位置で、ザウルはシャニアに声を掛ける。
「手に余る力を得て、それでどうするつもりだったのだ?」
自分に手を出してこないザウルを見て、殺す気が無いと勘違いしたのか、シャニアが問いかけに答えた。
それは、ろくな奴じゃないと判るだけの答えだった。
「昔から、お前は俺の欲しいものを、いつでも先に手に入れてきた。 兵士になるのも、みんなの憧れだったサクラを手に入れるのも、仲間の人望を集めるのも、村人の評判すらもだ。 それはお前が居なければ、俺が本来手に入れてきた筈のものだ! 利用出来る力を利用して、何が悪い!」
口の端に泡を溜めて、叫び続けるシャニアを見て、兵士たちから失望の溜息が漏れる。
兵士たちの中には、デキシーもいた。
そんな事も構わずに、叫び続けるシャニア。
目の前に迫る恐怖を前に、見栄も外聞も気にする余裕すら無いのだろう。
「俺は、こんな俺を正当に評価しない村を出て、町でより高い地位を手に入れるのだ。 そのために、お前をコマとして利用したに過ぎない。 お前が人で無くなれば、それは一石二鳥。 むしろ、人で無くなる事を願って罠を仕掛け、お前を選んだんだ!」
シャニアを非難するささやきが、野次馬たちから漏れ聞こえてきた。
ザウルに攻撃を仕掛けていた冒険者達も、事実を知って攻撃を加える者も居ない。
それでも構わず、シャニアは叫ぶ。
自暴自棄というのは、こういう事を言うのだろうか。
「ザマを見ろ! すでに、お前は人ですら無い。 見ろ、自分の醜い顔を」
そう嘲るシャニアの声を遮るように、アーニャが叫んだ。
「醜いのは、あなたの心の方よ!」
サクラも呆然とした状態からようやく現実に戻ったようで、軽蔑したようなキツい眼差しでシャニアを睨んでいる。
それはサクラだけでは無く、兵士たちや冒険者たち、そして野次馬たちも同様だ。
あたかも刺すような厳しい視線が、周囲からシャニアに向けて突き刺さっていた。
「その通りだ。 本当に醜悪なのは、いったいどちらなんだろうな?」
ザウルはそう呟きながら、ゆっくりと手を伸ばして左手でシャニアを胸元まで抱え上げる。
悲鳴をあげて暴れるシャニアだが、非力な人間の力では半魔人と化したザウルに敵うはずもない。
「こんな身に余る力など、お前にくれてやるから受け取れっ!」
そう言うが早いか、ザウルは黒光りするナイフのような右手の長い爪を振り上げて、振り下ろした。
シャニアが断末魔の凄まじい悲鳴をあげて、無意識に攻撃を防ごうと言うのか、自由になる両腕を顔の前で交差させる。
しかし、その鋭利な刃物のようなザウルの右手は、シャニアの顔の横を通り過ぎて自らの胸に深々と突き刺さった。
そのままグイと指先を押し込み、ナイフのような爪で自らの胸を切り開くザウル。
ザウルの心臓から吹き上げる真っ赤な血しぶきがシャニアに向けて、大量に浴びせかけられた。
思わず耳を塞ぎたくなるような、限りない絶望と果てしない哀しみを込めた悲鳴が、それを目の当たりにしたサクラの口から絶え間なく迸り出る。
俺はザウルとの約束を果たすために、スパイクボアを解体した時の要領で、ザウルの全身に空気の圧力を掛けた。
一旦弱まっていた血しぶきが最後の一滴まで絞り出されて、左手で抱きかかえたシャニアに降り注ぐ。
やがて、糸の切れた操り人形のように、ザウルの身体は力無く崩れ落ちた。
それよりも僅かに早く、シャニアの身体を拘束していたザウルの力が弱まり、彼はザウルの足下に出来た血溜まりに背中から落ちる。
相変わらず、調子の外れた初心者の弾くバイオリンのような、甲高く耳障りなサクラの絶叫が俺の耳と心をギリギリと痛めつけていた。
半ば放心状態になりつつあった俺の頭に、バルから放たれた念話が突き刺さる。
〈何をしておるのじゃ! ザウルをこのまま晒し者にしておく気かっ!!〉
ハッと我に返った俺の目に、血溜まりの中からザウルを拾い上げて軽々と俺の方にジャンプしてくる金髪ストレートロングの幼女が映った。
バルの衣服も迷彩模様のお陰で目立たないとは言え、ザウルの身体に付着した血の残滓で酷く汚れている。
俺は反射的に『クレンリネス』の魔法を使って、バルとザウルの身体をクリーンナップした。
一瞬で、ザウルの身体もバルの身体も、さっきまで付着していた血の汚れが嘘のように消えて、俺の足下に到達する。
俺は、ザウルの胸に空いた悲惨な傷跡を塞ぐために、『エクストラヒール』を掛けた。
それも、必要も無いのにレベル10でだ。
俺が、魔力量のコントロールを忘れていた事を思いだしたのは、そのすぐ後だった。
俺は、『クレンリネス』をかける時から、魔力量の調整を忘れていたようだ。
しかしバルの様子を見ても、何か影響が出たようには見えない。
バルは地面に膝を突き、小さな膝を枕にして、その上に真っ白なザウルの頭を乗せていた。
俺は安心して、血溜まりの中のシャニアに視線を移した。
そして慌てて、再びバルの膝の上に視線を戻す。
バルの膝の上には、人間の姿に戻ったザウルが頭を乗せて横たわっていた。
俺は信じられない物を見たような思いで、バルに問いかける。
「おい、ザウルが人間に戻ってる」
「うむ、体中の血を絞り出した事で悪い物が全て抜け落ちたのか、それともカズヤのクリーニング魔法で悪い物が浄化されたのか、あるいはその両方か、それともどちらでも無いのか、誰にもまだ判るまい」
ザウルの顔を上から眺めながら、バルがそう言った。
確かに、もしかしたら死んだから人間に戻っただけなのかもしれないなと、俺は思い直した。
サクラの方へと目をやれば、叫び疲れたのか泣き崩れたサクラを、アーニャが懸命に慰めているようだった。
この不幸を生み出した全ての元凶であるシャニアの姿が、ぼんやりとサクラを見る俺の視界の端にあった。
そのシャニアの様子が、何やらおかしかった。
既に『サイレンス』の魔法は効果が切れているから、彼はザウルが死んで全ての問題が終わった事を悟り、狂ったように笑い出していた。
「俺が手を下すまでもなく、自分から死にやがった。 本当に馬鹿な奴だ、馬鹿だ、馬鹿すぎる」
そう叫んだ後、聞いている者全員の神経を逆撫でするようなシャニアの笑い声が、突然スイッチを切ったように止まった。
次に全身血まみれの姿のまま苦しそうに自分の胸をかきむしり、喉の奥から絞り出すような異様な声で天に向かってうめきだしたのだ。
俺は、何が起きているのかを理解していた。
これがザウルの考えた、自らの命を代償とした復讐なのだ。
シャニアのうめき声が、次第に低くこもった音に変わってゆく。
見る見るうちに変貌してゆくシャニアの身体を、俺は静かに眺めていた。
自らの衣服を自分の手で引き裂いたシャニアの全身は、ポツリポツリと体中に生まれた黒っぽい斑点が次第に浸食してゆき、やがて額には鋭い角が捻れながら伸びてゆく。
その爪はナイフのように黒光りして鋭く伸び、細くひ弱だった筋肉は大きく膨れあがり、その顔は醜く悪魔のような醜悪なものとなっていった。
自分の身体に起きた変化に驚愕するシャニアは、まだ人としての意識はあるようだった。
俺の耳に、地面に近い位置から発せられる男の叫び声が届いた。
「変化したての時は、まだそれほど人からかけ離れた力は無いっ! 魔人を倒すなら今だ、デキシー!」
驚いて下を見ると、バルの小さな膝の上から上半身を起き上がらせたザウルが、シャニアを取り囲んでいる兵士の中に居たデキシーに、そう指示していた。
その声を聞いてデキシーが頷き、兵士たちに指示を出す。
「全員で憎い魔人を倒すんだ! 今なら殺れるぞ!」
たちまち、先ほど迄及び腰だった兵士たちから、『おう!』と一斉に声が上がる。
様子を見ていた冒険者たちも、一斉に武器を構え直した。
俺は、倒れて居た兵士や冒険者たちにヒールを飛ばして全快させ、戦列に復帰させた。
攻撃が始まると、変身しきっていないシャニアだった魔人に、矢が剣が槍が殺到する。
数少ない魔法使いからも、炎の球や氷の槍がシャニアだった魔人に向かって降り注ぐ。
しかし、槍を突き刺され、身体を焼かれ、ハリネズミのようになっても、シャニアだった魔人は倒れない。
それどころか、取り囲む兵士たちや冒険者を振り飛ばし、腰を落としたままのサクラの元へと駆けだした。
その姿が、サクラを目前にして無様に転んだ。
俺がイオナの真似をして、奴の膝裏と太腿の筋肉に微電撃を喰らわせたのだ。
俺はそこまでやっていないのに、手を突き出して受け身を取る事もせずに、まるで棒のように硬直した状態で顔面から地面に突っ込むシャニアだった魔人。
〈まだまだ、甘いのお〉
そんな念話が、イオナから飛んで来た。
ただ黙って見ている性格じゃないとは思っていたけど、やっぱりだ。
大きなダメージを負っているはずなのに、それでもムクリと起き上がり、シャニアだった魔人はサクラに向かって右手を差し出した。
「あんた! 未練がましい上に、しつこいのよっ!」
その時、ツイとサクラを守るようにシャニアだった魔人の前に立ち塞がったのは、金髪巻き毛のロリ美少女だ。
アーニャは、目の前の魔人に冷たく言い放った。
「さっさと死になさい!」
そう言うが早いか、彼女は右手を突き出した。
俺はその意図を察して、アーニャにレベル10の『身体能力向上』をかける。
効果があるか確信があった訳では無いが、ゲームであればアーニャの魔力値は+10されているはずだから、現実の世界でも彼女の持つ力はかさ上げされているはずと俺は考えた。
アーニャが突き出した右手をギュッと空中で握ってみせると、シャニアは胸を押さえて掻きむしりのたうち回り始めた。
それでも絶命せずに、アーニャに攻撃を仕掛けようとするシャニアだった魔人に向けて、冒険者たちの中から、あの火魔法使いのシエラが何かを仕掛けようとしているのを俺は見つけた。
俺は、シエラに『ブレッシング』を掛けて詠唱速度も上昇させ、密かに彼女の攻撃と同時に攻撃魔法を放った。
『断罪の矢!』
突如宙空から高速で落下してきて、元はシャニアだった魔人を昆虫採集で捕らえられた虫のように地面に縫い付けたのは、燃えさかる大きな槍のような断罪の矢だ。
それは、シエラの放った火の玉が魔人を直撃したのと同時に、その高温で魔人の身体を焼き尽くし、瞬く間に僅かな量の燃え滓に変えて消えた。
シエラは、自分の放った魔法で見た事も無い攻撃が発生した事に、戸惑い驚いていた。
俺は知らん顔をして、それを見ない振りをする。
「君はいったい…… 」
足下では、ザウルが驚愕の表情で俺を見上げていた。
俺は、小さく右目でウィンクをして、人差し指を自分の唇にそっと当てる。
翌朝、俺たちは村を出発する馬車の中に居た。
レベルが低いために安い賃金だが、サクラが手配してくれた護衛の初仕事だ。
村を出る門の前では、元気そうなザウルとサクラが手を振っていた。
俺たちも、馬車の後部から彼らに手を振り返す。
次の目的地は、北にある大きな都市であるヤムトリアだ。




