24:一縷の望み
〈どうするの? カズヤはどっちに付くつもりなの? どうせあなたの事だから、どっちも見殺しには出来ないなんて甘いこと考えてんでしょ〉
見事に、そして痛いほどに図星だった。
正直なところ、まだ俺はどちらも見殺しにしたく無い。
そりゃあ話の成り行きで、結果としてどちらかに味方をする事はあったとしても、まだ積極的に自分からどちらかの味方をする気にはなれない。
敢えてどちらかを選べと言うなら、俺の気持ちの比重は自分が治療をした兵士の側にあるのだけれど、それで悩まずに答えが出せるほどの強い想いでも無かった。
どうせまたイオナやアーニャには甘いと言われるんだろうけど、好き合っていると言うザウルとサクラは幸せになって欲しい。
だからと言って、俺はせっかく治療した兵士たちにも怪我や命の危険を冒して欲しくなかった。
あっちの世界にあんな形で残してきてしまった、大好きだった紫織の事を考えると、好き合っている者同士であると言うザウルとサクラには、俺のような哀しい別れという結末を迎えさせたくはない。
俺の心の底にある未練や心残りといった物を、良く知りもしない二人の姿に自己投影しているだけなのかもしれないけれど、やっぱり物語の最後はハッピーエンドで終わって欲しいと思う。
〈アーニャは、どっちなんだ?〉
俺は自分で答えが出せないまま、そう訊ねてしまった。
関わるなと言っていたイオナならば、見ない振りをしてこの場を立ち去るのだろうけれど、何故か俺はそれも出来ないでいる。
〈マンガの主人公なら、ここはどっちも見捨てないって格好良く言うところだけど、冷静に考えれば人間を辞めた化け物よりも、普通の人間である兵士の味方をするべきじゃないの?〉
〈だけどあれがザウルなら、死ねばきっとサクラが悲しむぞ〉
アーニャの言う事は正論で反論の余地も無いけれど、それを単純に選択出来ないから悩んでいるのだ。
結局俺が思い切れないで居るのは、冒険者ギルドで働くサクラを見たからだった。
彼女は、まだザウルがこんな生き物に変わり果ててしまった事を知らない様子だし、彼の母親も心配しすぎて病に伏せっているような話だった。
それを知ってしまった以上は、単純に兵士の味方をするという選択をし辛いのが、俺の偽ざる気持ちなのだ。
〈サクラは、まだザウルが魔人になった事を知らないんでしょ? だったら行方不明になったままにしておいて、残酷な真実は知らせない方が幸せってものじゃないのかしら?〉
そんなアーニャの言葉は、とても現実的で説得力もあるのだけれど、俺はそこまでスッパリとどちらかに割り切って考える事が出来なかった。
そんな事を悩んでいる間にも、眼下の出来事は止まること無く動いていた。
「ザウル! 今は人の意識があるのか? 俺たちが判るか?」
「ザウル! 何故逃げないんだ、頼むから遠くへ逃げてくれ!」
「もうじき、こっちにもシャニア隊長たちが来るから、意識があるなら逃げてくれ」
「俺たちは、幼馴染みのお前と戦いたくないんだ!」
「いや、いっその事、ザウルにシャニア隊長をぶっ殺させてやった方が良いんじゃないのか?」
「ダメだ! そうなったらもう俺たちだけの問題じゃ無くなって、冒険者ギルドの耳に入るかもしれないだろ」
「だけど、俺たちだけでどうにもならない事は、とっくに判ってるじゃないか。 いったい俺たちが何人掛かったら、ああなったザウルを止められるんだよ!」
「だから、完全体になる前に遠くへ追いやるって決めただろ」
「そんなの、俺たちの知らない場所で冒険者ギルドの魔人狩りパーティにザウルが殺されるってだけで、何の解決になってないぞ」
「ザウル! シャニア隊長には、いつか相応の報いを受けさせる。 だから、お前は遠くへ逃げてくれ。 例え卑怯と言われても、狡いと言われても、俺たちはお前と戦いたく無いんだ!」
内輪もめっぽいやりとりの最後に、ザウルに向かって言い放たれた声に聞き覚えがあった俺は、そちらへと視線を動かす。
そこに居たその人物の顔には、確かに見覚えがあった。
〈カズヤ! あれって、夕べのデキシーって兵士じゃないの?〉
先にアーニャが、俺にしがみついていない方の左腕を伸ばして、その男を指差す。
そこに居たのは夕べ俺たちに事情を話してくれた、あのデキシーという兵士だった。
その後ろで槍を構えている兵士たちも、夕べ修練場でカレー雑炊を配った時に見覚えのある、そんな顔ばかりだ。
その格好が、一様に腰が引けているように見えるのは、初めから彼らに戦意が無いからなのだろう。
俺は空中でアーニャと一緒に、事の成り行きを見守っていた。
そう、いつでもヒールを放てるように、身構えたままで……
アーニャも右腕を俺の背中に回して、何も言葉を発せずに状況の推移を見ているようだった。
ただし、その右腕の先がギュッと俺の迷彩服の布を握り締めた事は、衣服を通して伝わる彼女の小さな腕の感触で判る。
何かを迷っているかのように、小さく首を振るザウル。
その知性をも感じさせていた表情が、瞬時に憎悪を周囲に撒き散らすように醜く変化した。
小さなどよめきと共に、その威圧感に気圧されて、半歩下がる兵士たちが見えた。
彼らも、目の前に居る半魔人の様子が大きく変わった事に気付いたのか、動揺を見せながらも互いに小さく目配せをしていた。
半魔人のザウルは、デキシーたちを見ているのでは無い。
彼の視線を追って行くと、その険しい眼差しはデキシーたちの更に後方へと据えられていた。
俺は、その視線の先を追う。
そこには、森の中からあのシャニアという男が、20名程の兵士を引き連れて下ってくる姿があった。
奴等も眼下にザウルの姿を認めたらしく、シャニアが斜面を駆け下りる部下の兵士たちに何やら指示を飛ばしているのが見える。
シャニアの動きを追っていると、奴はいつの間にか最後尾に移動していた。
ザウルと対峙していたデキシーたちもシャニアを見つけたらしく、何事か小声で話し合っている様子だ。
俺はアーニャを横抱きにしたまま、スーッとデキシーたちの近くへ空中を平行移動した。
時を置かずピクリと、ザウルが濃い灰色をした険しい顔の中に訝しげな表情を見せて、俺たちの方へ視線を動かす。
おもわず、まさか見つかる訳が無いのにと思いながらも、ドキリと心臓が大きく波打つのを止められなかった。
気配とか言う訳の判らないものが本当にあるのかと、俺が動揺している間に、シャニアの叫び声にも似た、耳に痛いような神経質そうな声が聞こえて来た。
良く通る甲高い声で、部下にザウルへの攻撃命令を下していたのだ。
「行け-! 足だ! 足を狙え! まず奴の動きを止めるんだ」
デキシーたちの場所まで駆け下りてきた処で兵士たちは、シャニアの命令を受けて槍を構えてザウルを包囲しようとしていた。
10名程がシャニアの前で一列になり、弓を構える。
その時、周囲に響き渡る程の大音量で腰を僅かに落としたザウルが、シャニアたちを威嚇するかのように両手を握り締めたまま左右に開き、猛獣のような低い声で一度だけ吼えた。
見ている間に、先ほど迄知性を感じられていたはずの表情は、醜く憎悪に満ちた悪魔のような顔に変じて行く。
メリメリと音を立てるかのように、先程まであった細長い角がねじくれながらも徐々に伸びて行き、最後には40センチ程の長さになっていた。
バンプアップしたかのように腕や足など体中の筋肉が大きく膨れあがり、吸血鬼のような牙が口を閉じても隠せないほどの長さになっていた。
心なしか先程よりも、濃い灰色だったはずの身体の色が、より濃くなったようにも思える。
そして、何よりも凶悪な黒光りした長い爪が、ナイフのように指先と足先から伸びていた。
周囲の空気を大きく振るわせるような迫力で、もう一度ザウルが大きく吼えた。
その激しい憎しみに満ちた視線は、弓兵をザウルに対する盾のようにしている隊長のシャニアに向けられていた。
「てぇー!」
シャニアの甲高い声が、林の中に響き渡る。
槍を構えている兵士たちは、既に手酷くやられているからなのか、腰が引けていて中々手が出ないようだ。
そこへ、弓兵たちの撃った矢が僅かに放物線を描きながら、次々とザウルに向かって飛んで行く。
強烈なスウィングで、ザウルが右腕を振るうとその場に突風が発生した。
ザアッという草木の激しく擦れるような音と共に、彼に向かって降り注ごうとしていた10本ほどの矢が、空中で薙ぎ払われたかのように姿勢を乱して、散り散りに吹き飛んで行く。
〈あれって魔法じゃないの〉
〈ああ、風魔法みたいだ。 腕の振りだけで、あんな突風が起こる訳が無い〉
〈魔人って、魔法も使えちゃうの〉
〈たしかファルマさんが、そんな事も言ってなかったか?〉
〈和也がヴォルコフに渡した剣に付与した、風魔法にも似てるわね〉
〈ああ、ヴォルコフが使いこなせればだけどな〉
俺たちのそんな野次馬のような、どうでも良い感想を余所に、ザウルとシャニア率いる兵士たちの戦闘は繰り広げられていた。
しかし、元から戦意の薄い兵士たちは地力の圧倒的な差もあって、シャニアの甲高い叫び声にも似た指示も虚しく、あくまで一方的にやられていた。
やりたくないけれど、やられて死にたくないから必死で攻撃を繰り出す。
だけど、積極的に責める気持ちが元から無いから、どうしても小手先の攻撃になってしまうのは否めない。
そして、きっと手加減をしているのだろうザウルの攻撃によって、吹っ飛ばされてゆく兵士たち。
その中には、あのデキシーの姿もあった。
俺は、兵士たちが攻撃を受ける度に、小刻みに素早く治癒魔法を放っていた。
だからと言って、即全快するようなレベルでは魔法を掛けていない。
何故ならば、完全復活をさせてしまえば、エンドレスで戦闘が続きかねないからだ。
その上で、怪我をしない兵士たちにシャニアが疑念を抱く事も充分に考えられる。
俺はそのリスクを避けるために、最低限度の血止めと、怪我で損傷した部位の軽い補修のみに徹していた。
イオナに鍛えられた微細な魔力コントロールと、恐らくこの世界では俺にしか出来ないだろう、無詠唱によってのみ生まれる同時多発治癒魔法があればこその、連続技だった。
口数少なく、アーニャと念話をしながらも、魔法は小刻みに連発している。
だから兵士たちは、治りかけで止めた傷の痛みと打撃を受けたショックで倒れて居るだけで、命に別状は無いはずだ。
〈こんな風にして、あの怪我人が大勢生まれた訳なのね〉
〈ああ、そういう事だな〉
〈見て! 形勢不利と見てシャニアが逃げるわよ〉
〈ひでーな、あれでも隊長だもんな〉
〈指揮官の面汚しだわ、あんなのに命を預ける兵士が可哀想過ぎる〉
〈おい、増援が来たみたいだぞ〉
俺の指差す方向から、30人ほどの兵士がこちらへ向かって来ていた。
ここで戦っている兵士たちと合わせれば、総勢はあの大部屋を埋めていた人数と同じくらいになるはずだ。
〈見てよ! 増援が来たのを見つけて、シャニアがそっちと合流するつもりよ〉
〈呆れるほどにクズだな…… 〉
シャニアの指示を受けて、倒れた仲間を助けに向かうのか兵士たちが駆けつけてくる。
しかし、シャニアは離れた場所でそれを眺めていて、こちらには近付いてこなかった。
こちらに来れば半魔人のザウルが居るのだから、倒れた仲間を救出する為にも戦いにならない訳が無い。
彼らには、倒れて居る兵士たちが気絶しているだけだとは、判らないのも無理はないだろう。
予想通り、到着した兵士たちはザウルに攻撃を仕掛ける。
その隙に、何名かの兵士が倒れている仲間を抱き上げていた。
〈あーあ、力の差は歴然としているのに、良くやるわよね〉
〈倒れて居る仲間が実は怪我をしていないとか、判るはずが無いからなあ…… 〉
俺は、更に小一時間ほど調整したヒールを飛ばし続けた。
結果は最初から見えていて、圧倒的な戦力差があって初めから勝てる訳が無いのだ。
それでも、ザウルも手加減はしていると見えて、一撃で首を切り落としたり腹に大穴を空けるような攻撃は仕掛けてこない。
だからこそ、俺の微少ヒール連発でも死人が出ていないのだろう。
兵士たち相手に暴れながらも、ザウルの顔には時折知性の欠片が顔を見せていた。
それは、攻撃を躊躇するような仕草だったり、反射的に振り上げた手を振り下ろす瞬間にチラリと垣間見えていた。
〈見てよ、シャニアがもう居ないわよ〉
全ての兵士が倒された時、ヒールの同時展開から解放された俺に、アーニャが呆れたように念話で話しかけてきた。
言われて奴が居た方を見れば、既にシャニアの姿は戦場から消えていた。
60名以上の兵士全員が気絶して倒れて居るという、壮絶な現場からザウルが立ち去ろうとしていた。
悪魔のようなその醜い顔には、押さえきれない破壊への衝動と戦う、僅かに残った理性のせめぎ合いが見受けられると、俺は思った。
その戦いぶりから、まだ人の心が残っているのだなと思った俺は、ザウルが身体に負った傷にも、ピンポイントで手加減無しのヒールを飛ばしてみた。
それを見て、アーニャが驚いた様子を見せる。
〈ちょっと、カズヤ! あれって…… 〉
〈ああ…… 〉
その時、ヒールを飛ばした傷口を中心としてザウルの濃い灰色だった皮膚の色が、人間の肌色になり、そして僅かな間を置いて元の濃い灰色へと戻っていった。
自分の腕や腹の傷が癒えて、その上で元の肌色に戻ったことを確認したザウルも驚いた顔をしていた。
しかし、すぐに濃い灰色が人の肌を侵食して元の半魔人の色に戻ると、大きく落胆した様子は隠せなかった。
もしかしてと思い、俺はザウルの全身にレベル10のヒールを飛ばす。
予想通り、全身が人の肌色に戻り、再び驚愕の表情を見せるザウル。
しかし、その悪魔のような角や爪や顔や、膨れあがった身体つきまでもが元に戻ったわけでは無かった。
そして、俺の期待と予想に反して、ザウルの全身にポツリポツリと濃い灰色の斑点が次々に浮かび上がり、人の肌をジワジワと浸食していった。
ザウルは希望に満ちた顔から、やがて絶望に満ちあふれた顔となって、濃い灰色に浸食されてゆく自分の両手の平を哀しそうに見つめていた。
そして何かを振り切るかのようにグイと顔を上げると、自分の身体に起きた事の原因を探るように、辺りを見回し始める。
だけど、結界魔法に守られた俺とアーニャの姿が見える訳も無く、力無く肩を落とした。
そして、この場から立ち去ろうとするかのように、力無く山の方へと振り返る。
「待ってくれ!」
俺は衝動的に隠遁結界を解いて、背中を向けたザウルに声を掛けていた。