23:人間以上 魔人未満
アーニャのクエストで指定されたジリスを採集し終えた事で、必然的に次は俺の目標植物を探す順番になる。
資料に書いてあった採集場所はサクラが上手く振り分けたらしく、この近くでは無い。
例え初心者クエストと言えども、さり気なく俺たちに楽をさせない目標を指摘する辺り、サクラはお飾りのアイドル受付嬢では無いという事なんだろう。
俺は、そんなしっかり者のサクラが選んだザウルという男も、きっと真面目な良い奴なんだろうなと、勝手に思う。
俺とアーニャは、目標を達成して用無しとなった川沿いの農道から外れて、山の近くにある畑に隣接した林を目指して移動する事にした。
早々に一つ目のクエストを達成した余裕から、俺とアーニャはのんびりと並んで歩く。
俺は、できるだけチビなアーニャのペースに合わせるように、ゆっくりと歩いた。
その横を、俺に遅れまいとトコトコと早足で歩くアーニャを見ていると、なんだか微笑ましい気持ちになる。
もう少しペースを落とした方が良いかなと思い、チラリとアーニャの顔を伺うと、忙しげな足取りとは裏腹に平然とした顔をしていた。
ちょっと意地悪をしたくなった俺は、ほんの少しだけ歩く歩幅を広げてみる。
きっといつもなら、俺の歩くのが早過ぎるとか、あなたはデリカシーが無いとか、言いたい放題に言われる筈なのに、今日は何故かそんな罵声が飛んでこなかった。
心なしか一生懸命に早足で着いてくるアーニャは、少しだけ眉毛の角度がきつくなった気がしないでもない。
それでもチビロリな金髪美少女は、パワーレベリングじみたあの森の中での特訓で得た体力の成果なのか、まったく疲れた色を見せてはいない。
それでも、俺との物理的な身長差は如何ともしがたいもので、歩調を早めることでしか俺のペースに会わせることが出来ないのは仕方ないだろう。
別にアーニャが俺をなじる展開を期待していた訳じゃ無いけど、ちょっといつもと違うパターンに拍子抜けして、俺はなんだか急に罪悪感が湧いてきてしまった。
俺が意識してペースを落とすと、心なしかアーニャの顔がホッとしたように緩んだ気がした。
俺たちは何事も無かったかのように、そのまま黙って目的の林を目指して歩く。
何か文句を言ってくれた方が、俺としては気が楽なのに、俺たちは何故か無言だった。
サクラが俺に指定した採集植物は、日の当たりにくい木陰にひっそりと咲くと言う、オレンジ色のヤブリ草という百合に似た花だ。
俺は、いつもと違うアーニャの反応を測りかねて、資料室で調べたそんな内容を思い返していた。
気のせいか、俺とアーニャの物理的な距離が近いような気もする。
このチビロリ金髪娘は無邪気に何にも考えていないんだろうけど、人と人とが平和で居られる距離を侵害されて、俺は不快では無いものの少しだけ動揺をしていた。
まったく、アーニャのくせに生意気だ。
心の中でそう思い直して、俺はそれを気にしないことにした。
何がアーニャのくせになんだか自分でも判らないけど、無理にでもそう思わないことには、俺の心のバランスが取れなかったのだ。
俺よりも年下で子供っぽい見かけのアーニャは、あくまで妹のようなポジションでなければならないのだと、俺の心の何処かがそう言っていた。
採取指定されたヤブリ草を探すための目印は、その特徴深いオレンジ色の花だ。
しかし、俺がクエストで採取を義務づけられているのは花では無い。
何故ならば、それは地中に埋まっている球根の方が、冒険者ギルドから指定をされた部位だからだ。
俺たちが向かった畑と山の境界あたりにある林は、背の高い下草に混じって鱗の生えた椚のような低木が、所々まばらに生えている。
俺とアーニャは、行く前に予想していたよりも長い下草を掻き分けながら、慎重に少しだけ林の中へと入っていった。
運が悪ければ害獣にやられてしまう可能性は、川辺よりも山に近い林の方が遙かに高い事は、容易に想像できる。
人里近くに出没する害獣の活動が活発では無い昼間であるという条件が、その危険性を緩和しているのだろう。
そうでなければ、こんな場所が初心者向けのクエストに指定される筈が無い。
俺はアクティブスキルの気配探知を張り巡らせて、周囲の警戒をしていた。
しかし害がある無いに限らず、あまりに多数の生き物の反応があって、感知するサイズを一定以上の大きさに絞らざるを得ない。
パッシブスキルである危険探知は、俺自身に対する害意とか殺意の類いしか感知ができないようだから、二人連れの場合はあまり過信ができない。
だから、アーニャに迫る危険は当然のように、俺には感知が出来ない事になる。
イオナは、スキルに頼り切らずに自分自身の感覚も使えと言うけれど、俺は武道の達人じゃ無いし、それは言うほど簡単なことじゃあ無いと思う。
だけど、俺と同じように危険や気配というものを、探知スキルを持っていないヴォルコフやティグレノフも感じているのは、そういう気配と言う物が実際に存在すると言う事なんだろう。
俺たち二人は、その存在をアピールするような物音を極力立てないように、充分に気をつけて進んでいた。
ゆっくりと草を掻き分ける時に、どうしても発生してしまう小さなガサガサという擦過音を立てないような歩き方は、間違い無く俺よりもアーニャの方が遙かに上手だ。
「アーニャ、俺の後ろに入れ」
俺は、彼女だけに聞こえるような小さな声で、短く言った。
左手を伸ばしてアーニャの動きを制すると、俺はその場で静止する。
「ちょっと、いきなりどうしたのよ? あそこに目的のヤブリ草そっくりな花が咲いてるのに」
俺は、少し離れた林の中にポツンと存在する濃い茂みの先に、何か比較的大きな気配が有る事を感知していた。
しかし、危険感知は未だに反応していないだけに、どうすべきなのか判断に迷う。
アーニャの言っているヤブリ草らしいオレンジ色の花も、その茂みの中に小さく見えていた。
クエストを進める為には、目の前の茂みの中に分け入る必要がある事は、誰の目にも明らかだろう。
防御結界は、この林に入る前に2人とも掛けてあった。
だから、万が一の場合も俺たちが被害を受けることは、無いと言って良いと思う。
僅かな躊躇の後に、俺たちは目の前の茂みにゆっくりと、そしてより注意深く分け入る事にした。
仮に危険があるとしても、俺の魔法をもってすれば何とかなると判断したのだ。
それに、目の前にあるヤブリ草を採取しない事には、このクエストを終えることができない。
俺は早々に面倒なクエストを片付けて、冒険者ギルドへ戻りたかった。
何故そんなに自分のクエストを早めに終わらせたいのかは、自分でも判らない。
だけど、今日のアーニャがいつもとちょっとだけ違う気がするから、早いところ冒険者ギルドへと戻って仲間の居るいつもの日常に戻りたかっただけで、それ以外の意味は無い(と思う)。
二人してそっと茂みに近付いてみると、次第に先程から微かに感じていた生臭い空気が、間違いようのないほどに強くなって来た。
それだけではなく、ペチャペチャ、クチャクチャと言うような、神経を逆撫でするような濁って湿った咀嚼音までもが、この耳にハッキリと聞こえてくる。
「ねぇ、これって…… 」
「しーっ!」
俺は大きく腰を落として、囁くように小声で話しかけてきたアーニャの口を左手で塞ぎ、声が他に漏れないよう互いの鼻が触れるほどに顔を近づけてから、エメラルドのような緑色の目を見つめる。
そして、それ以上声を出さないように、無言で右の人差し指を自分の唇に持って行く。
俺は咄嗟の出来事に気を取られてしまい、念話のイヤリングを使う事を失念していた。
それだけ俺の察知した事が緊急を要すると言う事なのだが、アーニャにもそれが伝わったようだ。
一瞬、アーニャの瞳が大きく見開かれ、驚いたように俺を見つめた。
次の瞬間、スッと視線を逸らしたアーニャは、バサリと音がしそうな程に長い睫毛を動かして、大きな瞬きを一つだけした。
それだけで俺の意図する処を理解したのか、そのまま黙ってコクリと一つ頷く。
しかし、何故か彼女の目尻から頬にかけての体温が、少し上がったように感じる。
念のために姿を隠す『隠遁結界』を張ってから、音を立てないようにして慎重に茂みに近付いた。
スローモーションかと突っ込みが入るほど慎重に近付いた結果、俺とアーニャは茂みの前に立つことが出来た。
相変わらず、茂みの向こう側からは湿った音が聞こえてくる。
それはまるで、口を閉じずに何かを食べているような音だ。
俺は自分の唇に右の人差し指を当てて、アーニャの方を向いて見せた。
それを見て、アーニャもコクリと頷く。
俺はアーニャが俺の意図を理解したのだと判断して、スルリと左手をアーニャの方に伸ばすと、チビロリ金髪美少女を横抱きに抱えた。
露骨に驚いた顔をしてブン!と音がするくらいの勢いで俺の方を向き、漏れ出そうになった自分の声を押し殺すようにして、その薄く可憐な唇に握った小さな両手を当てるアーニャ。
「!! 」
無言の抗議を無視して、俺はアーニャを横抱きにしたまま半重力魔法で地面から2m程浮かび上がる。
それ程高くない茂みの上から見えた向こう側には、全身が濃い灰色をした人型の化け物が居た。
「ひっ!…… 」
それをまともに見たアーニャが、再び自分の口をその握った両手で塞ごうとするが、肺の奥から微かに漏れる悲鳴は隠しきれない。
羊ほどの大きさをした赤い肉塊にそのまま顔をつけて、真っ赤な生肉を咀嚼していたその化け物は、漏れ出たアーニャの声に気付いたのか、ビクリと驚いたような反応を示してこちらを向いた。
毛が生えている訳でもないのに濃い灰色をしたその顔は、獲物の腹から出たと思われる血に染め上げられて、更に赤黒くテラテラと光って見えた。
額の上部には、二本の細長く捻れた角も生えている。
〈こいつは、いったい何だ? こんなの冒険者ギルドの資料には載っていなかったぞ〉
〈なんか、魔獣というよりは人間みたいな体格じゃない?〉
俺とアーニャは念話のイヤリングを使い、1対1の念話に切り替えて会話をしていた。
そう、冒険者ギルドで事前に調べた周辺に棲息する魔獣にも害獣にも、こいつに該当する生物は無かったはずだ。
アーニャが人間みたいと言ったのは、その体型だけじゃあ無い。
その化け物は、ボロボロの衣類というか衣類だったような物を、申し訳程度だけど身に付けていたのだ。
〈ねえ、もしかして…… あれって、昨日の晩にデキシーって人が言ってた、アレじゃない〉
〈うん、俺もそれを考えてた〉
〈サクラの恋人だったって言う、ザウルなのかな?〉
〈魔人化したっていう、アレか!〉
俺とアーニャは、顔も知らない同じ人物に関する情報を思い返していた。
資料室にあった魔獣のリストにも載っていなくて、人の体型をしているけど人では無い、そして細く捻れた角のある黒っぽい生き物。
その条件は、荷馬車の中でファルマが話してくれた魔人という、身の程を超えてより大きな力を得ようとした人の、失敗して変わり果てた姿と一致していた。
もっともデキシーの話通りならば、ザウルの場合はサクラに横恋慕したシャニアという隊長に嵌められた、不幸な事故と言う事になる。
肌の色も角の長さもファルマの言う魔人の姿には、どこかなりきれていない中途半端な感じのする、言うならば半魔人とでも言うべき存在が俺の眼下に居た。
どことなく悪魔を思わせる醜悪な顔の造りも、気のせいか人間の面影らしき物が垣間見える気がする。
シャニア率いる兵士達に先ほどまで追われていた事を示すかのように、その体には折れたばかりに見える真新しい矢が三本、背中と左腕に突き刺さったままだった。
そこから血の色というのか皮膚の色のせいなのか、赤黒く見える体液が流れ出しているのが、光の加減でテラテラと光る跡を見れば良く判る。
俺たちが浮遊している方向を訝し気に見ていた半魔人は、ピクリと別の何かに反応して後ろを振り返った。
俺の気配探知スキルにも多数の何かが近付いて来ているのが、先ほどから感知されている。
「いたぞー!」
少し離れた場所から、そんな叫び声が聞こえた。
俺の気配探知スキルによれば、人数はおよそ5~6人くらいだ。
耳を澄まさなくとも、風に乗って複数の話し声が聞こえて来る。
思った通り、それはザウルを追っていた兵士たちのようだ。
「ザウルか?」
「おそらく…… あれから少し肌の色が濃くなってきているようだが、あれは間違い無くザウルだ!」
「あいつ、まだ逃げないで、この村の近くに居たのか」
「そりゃそうさ。 だって、あいつにはサクラが…… 」
ザワザワとした物音と、草木を踏み分ける騒がしさが次第に大きくなる事から、その反応が次第に近づいてくる事が判る。
それは恐らく俺が昨日怪我を治療した、あの警護兵たちなのだろう。
半魔人…… 俺とアーニャがザウルだと予想した存在は、警護兵たちの声がした方を振り向いて、なにやら躊躇しているようだった。
その様子は、この場からすぐに去るかどうかを迷っているように、俺には見える。
兵士達から漏れてくる会話を聞けば、あれがザウルなのは間違いが無いだろう。
夢中で獣の生肉を貪っていたときには感じられなかった知性というものが、何故か今の半魔人からは感じられた。
そういう目で、もう一度その生き物を観察してみた。
やはり勘違いでは無く、その顔には知性というものが感じられるような、どことなく人間っぽい雰囲気があるように思える。
俺はイオナが言っていた、半魔人という言葉が間違っていない事を、その時確信した。
おそらく、ザウルはまだ完全な魔人化を終えていないのだろう。
それが、このまま知性を維持してゆけるものなのか、それともいずれは完全体の魔人に変貌してしまうのか、知識の無い俺には判断が付かなかった。
それはつまり、彼を魔人と見なして見つけ次第討伐する対象にして良いのか、それとも人の範疇にあると認めて保護をするべきなのか、と言う判断がつかないと言う事だ。
彼が人であるのならば、このまま兵士たちに狩られるのを黙って見ている訳にも行かない。
仮に、それを自分の目の前で見てさえいなければ、それは何処か知らない場所で起きた不幸な事故で済ませられるだろう。
しかし、こうして自分の目の前でそれが起きてしまえば、黙って見過ごすと言う事は中々容易では無い。
逆に彼がすでに人では無い存在、つまり完全体の魔人になっていたのならば、俺は兵士たちが逆にやられるのを黙って見ている事もできないだろう。
言い換えれば、俺の手でかつてザウルという人間だった生き物を、討伐する事も必要になると言う事でもある。
何故ならば、あの時にファルマが言ったような完全体になった魔人とは、ただの人間が持つ程度の戦闘能力では、到底倒せるような存在では無いはずだからだ。
おそらく俺の力なら…… と、そうは考えても見るけれど、簡単に結論は出せない。
俺は、今どうすべきなのか…… それを真剣に考えていた。
サクラという存在を、そして具合の悪いというその母親の話を冒険者ギルドの中で漏れ聞いた俺に、そんな残酷で冷酷な事が出来るのだろうか?
その時、俺の左脇で大人しく一部始終を観察していたアーニャが、念話で俺にささやいた。




