15:シャニア隊長
ドタドタと足音も乱暴に、何者かが足早に近づいていた。
それと同時に、怪我人の治療を依頼した事を説明する、別の人物の言葉も聞こえる。
俺は何も疚しいことはない…… いや、隠して使った範囲治癒スキルの事を除けば疚しい事は無いはずだ。
だから俺は、なんら臆すること無く大部屋の入り口へと顔を向けた。
そこへ登場した痩せ型の人物は、他の兵士のような兵装をしておらず、緩そうな服装をしていた。
俺たちに向ける険しい顔付きから、好意的な相手では無い事が良く判る。
「貴様らか!? 勝手に兵舎の中へ入って何をしている! 理由によっては、捕縛するぞ!」
「シャニア隊長、許可したのは私です。 治癒魔法が使えるというので、怪我人の治療をお願いしたのです」
最初に俺たちに治療を依頼した兵士が、大部屋の入り口に姿を現した横柄な男の前に立ち塞がる。
シャニア隊長と兵士に呼ばれたその男は、ピンと両端が跳ね上がった偉そうな口髭を生やしてはいるが、よく見れば目の前に立ち塞がる年かさの兵士よりも、年が若そうだった。
「デキシーくん、そこを退け! つまり君は上官である俺の許可も得ずに、勝手に兵舎の中に部外者を入れたと認めるのだな?」
「はい! 隊長はいつも定時より早くお帰りになるので、隊長不在時の現場責任は、規定上自分が負う事になっているはずです。 明日をも知れない怪我人が多く居たため、治療を優先いたしました」
デキシーという年かさの男の方が、どちらかと言えばシャニアという隊長よりも、年齢的にも人間的にも大人に見えた。
対するシャニアという隊長は口答えをされたのか気にくわないのか、少しの間だけ怒りを押し殺すような素振りを見せた。
しかしそれも長くは続かず、すぐに感情を爆発させてしまう。
こいつは相当短気なんだなと、俺は他人事のようにそれを見ていた。
「きさま、ドサクサに紛れて俺を非難するのか? 知っているぞ! 俺を親のコネで隊長になった役立たずだと、いつも馬鹿にしてるんだろう。 そんな事くらい、俺は全部知っているんだ。 陰で俺を馬鹿にしおって!」
「そんな事は、誰も言っていません。 ただ、我々は怪我をした部下の命を優先して、隊長に考えて欲しいだけです」
「うるさい、デキシー黙れ! 俺はお前の何だ、誰が隊長で誰がここの責任者だ? 言ってみろ、お前なのか、俺なのか、どっちなんだ!」
「それはシャニア隊長です…… ですが、怪我人を」
「それが判っているなら、ゴチャゴチャ口答えをするな! 俺の命令だけに従っていろ」
シャニアという隊長は威張り腐った態度で、デキシーという人物を頭ごなしに怒鳴っていた。
彼には、初めから部下の言い分などを聞く気が無い事が、その様子を見ていれば良く判る。
俺たちは、呆れたように顔を見合わせた。
何か状況を更に悪化させそうなキツい一言を言い出しそうなアーニャを、俺は慌てて止める。
イオナにコッソリと目で合図をすると、小さく頷いたのが確認出来た。
ここでトラブルを引き起こす事が得策では無いのは、イオナも同意見のようだ。
「あー、お取り込み中の処を悪いんじゃが、わしらは頼まれて手当をしただけの事。 もめ事になるのなら早々に退散させてもらいますでな。 ほれみんな、どうやら迷惑だったようじゃで、去ぬるぞ」
イオナの掛け声を切っ掛けにして、俺たちは返事を待たずに入り口へと向かう。
俺はデキシーと言う名らしい兵士の耳元に、小声でささやきかけた。
「面倒な話になる前に全員の治療は終わっているから、安心していいよ」
ところが、事は簡単に終わらなかった。
と言うか、兵舎の中に入ったことを咎められた俺たちは、何故か出て行く事を遮られた。
「待て! 誰が行って良いと言った?! 勝手に入ったお前らは侵入罪で捕縛する事もできるんだぞ」
シャニアとか言う後からやってきた隊長が、とんでもない事を言い出した。
俺たちは、勝手に宿舎の中へ入った訳じゃあ無い。
流石に、その言いぐさにはカチンと来る物がある。
こいつは絶対に部下に好かれるタイプの上司じゃ無いと、俺は確信した。
「はぁ!?」
言い方に棘があるのを承知で、語尾を上げながら俺は聞き返す。
俺がやんちゃなお兄さんだったら、シャニアという男の襟首を掴んで締め上げているところだ。
それくらい腹の立つ対応をされて、それまで黙って聞いていたヴォルコフやティグレノフから感じられる雰囲気が、一段固い物になる。
自分より先に仲間の誰かがそうなると、逆に俺は冷静になれた。
バルは相変わらず傍観者面で無表情だし、メルはただただ驚いた顔をしていた。
アーニャはこの部屋の惨状を最初から見て知っているし、俺の治療の様子もずっと見ていたから、憤る気持ちを抑えられなかったようだ。
「ちょっと! 頼まれたから無償で治療をしてやったってのに、それを理解していないの? 何なの馬鹿なの? この人」
呆れたように冷たくそう告げるアーニャの顔は、子供とは言えども整っていて綺麗なだけに、まるで下僕をなじる女王様のようだ。
まだ、そういう世界に詳しいわけじゃ無いけど、俺はそう思った。
「ひどい、私たちは全力で治療に力を振り絞ったと言うのに、そんな風に言われるなんて…… 」
アーニャが俺の代わりに怒ったのに続いて、メルが自分たちの苦労が認められない事を嘆いていた。
レイナは何も言わず静かにシャニアとか言う隊長の顔を見ていたけど、その顔に薄らと浮かぶ軽蔑の表情が、逆に雄弁にその内面の気持ちを如実に物語っていた。
綺麗な女性というのは、笑顔を見せれば人一倍輝いて魅力的だと思うけど、こういう時は誰よりも厳しく冷たく感じられてしまう。
俺自身は全力を振り絞ったとは言いがたいけど、できる限り苦しんでいる人を救いたいという気持ちが、他の誰かよりも劣っているとは思わない。
だからこそ、みんなの言いたい事は良く判った。
先頭に立って出て行こうとしていたイオナは、立ち止まってゆっくりと後ろを振り返る。
そして、露骨に別の生き物を見るような目でシャニアという男を見た。
それまで静かに黙っていたレイナが、呆れたように小さく溜息を漏らす。
シャニアの言葉に呆れてシンと静まりかえった部屋の中に、その小さな吐息だけが何故か大きく聞こえた。
ヴォルコフとティグレノフは、かなり険悪な顔つきになっている。
一番の当事者は俺なのに、自分の仲間が先にこういう雰囲気になってしまうと、自分の怒りにブレーキが掛かるのは何故だろう。
もっとも、その口火を切ったのは俺なんだけど、反省はしていない。
間違い無く場違いで理不尽なことを言っているのは、シャニアという隊長なのだから。
「隊長!この方々は私がお願いして治療をして貰ったのです。 その言いようは、あまりに酷い! こんなに怪我人が出てしまったのも、元はと言えば隊長がザウルを目の敵にして…… 」
デキシーという兵士がザウルという言葉を出すと、途端にシャニアという隊長の血相が変わった。
それ以上先を言うなというような圧力を、言外に感じる。
いわゆる怒って誤魔化すというか、多用するとキレ芸とか揶揄して言われる奴だ。
ただの不法侵入の濡れ衣で怒られているのでは無く、何か別の意図があるのかと俺は感じた。
「黙れ黙れ! ザウルの事は軽々しく口にするな! これは命令だ! 奴との因縁は我々がつけねばならんのだ、部外者を呼び込むような恥の上塗りは許さん!」
「しかし、治癒の魔法が使える術者は希少。 この機会を逃せば、巡回の治癒神官が到着するまでに多くの者が息絶えていたでしょう!」
「ならぬ! これはあくまで身内のトラブルだ! 部外者に知らせるような事をされては困るのだ!」
「しかし、このまま多数の兵士が亡くなれば、シャニア隊長の責任問題になるのでは? 間違い無く、王都の調査部隊に原因を調べ上げられる事になりますよ」
「うむむ、それは…… それは俺だけの責任ではなく、お前らの不始末でもあるぞ。 えーい、お前たち! 治療をしてくれた礼は言っておこう。 だが、ここで見たことは他言無用だ! 判ったな?」
シャニアという隊長は、怒って誤魔化すつもりが反論されてしまい、プライドを傷付けられたのか本当に感情的になってしまったようだ。
興奮のあまりに自分からポロポロと内情を暴露してしまい、全然隠し事になっていないけど、何やら大勢の怪我人には隠しておきたい都合の悪いことがあるらしい。
「はて、何があったのか旅の者には興味の無いこと。 他言はいたしますまい。 しかし、困りましたのぉ、どうしてもとお願いされて治療をしておったお陰で、宿を取りはぐれましたわい」
「そうですわね、もう今からでは宿も取れませんわね」
既に何かを察しているはずなのに、惚けたイオナのそんな言葉に、レイナがすぐに反応を返した。
こっちの世界に戻ってきて、見かけだけはその魔力量に応じてとても若くなったけど、流石に90年近く生きているだけの事はある。
転んでも無料では起きない2人は、ただ仲が良いだけの美形夫婦じゃあない。
どうやらシャニアという隊長の抱えているであろう、弱みに付け込む算段のようだ。
「どうじゃろう? どこか野宿のできそうな場所を貸してはいだけませぬかのぉ」
「そう言えば、ここに来る途中に広い中庭があったわね」
イオナとレイナの掛け合いは、まだ続いていた。
それを察したアーニャたちが、嬉しそうに参戦してきた。
「わたしは、あなたたちのトラブルに興味は無いけど、泊まる場所の確保には興味があるわね」
「俺は口が固い事には自信があるけド、こいツは腹が立つと口が軽くなるかもしれないゼ」
「ヴォルコフ、俺ヲ引き合イに出すなっテ」
ヴォルコフに引き合いに出されたティグレノフが、想定外だとばかりに文句を言っている。
俺としては別に何処で野宿する事になっても構わないんだけど、この隊長に少しでも意趣返しが出来るなら、それも悪くないかなと思い始めていた。
「おお、どうでしょうシャニア隊長、彼らを一晩だけ中庭に泊めてやっては?」
「ば、馬鹿を言うな! そんな事をすれば、こちらに弱みがあると思われるではないか」
「もちろんこちらに弱みなどはありませんから、口止め料代わりなどと言う意味ではありませんが、困っている者を見捨てれば隊長の評判にも関わります。 なにより根も葉もない事を言いふらされては、いつ王都の本部に嘘の噂が届くやもしれません」
そう申し添えるデキシーという兵士も、どこか楽しそうだ。
それだけこのシャニアという隊長は、身内の兵士にも嫌われているのだろう。
「ぐぬぬ…… 」
デキシーという兵士の言う『王都の本部』という言葉に、シャニアという隊長は黙り込んだ。
かなり、上に自分の不始末らしき何かを知られたくないようだ。
他人の弱みに付け込むわけじゃ無いけど、俺もちょっとだけ笑いを堪えて参戦してみた。
そんな俺は、ここが何という国なのかも知らなかったりする。
「そういや俺たち、この後王都へ行くんだったよな? イオナ」
「そうじゃな、この後はヤムトリアの王都へ向かう予定じゃの」
ヤムトリアが何処なのかは知らないけれど、これが駄目押しになったようだった。
そう言えば、荷馬車の中でファルマと名乗った男が、ヤムトリアへ行くと言っていたのを、俺は思い出す。
シャニアという男は、ギロリと俺を睨んで見せたけど、部下でも無い俺には全然怖くない。
俺たちに譲歩をするのが悔しいような表情を露骨に見せているけど、俺にしてみれば、ざまを見ろと言った感想しか無い。
しばらく考えた後に、シャニアという隊長は口を開いた。
ようやく彼の中で、損得の計算が整ったようだ。
「よろしい! 人道的な見地で、一晩だけ敷地内での宿泊を許可する。 ただし、夜が明けたらすぐに出て行く事が条件だ」
「はっ! 私が責任を持って追い出します」
胸を張り精一杯の虚勢を張ったシャニアという隊長の言葉に、デキシーと言う兵士はそう言って頭を下げる。
深々と下げたその顔から、シャニアという隊長に見えない位置で、ペロリと小さく舌を出しているのが俺たちには見えた。
シャニアと言う隊長は、ぶつくさ言いながらも偉そうに村の中にあると言う官舎に帰って行った。
働いたことも無い元高校生の俺が言うのもなんだけど、あれは上司として駄目なタイプだ。
デキシーと言う兵士は当初俺たちが兵舎内の空き部屋に泊まれるようにと、シャニア隊長殿が帰る前に頼んでくれたんだけど、それは予想通り即座に却下された。
デキシーと言う兵士は申し訳無さそうに俺たちを中庭に案内してくれたけど、どうせ魔法を使って快適に過ごせるから、あまり気にすることでは無いのは内緒だ。
日が暮れてからだいぶ経過しているので、訓練場を兼ねていると言うそこそこ広い中庭の隅に、俺たちはテントを張らせて貰う。
デキシーは、俺たちのテントが余りに薄い素材で出来ている事に驚き、それから余りに簡単に組み立てられることにも驚いていた。
「これは、凄い! こんなに薄いのに丈夫でしっかりとしている。 しかもこんなに簡単に組み立てられるなんて…… 是非とも軍の正式装備品に加えて欲しい代物だ。 王都では、もうこんな物が売られているのですか?」
その食い付き方は、こちらの予想以上だった。
下手な受け答えは出来ないし、今後の事を考えると近代装備を持ち込んだのは、余計な火種にならないだろうかと言う心配も湧いてきた。
「いや、まあ、これはその…… そう!魔法で織った繊維なんですよ」
俺はとっさに、口から出任せを言った。
地面の底にある燃える黒い水から作られた、蜘蛛の糸より細くて鉄よりも丈夫な糸なんて言っても、きっとこの世界の人には信じられないと考えたんだ。
それなら、まだ魔法だって言った方が信憑性があるってものだ。
なにしろ、この世界には魔法が現実に存在しているのだから。
「わしらの生まれた村にある深い森の奥で、長年魔法を研究している変わり者の魔法使いがおりましてな、その人から分けて貰った特別製なんですじゃ」
俺がとっさについた嘘に、イオナが細かい補足をしてくれた。
まあ、あっちの世界の品物を人前で堂々と使う以上、そう言うしかないよなと俺は思う。
だけど目敏い商人とかに見つかって、『何処で手に入れられるのか』を根掘り葉掘り聞かれたら、ヤバイよな。
「魔法でしたか、それなら見た事の無い素材の理由も納得出来ます」
デキシーと言う兵士は、そう言って曖昧に笑った
絶対に納得はしていないと思うけど、魔法がある世界だから魔法と言われたら信じるしか無いのだろう、特に魔法が使えない普通の人は。
「それでは、何かありましたら呼んで下さい。 私はこの先の夜番詰め所の方に居りますので」
デキシーと言う兵士がそう言って、その場から立ち去ろうとする。
俺はすぐに呼び止めて、ずっと気になっていた事を訊ねてみた。
「デキシーさん、怪我をしていた人達は何にやられたんですか? 何て言うか、みんな傷は深いけど命を狙われたような傷の場所じゃ無かったよね」
「そうね、怪我が悪化したのは不潔な環境に放置されて、まともな治療も受けられなかったからだと思うわ」
俺の疑問に、レイナが同意した。
不審に思っていたのは、俺だけじゃ無かったと言うことだ。
メルの方を見ると、彼女もコクリと頷いていた。
そう、致命傷を狙うなら首とか腹の急所を狙うはずなのだ。
もっとも、そんな悪知恵の無いただの獣に襲われたのなら、手当たり次第に攻撃を仕掛けられるはずだから、もっと怪我の部位にバラツキがあっても不思議じゃあ無い。
だけど、俺が見た限りでは全員が足や腕などの外側という、致命傷になりにくい場所をザックリとやられていた。
俺は黙って、デキシーの返事を待った。
彼は俺たち全員から見つめられて、少しだけ狼狽えたのが判る。
「訳ありのようじゃの」
イオナがデキシーに、そう声を掛けた。