14:絶対聖域
案内されている途中に兵士から聞いた話では、国全体で見ても治癒魔法が使える神官の数は必要数に足りていないらしい。
そして治癒魔法の使える貴重な治療神官は、それぞれが受け持ち地区を持っていて、定期的に巡回して来るらしかった。
このターナ村に来るのも良くて週に1回、下手をすると10日に1回くらいのペースになってしまう事もあるそうだ。
しかも大量の病人が出たり、天候の変動や巡回中に生じたトラブルなどでもスケジュールに影響を受けてしまう為、その巡回周期は一定では無いらしい。
そうなると、治癒神官が到着するまでの間を生き延びた者だけが治療を受けられると言う、なんとも壮絶な事になる。
そして、辺境の村ほど巡回で回ってくる周期は遅くなる傾向にあると言う事だった。
それは、この村にある薬で治らない怪我や病気の場合は、下手をすると命取りになりかねないと言う事だ。
そして、たぶん間違い無く、この世界の文明レベルは俺が元居た世界より高くは見えない。
元居た世界の文明レベルなら、投薬治療で治るレベルの怪我や病気でさえも、恐らく此処ではそうでは無いのだろう。
多数の怪我人が横たわっている広い寝所で俺が目にしたのは、そんな何ともやるせない異世界の一面だった。
俺は大きく息を鼻から吸い込んで、ゆっくりと口から吐き出す。
それは、あまりに想像を超えた衝撃的な光景を目の当たりにして、些か動揺した気持ちを少し落ち着けるために必要な行為だった。
「なんだよ、ここは…… 」
そんな言葉が、つい口を突いて出てくる。
別に異世界を馬鹿にしている訳じゃ無いけど、俺の見たそれは、あまりにも酷いものだった。
「まるで野戦病院ね、それも酷い負け戦の後だわ」
「なんじゃ、この臭い…… 、いったい何日怪我人を放置しておるのじゃ。 恐らく、多くの者は傷口が腐りかけておるぞ」
病室と言われて連れてこられた部屋の中を覗いた俺は、何も言葉に出来ない。
それに比べてアーニャとバルは、それぞれが部屋の中を見て感じた事を歯に衣を着せず、率直に口にしていた。
まさしく、ここはアーニャの言う通り、治療もままならぬ前線にある、戦争映画で見た野戦病院のようだった。
バルの言っていた、タンパク質の腐敗するような独特の嫌な臭いも、僅かに感じられる。
そこは病室と言うより、ちょっとしたバレーボールコートほどもある大部屋だった。
薄暗いその部屋には、押し込められるだけの人数を目一杯押し込んだのかと思う程の、大勢の怪我人が横たえられていた。
意を決して、俺は一歩部屋の中へと足を踏み入れる。
薄暗い室内に暗順応した俺の目に、力無く横たえられた数多くの怪我人の、より詳しい状況が嫌でも目に入ってきた。
ちょっと、これは言葉にならない……
「ひどい、なんなのこれって…… 」
「なんとも、凄まじい有様じゃな」
俺に続いて部屋の中に入り、眉をひそめる金髪巻き毛のロリっ子アーニャとは裏腹に、金髪ストレートロングのロリ幼女バルは、口にする言葉の割に平然としているようにも見える。
どこか修羅場慣れしているというか何というか、俺はこんな場面でも冷静なバルを見て、そんな風に思った。
外で見かけた兵士の数が少ないのは、単純に小さな村に割り当てられている兵士の絶対数が少ないからだと俺は思っていた。
だけど、どうやらそうじゃないらしい。
これだけの人数が怪我をして寝込んでいれば、どうしたって動ける兵士は限られる。
恐らく、兵士の大半がここで横たわっているのだろう。
それくらい大勢の人間が、ここで苦しんでいた。
「なんでまた、こんなに怪我人が多いんだ?」
俺は率直な疑問を、ここまで連れてきてくれた兵士に尋ねた。
つい最近、戦争があったのかもしれないけれど、その割に村の雰囲気は平和で明るかったからだ。
例え戦争が無くても、肝心の兵士がこの状態じゃあ、村の守りだって機能していないんじゃないだろうか?
そんな疑問が、俺の心に浮かんだ。
「それは…… 」
兵士は口ごもって、俺の質問に答えない。
それは、答える事を明確に拒否していると言うよりも、言いたいけれど俺のような部外者には答えづらいと言う、そんな雰囲気だった。
俺は、言い淀む兵士の答えを最後まで待たずに部屋の中へと踏み込んで、手近な場所に寝ている怪我人の横に腰を落とした。
それは、すぐに答えの貰えない質問に時間を無駄に費やすよりも、まずは先に怪我人の治療をするべきだと状況判断をしたに過ぎない。
目の前で苦しんでいる兵士の傷口を見るために、赤黒く変色した不潔な布きれを取り除いて見る。
元は白かったのかも知れないが、それは既に血と膿を吸って赤黒く変色していた。
じっとりと重く湿ったそれを左の人差し指と親指で摘まみ、俺は浄化の魔法で元の白い布に戻す。
心配そうに俺のやる事を見ていた兵士が、小さく驚きの声を上げた。
一瞬、浄化魔法を見せてヤバイかなと思ったけど、無意識でやってしまった事だから、今更どうにもならないだろう。
俺は開き直って、目の前にある傷口の様子を観察した。
肩口の傷は、俺の予想通り酷く化膿してしまっている。
赤黒く腫れた深い切り傷の中に、ベットリと黄緑色の膿が詰まっているようだ。
パックリと肉が開いて化膿していた肩口の傷に、俺は急いでヒールを掛けた。
もどかしいけど無詠唱である事を誤魔化すために、それっぽい詠唱風の言葉を、適当にムニャムニャと口の中で唱える振りもした。
いくらイオナの言いつけだからって、真面目に長々とそれっぽい詠唱の振りとかやっていたら、助かる者も助からない。
とりあえず傷を先に直してから、そのまま手を当て続けて治療中である振りをした。
なにしろ俺は、死者蘇生魔法の『リザレクション』だけは、消費アイテムがゲームの世界にしか存在しない為に、現実世界でそれを使う事が出来ないのだ。
もし、無意味な時間稼ぎをしているうちに死なれてしまったら、もうどうする事もできない。
だから俺は、出来るだけそれを避けたかった。
呼吸が不規則に途切れ途切れだった怪我人が、ひとつ大きく息を吐いてから安らかな寝息に変わり、静かに寝息を立て始める。
その様子を目の当たりにして、恐らく半信半疑で俺を連れて来たと思われる兵士は、俺の治癒魔法力を完全に信用したようだった。
「酷い傷だな。 まるで大型獣に、鋭い爪か何かで引き裂かれたみたいだ」
俺は、腰を落とした姿勢のまま兵士の方へと向き直り、そう訊ねた。
問いかけられた兵士は、ツイと目線を俺から逸らして、曖昧な返事を返す。
「あ、ああ…… そ、そうかな……」
俺は、塞がる前に確認した傷の様子を、頭に思い浮かべる。
それはまるで、鋭利な刃物を数本並べて切りつけたような、同じ方向に走る鋭く深い傷だった。
俺を連れてきた兵士は、まだ口ごもっていて、何が起きたのかを話そうともしない。
これだけの怪我人が出ている大事だけに、俺のような部外者に内情を本当は見せたくないのかなと、ちょっと思った。
そんな大人の都合はともかくとして、何が後ろめたいかって言えば、こんな状況なのに実力の1割も見せられない事だった。
この状況を考えれば、俺たちの事情を優先して実力を隠していて良いとは、とても思えないのだ。
それに、このペースで嘘の詠唱に時間を掛けていては、全員の治療が終わるまでに相当の時間が掛かってしまう。
一刻を争う必要のある怪我人が、この中に多数居る可能性は高いと俺は思った。
俺は1つのプランを思いついて、兵士に声を掛けた。
それを実行するには、俺を連れて来てくれた兵士の存在が邪魔で、そして兵士を自発的に退席させるためには、表向きの理由として治療の応援が欲しいと言う、もっともらしい口実も必要だった。
「悪いけど、俺の仲間を呼んで来てくれないかな? これだけの怪我人を看るには魔力が心細いんだ」
「あ、ああ、それはそうだな。 判った! すぐ呼んでくるから残りの仲間の治療を頼むよ」
兵士は俺たちを置いて、慌てて部屋の外へと飛び出して行った。
これで、心置きなく治癒魔法が使える。
「大嘘つきじゃな」
「魔力が足りないとか、どの口が言うのかしらね」
バルとアーニャが、ボソリと小声で俺に突っ込む。
感情の起伏が掴みにくいポーカーフェイスなバルと違って、アーニャはニヤニヤと冷やかすような表情で俺を見ていた。
もちろん魔力が足りないなんてのは、兵士に席を外させる口実だ。
三日も大魔法を使わないでいると鼻血が出るくらい、俺の魔力は余裕に満ち溢れているんだから、この程度で魔力が足りない訳が無い。
俺は屈んでいた体勢から、おもむろに立ち上がった。
そして大きく両手を広げ、この場に最適な広範囲治癒魔法である絶対聖域を発動させる。
ゲームで使っていた時のサンクチュアリは、仕様で効果範囲が決まっていて、それを術者が変えることが出来なかった。
しかし、俺が今イメージしたサンクチュアリの範囲は、それよりもずっと広い。
何度も繰り返して訓練した明確な『イメージの具現化』によって、ゲームの時よりも明らかに大きな魔法陣が床一杯に広がる。
同時に魔法陣から放たれた清浄な光が、部屋の中に横たえられている怪我人たち全員を同時に癒やし始めた。
アンデッドだけが相手だったり、パーティ戦や攻城戦イベントの時くらいしか使い道が無かった広範囲治癒魔法だったけど、こんな時に使ってこそ有効な使い方と言えるだろう。
俺は自信を持って、この場に出現させた絶対聖域の魔法陣へと、俺の全体量から言えば僅かな量に過ぎない程度の魔力を注ぎ込んだ。
イオナから受けた訓練で具現化出来るようになった魔法の適応範囲は、俺が本気でやると何処まで広がるのか想像もつかない。
だから、これでも魔力をギリギリに調節して、この大部屋の中ギリギリにサンクチュアリを展開させたのだった。
魔法の適用範囲から、湧き水のように溢れ出る聖なる治癒の白い光が、横たわる兵士たちの傷を瞬く間に癒やしていく。
先程まで聞こえていた苦しそうな呻き声が、やがて全て安らかな寝息へと変わっていった。
「すごい…… これがカズヤの力なのね」
「ふむ、さすがじゃな」
アーニャとバルの呟きが、俺の耳に入る。
目的を達成した俺は、大きく安堵の溜息を吐き、サンクチュアリを解除した。
この程度では、俺の魔力は些かも減じた感触も無い。
魔法の解除によって、床から湧き出ていた白く聖なる光が掻き消すように無くなり、再び薄暗い室内に戻った。
丁度その時、ドタドタとこちらへ走ってくるような乱暴な複数の足音が、部屋の外から聞こえて来た。
どうやら音の様子からすると、こちらに向かっているようだ。
俺は治療を続けている振りをするために腰を落として、手近な兵士の傷があった場所に手を当てる。
そして、ドアが開くのを待つ事にした。
やがて乱暴にドアが開けられて、レイナとメルが中に飛び込んでくる。
それに続いて、イオナも部屋に入ってきた。
ヴォルコフとティグレノフは、ドアの横から部屋の中をひょいと覗き込むと、すぐに引っ込んだ。
恐らく、これ以上は中に入りきれない事を見て取ったのだろう。
二人は、どうやらドアの外で待つ事にしたようだ。
みんなを案内して来た兵士も同じように外で待つことにしたらしく、顔だけ覗かせて部屋の中へは入っては来ない。
大部屋に寝かされている怪我人の人数を目の当たりにして、レイナとメルは一瞬息を飲んだ。
しかしすぐに、全員が安らかな寝息を立てているのに気付き、ホッと安堵の息を漏らしていた。
そしてレイナとメルは俺の両側に来て、その場に腰を落とす。
すぐに俺の耳元で、ささやくような二人の呟きが聞こえてきた。
「あらあら、魔力が足りないなんて言うから、まさか和也に限ってそんな訳が有るはず無いと思っていたけど、やっぱりそういう事だったのね」
「ほんと! 和也兄ちゃんが魔力不足とか言うと、なんかイヤミにしか聞こえないよ」
そう言われた俺は、なんだか返答に困ってしまう。
二人に他意が無いのは判るし、それが冗談なのも判るけど、力を見せびらかしたくてやった訳ではないから、俺は返事に詰まる。
「そう虐めてやるでない。 これだけの怪我人を看れば、優秀な治癒神官とて普通は途中で魔力切れするのが当たり前じゃ」
イオナが、ドアの外に居る兵士に聞こえても良いような曖昧な表現で、俺を弁護した。
その言葉を切っ掛けに、レイナとメルが俺にニコリと笑いかける。
声に出して打ち合わせるでも無く、二人はそのまま治療の振りを始めた。
俺も、腰を屈めて治療の振りをする。
なんとも面倒臭いけど、まあこれも俺の並外れた膨大な魔力を隠す為だから、仕方が無い。
手を抜いた治療の振りだけとは言え、全員に施すのには、結局小一時間も掛かってしまった。
ずっと屈んだままの姿勢というのは、肉体にブーストを掛けていても精神的に疲れるものだ。
俺はレイナとメルに軽くヒールを飛ばして、身体的な疲労を取ってやる事にした。
「終わったよ!」
俺は、ドアの外で待っている兵士に声を掛ける。
兵士が待ちかねたように、期待に溢れた顔を覗かせた。
そして、部屋の奥に居た俺たち治癒魔法の使える3人に向かって、ホッとしたような顔でお礼を言う。
兵士はよほど嬉しかったのだろう、深々と俺たちに頭を下げていた。
「本当にありがとうございます。 治療神官様でも、これだけの人数が相手となると1日掛かりになる事もありますから、みなさん本当に凄いですよ。 それに、貴重な治癒魔法が使える方が同時に三人もターナ村に居合わせるなんて、偶然にしても奇跡に近い偶然です」
「凄いのは、和也兄ちゃんだけなんだけどね」
メルが俺にだけ聞こえる小声でそう呟くと、こちらを向いて片目を瞑って見せた。
俺はそれに、曖昧な笑顔で返す。
「私も、かつては治癒の巫女と呼ばれて世に知られた事もあったのよ。 でも和也といると、自分の習い覚えた技が、児戯にも思えて自信を無くすわね」
レイナが俺を見て、そんな事を言う。
しかし自虐な言葉とは裏腹に、レイナの顔は、それ程嫌そうじゃなかった。
なんとも、そんな風にストレートに凄い凄いとか言われると、逆に俺の方が恥ずかしくなってくる。
慣れない褒め言葉に対処できず、俺がオタオタしていると、廊下の向こうが急に騒がしくなった。
また、誰かがこちらへ向かって来ているようだった。
俺たちは顔を見合わせてから、案内してくれた兵士の方を見た。
その兵士は、外に居た仲間の兵士が来たと思ったのだろう、嬉しそうに入り口の方へと目をやった。
いったい誰がここへ近付いているのかと、部屋の中に居た全員が入り口の方へ視線を走らせる。
「誰だ? 部外者を勝手に中へ入れたのは! すぐに追い出せ! 俺はそんな事を許可しとらんぞ!!」
俺たちを案内してくれた兵士が、その声を聞いた途端に脱力したような態度を見せて、大きく顔をしかめる。
そして口元を歪めると、小さく聞こえないように舌打ちをして見せた。
自然と俺たちの視線と注意は、その声の聞こえてきた入り口の方へと集まる。