12:女の涙を信じるな!
俺たちは、助けるはずの馬車に乗っていた冒険者たちに逆に助けられて、何故か馬車の荷台で揺られていた。
どうしてこうなったかと言えば、男という生き物は根本的に可愛い女の子の流す涙に弱い生き物なんだなと、それしか言えない。
俺は積み荷と一緒に馬車の振動に揺られながら、その時の事を思いだしていた。
「うわあぁぁぁぁぁん、怖かったよー」
突然泣き出したアーニャに、俺はビックリした。
だって、どう見たってこいつは、そんなタマじゃないだろ。
悪知恵を働かせることはあっても、人前で自分の弱みを見せるようなヤワな奴じゃないはずだ。
100%間違い無く、これは嘘泣きなんだと俺は思った。
流石のイオナも何が起こったのかと、目を見開いて戸惑った顔を見せている。
ヴォルコフたちは最初こそ驚いてはいたけど、次に『あれか!』と何かを察した表情で顔を見合わせていた。
「わたしも怖かったあぁぁぁぁ、うえぇぇーん」
次いでポカンとしてアーニャを見ていたメルも、何かに気付いたかのような表情を一瞬だけ見せた後で、急に声を上げて泣き出してしまった。
「わ…たしも、もう怖くて歩けないよぉ」
なんと、バルまでもがババア言葉でなく、普通の女言葉で、なんとその場にペタリと座り込んで泣き出したのには驚いた。
でも、俺は見逃さなかった。
バルが泣き出す直前にチラリとこちらを見て、仕方ないなぁという顔をしたのを、俺は見逃さなかったのだ。
しかし、どちらかと言えば、俺はバルが普通の言葉遣いが出来る事の方が、驚く気持ちの配分としては大きい
当然、その老練な表情は二人の男達には見えない角度になる訳だ。
見られるようなそんな手落ちを、あのバルさんがやるわけは無い。
「ああ、ごめんなさいね、歩き続けて疲れちゃったわよね」
レイナがしゃがみ込んで、一人の幼女と二人の少女をなだめていた。
なんとレイナまでもが、この嘘つき泣き女たちの演技に参加して居ることに、俺は驚くしかない。
俺はゴクリと音を立てて、自分の口の中に湧いた唾を飲み込んだ。
もしかすると俺は今、凄い物を見ているのかもしれない!
俺は、こういうときにどうしたら良いのだろう?
おろおろして使えない男って奴を、演じたら良いんだろうか?
そんな事を考えていたら、片手剣の男が強面の顔に似合わないオロオロしたような態度で、俺たちに声を掛けてきた。
俺の拙い18年の人生経験に、女の涙とは恐るべき魔力を秘めているものだと、今刻まれた。
「あー、本来は乗せられないのだが、この先の村まで一緒に乗ってゆくか? わしが依頼主に聞いてやろう」
女達の目が、『してやったり!』とばかりに、キラリと光った。
もちろん二人の男に見えない角度なのは、言うまでも無い。
「うええぇぇぇぇん、おじちゃんありがとー」
「ありがとぉぉー、ぐすん」
「ふえぇぇぇ、ありがとうですぅー」
「申し訳ありません、お邪魔で無ければ是非お願い致します」
2人の少女と1人の幼女が、声を揃えてユニゾンで嘘泣きをしていた。
特にバルは悪のりをして、『ふえぇぇ』とか、言っちゃってるし、どう考えてもキャラじゃない。
レイナも、困っている若い母親という役どころを演じているのは間違いが無いだろう。
て、言うか、やっぱ女は怖い。
俺は一連の流れを見て、そう再認識した。
そんな訳で図らずも、いや女性陣の演技と嘘泣きで、俺たちは馬車の荷台に乗せて貰う事になったと言う訳だ。
なんだかイオナは、自信のあったはずの自分の計画がどこかで狂ってしまった事に、どうにも釈然としないような顔をしていた。
サスペンションという緩衝装置もフローティング構造のフレームも無い馬車と言う物は、ずいぶんと振動がダイレクトに俺の尻に伝わってくる
初めて乗った馬車というものは、乗り慣れないと振動で酔ってしまうかもしれない、乗り心地のとても悪い乗り物だった。
もっとも、俺たちが乗せられたのは荷馬車の方だから、あまり人が乗ることを考慮されていないのだろう。
荷馬車で、俺たちと一緒に荷物に囲まれているのは、先程俺たちを助けてくれた二人の男だった。
太刀を持っている方の強面の男は、腰の武器を狭い空間で座る邪魔にならないように、体の前に立てた状態で肩にもたれ掛けるようにして、大事そうに抱えていた。
「まだら模様とは、ずいぶんと変わった格好をしているな。 子連れの旅は大変であろう」
片刃の剣を扱う男の問いかけから、俺たちの会話が始まった。
「俺の名はファルマ、こいつはサイファ、無口な奴だが気にするな。 向こうの馬車にも仲間が3人乗っておる。 我らは冒険者パーティ『赤き大地の守人』だ」
「わしはイオナ、こいつは連れ合いのレイナじゃ。 そのヒョロッとしたのが和也、そしてゴツいのがティグレノフ、痩せているのがヴォルコフ、こっちの小さいのは…… 」
「メルです、お気遣いありがとうございました」
「アナスタシアです、アーニャって呼ばれてます」
「バ、バルでぇ~す、乗せてくれてありがとうですぅ」
バル……
俺は、吹き出しそうになったのを、無理矢理堪える。
「ゲホッゲフフッ」
無理矢理に、吹き出そうとする息を押さえ込んだので、俺は思わず咳き込んでしまった。
振り向いたバルの目が、俺を非難するかのようにスーッと細められたのが判る。
もちろん、ファルマとサイファには見えない角度なのは、さすがです。
「Sランクとは凄いですな、Sが揃ったパーティは大陸でも片手で数えられる程しか居ないとは聞いておりましたが、まさかここでお目にかかれるとは思いませなんだ」
そんな事を、大仰にイオナが感心したように言った。
イオナの腹の中は読めないけれど、Sランクってのは相当レアな地位みたいだ。
「それはいつの話だ。 いまは両手で数える必要がある程度は、いるんじゃないか?」
それまでずっと黙って居た、逆手二丁ナイフのサイファが口を開いた。
ファルマがイオナのジジイ臭い話し方を聞いて、『ほぉ』と短く声を漏らし、意外そうな顔をする。
「なにやら、そなたの見かけと話し方の違和感が半端じゃないな。 魔力が大きいほど歳を取りにくいと言うが、おぬしもそういった存在なのか?」
「ははは、いやいや、これは子供の頃からの口癖でな。 爺さんっ子だったせいで大人になっても取れぬのじゃよ」
ファルマに鋭いことを突っ込まれて、傍で聞いていた俺はドキッとしたけど、イオナは動揺することも無く言い訳を口にした。
まあ、つかみ所の無い感じが、イオナらしいと言えばイオナらしいとは思う。
「ファルマさんたちは、護衛で雇われたんですか?」
俺は、そんな事を聞いてみた。
だって、世界に10組も居ないというSランクの人達が普通の馬車の護衛とか引き受ける事に違和感を覚えたから、つい聞いてしまったのだ。
俺の知識ソースはゲームとかラノベしか無いけど、やっぱり上位の限られたクラスといえば、ドラゴンとか最強に強い魔物の討伐を引き受けて、世界を巡っているってイメージが強い。
まさか、最強クラスっぽい人達が2台きりしか無い馬車の護衛とか、あまりにセコいんじゃね?
そんな質問をしたら、ファルマって人とサイファって人は、2人で顔を見合わせていた。
そして、二人の間で最初にサイファって人が俺の質問に答える事に決まったのか、小さな合図が交わされていた。
「この馬車の護衛は、暇つぶしだよ。 どうせ時間の掛かる旅だからな、護衛でもした方が気が紛れるだろ」
「うむ、我ら本来の任務は『魔人狩り』だ。 その為にヤムトリアへ向かっておる。 いまサイファが言った通り、護衛は旅の暇つぶしに過ぎぬ」
「魔人って、なあに?」
いきなりアーニャが、無邪気な口調で問いかけを挟んできた。
イオナとレイナ、そしてメル、俺たちの中で3人しか居ない異世界出身者たちが顔を見合わせていた。
その感じからすると、こっちの世界では割とポピュラーな用語らしい。
俺の知っているゲーム用語で言えば、魔人とか魔王とか言うのは、人の世界に危害を加える魔物のボス的存在を示す言葉だ。
「すみません、身寄りの無い子を引き取って、小さい頃から山の中で育てたもので、まだ世の中の常識を知らないんですよ」
そう言って話に割り込んできたのはレイナだった。
こんな用語も知らないのかと訝しげな顔をしていたファルマの顔が、それを聞いて緩んだ。
「そうか、俺も元は親を魔獣に殺された孤児だ。 良き師に巡り会えたからこそ、今の俺がある。 お前達も、良き師に出会えたのかもしれぬな」
ファルマという人物が、自分は孤児だったとカミングアウトしたのは意外だった。
平和な日本という国にいたから、それほど実感をしていなかったけど、この世界では魔獣の犠牲になる人が多いんだろうなと、そんな事を思う。
俺は森の中にひしめいていた、様々な魔獣たちを思い出していた。
そんな事を考えていると、ファルマが魔人について語り始めた。
「魔人とは、強くなりたいと強く渇望する余り、文字通り人では無くなった者の事だ」
「…… ?!」
俺たち向こうの世界出身者がキョトンとしていると、ファルマは更に説明をしてくれた。
きっと、山奥から人里に出てきた田舎者という話を信じているんだろう。
ファルマの話を、俺はこんな風に理解した。
自分より強い敵を倒し続けていると、この世界では『経験値』と呼ばれる何かが体内に蓄積していって、ある程度溜まると肉体の能力がより強いものへと変化するらしい。
ファルマは、更に詳しく魔人と言うものに関する説明を続けていた。
それは俺たちにとっても無関係では居られない、中々に興味深いものだった。
「その変化を『肉体強化』と呼ぶのだ。 無理をせずに自分よりも少しだけ強い敵を倒して行けば、時間は掛かるが誰でも一定のレベルには辿り着ける境地だ。 そして、それを延々と繰り返してゆけば、やがて人の枠をも超える力を得る事も出来るのだよ」
なるほど、『経験値』とかいう用語を使われると俺のような元廃ゲーマーには良く判る。
この世界の魔獣というかモンスターの体の中には、きっと経験値の元となる何かが蓄積されているのだろう。
「だがな、強くなると言う事は麻薬と同じだ。 もうここまでで良いと言う底が無い。 もっと強く、誰よりも早く強くなりたいという欲望に負けて、より手っ取り早く強い敵の『経験値』を独り占めしようとする横着な者が必ず生まれるのだ」
なんだか俺には、すげーその気持ちが良く判るんですけど……
強くなりたくて、時間も惜しんでゲームに没頭していた日々が思い浮かぶ。
ゲームでは、『経験値効率』という言葉でそれを表現していた。
ここは時間当たりの『経験値効率』が悪いとか良いとか、そんな事がいつしか狩り場を選ぶ基準になっていた時期もあった。
効率が良いからと言って、同じ狩り場にずっと籠もっている人も居たし、人が多いと効率が悪いからと言って、比較的人の少ない明け方を選んで狩りをしている人も居た。
魔人ってのは、そう言う意味で考えるとゲームの廃人と同じカテゴリーの言葉のような気がしてくるけど、気のせいだろうか?
俺がそんな考え事から戻ると、ファルマの話はまだ続いていた。
「限度を超えた経験値を1度に溜め込むとな、それは時として肉体の耐えられる限度を超えた量になる。 そうなれば、文字通り人の姿ではいられぬのだ」
文字通り人の姿ではいられないと言うのは、まるで人が化け物にでも変わるような表現だ。
俺はファルマの説明を聞きながら、そんな事を考える。
「ギリギリ、辛うじて人の枠に留まった者は、皮膚に鱗が生えるとか皮膚の色が黒っぽくなるとか、犬歯が長く鋭くなるとか、まあその程度で収まる。 だが、その限度を超えると、まず長く鋭い獣の角が生えて体色も禍々しい黒になる。 そして大きく長い獣の牙が生え、獣の黒く長い凶器のような爪に変わるのだ」
それを聞いて、俺たちは全員が同じ事を考えていたと思う。
あの森での特訓期間中、みんなメキメキと強くなっていったけど、もしかしてかなり危なかったんじゃないのかと……
俺たちあっちの世界生まれの全員が、その姿を想像してゴクリと唾を飲み込んだ。
そして、チラリとイオナの方に視線を送った。
イオナはそれに気付き、無言で悪戯っぽくニヤリと笑う。
ちょっ! それを知っててやってたのか!
イオナとレイナを除く俺たち全員は、顔を見合わせた。
そんな俺たちの動揺を知ってか知らずか、ファルマの話は終わりに近付いていた。
「完全に肉体が魔人と化してしまえば、知能や理性が低下して怒りっぽくなり、それだけで無く攻撃的にもなる。 人としての理性が減退して欲望に忠実になり、代償に得た『魔族』にも匹敵する力に溺れ、やがて人を襲って生肉を喰らうように成り果てる。 それが魔人と呼ばれる忌むべき生き物なのだ」
「魔人は判ったけど、魔族ってなあに?」
アーニャの余計な一言でファルマは嬉しそうに頷き、更に解説は続いた。
案外と、この人は強面の割に根が単純なのかも知れない。
この世界の基本的な事は森の中での生活で学んでいるけれど、まだまだ俺たちの知識は色々と足りないことが多い。
俺は、今後現地の人との会話でボロがでないか、なんだか心配になってきた。
そんな心配を余所に、やがて街道沿いに畑らしき整地された土地が見え始める。
日もだいぶ傾いてきたけど、もう村が近いのだろうと俺は判断した。
冒険者ギルドなんて物が実在する異世界の村は、どんな処なんだろう。
俺の心は、そんな未だ見ぬ期待で一杯に膨らんでいた。
結局、村に着くまで他のトラブルが発生する事は無く、目的地の村に着いたのは、もう日が暮れる寸前の時刻だった。
秋の日は、沈み始めてから暗くなるまでが早い。
それにしても、馬車を助けて恩を売って村に入るという当初の計画は、まるっきり狂ってしまっている。
元々イオナが今回の計画を話してくれた段階では、村に入る事自体はそれほど心配の必要は無いだろうと言っていたけど……
そうは言っても、今のところ俺たちの身分を証明するものは何にも無い。
これがゲームとかドラマの世界なら、絶対に村の入り口で一悶着あるよなと、俺は心配をしていた。
村に到着して入り口で馬車が一旦止まったときは、さすがにドキドキと心臓が胸を強く打つのを感じる。
だけど、どういう訳か身分照会も荷物の検めも無く、俺たちは何事も無く村に入れてしまった。
不意に呼び止められるのでは無いかという不安が、何度も胸を過ぎる。
そんな気持ちを顔に出さないように、俺たちは見かけだけは平然と馬車から降りて、再び自分の足で地面に降り立った。
俺たちが馬車から降りた場所は広場のような処で、他にも馬車が何台か停まっている。
馬はすぐに馬車から外されて、広場の脇にある馬小屋らしき場所へと連れて行かれた。
俺たちはファルマたちと別れて、馬車に乗せてくれたお礼を言いに荷主の処へと行く事にした。
当然乗せて貰うときに簡単な挨拶はしているけど、立つ鳥後をなんとやらって奴だ。
別れ際にファルマが言っていたけど、この村の名前は『ターナ』と言うらしい。
俺が頭に抱く辺境の小さな村という排他的なイメージよりも、ここは規模が大きく、見かける人も予想より多種多様で数も多かった。
村を取り囲むように木の杭で造られた囲いはあるけど、 街道から枝分かれした支道沿いに村は作られていて、通り沿いには宿屋や食堂などもいくつか見受けられる。
すでに薄暗くなった村で、メルの国へと向かう俺たちの旅は、次のラウンドへと移行した。
この村での目的は1つ。
それは冒険者ギルドへの登録だ。




