11:作戦失敗
とまあ、俺はイオナの話してくれた馬車救出作戦の内容を思いだしていた。
正直なところ、あっちの世界の常識から抜けきれない俺の感覚では、ちょっとやり過ぎな気がしないでもない。
きっと、その話に出ていた、可哀想な馬車がここを通る時間が近いのだろう。
その馬車の中には裕福な商人の家族とかが乗っていて、トロールに襲われたあげくに両親が運悪く殺されて、そんでもって小さな娘だけが生き残って…… って、其処まで空想して俺は我に還る。
そう、これは都合の良い空想世界ではなく、リアルな現実なのだ。
後は、イオナが最後に言った言葉を信じるのみ。
俺は妄想を打ち消して、迫り来る実戦に備えた。
いつでも戦闘を開始できるように、支援の手順を心の中で確認する。
「いいか、馬車の人には何の罪もないでな。 1人も殺させるでないぞ! 万一の場合、和也はヒールに専念せい」
イオナの号令が下る。
1人も殺させない! その言葉があるから、俺はこの作戦に乗ったのだ。
俺たちは平然を装って、可哀想な馬車が通過するのを待った。
全員が後ろから来る馬車に神経を集中させて、ピリピリとした緊張が張り詰める。
そんな俺たちを余所に、バルだけが慎重に辺りを見回していた。
それを見た俺は、異世界がまだ珍しいのかと不思議に思っていた。
しかし、今朝早くに行われた俺の秘密の戦闘に気付いていたバルの感知能力を思いだして、俺も遅ればせながら周囲を感知スキルで再スキャンする。
そして、俺は叫んだ!
「イオナ! おれたち囲まれてる!」
俺たちが直面している危機を先に察知していたのは、感知能力をスキルとして持っている俺じゃなくて、華奢で金髪ロリな外見のバルだった。
俺を含む他の全員が、馬車の迫る後方に神経を集中させていたために、自分たちが既にキルゾーンに入り込んでいた事に気付いていなかったのだ。
「なんじゃ、カズヤ! それにイオナまでもか! 誰も気が付いておらぬのか? わしらは、とっくに囲まれておるぞ」
バルの指摘を受けて、ハッと驚いた表情を見せていたイオナが、悔しそうに歯噛みをした。
こんな生々しい感情の溢れるイオナの顔を、こっちに来てから初めて見た気がする。
「しもうたわい! わしとしたことが欲を掻いて、ギリギリまでトロールを誘導しすぎたか」
そう、俺たちの中で敵の待ち伏せに気付いていたのは、幼女のバルだけだった。
俺も全方位の気配を検知する役目を忘れていた事に歯噛みし、首筋がチリチリと焦げ付くような危険感知独特の違和感を少し前から覚えていた事を、今更のように思い出していた。
「みなさん、メルとアーニャを中心に陣を組んで!」
すぐさま、レイナの指示が飛んだ。
金髪ロリ幼女のバルが、ことさら慌てもせずに平然と、メルとアーニャの前に出る。
他の全員も武器を構えて、その中心にメルとアーニャを押し込んだ。
街道の進行方向にヴォルコフ、右にティグレノフ、左にレイナ、後方に俺の布陣だ。
その中心部に、イオナとメルとアーニャ、そしてバル。
イオナは、左側、バルは右側を固めていた。
俺は全員に防御魔法と支援魔法を掛けた。
あたかもそれを合図にしたかのように、右の森の中から、そして左の草むらの中から、醜い毛むくじゃらのトロールが太い棍棒を振り上げて飛び出してくる。
正確に数える余裕は無いが、総勢50匹くらいは居るかもしれない。
彼らには右の森を主力部隊として、左の草原は陽動部隊という風に分けるような知能が無いのか、一斉に襲いかかってきた。
いや、数の優劣による差が大きいほど、下手な作戦を立てられるよりも物量で圧倒されるほうが始末が悪い。
こちらが一度に認識出来る数にも、対処出来る数にも限界というものが有るのだから、これも状況に見合った有効な作戦と呼んでも良いのだろう。
数としては、森に潜んでいた方が多いようだ。
比率としては、草原側と森側で1対4という感じだろうか?
棍棒と剣のぶつかり合う鈍い音がティグレノフさんの方から、最初に聞こえた。
次に、レイナのいる左側でも、戦闘が始まった事を知らせる打撃音が聞こえる。
俺は後ろを向いてトロールの攻撃からメルたちを守るべきか、前を向いて支援に徹するべきか迷った。
こうなりゃ魔法で一気に吹っ飛ばすかと、この場に相応しいスキルを考えていると、イオナが俺に向けて叫んだ。
「和也、馬車が来る! お前の魔法はまだ見せるでない!」
そう言われて、俺は背中から放つ直前だった多重炸裂型念属性攻撃スキル、トリプルクラスター・ソウルバーストの発動を直前で止めた。
放つ直前だった魔法の反動で、鼻血が出る直前のように鼻の奥がツーンと痛んだ。
その同時発射数10の多段念属性攻撃は途中で3倍の数に別れ、更にもう一度3倍になり、多数の敵を一斉に攻撃出来る。
かつてゲームの中で組んでいた、常設パーティのエクソーダスで指令塔を務めていたミッシェルの多段攻撃には及ばないが、それでも最大で90発を同時に撃つ事が出来るという、ゲームでは派手なエフェクト重視で好んで使っていたスキルでもあった。
すでに俺たちの回りでは、10数匹のトロールが血反吐を吐いて倒れている。
仲間はと見れば、当たり前のように全員が無傷だった。
そこまで確認してホッとしていた俺の周囲の風景が急にゆっくりとなり、それを切っ掛けとして左後方から俺を襲ってきたトロールの攻撃に気付く。
現在の陣形がメルとアーニャを守る為に割と密集しているので、下手にトロールの攻撃を避ければ攻撃がメルやアーニャに当たりかねないと俺は判断した。
その時の俺は、今朝バルに言われた事をすっかり忘れていた。
そう俺の後ろには、後ろの守りを気にせず存分に戦えと言ってくれたバルが居るのだ。
そんな事も忘れて、自分だけで何とかしようとした俺は瞬時にフルブースト状態となり、右の拳を目の前に迫る太い棍棒に思い切り叩きつけた。
激しい爆発音にも似た轟音と共に、棍棒は粉々に弾け飛び、叩きつけた勢いのままトロールの醜い鼻面に俺の右拳がめり込む。
グチャリとした生々しい肉の潰れるリアルな感触と、卵の殻が割れたときのような一気に抵抗が無くなる気持ち悪い感触が、俺の右手へと直に伝わる。
目の前のトロールは首から上が俺の攻撃を受けて散り散りに爆散してしまい、頭だけの無い不格好な死骸が、汚い剛毛の生えた膝からドスンと地面に力無く崩れ落ちていた。
「ちょっとカズヤ! こっちにまで汚い飛沫が飛んで来たじゃ無いのよ」
後ろから、アーニャの罵声が聞こえた。
こんな状況なのに、身に付けている装備が汚れた事にご立腹なようだ。
まさかクレームを付けられるとは思っていなかった俺は、いささか戸惑う。
「ちょっ、俺はお前らに被害が及ばないようにだな…… 」
俺は、反射的にアーニャに言い返そうとする。
その時、イオナの指示が全員の耳に響いた。
「馬車が通過するぞい、ティグレノフ! ヴォルコフ! 少し引くのじゃ! 道を空けてやれ!」
前方で発生した俺たちの戦闘を見て、止まるかと思われた2台の馬車はそのまま加速して俺たちの横を通り過ぎた。
馬車に襲いかかろうとした数匹のトロールが、馬車の中から放たれた矢を眉間に受けて、弾けるように吹っ飛び、反動で地面をゴロゴロと勢いよく転がる。
別の数匹は、同じく馬車の中から飛んで来たソフトボール大の火の玉を喰らって、たちまち全身が大きく燃え上がった。
この世界の人が使う魔法を初めて目にして、俺は驚く。
言葉では判っていたつもりだったけど、やはり現実に魔法を使っている現場を見ると、感慨深かった。
あらためて、自分は魔法が異端ではない世界に来たのだと、そう実感できる。
2台の馬車は、俺たちの横を通過する間際に、5匹のトロールを矢と魔法で骸に変えていた。
そして、後方の馬車が俺たちの横を通過した直後、その後ろの幌が開いて2人の男が飛び降りるのが見えた。
トロールの群れの直後に降り立った2人は、それぞれが身に付けた剣を抜きトロールに襲いかかる。
2人とも黒っぽい衣装を着ているが、1人はスラリとした痩せ形で体にピッタリとした武装、もう1人はガッチリしているが筋肉バカではない体型で、比較的ゆったりとした衣装を身につけている。
細身の男は、両手に持った大型の両刃ナイフを逆手に構えてトロールの群れに突っ込んだ。
ゆったりとした衣装の男は、左の腰に差した幅広で片刃の剣をスルリと抜くが早いか、目の前のトロールを一刀のもとに切り捨てた。
剣速が速すぎて自分が斬られたことを気付いていないトロールの胴が、一瞬遅れてズルリと崩れ落ち、生々しい肉の断面を晒し、次にその内臓を街道の上にぶちまけた。
両手の大型ナイフを逆手に握った方の男も、トロールの攻撃をスルリと躱して駆け抜ける間に、トロールの腹から胸から首から、激しく血しぶきが噴き出していた。
普段からレイナの剣捌きをみているから、それ自体を特別凄いとは思わないが、それでもヴォルコフやティグレノフよりは数段上の動きで、流れるような動きで多数のトロールを次々に倒してゆく。
馬車は、俺たちの戦場からしばらく進んだ先で止まっていた。
そして飛び入りした二人の加勢を得て、俺たちの戦闘はあっけなく終わった。
両手ナイフの男は慣れた手つきで血しぶきを払い、クルリと回転させてから両腰にナイフをしまう。
片手剣の男は、大きくブンと右手だけで一度剣を振ってトロールの血糊を振り飛ばし、チン!と音を立てて鮮やかに腰の鞘に剣を収めて見せた。
「助けるはずが、助けられたって感じね」
アーニャが小声で呟き、メルが頷く。
まさに一言で言うなら、その通りだった。
もっとも、レイナもイオナも、この場は他人の目があるから実力の程は適度に隠している。
バルだってメルとアーニャの守りに徹していたから攻撃には参加していないし、実際は彼らの助けなんて無くても、数が多いだけのトロールなど無問題だったのは間違い無い。
それに俺だって、まだ治癒魔法はおろか攻撃魔法を使うほどにも、追い詰められていなかった。
なんだか、そんな負け惜しみの言い訳をしたくなるほど、その二人の男は強かったって事だ。
正直、それは認めなければならないだろう。
彼らの参戦で、この戦闘が早々に終わったのは間違いが無い。
「怪我は無いか?」
片手剣、たぶん幅が日本刀の三倍くらいありそうな太刀だと思うけど、それを使っていた男が俺たちに問いかけてきた。
ナイフの男は驚いたような素振りで腕を組み、無言で興味深そうにレイナの方を見ている。
レイナはそれに気付いているのか、それとも気付いていないのか、男の舐めるような視線に応える気配は無い。
心なしか、イオナに寄り添う距離が近いような気がした。
「いやはや、助かりましたわい」
「おかげさまで、危うく難を逃れました」
レイナはイオナの言葉に合わせて、自分がイオナの連れ合いである事を暗示するかのように、ほぼ同時に礼を言い、そして静かに頭を下げた。
それを見た両手剣の男は、無表情ながらも残念そうに、片方の眉毛だけをピクリと上げる。
そして俺たちも少し後れてペコリと頭を下げ、助けに来てくれた二人にお礼を言った。
別に、負け惜しみじゃ無くても危ないところを助けて貰ったとか思っていないけど、イオナの考えていた作戦が見事に失敗したことは間違いが無かった。
助けるはずが助けられて、これからどうすんだよイオナ……