八話
普通に生きていたら、冒険者でもない限りそうそう落下経験なんてないだろう。
いや、冒険者になったからってそうそう経験なんてしないはずだ。
つまり、王族のお姫様なんて立場だったら滅多にない経験であるはず。
物語の中なら、悪いドラゴンや魔王に攫われて空を飛んだりするかもしれないけれど……この世界は普通に魔族という種族を魔王が治めているから、そんな事は起こったりしない。普通に国交あるし。
「何? 随分と余裕そうだけど」
「いや、我ながら波乱万丈な人生送ってるなあって」
現実逃避していたせいか、ついぽろっと何も考えずに応えてしまう。
あ、やばいって気付いた時には、タナトスから発せられる温度が数度下がった気がした。
相手がタナトスっていう安心感があるからか、壁を駆け下りるっていうのも怖い事は怖いけれど、だから失敗するとか事故るとかな心配はなく……あれだ、ジェットコースターに乗った時の恐怖感くらいしかない。
だからか、素直に身を任せられるし怖い事は怖いけど、周囲に目をやるくらいのゆとりはあったりする。
薔薇園に音もなく降り立つ。凄いスピードで駆け下りていたのに、流石タナトス。
私の部屋からは王城の誇る薔薇園が見下ろせるけれど、タナトスはその中をずんずんと進んでいく。
警護の衛兵とか見回りしてる兵とかに出会わないのを運が良いと取るべきか……ううん。タナトスの事だ。警備のルートや時間帯とかきっちり把握してるに違いない。ここは、王城の警護大丈夫? と心配するべきなんだろう。なんなら、それとなく警備のルートや配置、時間帯をダンラムにするよう進言した方が良いかもしれないけれど……相手がタナトスなんだ。誰にも止められないだろう。そもそも、タナトスなんだから気付かれるわけがない。
そんな事をつらつらと考えながら特に抵抗もなく大人しくしていたら、はあっとこれ見よがしな溜息を吐かれた。
「何大人しく攫われてるわけ?」
石造りのベンチはひんやりして気持ちが良いけれど、突然だと冷たくてびっくりしてしまう。
いや、どちらかというと、タナトスから発せられる冷気にびくついてしまったのかもしれない。
「やっと俺が怖くなった?」
「いや、そこは全く。殺される恐怖とかはないんだけど」
壁ドンならぬ床ドン。否、ベンチドンだ。
ベンチに寝かせられたと思ったら、そのままタナトスに覆いかぶされて動きを封じられる。
股の間に足を入れられて、顔の左右なんかもタナトスの腕があるから身動きが出来ない。
そのまま首筋なんかをガブリとされてしまいそうな色気のある体勢に、本来ならドキドキする恋愛シチュエーションなんだろうけれど、なんかもう、違う意味のドキドキとヒヤヒヤ感しか感じない。
あれだ……悪戯が見つかった子どもの心境とか。テストで酷い点数を取って、それを親に見せる瞬間とかの……でも、叱られる心当たりがない。
そしてこういう時に手のやり場に困る私は、やっぱり前世でも残念な女子だったのだろう。
いやいや、なんかすっごく悲しい気持ちになってきたけれど、今はそんな感傷に浸っている場合ではなく。
「なんで怒られるのかなあと。今日の私、きちんとしたお姫様じゃなかった?」
しっかりとタナトスの目を見て尋ねる。
今日の私はとっても頑張ったはずだ。特に敵を作ったりとかはしていないはず。もし、この国での肩書と立ち位置を理解していない行動を取れば、シフィ先生からのお叱り、もとい指導が入っているはず。私がすんなりと部屋に戻って寛げた時点で今日の私の対応は及第点だったはずだ。
「いや……政治的な対応っていうのは、俺にはよく理解出来ないが……ちゃんとお姫様してたと思う。ムカつくくらい、王族の姫だったよ」
「なら」
「だからこそ、王族の傲慢ってやつでばっさりと切り捨てるべきだった。見向きすらするべきじゃなかった」
「へ?」
タナトスの言っている意味が理解出来なくて、キョトリと間抜けな顔をしてしまう。
王族の傲慢? 見向きをするべきではなかった?
「ノア。ユウリュウ国宰相ロズアド・メレクフォレットの息子」
「は? え? え!?」
タナトスの言っている意味が理解出来なくて頭の中にクエッションマークがぐるぐると回る。
なんとも言えない奇妙な声も出ていたようで、そっちはうるさい、と目で煩わしそうに睨まれてぎゅっと口を慌てて閉じる。
いや、待て待て待て!?
ノアがロズアドの息子? 何その設定? そんなのなかったぞ? 何がどうなった?
やっぱりこれはあれ? 続編というか、IFでの違う時間軸って事で真キャラ投下された物が発売される前に私が死んだってこと?
「まあ、もっとも血の繋がりはないらしいけど」
けれども、私の混乱もタナトスの言葉で少しだけ治まる。
血の繋がりはない。つまり、それは……養子?
「ユウリュウ国について、どれだけ知ってる?」
タナトスの言葉に、とりあえず疑問は置いておいて素直に応える。
ユウリュウ国はこの世界で一番歴史のある、そして種としても頂点に君臨する竜族の国で、謎に包まれている点の多い国だ。
そもそも寿命からして違うし、国が違えば彼ら竜族を神として崇める人間の国もある。
だからといって、竜族の方達は人を見下したりしないし、こちらが礼節を持って接すれば、同じく礼節で返してくれる。
それに、うちみたいに何百年も続く歴史ある国であれば、国交していたりもする。
竜族は普段は人型で生活しているけれど、その本質はやっぱり人とはかけ離れている。
嗜好品や宝飾類など細かい作業は苦手みたいで、ほぼ人間の国からの輸入に頼っている。
そのかわりに、人の力で入手するのが苦労するような鉱山物や、脱皮して不要になった竜の鱗なんかを取引材料にしてくれるし、自然災害の時に助けてくれたりもする。人間とは持ちつ持たれつの関係だ。
「ふうん。まあ、一般的な知識だよね。じゃあ、番については?」
「つがい?」
「そう、番。竜族は決して己より力ある者に対してしか頭を下げない。それは他国の王であったとしてもだ。人間の王なんて、竜族からすれば普通の人間よりも賢い人間って程度の認識だろうしね。竜族が頭を下げるのは、自分より強い相手か……自分が守りたい相手。唯一無二の存在だけ。竜族の雄は雌の奴隷だよ」
「ど、奴隷」
「そう、奴隷。愛する相手の事をなんでも聞いちゃうんだ。竜族は伴侶に種族を選ばない。これは獣人とかもか。まあ、人間はどの種族よりも弱いから、交わっても相手の種族の子になるわけで……さて、あいつはルナティナにどうやって挨拶した?」
猫が獲物を定めたような目で、じいっと目を合わせられる。
頬をなぞるタナトスの手が、そのまま私の首……喉元で手が止まる。
タナトスの手はとても冷たくて、なのに向けられる目は熱くて……ひくりと、喉がなった。
「あいつは、ルナティナを選んだんだよ」
選んだ。
その言葉にカチリとばらばらのピースがはまって、ああ、そうだったのかと素直に納得してしまった。
竜族は番を選ぶ。つまり、人間みたいに別れたり他の人と浮気したりってことがない。
だから、ゲームでのノアはルナティナの死後あとを追ったんだ。
恋は盲目というのなら、ゲームでのノアはただただルナティナの事を思い、ルナティナの意思を尊重し、ルナティナの邪魔でしかない主人公を消そうとした。
どうして一緒に堕ちていったのか謎だったけれど、番という習性がそうさせたんだろう。
それならルナティナが死んだ後じゃないと攻略出来ないのも納得だ。
だからこその寄り添いエンド。献身エンドなんてのもあった。なんだそれ。隠しキャラ。ある意味ラスボス的存在が攻略出来たとしても一番だとか特別になれないルートに当時はネットがおおいに荒れたけれど、まあ、だからこそ萌えあがる乙女達はいるわけで……おい、公式。番制度とか知らない。ファンブックにもなかったぞ。世界観とか確かに掲載されていたけれどがっつりじゃなかったし、種族についても竜族、としかなかったけれども。ノアだって攻略対象なんだから、もっと掘り下げて書いてくれても良かっただろうに。
「竜族はそこまで密に人間と関わっているわけじゃないから、習性とか番とか詳しく知らない人間の方が多い……むしろ、裏の人間くらいしか詳しいのはいないだろうけど」
「裏?」
タナトスの言葉に引っかかって問い返せば、面白くなさそうに口の端だけ笑みの形になる。
「だってそうだろ? 竜族は種の頂点。番にさえなれば、どんな要求でも出来るんだ……財でも命でもなんでも。それは、とても便利な使い勝手の良い道具だろ?」
「なっ!」
「竜族一匹いれば、国との戦争でも良い戦力になるんじゃないか? 竜の姿で敵国上空からブレスでどがん、とか。で、ルナティナは王妃の目が光る場で、竜族の力を手に入れたんだ? 見る者が見れば、すっごい衝撃的だったんじゃない?」
「あ」
タナトスの言葉がじわじわと浸透してくると同時に、さあっと血の気が引いて行く。
それをタナトスは可哀そうな子を見る目で憐れんで、溜息を吐く。
「だからルナティナは馬鹿なんだよ」
「いっ!」
かっと視界が一瞬真っ白になって息が詰まる。次に訪れたのはひりひりとした痛みで、遅れて喉を噛まれたのだと理解する。
「タナトス!」
「お前が馬鹿だからだよ。この、馬鹿」
「たっ!」
押し倒されていたから後ろに跳ね返らなかったけれども、それでも痛いものは痛い。
噛みつきにデコピン。涙目でタナトスを睨みつければ、タナトスの目も歪んでいた。
「流石に種族最強に目を付けられたら、黄泉に攫う事すら出来ねえよ」
「え?」
タナトスの言葉が正しく頭の中で変換される前に、ぐいっと抱き起こされて抱きしめられる。
「たった一匹のアリが獅子に勝てると思う? 竜族の国は空飛ぶ国だし……攫われたら、どうやって奪い返せばよい?」
「えっと、あの……攫われる前提、ですか。ほら、こう、清く正しいお付き合いとか」
言って、すぐに後悔する。そんな冷めた目で見ないでくれないかな、溜息とか素直に傷つくんだけれども。
でも、ゲームでのルナティナは攫われたりしなかった。ノアと恋人関係って感じでもなかった。こう……今の私とリオンみたいな従者の関係。それに近い感じだったから……そこまで、タナトスが心配する程でもないと思うんだけどなあ。
「おい。ルナティナ? お前今、絶対危機感とか持ってねえし、なんとなかるって考えてるだろ」
「え、いや、そんなことは」
あるけれど、口には出せない。
私の考えなんてお見通しだって冷めた笑顔で、タナトスは長い長い溜息をついた。
「言って駄目なら、宰相のとこ行くか」
「え」
シフィ先生? え? なぜに先生!?
抗議をしようと口を開けるも、凍えるような目線に委縮して音にならず、陸に打ち上げられた魚のようにぱくぱくと開閉することしか出来ない。
「学のない俺じゃ、こういった説明は向いてない……なら、向いてる奴がすれば良いだろ?」
清々しいくらいの、何かを吹っ切ったような笑顔で言い切られた事が恐ろしくて固まってしまう。
そうしてフリーズしている間に再び抱えあげられ、抵抗するタイミングすら逃した私はドナドナされた。




