五話
寝る前に、備え付けの水差しから水を飲もうとしたけれど、ちょっとだけ考えてお茶に変更する。お茶って言うか、味付き水? 爽やかなレモン水だ。本当は紅茶とかの方が良いんだろうけれど、寝る前だしってことで諦める。それに、甘味さえあれば飲み物までには拘らないだろうし。
枕元にしか灯りをともしていなかったけれど、それはそのままでテーブルの上に手のひらサイズの蝶の形をした魔道具を飛ばす。淡い優しい色に発光して、テーブル周りを照らしてくれる。
「焼き菓子があるけど、食べる?」
返事を待たずに、スティが用意してくれていた茶菓子を用意する。
砂糖漬けされた食用の薔薇入りマフィンだ。
誰もいない自室で、二人分用意する。はたから見れば空想遊びのように見えるだろうな、なんて思いながら花柄が刺繍されたカバーがかかったソファに腰掛ける。
そのまま自分で入れた飲み物に口を付ければ、頭にずしりと重みを感じて危うく味付き水を噴き出しそうになる。
「タナトス!」
怒りの声を上げてもタナトスは我関せずで、私の頭を肘置きのようにしてもたれかかりながらマフィンを食べる。一個目はあっという間になくなって、ちゃっかり、そのまま私の分まで手を付ける。というか、行儀の悪い食べ方をしてる割りには、欠片がぽろぽろと降ってくることもなくて、食べ方だけは綺麗なんだなと変に感心してしまう。いやいや、そうではなくて。
「タナトス」
恨みがましい声が出てしまったけれど、食べ物の恨みは怖いモノだ。けれど、タナトスは私から離れて目の前の席に座り直してくれはしたものの、マフィンは返してくれるつもりはないらしい。
私の睨みつけなんてぜんぜん効いていなくて、取られる方が悪いとばかりにニヤリと笑って最後の一口をぺろりと口の中に入れてしまう。
「これ美味いな。疲れてる時にはこれくらいの甘さが丁度良い」
「まだ用意させようか?」
そう尋ねれば、一瞬だけ迷ったけれどもメイドを呼んで欲しくなかったんだろう。次があればその時でと返されて、はて、と首を傾げる。
「次も何も、突然来るのはいつもでしょう。備え付けだとやっぱり焼き菓子とかになっちゃうけど、それくらいなら常備出来るよ?」
「おっまえ……そうだよな、ルナティナだもんな……こんなお子ちゃまが良いとか、アザゼル様も大概だよなあ」
「それ、しみじみ言わないでくれる? 私だってなんでって気持ちはあるけれど、そこまでお子様でも」
「夜着」
「は?」
「だから、夜着」
呆れ顔でタナトスに指差されて、ますますわけがわからなくて変な顔になってしまう。
夜着、と言われたけれど、それって私が着ているパジャマの事だろうか。
薄紅色のナイトドレス。胸元と袖、裾に三段の蝶柄のレースがあしらわれている私のお気に入りだ。
「まだ成人前とはいえ、慎みとかどこに忘れてきたわけ。せめて一枚羽織るとかあるだろ……そんなんだから、いろいろと群がられるんだよ」
「群がる」
タナトスの言葉を拾い上げた私に、タナトスは大げさな仕草で溜息をつきながらもどうするのかと私に促してきた。
「ルナティナは、今後、どうしたい? お前は大事な友達だから、いろいろ助けてやるけど?」
今後、という言葉に思わず眉間に皺がよってしまう。むう、と唸るように下を向けば、いつの間にか距離を詰めてきたタナトスに、テーブル越しだけれど眉間に人差し指を当てられて、ぐりぐりと押されてしまう。
「ちょっ、タナ」
「うるさい。ルナティナがぶっさいくな顔するからだろ」
指を振り払おうとすれば、何をどうやったのかあっという間に膝の上に移動させられた。上というか、私が座っているタナトスに跨いで馬乗りしている形だ。
「固い」
「これでも軽装備だ」
フード付きのマントの中は簡素なシャツにズボン。どこにも武器なんて見当たらない。丸腰に見えるけれど、でも、そうでない事を私は知ってる。お尻に当たるごつごつとした固い感触も、なんらかの武器を仕込んでいるからなんだろう。
「軽装備でこれちゃうんだ」
「ルナティナの所はな。それ以外だと、もうちょっと装備が増える」
「わあ、知りたくなかったなー」
思わず棒読みになってしまう。切ない。
そんな私にタナトスは苦笑して、さらに現実をつきつけてくる。
「それが今のお前の現実だろ。クルシュ姫の所に行く場合と比較してやろうか?」
意地悪そうにそう言うタナトスにむかっと来て、思いっきり両頬をつねってやる。それでもタナトスは笑ってばかりで何も言わないから、馬鹿らしくなって手を離す。そこまで明るいわけではないから、はっきりとは見えないけれど、それなりには赤くなっているだろう。やったのは自分だけど、傷つけたいわけではないからちょっとだけ自己嫌悪で頬を優しくなでる。
「タナトスは、なんでそこまで優しいの」
思わずぽろっと心の声が漏れた。あ、と思ったけれどもう遅くて、一度音として生まれてしまったモノはもう取り消すことなんて出来ない。ただでさえ近距離なのだ。しっかりとタナトスに届いていて、タナトスが目を丸く見開いた。
「えっと、その」
「ルナティナにとって、俺って何?」
そっと頬に手を添えるみたいな優しさで、首に片手を添えられる。喉仏……声帯? そこを親指で軽くなぞってうっそりと笑うタナトスに、ぞくりとした冷たい何かが背中を駆けあがっていく。けれども、もう数年の付き合いなのだ。時折思い出したように体の急所を撫でられる事に慣れてしまった私は、ちょっとどこか取り返しのつかない道を進んでしまったのかもしれない。
「友達」
タナトスは怖い。けれどもその怖いって感情は、息をするように人を殺してしまうゲームでのタナトスであって、私と友達になってくれたタナトスではない。だから私は、真っすぐにタナトスを見て笑う事が出来た。
「ついでに付け加えると、身分とかそんなの関係なしに付き合える友達って、残念な事にタナトス以外いないから……無二の親友とかになってくれると嬉しいかも?」
「なにそれ。すっげえ残念な誘い文句だな」
喉元から手を離して、肩に顔を埋めてくつくつと笑われる。空いた手は腰に。もう片方は私の髪を一房つかんで指先でくるくると。なんかあれだ。猫じゃらししながらゴロゴロ鳴いてる猫みたいだ。
「無二の親友ってのになっても、ルナティナはお人好しで無鉄砲で、しかも運も悪いから、すぐ死にそうなんだよな」
「失礼な。笑いながら大往生の予定ですが」
「ふうん? でも、ルナティナは俺がいないとすぐ死ぬからなあ。ワンコは弱いし? 宰相の庇護も限界がある。それに、アザゼル様の鳥籠は砂糖漬けの牢獄だろ?」
「リオンは弱くないし、シフィ先生はあくまで先生であって、私の保護者じゃないからね? それでもって、アザゼル様は……うん」
「まあ、つまりお前は出会い運がないんだよ」
「出会い運って。そんなこと言うけど、それだとタナトスもじゃないの?」
「そう。だからルナティナは出会い運がない。お前が俺に、殺しの依頼をするような奴だったら良かったのにな」
最後の方はぞっとするくらいに冷たくて、思わずタナトスの肩を押してぐいっと引き離してしまう。それでも、タナトスは私の力なんて微々たるものにしか感じないだろうに素直に従ってくれた。
「私は、タナトスに命令なんてしたくないしあんな風に頭を下げてほしくないよ」
「知ってる。でも、俺が介入しなくてお前に切り抜けられたか? アザゼル様のとこに嫁ぎたかったか?」
タナトスの言葉にぐっと詰まってしまう。あの場でタナトスが膝を折ったから、私の価値が高まった。私自身の力だけでは、なにも出来ない。けれど、それでも。
「タナトスを道具みたいに使うのも、タナトスの力なのに自分の力みたいにするのも、嫌だよ」
甘いのかもしれない。いや、甘いんだろう。けれども、嫌なものは嫌なのだ。何もかもしてもらって当たり前。それじゃぁ、王族に仕えてる他の人達と同じではないか。
リオンやスティならば、主として返せるモノがある。シフィ先生にだって、王族の私としてなら返せるモノがある。けれど、タナトスは駄目。だって、王族のルナティナじゃなくて、ただのルナティナとして付き合いたいから。頼ってばかり、助けられてばかりじゃ、そんなの友達だなんて言えない。
「ルナティナはバカでドジだからなあ……お前くらいなんだよ。俺をただのタナトスって見るのは」
「それは、タナトスも一緒でしょう?」
ただのルナティナとして扱ってくれる無二の存在。タナトスの前でだけ、私はただのルナティナになれる。
「お互い難儀なもんを背負ってるからなあ。可哀想なルナティナ。無二の親友が俺みたいな奴なんて。仕方ないから、お前が俺を……ルナティナがそのままなら、死ぬまでこのままでいてやるよ」
「タナトス、それって」
「成人式は俺も影に控えていてやるから、変な虫にひっかかるなよ?」
「た!」
タナトスにとっては軽くなんだろうけれど、それでも不意討ちでのデコピンはそれなりに痛く感じてしまう。
タナトスのデコピンで後ろに仰け反れば、そのまま流れるように降ろされて慌てて起きあがれば、いつの間にかタナトスは部屋から消えていた。




