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一話

 来てほしかったような、来てほしくなかったような。

 ここはとても気持ちの良いぬるま湯で、このままではいけないと分かっているのについ考えを放棄してしまって、現状維持を望んでしまった。

 だからこれは、そのツケがまわってきたということなんだろう。


 この世界で十六歳とは成人の年だ。

 所謂成人式。国を挙げてのお祭りの日だ。

 当然、身分ある者は城で開かれる祝いの席への出席が義務付けられる。


 数日前に届いたリオンの帰国命令。ならばやっぱり、私も帰国すべきだろうとその旨をシフィ先生に伝えて、あとはお世話になった今までのお礼をとアザゼルを訪ねればお茶に誘われて、ほのぼのとしたなかで伝えようとしたのだけれど。


 その話題を口にすれば、すでに私が帰国することはお父様からヘブンバル国の国王に伝えられていて……そうして、笑顔を向けてくれるアザゼルの目からハイライトが消えていた。

 どこをどう間違ってヤンデレの扉を開いてしまったんだろうか。


「ねえ私の愛姫。手放したくないから鎖を着けようと思うのだけれど、どんな物が良いかい?」


 監禁ですか。今までの軟禁生活からついに進化するんですか。

 しかも鎖……手錠? 足枷? あ、首輪ですかそうですか。ああ、冷や汗が止まらない。

 

「トト山の奥に眠る鍾乳洞の水晶なんて如何でしょう。とても稀少価値の高いものですしルナティナ様が身に付けるに相応しいものかと。もちろん、アザゼル様御本人が足を運ばれるんですよね?」


 待って。ねえ待ってリオン。なんでそんなに普通に切り返せてるのかな。ちょっと主ついていけない……ってか、今トト山って言った? え? 本気で?

 

 穏やかな日差しの下で行われる小さなお茶会。

 緑豊かな森の庭園にちょこんとシートを敷いてピクニックのように……まあ、シートというか、王族が座るんだからペルシャ絨毯のように地面に直接敷くのはどうかっていうくらいに肌触りの良い滑らかな朱色の布なんだけどさ。気分は大事だよね。

 つまり、アザゼルと向かい合って座って、私の左斜め後ろにはリオン。3人だけの見た目だけは穏やに見えるお茶会だ。


 例え見えない位置に護衛が複数いようが、リオンの言うトト山が生態の頂点と呼ばれる竜族の国にある空飛ぶ山で、自分で行くとなるとそれはもう密輸しかない。それも命懸けの。竜族は温厚で知性的な種族だけれど、一度怒らせれば一族同党、もしくは国単位で皆殺しの恐ろしい種だ。これ、死ねって言ってるよね。


「二人とも、相変わらず仲良しですね」


 私は何も見えていません、感じてません。

 音を立てないよう茶器を置いて、なるべく無垢に見えるように微笑みを作る。

 ああ、左半分の背中が冷たい。冷気垂れ流しで、なのにお互い表情だけはにこやかに会話って、ここは宮中の奥か何かですか。日差しよ、もちっとだけ自己主張強めて暖かさを届けておくれ。ほんと、辛いから。


「ふふ。姫がいるからねえ。私は彼とも仲良くしたいよ?」


 うん。私抜きだったらリオンの事、お片付けしちゃってたり? まあ私がいなけりゃ不穏要素を取り除くのが国の頭の一つとして働く彼の役目ではあるけれど。


「平和が一番です」

「はい。ルナティナ様が望まれるモノの為にあるのが僕ですから。だから是非使ってくださいね」


 是非のあとに、アザゼルの処理にって副声音が聞こえた気がしたけれど、それも全力でスルーして微笑みを保つ。

 昔と違って、子どもらしい丸みが消えてしまった今の私は、柔らかさだとか優しげだとかの無害さを意識していないと、真顔ならなまじ整った顔立ちなせいで氷の女王のようだし、気を抜いて素で微笑めばそれはもう悪巧みをする悪女のそれだ。


 アザゼルが私を妻にと望んでから六年。

 十四歳になった私は、不思議なことに何故かまだヘブンバル国に滞在していた。


 何を言っているかわからないでしょう。私もわからない。分かりたくないだけかもしれないけれど、一言で説明するならあれだ。アザゼルが返してくれなかった。これに尽きる。


 あの日。形式上というか、政治的に見た目で見れば、タナトスを手に入れたように見える私を王妃様はそれはもう喜ばれたらしい。うん。顔で笑って心で憤怒の笑みを浮かべてたんだろう。丁度クルシュの三歳の誕生日もあるからと帰還命令が出たのは八歳のこと。でも、魔力測定でクルシュの魔力が測定出来ず大混乱になったんだろう。ゲームの物語の通りに、やっぱり主人公であるクルシュには魔力がなかったのだ。これは機密事項だろうから私には直接知らされなかったけれど、帰還命令が取り消されたからそうなんだろうと予測した。


 それからそれから、帰還命令なんてなかったかのように一年音沙汰がなくて、九歳の誕生日の時に、シフィ先生から籠の鳥の生活はどうだと揶揄られたんだ。

 あの時の先生は怖かった。漏らしそうになるくらいに怖かった。とってもオブラートに鳥籠の鳥だと気付けよ愚か者と罵られて、それでも、忌々しそうに表情を歪めても、ため息一つで全てを飲み込んでシフィ先生は笑った。

 それはもう、悟りを開いたように。目のハイライトが消えていた気もしたけれど、それでもシフィ先生の中でもやっぱり私の生存率が高いのは自国よりもヘブンバル国だと判断していたみたいで、私は私のまま、しばらく籠の鳥よろしくお人形さんでいなさい、とはっきりと言われた。自国での私の居場所は最低限はしっかりと確保しておくとも。最低限ってなんだ最低限って。尋ねられる雰囲気じゃなかったから、私は空気を飲んで頷くしかしなかったけどね。


 ふふ! 臆病者と罵るなかれ! 地雷地と分かっている真上でタップダンスを踊るほど、まだ私は人生捨ててない! 自分大事! 自己愛大事!


「ねえ私の姫、本当に行ってしまうのかい? 別に姫のではないのだし、行かなくても良いのではないかい?」

「リオンは私の騎士です。主である私が祝わなくてどうするんですか」


 そっと取られた手に自身の手を重ねて、やんわりとアザゼルから距離を取る。

 二十台後半に入ったアザゼルは色気にさらに磨きがかかって、伏し目がちに向けられる流し目も、ずくりと腰に疼きを与える甘い声音も艶やかで本当に心臓に悪い。

 それでもって、見た目もあまり変わらないのだ。つまりイケメンのまま。シフィ先生はエルフで時の流れがヒトとは違うから何も変わらないのはわかるけれど、アザゼルはヒトだろうに。変化が色気に磨きがかかるだけってなんだそれ。


「ではせめて、きちんと帰ってきてくれると約束してはくれないかい? わかるだろう? 心配なんだ。ああ、もちろん、妻になるという約束でも良いよ」

「私に選択肢はありません」

「あくまで姫は王族である、と。まあ、なら仕方ないよねえ」

「リオン」


 いつものやり取り、そのはずだった。

 あの、お嫁においでと言われたあの日から、おはようと朝の挨拶をするように。どこへ出掛けようか、と誘われるのと同じくらいの気軽さで私の妻におなりと乞われ、私では決められないと断るのが日常のヒトコマであったはずだった。

 なのに、初めて、今この瞬間の問いかけだけ不穏な何かがあった。私と同じように何かを感じ取ったリオンが臨戦態勢に入るのを名を呼ぶことで止めて、私はニコリと笑みを張り付ける。


「この国はとても素敵です。また、遊びに来たいと私は思っています」

「いつでもヘブンバル国は君の帰りを待っているよ」


 噛み合わない会話に、ひくりと口角が震えたけれど、あえて突っ込んだりせずに浮かべた笑みを深めるだけに留める。言質は絶対に取らせない。

 そのまま茶会のお礼を行って席を辞す。


 アザゼルは特に引き留めようともせずに解放してくれた。リオンと二人立ち上がると、どこからともなくメイドが現れて案内を申し出てくれたけれども、それを礼を言って笑顔で断る。

 初めての場以外はいつも断るから、メイドも心得たように一礼して私たちを見送ってくれた。


「リオン」

「申し訳ありません」


 形式上だけの謝罪に溜息しかでない。それでも、私を全身全霊をかけて守り私だけの剣であろうとするリオンが愛おしくて本気で叱れない。

 

 この六年で私の髪は腰まで伸びて、化粧いらずの肌は陶器のように艶やかで頬もチークなんて必要ないし、ぽってりとした唇も意識しているわけでもないのに、劣情を誘う色気がある。胸だってささやかではあるけれど谷間が出来たし……完璧に妖艶な悪役令嬢へと近付いている。素の表情で口を閉ざしていれば、何か悪巧みをして舌舐めずりする悪女の出来上がりだ。ひらひらふりふりも、愛らしいレースのドレスも似合わなくなってしまった。ピンクのドレスなんて絶対着れない。

こうして私が成長したように、勿論リオンも、愛らしい少年から女性の目をはっと奪ってしまう美青年へと成長した。


 十六歳になったリオン。

 つまり、成人したリオンはやっぱりイケメンだった。もとからイケメンだったんだからイケメンに違いはないのだけれども、そのイケメンが更にイケメンに進化したのだ。イケメンって言葉が私の中でゲシュタルト崩壊していて何を言っているのか分からなくなるけれど、とにかくリオンは素敵なイケメンなのだ。


 肩より短め、耳よりは長めで綺麗に切り揃えられている銀糸の髪はとってもさらさらで、深い海を取り込んだような蒼い目はどこまでも凪いでいてリオンの精神の安定を窺わせてる。

 正式な主従関係になってから、どこか危うい部分のなくなったリオンは更に強さに対して貪欲になった。どうすればより素晴らしい剣になれるのかに重点を置きすぎていて時々私の性別を忘れるほどだ。着替えの時ですら護衛に付こうとしてスティの雷が落ちたのは今となっては懐かしい思い出だ。


「やはり、出立を早めませんか?」

「早めるって、どうせ今夜にはあちらに帰るんだし、あとほんの数時間でしょう」


 左斜め一歩後ろを歩くリオンを振り返って、目線を合わせるように首を上げる。

 未だにょきにょきと伸び続けてるリオンは私の頭一つ分程背が高い。

 もう前に立つだけで私を隠せるくらいになったし、軽々と私を抱き上げられるようになった。立派な男の人だ。それなのに、忠犬よろしく私にどこまでも忠実だから異性というよりも最近は付いていないはずの尻尾が見えてきて……げふげふ。


「姫様。お疲れ様でした」

「ありがとう」


 与えられている部屋に戻れば、廊下にスティが控えていて扉を開けてくれる。

 そういえば、スティも年月が過ぎたと言うのに肌の艶も変わらないし、胸は相変わらず巨乳のままだし……羨ましけしからん。


「姫様?」

「ん? なんでもないよ」


 ついつい釘づけになっていた胸元から視線を離して部屋へと向ければ、そこには仮だけれどこの部屋の主である私以上に自由に寛いでいる彼の姿が目に映る。

 猫足の、横にもなれる大きさのソファに足を上げてのんびりと寝そべる彼はもはや見慣れたもので、溜息一つ吐いてスティに目線を送る。そこで初めてスティも彼に気付いたようで、にっこりと微笑み黙ってお茶の準備に行ってくれた。その微笑が若干ひくついていたような気もしたけれど、そこも突っ込んでは駄目な所なんだろう。


「おい無職。またルナティナ様に集りに来たのか」


 不思議なことに、リオンも私と同様タナトスを普通に認識することが出来るらしい。アザゼルから許可を得たタナトスが、堂々と私の私室に出入りするようになって、気付いたらこの部屋でくつろいでるってのが日常になったせいで、タナトスの気配に慣れたのかもしれない。


「相変わらずワンコはキャンキャン良く吼える。別に友だちのとこに遊びに来るくらい、よくあるだろう? ああ、ワンコには友だちがいないからわからないのか。そうかそうか、それは悪い事を言ったなあ。経験したことないんだもんなあ」

「貴様」


 リオンから殺気がぶわっと出るけれど、いつもの事なので気にしない。

 この部屋でのやり取りだけ、リオンは私を置いてつかつかとタナトスに食ってかかりに行くのだ。普段は魔術で作り出した剣を愛用していたはずなのに、なんの力もない普通の剣を帯刀するようにもなった。

 普通の剣ならばそれはただの鉄だ。防犯にも引っかからない。あとは周囲の家具を傷つけないように切り合えば良いだけだ。


「あれ? 今日は荷物があるんだね」


 ソファの下に無造作に置かれたボロ布のリュックに気付いて首を傾げる。

 いつもタナトスは着の身着のまま遊びに来て、そのまま勝手に泊まって行ったりもしていたけれど、自分の荷物、という物を持ってくるということはなかった。

 いつもふらっと遊びに来てはふらっと消えるタナトスだ。

 近づけたと思ったら、いつの間にかまた距離を取られていて。まあ、暗殺者を引退してきたというし、殺されるフラグはもう折れたのだろうとそのままにしていたけれど……珍しい。


 どこまでもフツメンで、イケメンの中に囲まれているからこそ私からすれば存在感がすごいタナトス。

 何もかもが普通で、普通に背は伸びたんだろうけれども、もうリオンとあまり変わらない。

 体格だって、並ぶ二人を見ればリオンの方が筋肉がついていて引き締まって見える。

 誰よりも優れた暗殺者であるはずなのに、中肉中背。無駄な肉なんてついていないはずなのに、埋没して見えてしまう凡庸さ。それが時々恐ろしく感じてしまう。


「なんだ。旅にでも出るのか? そのまま二度と戻ってくるな」

「この国に戻るかどうかは、ルナティナ次第だなあ」


 喉を正確に狙って繰り出された突きを軽々とリオンの真上を飛び越えることでかわしたタナトスが、音もなく私の前に降り立つ。

 それをリオンは忌々しそうに目できちんと追いつつも、私の眼前にタナトスがきたからだろう。小さく舌打ちをしてから剣を仕舞う。


「国に帰国するんだろう? それ、俺も着いて行くから」


 笑顔に細められた藍色の目はどこまでも愉悦の色を宿していて、リオンの罵倒を聞きながらも私はタナトスから視線を外し、そっとスティが持って来てくれたお茶にのみ意識を集中させた。


 

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