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十六話

「リオン! リオンリオンリオンー!」

「はい、ここに」


 ヘビに睨まれた蛙宜しく硬直しつつも、咄嗟に浮かんだのは私の騎士の名で。

 ゆっくりと迫ってくる、男の人のくせにかさつきもないふっくらとした唇を凝視しながら名前を叫ぶようにして呼ぶ。


 まだこの体は清い身なのだ。

 タナトスに裸を見られたりとかあったけれど、あれは性的な物ではないからノーカンだ! いやいや、そうではなくて!


 ぐるぐるとよく分からない思考回路のままに混乱していれば、耳元で今一番頼りになる声がした。

 ぐいっと力強く後ろに引き寄せられて、あっさりとアザゼルの腕の檻から解放される。鼻孔をくすぐるアザゼルの香りがちょっとだけ薄れた事に胸の奥がきゅっとなったけれど、それは多分免疫のないいろんな事に流されているだけであって、深くは考えてはいけない事だろう。


 そう、免疫。

 前世では多分私は喪女というもので、あまり思い出せはしないが清い身のままだったかもしれない。もしくは初体験をなんとなくで済ませて失敗していたのだろうか……とにかく、大好きな乙女ゲームにどっぷりと漬かっていた人生だったのだ。そんな私にそれなりの恋愛経験値などあるわけもなく、王族よろしく籠の鳥な現在だって、経験値の貯めようがない。

 つまり、どういうことかというと! ああ! 思考放棄したい! 恥ずかしい! 逃げたい! ゲームだから萌えれるのだ! ゲームだから悶えて転がりつつも正解の選択肢を選べるのだ! 私にはハードルが高すぎる!


「ルナティナ様? ルナティナ様、もう大丈夫ですよ。すぐに排除しますので」

「あ、うん、待って大丈夫魂帰って来た。思考放棄駄目絶対」


 脳内の中ですら逃げられない。

 このまま思考の渦に身を投じていたら、血が流れるパターンだわ。


 肩を抱くようにして背後から私を覆ってアザゼルから距離を取っていてくれたリオンの手に、そっと自分の手を添える。

 それだけで、リオンはなんだか不服そうにしつつも垂れ流していた魔力を普段のように押さえてくれた。うん。お世話になっている王族相手に何をしようとしたのかな? ああ、これも深くは考えてはいけない事案なんだろう。


「残念。逃げられてしまったか」

「はあ……なんていうか、とっても楽しそうですね」

「時間は沢山あるからねえ。ゆっくりと攻めて行く事にするよ」


 甘い重低音ボイスでうっそりと笑わないでくれませんかね!?

 ひぃ、と失礼にも悲鳴を上げてしまいそうになって慌てて口を手で覆う。リオンはリオンで、私の視界からアザゼルを消そうとしてくれたらしい。

 くるんと体を回転させてリオンの背に庇われる。あ、タナトスだ。おい、何を腹抱えて笑っているのかな?


「お前真っ赤」

「いたっ」


 ぴんっとおでこを軽くデコピンされて涙目になる。ああ、うん、大丈夫だから! 大丈夫だから、お前もかみたいな感じで更に殺気を垂れ流さないでくれないかな!?

 なんだこれ。これ、一体どういう状態なわけ。


 殺気駄々漏れで冷気を身にまとったリオンを中心に、かたや甘い大人の笑みを浮かべた歩く十八禁。もう片方は別の意味での十八禁G指定。Gって確かグロとかそっちだよね。いやいや、お友だちになったんだから、解体も暗殺もされないけどさ。なんだこれ。どんな三つ巴だよ。


「あー、リオンリオン。とりあえず落ちついて。大丈夫だらか……危険はないでしょう?」

「命以外の危険がありそうですが」

「あ、うん、そうだね……でも、今は大丈夫でしょう?」


 思わず肯定を返してしまったけれど、とりあえず私が落ちつかなければどうにもならないだろうと、意識して落ちついた声を出す。

 それに反応してくれたのはリオンではなくてアザゼルだった。おふざけの時間は終わりらしい。安心させるように両手を軽く、手のひらを見せるように顔の横に上げる。降参、のポーズだろうか。


「まあ、とりあえず今は強引に事を進めたりはしないよ。姫君が選んでくれるのが一番だからねえ……ねえ、私の小さな姫君? 私はきちんと、待つよ」


 じゃり、と音を立てて間合いを詰められて、身長差のせいで間にリオンを挟んだ状態になりつつも、しっかりと柔らかく細められた目に囚われる。


「だからね、将来の選択肢に、私の隣もいれてくれないかな? 穏やかな日々を約束するよ」

「俺は付属で付いて行ったりはしないんですけど?」


 甘ったるく広がった空気をばっさりと切り捨てるように、タナトスが口元だけ笑みを浮かべて言い放つ。その間に、ずりずりとリオンに引きづられるように横に移動させられて、二人から適度に距離を取った位置でリオンの背後に庇われ直される。

 あ、未だかつてないくらいにリオンの背中が頼もしいかもしれない。


「そうだね。君は私の物にはならない。今まで通りの関係で、それは私が君を裏切らない限り続いて行くんだろう。それでも……君は姫を殺さない。そして姫の不利益になることをしない。それだけで、私が姫を求めるには十分だろう?」


 タナトスは何も答えない。答える気はないと、肩を竦めて口を閉じる。

 そして否定も肯定もしないってことは、それが正解だからだろう。私はタナトスに友だち以外の関係を求めるつもりはないけれど、それを公言した所で周囲は納得しない。お互いの立場というか身分がそれを邪魔する。まあ、王族と稀代の暗殺者が対等のお友だち関係ですだなんて、誰が信じるんだって話だ。私だって、これが全く別の誰かの話だったら信じない。


「あとで城を出入りするのに通行証を発行しておこう。私の執務室に取りに来てくれ」

「別にルナティナくらいしか認識出来ないんだし、なくても困らない」

「それでも、形にして記録することは大事だからね。大事なお友だちを困らせたくないだろう?」


 二人の間で少しだけ難しい大人の話が展開されていく。私は子どもだから、副声音なんて聞こえない。聞こえないったら聞こえないのだ。アザゼルにとっても良い駒を手に入れたとかそんなのわかんない。だって子どもだから。

 さっきからこの二人を置いて戻りましょうってリオンが誘ってくれるんだけれど、流石にアザゼルを放置してってのは些かまずい。本音としてはさっさと自室に戻ってスティの入れてくれる美味しいお茶で一服したい。なんかもういろいろ疲れた。


 会話が進むごとにアザゼルの笑みは深まって、意図しているのか元からなのか色気が駄々漏れで、うわあってなる。普段私を相手にしてくれている時は、やっぱりお子様対応だったのだろう。そう思うくらいにアザゼルが浮かべる笑みは艶やかで、声は低いのに甘ったるくて、対するタナトスは反比例するように眉間に皺が寄せられてどんどん仏頂面になっていく。

 見ただけで明らかだ。話し合いという名の勝負はアザゼルの勝ちだ。少しだけ以外だったのは、お友だち関係を受け入れてくれたタナトスが、その関係を維持しようと譲ってくれていたことだろうか。私達の関係を気にしなければ、彼はアザゼルの要求を何一つ受け入れる事なんてしなくて良いのだから。


「えっと……ありがとう」


 タナトスは身分関係なく、個として私を見てくれる。

 そして、半ば強引にお願いしたこの友だち関係を壊さないでいてくれた。

 へらっと笑って、思わず出た感謝の言葉にタナトスは溜息を軽くついて、もう一度私にデコピンをする。


「貴様」

「わ、ちょ! 良いの! 良いから!」


 再び戦闘態勢に入って魔力を駄々漏れにするリオンを止めて、少しだけ感じる尖って冷たい冷気に冷や汗を流しつつも、へへっと私の顔はだらしなく笑みの形のままだ。

 タナトスも、そんな私の姿を見てにっこりと楽しそうに笑う。そう、にっこりと、楽しそうに。

タナトスが楽しそうに笑うと、ぴたりと動きを止めてしまう私はもう、短い付き合いだけれどもタナトスという人物を理解しているのかもしれない。

そう、タナトスが楽しく笑うなんて、絶対私にとっては楽しくない状況でしかないのだから。


「タ、タナトス? タナトスさん?」

「ん? いや、友だちのよしみで掃除を一個手伝ってやろうかと」

「そーじ」


 それはゴミ拾いとか掃き掃除とかではないよね。真っ赤な方ですか。出来ればというか、痛くなくて怖くない普通の掃除以外歓迎したくないんですが。


「掃除、してやろうか?」

「ああ、良いですね。是非お願いしましょうよ! ね、ルナティナ様!」


 ぐっと素敵な笑顔で親指を立てた先にはアザゼルが苦笑しつつも両手を軽く上げて艶やかに笑っている。それ、一体どんなスキルですか。たまにアザゼルは生まれてくる性別を間違えたのではと思うくらいの色気があるけれど、これが乙女ゲーム攻略キャラならではの素敵能力なのだろう。現実である今であれば、なくても全く困らないものだけれど。特に私の心臓的にはない方が長生きできそうだ。や、いやいやいや、そうではなくて。


「どうしてリオンがそう清々しく返事しちゃってるかな」

「便利なものは使わなくては」


 うん。そこも真面目そうに僕、良い判断でしょうとばかりに微笑まなくて良いから。足向けて寝れないくらいにお世話になっているというのに、その感謝とお礼が稀代の暗殺者を差し向けるっていろいろおかしいでしょう。


 ひくりと口角が震えつつも、冗談は駄目でしょうと意識して柔らかく微笑みを張り付けて冗談で流す。こらそこ! 不満そうな顔をしない!

 ぎろりと軽く睨みつければ、リオンは素直に不穏そうな笑顔を引っ込めて真面目そうな顔を取り繕ってくれた。これ、今は和解してきちんと私の剣として、私の騎士としてあってくれるから素直に従ってくれているのであって、そうでなければこっそり自分で行動とかしてたんじゃないだろうか。そんな、絶対に当たっているであろう直観にさっきからずっと止まらないでいる冷や汗を流しつつ、タナトスにもここら辺でやめてくれという思いを込めて目線を向ける。


「別にルナティナが望むならそのように動いてやるけど?」

「望まないし頼まないし使わないから! むしろ善意の行動のその後が怖いわ!」

「おや、完全に私に対する心配からではないんだねえ。残念」

「あ」


 さらっと爆弾を落としてくるタナトスに反射で取り繕わずに叫び返せば、くすくすと距離を開けていたはずのアザゼルが隣で楽しそうに笑う。

 あああああああああ! 今のなし! 今の失言取り消しで!


「も、申し訳、ありません。えっと、ごめんなさい、あの、あのですね」

「良いよ。私も私で素直に自身の心に従って動くから。姫も自由に動くと良い。ただ、そうだねえ」


 艶やかな笑みが視界いっぱい。

 あっと思った時にはそんな状態で、再びアザゼルの甘ったるい腕の中に囚われる。


「今でなくても、そう遠くない日に私の事を一番に想ってくれるように育てるから、今は小さな可愛らしい姫のままで良いよ」


 ちゅっと軽いリップ音が鼻の頭で鳴って、アザゼル一色だった視界がタナトスの手によって再び遠ざかる。

 タナトスと一緒だと、私の足が地面についていない率が高すぎる気がしたけれど、まあ仕方のない事なんだろう。深く考えては駄目だと言い聞かせて、ぽすりとタナトスの肩に頭を乗せる。今さらだけれど、筋肉質よりも細く見える見た目のクセして、触れる部分は全て固い。無駄な筋肉が一つもついてないんだろう。そんなどうでも良い事をつらつらと考えながら、とりあえず意識して耳を塞ぐ。


「やっぱ幼女趣味なんじゃないか」

「ルナティナ様に触るな! 下ろせ!」


 あー。あー。

 キコエナイキコエナイ。

 頭上から呆れ混じりのタナトスの声にリオンのキャンキャンとした声。まあ落ちつけよと止めはするけど、二人にあっさりと流されるくらいには適当だ。それでも、リオンは私の適当な制止でさえぐぬぬと顔を歪ませつつもぴたりと口を閉じてくれた。おお、忠犬。


 なんだこれ。てかほんと、何がどうしてこうなった。カオス。カオスだ。カオスすぎる。

 にこにこと楽しそうに、それでいて色気駄々漏れで遊郭の花魁のように妖艶に微笑むアザゼル。 や、遊郭とか花魁とか知らないけどそんなイメージだ。流石お色気担当。ただ、今はもうとりあえずからかう気はないみたいで、私達の数歩後ろを楽しそうについてきてくれてる。


 そして、せっかくリオンが口を閉じたというのに、どうやらタナトスはリオンを気に入ったらしい。ワンコ、ワンコと言ってリオンを言葉で撫でくり回す。


「なんていうか……平和だなあ」


 ぽつりと心の声が一つ、賑やかな声の中に私の声も混ざった。




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