十四話 スティ・ダクルートス
「それでは、何か小さなことでも結構です。体の不調や違和感を感じたら必ずお知らせください」
体内の魔力残量検査の為に、リオンの体を這うように舞っていた光の粒子が消えていく様子を眺めながら、ほっと気付かないうちに小さな息を漏らす。
ああ、わたくしが不甲斐ないばかりに。もっとわたくしに力があれば。ないものねだりだと分かっていても、上限の見えてしまった己の肉体が恨めしくて、ぎりりと唇を噛む。
あの時。まずいと緊急事態を認識した時には、リオンの方が動くのが早かった。
リオンにはあの暗殺者の姿がしっかりと見えていたのでしょう。ようやくルナティナ様と和解して、狂う寸前で引き返せたのだと、間に合ったのだと安堵していたというのに。
今までにないくらいの憎々しさを隠しもせずに、リオンは確実に相手の命を取る一手を放っていた。
なんとかルナティナ様と和解して、リオンの目は正常に戻っていたはずなのに。どろりと濁ったその瞳の中に嫉妬や憧憬の色を見つけてらしくもなく慌ててしまった。
リオンよりも先にこの場を納めなくては。
わたくし達は客人だ。そんなわたくし達に何かあれば、それこそ、魔術を使うような場面に陥ってしまったのだと気付かれれば、わたくし達を保護して下さったアザゼル様に恩を仇で返し、さらに主であるルナティナ様の御身を危険にさらすことになってしまう。
リオンやルナティナ様の視線の先を頼りに長刀を振るえば、広がるのは絶望一色。何故届かない! 何故何も感じない! 確かに相手はいるはずなのに、認識出来ない。そして理解出来ないままに床に封じられる。
敵でなくて本当に良かった。
死神の祝福、宣誓。
ルナティナ様に使われたくて仕方のないリオンからすれば受け入れがたいそれも、わたくしからすれば、ただただ浮かぶのは素直な安堵のみだった。
リオンも視野を広く持てば良いのに。
ルナティナ様の立場で考えれば、使える力は多い方が良い。まあ、今まで必要とされなかったのですから、他に目が行ってしまうのが恐ろしいのかもしれませんけれど。
あれから、ルナティナ様に与えられた私室からそう離れていない客室で、簡単な事情聴取を行いながら、魔術を使用してしまったリオンの体調チェックを同時進行で行った。
ルナティナ様の私室には、安全面の為に攻撃魔術を扱い辛くする魔法具が置かれている。並みの術者であれば魔術を行使するのに必要な魔力を十分に練れなくて不発となっているはずだというのに……ことごとく顕現させて見事に操ってみせた弟に、流石と褒める思いと同時に何故冷静になれなかったのかと詰りたい気持ちが混合してしまって気分が悪い。
わたくしの機嫌の悪さがわかっているのでしょう。退室していった魔術師をどこか縋るように見ながら、気配が遠のいて行くのを確認して、弟は諦めたようにわたくしに謝罪の言葉を落とした。
「謝罪すべきはわたくしではないでしょう」
「うう……そうだね。姉様、ありがとう。姉様がいなかったら、僕はもっと自分の感情に素直になって、ルナティナ様のお部屋を氷漬けにしてたかもしれない」
「それは……ええ、わたくしに感謝しなさいな」
誇張でもなんでもなく事実を語る弟に、若干遠い目をしてしまう。
この三年で、自尊心が高くも素直であった弟は、もうわたくしが自由にこき使っていた可愛いどれ……ではなく、狂いかけた別の何かになり果ててしまった。
可愛い可愛い私のご主人様は、とても聡明なお子。リオンを配下と加えるに当たっての弊害を正しく理解していらっしゃる。
ダクルートスは武によって成り上がり、代々の王に仕えてきた騎士の家系。そしてリオンはその直系であり跡取り。だからこそ、ルナティナ様はそう遠くない将来に、リオンはクルシュ姫の元へ行くと信じていらっしゃる。
ああ、なんて愚かな。例え王であったとしても、私達ダクルートスの意思は変えられない。自らの王は自らで選ぶ。そういった厄介な血族なのだ。
まあ、こうまでリオンがこじれてしまったのは、自らが選ぶ側だというリオン自身の奢りのせいと、あくまでも王位継承権を否定しがちなルナティナ様の所為でしょうけれど。
それでも、やっぱりわたくしが主と定めただけあって、ルナティナ様は優れていらっしゃた。
リオンが堪えていたものを耐えられなくなる前にきちんとすくい上げたのだから。
ええ、お預けにお預けを食らわせての三年間。なかなかの鬼畜対応だったのではないかしら。それを素で行っているのだから……流石はわたくしの主です。
「さて、疲れて戻られるでしょうルナティナ様の為にも、美味しいお茶でも用意しましょうか。リオン、貴方も一緒に」
「あ、僕はこのままルナティナ様を追いかけるから」
「リオン」
思わず半目になってしまったわたくしの反応に、リオンはびくりと体を震わせながらも笑顔を浮かべて拒絶の意を示す。
その姿にむくむくと加虐心が生まれてくるけれども、今の危ういリオンにそれはまずいと自制心を働かせる。
自身を落ちつかせる為にそっと息を吐けば、リオンは何を勘違いしたのか焦ったようにわたくしから距離をとった。そんなに慌てなくても、無理強いなどしないというのに。
事実、もうわたくしに何かを強制する力などないのだ。
リオンはこの三年でどんどん自身を高めていった。体術ではまだわたくしの方に分はあるけれども、それは体格や体力の差によるもの。リオンが子どもでなくなれば、もはやわたくしは一撃入れる事も出来ないでしょうに。ああ、刷り込みってなんて素敵なのかしら。
「ルナティナ様を宜しくね。しっかりとお守りするのよ?」
「姉様……いいの?」
「良いも何も、お前はルナティナ様の剣でしょう? それ以外の何があるの?」
言外に、振るわれる側であれと力を込めて問えば、ふわりと花が綻ぶように笑った。
ああ、これだから見目の整った子はと頬を抓ってやりたくなる。
我が弟ながら将来が末恐ろしい。今は剣としての使われたい欲求しかルナティナ様に向いていないけれども今後はわからない。
そう遠くない将来にちょっと目をやってみて、なんとなく考えてはいけない気がしてすぐに頭の中から追い出す。
「守れなくてごめんなさいね……次があったとしても、自信はないわ」
「ああ、うん。僕も自信ないなあ。刺し違えすら出来そうにない」
「あのなあ、あんたら鳥頭か? 俺が傷つけないと宣誓したんだぜ? だったらもう、ルナティナに仕えてるお前達と命のやりとりをするとすれば、あんたら二人が裏切った場合のみだろう?」
ぴりりと肌を針で刺されるような小さな殺気に、慌てて臨戦態勢を取る。
いつ入って来たのかちらりとも気付く事が出来なかった。
稀代の暗殺者。確実な死を運ぶ死神。
そんな大層な軍名がついているというのに、当の本人は雑沓に紛れてしまえば二度と見つけられないような、これといった特徴もないそんな平凡な男。それでいて、身にまとう雰囲気だけは異様なまでに研ぎ澄まされていて……彼は、扉にもたれかかるように立ったまま、一歩も動いていない。それなのに、背中を伝う汗が止まらない。
固まったように動きを止めたリオンを見て、わたくしは冷静にならねばと呼吸を整える。彼はとても恐ろしく、そして優秀な暗殺者だけれども味方だ。味方、と表現して良いか分からないけれど、危害を加える側でないことは確か。
「先程は失礼致しました。出来れば今後は是非とも平和的に姿を見せて頂きたいですわ」
本能的に感じる恐怖を理性で抑えつけて、にっこりと口元に笑みを浮かべる。
一撃仕掛けたとして、その瞬間には物言わぬ躯になっている自身しか想像出来ずにどうしようかと攻めあぐねていれば、わたくし達の焦りを正しく理解しているのか、一歩、彼の方から動いた。
「悪いな。慣れてくれ。で、ワンコはワンコなりに考えて、ちょっとはお利口になったのか?」
「煩い。なんでここに来てるの」
「お姫様を守るのは王子様って決まってるだろ? でも、あいにくその王子様から守らないといけなくなったら、騎士の出番かなあと。まあ、待ても出来ないワンコならいらんが」
意味深な言葉に、リオンと二人して眉を顰める。
王子様が駄目なら騎士?
「あんの幼女趣味者」
ぼそりと呟くように吐き捨てたリオンの言葉にはっとする。
そういえばそうだった。王子様というと清廉潔白、爽やかな白タイツというイメージだったけれども、彼は紛れもない王子様だった。
「お前が余計な事するから」
「ああ? それ以外にルナティナの価値を高めて、さらにお前の暴走に大義名分を与えるっつう手があるなら謝罪してやるが?」
わたくしではなく、リオンに直接向けられた殺気だと言うのに、その場に縫いつけられたように動けなくなる。それなのにリオンは、忌々しそうに睨み返して、あっさりと彼の隣へと進んでいく。
「リオン!」
「姉様、無事に連れて戻ってくるので! ほら、早く! どこだよ!」
あっさりと背を向けたリオンを見送れば、ひらひらと軽薄そうに彼に手を振られた。
そのまま二人は部屋から退室していって、一拍遅れてからどっと汗が噴き出してくる。
「ルナティナ様……おかわいそうに」
争い事が嫌いで、何もない平和が一番と仰るわたくしの主。
どこか影響力の何も持たない平凡な殿方に嫁ぐのが夢だと、枯れた事を仰るけれど……そんなルナティナ様の周りは、わたくしを含めて非凡な者ばかりだ。
「ああ、心が和むよう緑の多い花でも生けましょうか」
手汗をエプロンで拭き、呼吸を整える。
恐らく、顔色悪く戻られるであろう主を思って、くすりと浮かんだ笑みを慌てて隠した。
「わたくしも、今以上に鍛練に励まなければねえ」




