十三話
「そうだ。報告するのに君達二人からも話を聞かないとね。この部屋で魔術を使ったんだ。リオンは体に負担がかかっているはずだからねえ……一応、検査もしておいた方が良いだろう。案内は……君で良いか。頼んだよ」
「二人とも、私が言った通りだから。アザゼル様、二人を宜しくお願い致します」
「勿論。君の大事な従者だ。今回の騒乱も緊急事態のようだったみたいだしね。それにこちらの警備にも穴があったようだ。申し訳なかったね」
リオンは何かを言いかけたけれど、この場での発言権はないと分かっているようで、スティと一緒に綺麗な礼を取ってアザゼルを守護するように取り囲んでいた魔術師のうちの一人の指示に従って部屋を出て行った。
さて、この場をどう治めようかと頭を悩ませるけれども、アザゼルが出てきた時点でどうしようもないだろう。下手な誤魔化しは効かないから、タナトスもあんな行動をとったのだろうし。
「ああ、もう良いよ。危険はないからね。目に見える警戒は必要ない」
いつものように甘ったるく微笑みながら私に手を差し出して、未だに抜き身状態だった兵士達の剣を治めさせる。兵士の人達もアザゼルの指示に心配の声を上げるでも、表情にちらっとでも出すわけでもなく素直に従う。その姿をじっと見る私の心の中なんてアザゼルにはお見通しなんだろう。彼は励ましも諌めの言葉も何も言うことなく差し出してくれた手をさらに伸ばして、少しだけ強引に、けれども優しさを持って私の手を取った。
「整理された道とはいえ、転んでしまっては大変だからね。そうだ、抱えて歩こうか」
「あ、えっと、手だけで……ありがとうございます」
特に会話という会話もなく案内されたその場所は、見事に自然豊かとしか言いようのない場所だった。
自国の城の庭は庭園といった感じで、薔薇園だったり、季節の花々が咲き誇っているけれども、こちらの城の庭はどちらかというと日本庭園といった感じだ。うん。日本屋敷の庭をさらに広くして森林公園とかそんな感じの、整理された砂利道に緑豊かな木々。いや、もはやこの広さは庭と言うよりも庵へ向かう道のようで、登山でもしにきたのかと錯覚しそうだ。
「いつもは城下町ばかりだけれども、こうして二人で散策というのも良いものだね」
二人で、という言葉にそっと安堵の息を漏らす。私は感知することが出来ないけれど、護衛は確実に見えないところに隠れてついて来ているはず。それでも、今この場は非公式の場であって、ここでの会話は自国には知らされない。つまり、王妃様の耳には入らないようにしてくれるってことだ。
黙礼で感謝を示せば、くしゃりと柔らかく頭を撫でられた。
「タナトス。タナトスかあ。彼はとても認識阻害の能力に長けている暗殺者だよね。稀代の暗殺者。どんな者であっても彼から逃れることは出来ない。彼は確実な死を運ぶ死神だ」
ふわりと凪いだ風と一緒にアザゼルの纏う雰囲気が変わる。そうして、なんとも恐ろしくも頼もしい者の祝福を承けたねとアザゼルはうっそりと笑った。
普段の砂糖菓子をぐずぐずに溶かしたみたいに甘い笑みじゃなくて、為政者としての笑み。私を引き取ると言った時以来に見る、国に仕える人の顔。命じることに慣れた、使う側の人間の顔だ。
だから私も王族の顔をする。いつもの、柔らかく姫と呼んで貰える私のままでは見限られると、漠然とだけどそんな思いが頭のなかに生まれた。
「私が認識しているタナトスを見る方法は、あちらから殺気を向けられて強制的に意識させられるか、もしくは自身に流れる魔力を鈍らせ乱れさせる香をかがされて、認識しやすくするか……だったと思うのだけれど。二人は見る事が出来たんだね?」
「リオンのみ認識出来ました。タナトスをきちんと認識すると同時に侵入者と判じ、私を守るために動きました」
「騎士として、護衛として動いたと。まあ相手が相手だからねえ。けれども、それなりにやれたんだろう? いい力だ。でも、タナトスは姫に危害を加える事はなかった。つまり、ルナティナ姫、今の君は正しく剣を振るえなかったしその力量もなかったと。ふふ。今頃、姫の小さな騎士は落ち込んでるだろうねえ。まあ、争い事を好まない君なら当然の結果か。うーん。過ぎたる力なら私が預かろうか?」
きた。
ぎゅっと爪先が白くなるくらいに手を握って、しゃんと背筋を伸ばす。ああ、なんて懐かしいんだろう。これは先生と対面しての質疑応答の勉強をしてた時と同じ雰囲気だ。
言葉に力が宿って言霊となるように、王族の言葉は力の塊だ。言葉1つで命も人生も誇りも、何もかも奪い取ってしまう。今、私が私の弱さに逃げてしまえば、リオンやスティの忠誠も覚悟も何もかもを殺してしまう。
「他の誰でもなく私の剣は私だけのものです。私の剣はリオンだけだし、一のメイドもスティだけです。正しく扱える主に、なります。なってみせます」
「ふうん? ふふ。まあ、そうだねえ。スティはともかく、躾は大事だよね。自分の力、自身の剣ならば、姫自身もきちんと扱えるようにならないと。過ぎたる力は自身を蝕む毒にしかならないし、周囲にも被害が及ぶ……今みたいにね。まあ意地悪を言うのもここまで。今回は大人である私がかなり不甲斐なかったからね。不測の事態だったとはいえ、後手に回らざるを得なかった……申し訳ない。本来であれば事が起こる前に防がなければならなかった」
「いえ! あの! 私がいけなかったので……その、ごめんなさい」
申し訳なさで視界が歪むけれど、それはしてはいけないことだと分かっているから根性で堪えて、きちんと謝罪をする。
魔力暴走をしないようにっていう名目で軟禁されようとしていた私に、アザゼルは遊学という形で救いの手を差し出してくれた。なのに今回の件は、その手を叩き落としかねない事だ。
下げた頭を上げてしっかりとアザゼルの目を見れば、にこりと柔らかくその目が細められて、優しくまた頭を撫でられる。
「王族の在り方として姫のその真っ直ぐな姿勢は正しいのだろうけれど……難儀なものだねえ。改善点が分かっていても姫の性格上、自身の剣を己の力として振るって御するのはやはり辛いんじゃないかい?」
「それは……でも、手放す気はないです。私が良いと言ってくれるリオンに誇れる主であろうと。今回は、その、きちんと向き合うのが遅くて。だから全面的に私が悪いんです」
リオンはいずれクルシュの元へと離れて行くんだろうと思ってた。だから、リオンとはどこか心に距離を置いてすぐ諦められるように防衛してた。
今回の件は、私がもっと早く、しっかりとリオンを信じてリオンとの信頼関係をきちんと築けていれば防げたはずだ。私がリオンを受け入れるのが遅かったから、自分自身の首を絞めるはめになったんだ。
知らないうちに小さな溜息が生まれる。
リオンはリオン自身全部を剣として私に捧げてくれた。剣を振るうのはその持ち主だ。なのに持ち主がいつまでたっても主としての仕事をしないから、剣は勝手に動かなきゃいけなくなってしまった。もし、きちんと私がリオンを自分の力として。自分の剣として振るえていたら、タナトスを攻撃することはなかっただろうし、私を守るということを最優先にしてリオンが魔術を使う事もなかった。
たった一言の制止でリオンは剣を納めて、言葉でのやり取りのみでその場を収めることが出来たはず……だったのに。
「今回の件、どうなりますか?」
「そうだねえ。まあ、私からは保護者に従者が増えましたと報告する程度かな? あんなにはっきりと宣誓されたんだ。ねじ曲がることなく正しく死神は姫に与したのだと伝わるはずだよ。あとは魔術使用の件だけれども、死神の侵入にいちはやく気付いた姫の騎士が警戒して御身を守るために魔術を使った、と。まあ嘘は言っていないよね。ちょっと姫の周りが賑やかになるくらいかなあ……でも大丈夫。私はとても姫が気に入っているんだ。帰さないよ」
「ありがとう……ございます」
くしゃりと安堵で顔が歪んでしまって慌てて俯く。上手く言葉にならなくて、それでも態度では示さなくてはと再び頭を下げたら、アザゼルは何も言わずにまた頭を撫でてくれた。
もう、本当にアザゼルにはお世話になりっぱなしだ。そんなアザゼルを困らせるだなんて、私は何をやっているんだろう。次はない。本当にしっかりしなくちゃ。
「あの、私に出来ることは」
今回の件は、アザゼルの顔に泥を塗ってしまう行為だった。
アザゼルの庇護下の元で、私の剣であるリオンが魔術を使わなくてはいけない状況下に陥った。 その事実だけで、今からアザゼルは叩かれるだろう。タナトスが機転を利かせてくれなければ、私は安全の保証されない国に置いておくことは出来ないと強制送還されたかもしれないのだから。
リオンをきちんと御しきれなかったばかりに。私が、きちんと主としてリオンを使えなかった。その事がリオンにもアザゼルにも申し訳なくて、そんな至らない自分に嫌気がさす。
「全く。姫君は優しすぎるんだよ。優しさも過ぎれば自身を蝕む毒にしかならないよ? 優柔不断とも言えるね」
「うう。も、大丈夫ですから! しっかりします!」
「そうだね。まあ思い切りは良いしねえ。だから目が離せなくて心配になるんだけどね。んーああ、そうだ。剣を振るう王となる事が難しいのならば、ずっと私の小さな姫君として生きるかい? 今の姫にはさらに付加価値がついているし。うん! そうだね、そうしよう! それが良い案だね。ねえ、そうしたら姫も安心出来てみんな幸せだろう?」
「へ? 付加価値?」
ぐずぐずと自分の不甲斐なさに心を沈めていれば、優しく両手を包みこまれるように取り上げられて、何がそうだ、なのか分からず首を傾げる。
そんな状況についていけれていない私に、アザゼルはそれはもう晴れやかな笑みを浮かべてさらりと爆弾を投下した。
「姫君、つまりだね? このままずっと私の姫君でいれば良いんだよ。そうしたら心配事も減って、更に姫の剣を使う機会も減ってみんな平和だろう?」
「は? あ、いえ、うん?」
「うん。だからね、ルナティナ姫、お嫁においで」
「およめ」
いまいちきちんと言語が翻訳されずに異国語のように尋ね返してしまう。
およめ。
お嫁。
花嫁。
「へ? あ、うえぇ?」
アザゼルと結婚!?
あんぐりとはしたなくも口を開けてまじまじとアザゼルをお行儀悪くも見やってしまったけれども、それどころではない。何故だ。何がどうしてこんな展開になったんだ。
「そうだね。もっと早くこうしていれば良かったよ。私としたことがうっかりしていたなあ。まずは取り急ぎ王に謁見を願い出て、ああ、そちらの国にも一度行かなければだが、まあ安心して良いよ。一度だけ行って、こちらに帰ってくればあとはもう一生行かなくて良いから」
や。待って。ねえ待って。行くとか帰るとか、ちょっと表現違ってないですか。私の母国はここではないのだけれど!?
どこだ?! どこにアザゼルのフラグがあった!? いつの間に攻略してた!? いや、そもそも! ゲーム開始はクルシュが十五歳! 私二十歳! 今って私八歳だよ!? アザゼル二十三歳! 十五歳差……犯罪! 犯罪だよ!
ロリコンという単語が頭の中をぐるぐると駆け巡る。
いや、王族同士これくらいなら普通なのか? 私が特殊だっただけで、本来であれば婚約者とかいても普通なくらいだし。
「私は王族だけれど王位継承権は低い。王になることは今の治世ならないだろう。何かあってもしっかり者の兄がいるしね。ふふ。ルナティナ姫は可愛いし、茶会をしてたまに城下町にお忍びをして。この生活がずっとなら素晴らしいと思わないかい?」
「いえいえ! あの、ちょっと色々飛躍しすぎて」
「何も悩む必要はないよ。このまま私だけの姫におなり?」
掴まれていた手を引かれて、あっさりとアザゼルの腕の中に閉じ込められる。
こうしてルナティナは悪の薔薇姫になることなく幸せに暮らしました。めでたしめでたし。
混乱した頭の中がわけのわからないエンディングを作成して、いやいやちょっと待てと一人突っ込みをする。その間にもアザゼルは私の返事を待っていてくれたようで、目が合えばうん? と可愛らしく首を傾げて甘ったるく微笑む。
「ねえ、それで良いだろう?」
「は」
そのまま形の良い唇が降って来て、視界がアザゼル全部に埋め尽くされた。




