八話
「うう、苦い」
あれから。
無事に帰城して、アザゼルには無茶と無謀は違うとこんこんと諭され、スティにはむやみやたらと突っ走らないで下さいと泣かれ、リオンは……うん、本当にごめんて。
「ねえ二人とも。これ飲み終えたらお茶に付き合って」
「ルナティナ様、ですがもう本日は」
「この薬湯、とっても苦いの。このまま寝るなんてヤダ」
体の傷を綺麗に治して貰って、タナトスに入れてもらった薬湯よりもさらに上等な薬湯に入れられ……今度はトドメの飲む方の薬湯。
これ、美味しくないんだよね。スムージーみたいにどろりとしていて色は紫色。それでもって味は、青汁をさらに苦くした感じ。
ええい、嫌な物はすぐに済ませるに限る!
半分くらい残っていたのを一気に飲み干すと、あまりの苦さにちょっとだけ涙目になる。おえってしたくなるけど、そこは乙女の根性でなんとか堪えた。
ふう、と苦い溜め息を吐いてカップをテーブルに戻せば、スティがタイミング良く紅茶と入れ替えてくれた。
「ありがとう」
お礼を言って、さっそくミルクをたっぷり注ぐ。
ちらりとリオンの方へ視線をやれば、すでにリオンの分の紅茶も準備されていて、失礼しますと挨拶して椅子に座る所だった。
「いくら魔術や薬湯で傷を治せたとしても、体力まで回復するわけではありません。ですから」
「うん、この一杯を飲んだら今日はもう休むよ。だから、ね?」
前半はリオンに。後半はスティにお願い、と口にすれば、正面に座ったリオンは困ったように笑って紅茶に手を付け、スティはあらあらと微笑みながら私の斜め前へと座る。
「なんだかんだで姫様に押し通されて、御就寝前のお茶会が常になってしまいましたわねえ。出来る事ならこのままずっとお仕え出来れば嬉しいのですが……それもお相手次第ですわよね」
「姉様」
「だってそうでしょう? リオンでは頼りにならないんだもの。やっぱり、姫様をお任せ出来るくらいに……わたくし以上に強い殿方でなくては」
「それは……とっても難しいんじゃないかな」
どこか遠くを見つめるように乾いた笑みを浮かべるリオンに、はて? と首を傾げれば、スティがにっこりと大人の微笑を浮かべて追及する間を逃してしまう。
「でも、今日姫様をお守り下さった方は、リオンより強いのでしょう? ええ、貴方があっさりと後ろを取られるくらいには」
ぴしり、と今度は空気が一瞬で凍った気がした。
一気に体感温度が下がっていく中で、スティだけがコロコロと笑いながらリオンを見つめ……私へと向き直る。
あれ? お説教終わったよね!?
私、帰って速攻でみんなにお説教されたよね!?
「そんなにお強い殿方がいらっしゃるだなんて……わたくし、是非ともお近づきになりたいですわ。ねえ、貴方もそう思わない?」
「今は嫌だけれど……出会う事があるのなら、是非手合わせ願いたいかな。そうだ、明日から鍛練に姉様も混ざってよ」
「そうねえ。しょうがないわねえ」
うふふふふ。
あはははは。
姉弟で中睦ましくお茶してる風にしか見えないはずなのに、恐ろしく感じてしまうのは何故だろうか。
「でもやっぱり言わずにはいれません。どうしてルナティナ様は、今日みたいにお側にいない時に限ってそんな行動をされたんですか。いえ、どうしても仕方なかったと理解はしていますが……ルナティナ様は本来であれば、怪我一つ負うことなく、日向の温かい所で過ごす事が許されるお方なんですよ?」
「あー。あははははははは」
だって、見つけちゃったもんはしょうがないじゃない。
無視して命落とすとか絶対嫌だし。
結局、タナトスはアザゼルになら言っても良いって言っていたけれど、ゲームの事は言わなかった。ただ、個人的にコンタクトを取りたかったから後を追いたかった。そうしたら、本人に辿りつく前にトラブルに巻き込まれてしまって、捕まえたかったタナトスに助けられたって説明した。
説明してる間、じっと優しげに見降ろすアザゼルの目は……うん。ちょっと怖かったけど、アザゼルは何も突っ込んでこなかった。
タナトスの名前は素直に出したから、いろいろと察したのかもしれない。
ちなみに、タナトスの名前にスティは実在したんですねえって、なんていうか……上手く言えないけど、肉食獣が獲物を見つけたみたいな好戦的で艶やかな笑みを浮かべたからちょっと怖かった。嘘。半泣きになるくらいには怖かった。リオンは誰だそれって感じでタナトスを知らなかったみたいだけど、私が薬湯に浸かってる間に調べたんだろう。着替えて治療が終わる頃には戻って来てて、素敵な笑顔で爆弾を落とした。
「次、このような事をする場合は僕を連れて行って下さるか……それが無理な場合は、僕を捨ててからにしてくださいね」
捨てる=死
こんな方程式が浮かんだのはきっと間違いではないはず。
おかしい。リオンのフラグは折ったはずなのに、なんでヤンデレの片鱗がちらりと覗いてるんだろうか……気のせいにするにはちょっと怖すぎて見過ごせない。もちろん、その時の私はかくかくと赤ペコよろしく首を縦に振りまくった。
「ああ、そうだ。宰相様より言付けをお預かりしてきました。もう春ですからね……ラルーン国には紫の薔薇が綺麗に咲いたそうですよ」
「紫の……薔薇」
そう言って無邪気に笑うリオンに、私もひくりと口の端を引き攣らせながら笑い返す。
スティはというと、何も言わずに立ち上がって飲み終えた茶器を片付けてくれてた。
「さあ姫様、本日はもう御就寝なさいませんと」
「そうだね。じゃあ二人とも、また明日ね」
私が席を立てば、リオンも同じように席を立って臣下の礼を取る。
こうしてリオンに頭を下げられる事にこの三年でやっと慣れてきたけれども、それでも下げた後に真っすぐと私を見つめる綺麗な目に、どんよりとした気持ちが広がるのは止められない。
ヤンデレは怖い。死亡フラグに繋がる存在とは関わりたくない。それでも、この3年でリオンの存在は私の中で大きくなっていった。
けれど、あのリオンはいつか離れていってしまうかもしれない存在。
頼りにすれば頼りにした分だけ、手放さなくてはいけなくなった時が辛い。
「ルナティナ様」
そっと目を伏せれば、下を向いたはずなのにリオンと目が合った。
驚いて後ろに下がると同時に聞こえる、パタンと扉の閉まる軽い音。
スティ!?
ぎょっとして、慌てて呼びとめようと後ろを振り向こうとして、リオンの悲痛な叫びを滲ませた声にその場に縫いつけられてしまう。
「ルナティナ様、僕はルナティナ様にこの名と剣を捧げました」
「ええ、分かってる」
「いいえ、分かっておりません。だからそんなお顔をなさるんでしょう? いつかはご理解下さると思っていたら今回のお怪我です。僕はルナティナ様に僕自身を捧げたのです。僕の全てはルナティナ様の物なのです。ですが僕はまだ弱く頼りない……だから、ルナティナ様は僕を使って下さらないのでしょう? 僕の決意を一時の気の迷いと」
「ちが! そうじゃなくて、えっと」
とにかく立ち上がって欲しいと手を差し出せば、恭しく手を取られてそのまま口づけられる。
かちん、と体が固まる音がした。
「では、次は必ず使って下さいますね? 僕はルナティナ様の物です。つまり、僕はルナティナ様の力の一つです。僕をお疑いならば、何度でも誓います」
「ひっ!」
手を離されたかと思うと、そのままリオンは頭を垂れて私の、私の足の甲に!?
手の甲への口づけは、敬愛や尊敬。
だからこそ、リオンは騎士として礼を取らなくちゃいけない時はずっとそこにしてた。
なのに、なんで。
「ルナティナ様。僕の主はただ一人。主に使われぬ剣など飾りも同然……僕は使われたいんです」
真っすぐに見つめられて、ごくり、と唾なんてないくらいに口の中がカラカラなのに、喉が鳴った。
足の甲への口づけは……私の覚え間違いでなければそれは隷属だ。
「なんでそんなに……そんな誓いをくれるくらいに……私は、何もしてあげられないのに」
力がぬけて、すとんとその場に座り込む。
リオンはそんな私を見て、ちょっとだけ目じりを下げて困ったように笑った。
「ルナティナ様は、上に立つ者にありがちな視点ではなく、配下の者を一個人として見られるでしょう? そんな貴方をお守りしたいと思いました。でも……ルナティナ様はとてもやんちゃな姫ですから。そんなルナティナ様には守る盾よりも剣が必要かな、と。唯一人の主を決めるのなら、あの時、最後まで僕を見捨てず、僕を庇護する対象として見て下さったルナティナ様が良いんです」
「あ……ごめん。ごめんね、リオン」
私はこの世界はゲームの世界だと知ってる。だから、みんな悪役な私から離れて行くのだと一線引いてしまっていたけれど……悟らせていないつもりだったけれど、そうじゃなかった。
どうせいなくなってしまうのなら、傷は浅い方が良い。なるべく良い形で主人公……クルシュに渡せるようにと思ってきたのに。
なんて思いあがりなんだろう。
今この瞬間の気持ちも、それまでの選択肢も全部私が、私の意思で選びとって来たものだ。
リオンだって……リオンだってそうであるはずなのに。
リオンの選んだ選択肢。
リオンの決意。
何一つ、私が勝手にいずれ変わってしまうからと決めつけて良い物ではないはずだ。
ぽろり、と零れたそれをそっとリオンの手が拭ってくれる。
リオンの手はいつも冷たくて、ひんやりして気持ちが良い。
子どもらしいサイズの手なのに、それはごつごつしてて固くて、所々皮が剥けてる手。
日々、努力してる手だ。
「リオン……改めて、宜しくお願いします」
頭は下げない。
その変わり、目を真っすぐに見て言った。
「はい。僕はルナティナ様の物。存分にお使い下さい」
「う、うん! うん、分かった」
晴れやかに、そしてどこまでも無邪気に微笑まれて、あまりの眩しさに目を逸らしてしまう。
かあっと、頬に熱がこもって行くのが分かって、慌てて両手でぺちんと頬を包む。
羞恥心からにまにまと口元が緩んでしまいそうなのを理性を総動員して抑え込み、差し出されたリオンの手を取って立ち上がる。
「それではルナティナ様、良い夢を……夢の中にも、僕を連れて行って下さいね」
「は、はひ」
とろけるような笑顔に見送られて、ぱたりと寝室の扉を閉める。
閉めると同時に、しゅう~って顔から湯気でも出てるみたいにこれ以上赤くなるのか!? ってなぐらいに真っ赤になったのを自覚しながらベッドに横たわり、冷たい枕に顔を押し付ける。
なんて殺傷力の高い笑顔だったんだろうか。
あれで十歳とか……将来が怖すぎる。
それに、ああまで一途に忠誠を誓われると、いろいろと思いあがってしまいそうだ。
そう、もしかしたら恋愛として……私を。
「うわあああああああああああああああああああああああああ! ないないないないないない! それは無理!」
「うわ」の「わ」の部分で顔を枕に押し込んで声を殺しつつ、それでも叫ばずにはいられない。
そのまま、まだ湧き上がってくる衝動を抑えられなくてごろごろと一人で眠るには大きすぎるベッドを転がりまわり、何やってんだ自分はと、ちょっとだけ冷静になるとそれまでの自分が一気に恥ずかしく感じて、水差しから水を飲もうと起きあがる。
「リオンが私を? いや、あれは純粋に主としての……そもそも、リオンってもともと陶酔愛のキャラよね? 盲目的な自己犠牲……そんなリオンと恋愛……? ないわあ、ないない。むしろ、攻略対象者全員ありえない」
あれは純粋に私を主として慕ってくれているのだ。それなのに、私がきちんと主としてリオンを認めていなかったから……いつか離れてしまうのだと勝手に決め付けて、リオンを信じていなかったのをきちんと感じ取ってたんだろう。
だから、言葉で、態度で示してきたんだ。
うん……お陰で心臓口から飛び出るかと思った。
大好きな乙女ゲームの、大好きなキャラ達。
悪役という立ち位置上、関わりたくないとは思うけれど、それでもやっぱり彼らを見るのは楽しいし、今はもうルナティナとして生きているけれど、それでもひょっこりと前世で萌えー! とか叫んでた私が出てきたりする。
彼らの誰かと恋愛関係になれたら。それはなんてすばらしい事なんだろうか。
そう、すばらしくて……そして裏の顔まで知っているだけに、なんてデンジャランスな決断か。
無理。無理だ。
私には、お酒を飲むと暴れると分かっている人とは一緒にお酒を飲みたくないし、運転すると人格が変わると分かっている人の車には乗りたくない。つまりはそういうことだ。
みんな素敵な人だけれども、バッドエンドも全部やってスチル全て集めた私からすると……軌道修正しようとか、私なら大丈夫だなんて絶対思えない。
監禁も枷も破壊も薬漬けもどれも怖すぎる。
ヤンデレも狂愛もゲームだからこそ楽しいのだし、逆ハーレムなんて現実でそれをやったらただのビッチだ。無理。私にはハードルが高すぎる。こういうのはやっぱり主人公にまかせるべきだ。
「しっかり、しっかりするのよ」
呪文のように繰り返す。
せっかくリオンが私を主と認めてくれているのだ。
アザゼルとの関係だって良好だし、シフィ先生とだって良い師弟関係が築けている。
タナトスは……まあ、彼ばっかりは分からない。
クルシュがタナトスを選ばないのを祈るしかない。それでも、私がこのまま真面目に生きていれば、タナトスが自主的に私を殺すとかはないだろうと思う。
そう考えていたら、リオンからの伝言を思い出してぶるりと体が震えた。
うう、やっぱりタナトスを雇っておけばよかっただろうか? でも、暗殺者なんて抱えても私では宝の持ち腐れだ。
普通にお友だちになれれば良いのに。
タナトスは怖いけれど、それは暗殺者としてのタナトスだ。
今日の事を思い出す。
私を守るように回してくれた腕は温かかった。
お風呂は恥ずかしかったけれど、体や髪を拭く手はどこまでも優しくて気持ち良かった。
頼りになるお兄ちゃん、がいたらあんな感じなんだろうか。
もう一度会えたら良いな。
あけすけな物言いでずばずば痛い所を突いてくるけれど、気易い関わりが今の身分を持つ私としてはとても新鮮で……前世では当たり前だった人との近い距離感が、ここではとても遠くて。
だから、楽しかったのだ。
ふう、と溜息を吐くように息を吐いて、空になったカップをお盆の上に置く。
そのままベッドに戻ろうと足を進めて……なんとなく、気配を感じて振り向いて、ぱちりと目を瞬く。
ん?
「タナトス?」
どこから入って来たのか全然気づかなかった。
灯りなんてつけていないから、カーテン越しの月明かりでぼんやりと姿が見えるだけだけれど、タナトスだ。なんでいるの?
どうしてと尋ねようとして、あまり思い出したくない錆びた鉄の匂いにぎくりと体が強張る。
暗がりに慣れた目でも分かるくらいに、タナトスのローブは至る所が真っ黒で……返り血なのだと分かる。
けれど、タナトスが一緒にいた時と同じように、面白そうに、ちょっとだけ優しそうに笑うから、それだけでふっと肩から力が抜けた。
じいっとタナトスの目をしっかりと見れば、タナトスはにいっとやっぱり猫みたいに笑って、私に爆弾を落とした。
「お姫様がさあ、暗殺者は嫌だからって言うから辞めてきちゃった。なあ、無職になっちまったし、俺を雇ってよ」
ん? は? へ?
ぽかんと口を開けて固まる。
そんな様子をやっぱりタナトスは可笑しそうにケラケラ笑いながら、私の手をとって軽く口づけた。それがまた、猫が捕えた小さな獲物を捕食してるみたいで、ぞわわっと鳥肌が立ったけれど……ノーとは言わせない強者の目に囚われて、さりとて弱者である私はとりあえず頷きたくなくて、あははと乾いた笑みを浮かべるしか出来なかった。




