六話
タナトスの隠れ家まで行きが早ければ帰りもあっという間。
タナトスの腕の中にいる間にあれよあれよとびゅんびゅん景色が変わって行って、すぐに私にも見覚えのある大通りに戻って来た。
日が沈み始めて、仕事帰りの男性客でますます賑わいを見せている。
そんな中をタナトスは、すいすいと水中を泳ぐみたいに人の波を縫うようにして歩を進める。
誰とも目が合わないし、商店の前に立ってる客引きに声をかけられることもない。タナトスの認識阻害の術って、タナトスの腕の中にいる私にも有効なのかな?
「なに? 何か欲しい物でもあった?」
何気なしに見ていた店先が小物店だったからか、タナトスはフードをぱさりと取って顔を出すと、そのまま店先に出ていた店員さんへと足を進める。
「やっぱりこういうの好きなんだ? そうだ。選んでみる? なかなかそういうの出来ないでしょ」
「や、お金持ってないから大丈夫」
あれ?
私の言葉と共に歩みを止めたタナトスに、どうしたのかと店先からタナトスの顔へと目線を移せばなんというか……鳩が豆鉄砲食らったというか、何言ってんのこいつみたいななんとも失礼な目で見降ろされた。
「えっと、あの?」
「いや、なんていうか……お姫様って本当に生まれてくるとこ間違ったよね。ほんとご愁傷様」
何故か生まれを否定された。
それがなんかもう、なんとも奇異なものを見る目で言われてしまったので、一瞬前世の記憶持ちがバレタ?! とか思ったけど……しまった。子どもらしくなかったんだろうか。
でも、タナトスに物を買ってもらう理由もないしなあ。
「えっと、先生を通さずに品物のやりとりをしては駄目って言われてるの」
それとなくらしい理由を述べてみるものの、タナトスはやっぱり珍しそうに、けれども、さっきより面白そうにちょっとだけ笑いながら、ふうんって一言で流してしまう。
まあ、別に疑れたりとかではないのだろうし、深く突っ込んでしまえば墓穴を掘るだけだとそのまま流す事にする。
「じゃあ、あっちの茶屋は? 俺甘いの好きなんだよね。どうせアザゼル様にいろんなとこ連れまわされてるんでしょ? なんか美味しいやつ教えてよ」
今度は返事を待たずにすたすたと歩みを進められる。タナトスが言う店先を見れば、それは数時間前までアザゼルとお茶を楽しんでいた場所だった。
えっと……? 展開についていけず、それでもタナトスに一番甘いのは何かと言われてクリームたっぷりのあんみつを指差せば、それを二つ注文してタナトスは二階のテラス席へと向かう。
やはり私は自分で歩く事もなく、そっと椅子に降ろされれば裸足だとわからないかどうかの確認なのか、ざっとタナトスに目を通されて……おう、ご丁寧に汚さないようにナプキンまでかけてもらう。面倒見良いな。お母さんですか。
「ありがとう。えっと……送ってくれるんじゃ?」
あんみつを渡されて、お礼を言いつつ疑問を口にすれば、なんだかすごい可哀想な子をみるような目で見つめられた。なんだなんだ、この数時間の間にいろいろありすぎてテンション狂うんですが。
「お姫様ってさあ、本当よく今まで生きてたよね……ほんと、周りに感謝しなよ?」
「あ、うん。や、そうじゃなくて!」
「だってお姫様って馬鹿じゃん。なに? 俺が、お姫様を城まで送って良かったわけ? 直接? 門番になんて説明する? それとも、忍び込んで自室まで届ければ良い? どれも出来るけど、説明……お姫様どうすんの?」
「あ」
そら見た事か、やっぱ馬鹿だろ。
そんな言葉が聞こえた気がしたが、全力で聞かなかった事にする。
それでもやっぱりそこまで配慮してくれたんだし、お礼は言わなくちゃいけないよねってお礼を口にすればまた笑われた。今度は遠慮なく、それはもうけらけらと。
だからなんなのよもう。
タナトスとの距離感がよく分からなくて、むうっと眉を寄せつつもあんみつに罪はないから美味しく味わう。
私が半分食べきる頃には、タナトスは食べ終えて今度はイチゴパフェを食べてた……いつの間に注文したんですか。
「あ、でも私、連絡の取り方分からない」
ふと思い出してさああっと血の気が引いて行く。
やばい、心配をかなりかけているんじゃないだろうか。護衛さん達はタナトスが片付けて……気絶とか進路妨害で見失うとかであって欲しいんだけど、私からは連絡の取りようがない。
にっこり笑顔で後ろに修羅を立たせるスティの姿があっという間に浮かんだけれど、あわあわしてる私の様子を眺めながら、タナトスはやっぱりお姫様は馬鹿の子だよねえとしみじみと言って……もうパフェ食べたんですか。次はケーキですかそうですか。
「だからここで待ってるんでしょ? のんびり食べてたらそのうち迎えが来るよ。戻ったらきちんと傷の手当てしてもらいなよ? ああ、アザゼル様になら今回の事言って良いから。その方が、お姫様も変に嘘ついたりしなくて済むでしょ」
この国での保護者は彼なんだから、素直に心配されときな。
続いたタナトスの言葉に思わずスプーンを持つ手が止まる。
タナトスに害は及ばないのかと尋ねれば、また猫みたいに目を細められたのでごめんとだけ言ってこの会話を終わらせる。
なんかこう、人の心配する暇あるなら自分のしなよって言われてるみたいで、あははと乾いた笑みしか浮かべる事が出来ない。
そもそも、タナトスとこうやってまったりした時間を過ごしてる事自体が信じられないんだから、 今まともな思考回路なんて私は持ち合わせていないんじゃないだろうか。
ゲームに勝って自分の命を繋ぐ。それだけのはずだったのに。
「何?」
「いや、なんでこうなってんのかなあって」
「そりゃあ、お姫様が馬鹿だからでしょ。やっぱさ、俺雇っとけば? 優秀だよ?」
「や、暗殺者とかいらないんで」
思わず即答で断れば、何が面白いのかにんまりと目を細めて笑う。
こんなに笑うキャラだったっけ。
ああ、でもそうか。
ゲームでのタナトスとあんまりにも違い過ぎるからすんなりと受け入れられる。この世界は作りものでなくて本物で、この世界で生きているタナトスもやっぱり本物なのだ。
そりゃあ、ゲームでのタナトスも本物なんだろうけれど、あれはタナトスの一面にしか過ぎないんだよね。それこそ、ゲームの本番はまだまだ先の未来だ。アザゼルやリオンだって、出会いが変わった分だけ未来も変わった。一番変わったのはリオンだよね。大怪我しなかったし、なんか私の騎士になってるし。
「お姫様はさ、自分だけの騎士が欲しいんだよね? それは自分の身を守る盾? それとも、自分の身を守る剣? まあ、期間限定っぽい駄犬はいるけど、流石にワンコだけじゃあ不安だもんなあ」
「どういうこと?」
駄犬。
わんこ。
リオンの事を馬鹿にしているのだと感じて、思わず眉間にしわが寄る。
タナトスはそんな私を面倒そうに……それでいて、可哀想なモノを見る目で溜息を吐いた。
「お姫様の周りって面白いよな。いろいろあやふや。常に綱渡り。一個でも選択肢間違えたらおしまい。で、微妙に躾間違ったんじゃない?」
右頬を何かが通過していった。
一瞬だけ感じた風に後ろを振り向けば、それと同時にここにはいるはずのない人物の足元にカランとフォークが転がった。
「お迎えに上がりました」
変声期を迎えて低くなった、背筋がぴんって伸びるような冷たい声音。
三年前まではほとんど目線なんてかわらなかったのに、今では少し上を向かなきゃならない。
今は座っているから、もっと目線を上にしなきゃ合わないんだけれど……にっこりと、それこそお人形のように微笑まれて、ひいっと背筋が凍ってぴんと伸びた。
「皆が心配していましたよ。ああ、姉様がお帰りを今か今かと心待ちにしております。僕の主が……お世話になりました」
すうっと細められた目に、その視線を向けられたのは私ではないのに目をそむけたくなる。
普段は海のように穏やかな青なのに、氷海のような寒さを感じてしまう。
相変わらず羨ましいくらいのさらさらの銀糸の髪が風に揺れて……感じた冷気に慌てて立ち上がろうとすれば、誰かにとんっと肩を押されて再び椅子の背に体重を預けてしまう。
「うっわあ。やっぱワンコはワンコだよな。愛玩動物は愛玩動物らしくご主人様の帰宅をしっぽ振って待ってりゃ良かったのに」
「リオンすとーっぷうううううううううう!」
ふわりどころか、ぶわりと一気に感じた冷気に慌てて制止の声をかけるけど、特に辺りが凍りつくとか氷の刃が振ったりすることもなく、ただただ冷気が広がるだけで……私を迎えにきてくれたであろうリオンは、それこそ、なんていうか苦虫を噛み潰したようなしかめっ面をして軽く両手を上げる。
降参のポーズ?
私の目の前に座っていたはずのタナトスはというと、いつの間にかリオンの後ろに回って首を掴んでいた。
いつの間に。
目を見開いてこの状況を見つめていれば、タナトスは私にそれまで見せていたにんまりとした笑顔とはまた違った笑顔を浮かべながら、そっとリオンから手を離した。
「リオン!」
再び感じた冷気に慌てて名前を叫べば、一拍遅れてリオンがその場に膝をつく。
駆け寄ろうとすれば、再び椅子の背にもたれるように肩を押されて……タナトスが消えた。
「え? え? タナトス?」
慌ててきょろきょろと辺りを見回してみても見つからない。
つい一瞬までタナトスを見ていたはずなのに……リオンに気をとられている間にタナトスは消えてしまった。
「リオン、怪我は?」
迎えが来たから帰ったんだろう。
そう結論付けて無理には探さずにリオンへと向き直る。
リオンはというと、なんとも言えない苦い顔をしながらもゆっくりと立ち上がる。
一瞬、飲めないのに我慢してブラックコーヒーを飲んだみたいな顔だなって思ったりもしたけれど、まっすぐとリオンに見つめられてまた背筋がぴんっと伸びた。
おう、お説教、ですか……?
「ルナティナ様……申し訳ありません」
「へ?」
お説教ではないらしい。
それと同時に、違う意味で冷や汗が流れる。
あ、やばい。これは面倒なやつだ、と。
「僕はまだまだ精進が足りないようです……ルナティナ様を守れないだなんて」
「えっと……あの、ね、リオン? 今回はリオンいなかったし」
「とりあえず、先程の男ですか? 今は無理でもいつか必ず消します」
「うん。お願いだからちょっと落ちつこうか」
さらりと恐ろしい事を言わないでほしい。
しかもリオンの事だ。絶対に有言実行しようとするはず。
私の所為で攻略対象者達の死闘が始まるとか、恐ろしいフラグが立ちそうで本当勘弁して下さい。
なんともいえない情けない顔をしてしまっていたんだろう。
目が合ったリオンは、不服そうながらも泣かないで下さいとおろおろしだす。
い や、泣かないよ? そんなにも情けない顔はしていないはず。どちらかというと恐怖に震えただけで。
「それで……ルナティナ様が庇われると言う事は、あいつがやったわけではないんですね?」
「ん?」
リオンの視線が私の肩やら腕やらを移動していく。
一瞬何の事だかわからなかったけれど、打撲やらの青あざを見て言っているのだと気づいて、彼に助けてもらったのだと慌てて口にする。
危ない。
つまりあれか? リオンはそれを見たからタナトスに喧嘩吹っ掛けようとしたの?
「僕ではまだお連れ出来ないので……もうしばらくお待ちください。大人が着ますから」
「そういえば、なんで一緒じゃなかったの?」
ふと疑問に思って尋ねれば、心配で急いでいたら置いて来てしまったのだとさらりと返されてぽかんとしてしまう。
いくらリオンが優秀で、将来さらに化けるとしても、現時点で撒かれてしまうって護衛としてどうなんだ。
むしろどうやって私の居場所が分かったのかと尋ねれば、私の魔力の気配を辿ったのだとか。
魔力の気配って……お城からそれなりに離れているけれど、そんな簡単に辿れるものだったっけ……?
じと、とかなりリオンに物言いたげな感じで見つめてしまっていたらしい。
リオンは何を勘違いしたのか、きちんと印を付けながら来ましたと慌てて口を開く。
つまり、案内役はリオン。でも気持ちが急いでしまって、護衛さん達を置いてきぼりにしてきた、と?
「ここまで迎えに来て貰うのも悪いし、ルートが決まってるなら私達の方からも」
移動しましょう。
そう告げようとすれば、リオンの顔がみるみる曇って行く。
それはもう、どんよりと。
さっきまであれだけタナトス相手に好戦的な怖い顔を浮かべていたというのに、なんだその自信のない顔は。
じ、と見つめていれば本当に申し訳なさそうに謝罪された。
まだ、子どもの僕では手を引く事しか出来ませんと。
「さっきの男……ルナティナ様の何、ですか?」
「それは」
通りすがりの暗殺者と縁あって命を賭けたゲームをする間柄です。
まさかそのまま口にするわけにもいかないし、かと言ってある程度の事情を説明せねば、護衛を撒いてしまったこの現状にきっとリオンは納得しない。
「アザゼル様からどう聞いてきたの?」
「ルナティナ様が護衛を撒いてやんちゃされたようだと。僕なら居場所が分かるだろうから案内して欲しい。やんちゃ……されたんですね。それも、すっごく激しいやんちゃ」
あ、やばい。選択肢間違えた。
打撲してるであろう箇所にいろいろ視線が移った後、まっすぐに私を見て可愛らしく微笑むリオン。
それはとても可愛らしい笑みなのに、氷のように冷たく感じられてさああっと背筋が凍って行く感覚に支配される。
「確かに。僕なんかより先に報告しなくてはならない方がいらっしゃいますもんね。ええ、僕はとてもお利口なルナティナ様の騎士ですから。きちんと報告が終わるのを姉様と一緒に待っていますね」
あ、詰んだ。
にこにこと美人姉弟が微笑みつつも、片方は燃える阿修羅を背負い、もう片方は絶対零度の氷土を広げて……アザゼルへの報告が終わるのを今か今かと待ち受けているんだろう。
帰りたくない。
タナトス、もっかい来てくれないだろうか。
そんなどうしようもないことを考えていたら、優しい声色で、でも背筋が凍る感じに名前を呼ばれて慌てて背筋をまた伸ばす。
その後、リオンから遅れてやってきた護衛さんの一人に抱っこしてもらって無事帰宅。
にっこりと阿修羅を背負って出迎えてくれたスティから逃げるようにアザゼルの元へ行き……にこにこと甘ったるく微笑むアザゼルに出迎えられたものの、それはもう良心が痛む言い回しで私の精神HPがごりごりと削られていったのだけれど、まあそれも割愛するとしよう。
出来れば二度と振り返りたくない。




