十九話
「姫様とてまだ幼いのだ。そちらの国へ行って魔力暴走の危険から解放されたとしても、見知らぬ国では心労は溜まるじゃろうて」
「アザゼル様の申し出は有難いですが、ルナティナ姫はまだ五つ。流石に他国へ一人でやるのは心配ですわ」
純粋に心配してくれているナルキに、王妃様が同意を示す。
うん。王妃様からしたら、悩みの種は目の届く範囲にいて欲しいはず。私が他国へ行っている間にクルシュの地盤を盤石なものにする為の時間が確保出来るのだとしても、私自身に手出しがしにくくなるのは嫌なんだろうね。
私自身が自国で失態を繰り返したり、というか繰り返させた方が王妃様としてもやりやすいんだろうし。
や、というかそうじゃなくてね? あれ? なんだこの流れは。
「リオンはどうなるの」
思わずぽろりと、思った事を口に出してしまっていたらしい。
周りの視線が一斉に集まってぐっと背筋が伸びたけど、怖気付いている場合ではないと再びお父様に向き直る。とりあえず、アザゼルの事は横に置いておく。
私の処分とリオンの処分は別物だ。バッドエンドのフラグを折角回収したのに、再びリオンを私の所為で突き落としてしまうとかあり得ない。
「ルナティナよ、それはお前よりも先に片付けねばならない優先事項の案件か?」
声を張り上げているわけではないのに、ぐっと心臓を鷲掴まれているかのような威圧感。
お父様としてでなく、王としての質問に対して私は必死に言葉を紡ぐ。
「当然です。リオンは私の騎士! 私のものです! 私のものが不当に扱われているのに、どうしてそれを後回しにできるんですか。私以外の誰がリオンを救えるのですか!」
自分のもの、とリオンを表現することに抵抗が生まれたが、そこはぐっと飲み込んで言葉を続ける。ただリオンを助けたい。その思いだけがどんどん前に進んでいく。
もっと上手くやれるはずだった。必要とあれば、子どもらしくみっともなく泣き喚いてやろうとも思っていた。でも、そんなものは求められていない。そんな子どもらしい主張をすれば切り捨てられる。そう感じた。
それに、私の問題をこの場で優先してしまった場合、リオンと一蓮托生になってしまう。それは避けないといけない。幽閉されるのだとしても、島流しされてしまうのだとしても、せっかく輝いた未来への道を手に入れたリオンを潰すわけにはいかない。
恨まれるとか、また元通りのフラグに戻ってしまうとかそんなの関係なしに、ただただそれが嫌だった。
「リオンを救えるのはお前だけか。では誰がお前を守る?」
「もちろんリオンです。リオンは私の騎士ですから。最初は二人ともボロボロになってしまいました。でも次は最初よりもましでした。だったら、もしまた同じことが起きたとしても、今以上に上手に守ってくれるはずです」
「また同じことが起これば、守る以前に内側からお前の体が壊れてしまう……そちらの方が先かもしれん」
重苦しく疲れた溜息に、そうではないのだとさらに反論しようと口を開けば、そっとごつごつとした手を頭の上に乗せられた。二人きりではなく、他者の、それも王妃様の目のつく所で撫でられる。その普段ではありえない状況に開いた口がぱくぱくと言葉を生み出せずに思考が止まる。
「あの……えと? お父様?」
そっと見上げれば、また大きく溜息をつかれた。
なんだ、我儘だと言いたいのか。リオンを諦めろと言いたいのか。けれどなんと言ったら良いのかわからなくて、じっと見上げるだけしか出来ないでいたら、髪をわしゃりと強く撫でられた。
「盾にはならんが、お前は本当に良い剣を手に入れたようだ」
「お父様?」
小さく囁くように呟かれた声を辛うじて拾い、どういう意味だと呼びかけるも、すぐにお父様の顔からあっという間に王としての厳しい顔にかわってしまって、問い詰めることが出来なかった。
「リオンは体が完全に癒えるまで謹慎。その後は今以上に己の力を高められるようルナティナの側で励むように。また、その場にいた者達は一週間の謹慎と減給、地位を一定期間一つ落として学び直し。王妃を庇った侍女については、体が癒えるまで謹慎のみとする」
「王よ! それは」
「今回の件がルナティナの単純な魔力暴走であったとしても、またはクルシュとの共鳴であったとしても、確かにリオン一人を罰するのは違うだろう。リオンは確かに王族を傷つけた。だが、結果がそうであっただけで過程は違うであろう。出てしまった結果に対してはなんらかの対処をせねばならん。だが結果だけを汲み取ってしまえば王妃よ、それは余が愚王であるという証明にしかならんよ。あとの教育はシフィージェとナルキに一任する」
おお! 突然の展開についていくのが遅れてしまったけれど、助かった……? 結局は謹慎って言われていたけれど、それも体が癒えるまでってことは実質的には養生しろっていう気遣いだよね??
「お父様! ありがとうございます!」
勢い余ってお父様におもいっきり抱きつく。お父様は抱きしめ返してはくれなかったけれど、引き剥がそうともしなかった。背中にびしばしと王妃様の視線を感じるけれど、そんなの怖いと思わないくらいにテンションが上がった! リオンを救えた。それがすごく嬉しかった!
「あとのことは追って知らせよう。これ以上動いていては体に触る。シフィージェ、ルナティナを頼む」
「は」
お父様に促されて素直に従って階下のシフィ先生の元へと向かう。
シフィ先生のところまで壇上を下りて行ったら、丁度目が合ったナルキに黙礼をされた。これはお礼を言われたってことなのかな……ナルキ自身とても心配だったろうに、父であることでなく臣下であることを選んだ。だから嘆願も何もしなかったのだろう。けれど、それを酷いとは思えない。それがこの国の上に立つ者としての姿であるだろうし、水面下で出来ることは手を尽くしてるはずだから。
「では参りましょう」
シフィ先生の言葉に頷いて、お父様達に礼をとる。視線を上に上げた時に、とてもにこやかなアザゼルと目があったけれど、シフィ先生にさあと促されてそのまま視線をぶったぎって退室した。
退室した直後に、ふわりと生ぬるい風に体全体を撫でられる感覚がしたけれど、馴染んだものだったから特に眉をしかめることなくシフィ先生の後を追った。
「シフィ先生、私、このままリオンのお見舞いに行きたいです」
「駄目です」
「嫌です。行きたい」
背中に向かって話しかけていたら、溜息と同時に止まって振り向かれた。
うん。なんというか整った顔立ちの方に静かに見下ろされると、ぞくりと背中に何かが走るんだよね。 前世であればこれもまた萌えーとかになっていたのかもしれないけれど、五歳児の感覚だと恐怖しか感じない。
「いくら私が膜をはっているとはいえ、読唇されては意味がありません。あまり口を動かさないように」
溜息まじりに言われて、そこは素直に頷いておく。
もちろん、ここまでの台詞でシフィ先生の唇は動いていない。私はまだそこまでは無理だから、俯いて口元が見えないように気をつけながらシフィ先生の後をてけてけと追いかける。
というか、やっぱりこの感覚はシフィ先生の認識阻害の魔術だったか。詠唱なしでさくっと展開出来てしまうあたり、流石シフィ先生。
いろいろとやましい話をする時……つまり家庭教師としてのシフィ先生と接する時に、主にシフィ先生が使っている魔術だ。初めて私に王族としての言葉の重みや、笑顔で流す術を説く時に使用してから、以来ずっとそんなずばずば言っちゃって良いの? と思ってしまう講義の時に限り使われている。
とても便利だと思うから、魔術を本格的に習えるようになる六歳になったらまっさきにご教授願いたいと思っていたりもする。
「王妃様がよく休めるようにと兵を側においていたでしょう。よくここまで来れましたね? まあ、それは良いのです。思ったよりも早く来る事が出来たようですしそこは評価します。ですがあれはなんですかみっともない。立ち周りについてはいろいろと教え込ん……ではなく、お伝えして学んで頂いていたと思ったのですが……はあ、情けない。どうせなら全て掴みとらなくてどうします。欲がないのは美徳ですが、王族であるのですから少々がめついくらいが丁度良いのですよ?」
「だって、私の我儘で二つは無理です。リオンを巻き込んでしまったし……リオンのことをなんとかしなくちゃって」
「それでご自身の件を切り捨てるとは愚かとしか言えませんよ。心配しなくても、王自身がおっしゃっていたように結果についてなんらかの対応はせねばならずとも、過程もきちんと見て下さいます。この意味、理解出来ますね?」
「うう」
結果としては周りに害を及ぼしてしまったけれど、過程を見ればそれは救おうとしたから。
それを失敗、王族を傷つけた反逆行為と取るのは簡単だ。でも、そんな風に処理してしまっていたら、また同じような事態になった時に、わが身を顧みずに守ろうと動いてくれる者はいなくなってしまう。
結果としては失敗。でも、それは評価されるべき失敗だ。それでも。
「リオンに汚点と呼ばれるものがつくのが嫌だったんだもの」
そう、嫌だったのだ。
お父様のことだ。王妃様が動いたとしても、リオンはナルキの後継であるし、そうそうに切り捨てたりはしない。それに、リオンの行動自体は攻められるものではなく褒められるべきものだ。やり方はどうであれ。それでも、結果は失敗。その事実の元に罰せられるのが嫌だった。これは私の我儘だ。
「それでも、姫君はご自身の身もすくい上げるべきだったのですよ。まあ、アザゼル殿の提案はあまり予想出来るものではなかったかもしれませんが……自身の身も大事に扱って下さい」
振り向いてそっと見降ろされた視線は、切れ長のシフィ先生からすれば随分と柔らかく歪められたものだった。心配、かなりかけてしまったんだ。
「その……ごめんなさい」
「いいえ。私は王の臣下ですから。その前提を崩すことは出来ません。そのかわり、姫君に関われる範囲内では最大の尽力を尽くしましょう」
廊下を渡り、階段を上って、丁度誰からの目にも触れない死角の位置までくるとシフィ先生はそっと私の頭を撫でてくれた。
その行為自体については何も言ってくれていないけど、無言で撫でられ続けていると、なんだか慰められているようで無性に泣きたくなった。
「アザゼル様はどういうつもりであんなことを言ったんでしょう」
「聡いお方ですから。姫君を純粋に救いたかったのが一割。あとは我が国との友好を深めることと……あちらの国の特産品からこのような事態になってしまったことが、許せなかったのでしょう」
あの方は統治者としてとても秀でているお方ですから。
最後の方はうっすらとしか聞き取れなかったけれど、どういう意味かと顔を上げたらにっこりと微笑まれて深く追求出来なかった。
「さあ、今日は素直に休んで下さいね」
笑っているのに、寒く感じてしまう笑顔。
もっといろいろと聞きたいし知りたい事もあったけれど、シフィ先生相手に嫌だと言える程、私は強くなかった。