十七話 タナトス
小さなお姫様を片手で抱えて、一気に飛び降りる。
事前にルートの説明なんてしない。こういう荒事には慣れていないだろうし、覚悟するにしても時間がかかるだろう。そう判断してのことだったんだけど……この小さなお姫様はやっぱり、俺の中での王族っていうイメージにはどうも当てはまらないらしい。
仕事で王族を殺す事は多々あった。
それは継承権争いだったり粛清の加担やただの恨みからの暗殺だったりいろいろ。
王を殺したこともある。だいたいが愚王だったけれど、一人だけ尊いと思える王もいた。殺すのは惜しい。きっと殺してしまえば国が荒れるだろうと。それでも仕事だから殺した。結果は思った通り。跡を継ぐのは愚王ばかりでその国はそれから二代続いたあとに地図から消えた。
後にも先にも、流石は王。これが王族なのだと思えたのはあの一人だけ。あとは死の恐怖を感じて無様に懇願して転げまわるか……死んだことにも気付かない。なるべく苦しめて殺してくれって依頼が面倒で仕方がないくらいに、気位が高い奴ほど煩いし女々しい。
ああ、でも。この小さなお姫様は結構肝が据わってるように感じる。今五歳だっけ? こっちの世界じゃそろそろ人を殺し始める頃。ナイフとか自分の獲物で肉を斬る感覚を覚え始める年齢。でも尊い血筋の子はまだまだ親の庇護下でぬくぬくと守られているはずだ。間違っても、飛び降りているのに必死に悲鳴を飲み込もうとするような心のゆとりは持てないはず。
飛び降りた最初だけ声が出ないように声帯を押さえた。抵抗を感じなかったから解放してみると、自分の小さな手で口を塞いで必死に悲鳴を飲み込もうとし、それを実現させた。
気配を消すこと以外の魔術があまり得意でない俺は、飛行する術を持たない。だから身体強化したその足で壁を斜めに駆け下りる。落下するよりも少しばかり早いそのスピードは、慣れない者が息をするのにも苦しいだろう。ほんの数秒。されどその数秒で意識を失ってしまう者もいる。でも、この小さなお姫様は気を失わない。しっかりと自分の口を塞ぎ、もう片方の手で俺のマントを掴んでしっかりと前を向いている。ひょっとしたら本当に、良い繋がりがこれで持てたのかもしれない。
人生ってどんな風に転ぶか分からないよなあ。無事に着地した後は気配を消しながら薔薇園に紛れ込む。この調子で進めば、薔薇園を抜けて一気に広間まで侵入出来るだろう。
玉座までの最短ルートを組み立てながらふと、そういえばと五年前の事を思い出して笑ってしまった。
錆びた鉄の匂いに包まれたこの業界では、比較的クリーンな仕事に分類される依頼。
本来であればいつものようにどっぷりと真っ赤な世界に浸かっていた俺だけど、なんとなく目に留まって、気まぐれを起こした。
切ったり潰したりと毎日同じ作業ばかりに飽きてきたのかもしれないし、自分とまったく違う世界に住むお姫様っていうのが気になったからかもしれない。
ルナティナ・シュバルティア・ラグーンを調査せよ
当時十歳だった俺は、それなりに自分で仕事を選べたけれど、それでも完全に自由に自分の意思では選べなくて、この仕事も俺の意思だけで決めれるものではなかった。でも、潜入して捜査するだけの仕事で殺しはないし、王城に侵入するなら俺の認識阻害の力が有効だろうとあっさりと許可が出た。
俺が所属していた当時の暗殺ギルドは、報酬さえ払えばどんな客でも仕事を受ける割と良心的な、悪く言えば金さえ積めばどうとでもなる底辺ギルド。つまり、他国からの依頼も受ける。この時は本当にその身に黒を宿しているのか調査せよ、だったかな。
黒って色はこの世界で特別で世界の創造神の色を指す。つまり神様に愛された者にしか授けられない色。だから黒はもっとも尊い色で、王族なんかがよく好んで身につけたりもする。それを本当に宿したのか。もしそうであれば、魔力の保有量が通常より多かったり、何かに秀でた能力があったりと神からの贈り物を受け取っているはず。潰しておくべきか繋がりを持つべきかの判断材料が欲しかったんだろうね。
想定していたよりもあっさりと忍びこめた王宮で、発見したその子は確かに髪に尊い色を宿していた。そこから三年間、その子は俺の仕事の観察対象者だった。
「任務達成の報告。報告者タナトス。任務対象者ルナティナ。ラグーン国王位継承第一位。測定された魔力値添付。実母は表舞台から退場。領地から戻る気配なし」
当時所属していた場での最後の仕事も、勿論この小さなお姫様の仕事。物心ついた時から所属していたギルドで、俺がずっと続けている仕事がこの調査だけで、あとは全部単発の殺害依頼だけだったからっていうのもあったけど、まあ新しい門出前の最後の依頼に良いかなって思ったんだよな。
それがこんな風に関わるようになるとは。その時の俺は想像もしなかった。
およそルナティナ・シュバルティア・ラグーンという幼女は、俺の王族というイメージを覆す子だった。
まず、王族のくせに担がれて当然という態度が見られないのだ。
貴族階級。それも王族。つまりはトップだ。なのにアホな我儘を言わない。だいたいであればちょっと気に入らない髪型にされただとか、気に入らない食べ物が出たとかで癇癪を起しても良いはずなのにそれがない。むしろ自己が確立されてくる三歳ぐらいから、子どもらしい振る舞いが演技っぽいと感じるようになった。王族は早熟だとは確かに知識として知っていたし、王族はもともとは神に連なる身分だったという神話がある。王族はそうじてみんな元々の魔力が高い。だから、早く自身の魔力がコントロール出来るように精神面が早熟なのだと。
まあ、側室の子どもで正妃には子はいないっていう状況であれば、うとまれはしてもそう邪見にはされない。それでも、精神面が早熟であるが故に周りを正しく察して行動していたのか……俺が記録を採っていたのは三歳を過ぎて少しの間まで。そこからの空白の二年間、それなりに苦労をしたんだろう。もっとも資料を読む限りでは五歳の現在が一番大変そうだが。
正妃に子が生まれた。それだけで今までの均衡が崩れたんだろう。暗殺される確立が一気に跳ね上がった。正妃が命じなくても、正妃寄り、または血統を尊ぶ馬鹿な貴族が気を利かせて企むっていうのも増えてきた。それでも他国と比べればうんと少ない。
実力主義の国、という特色が色濃く出ているのかもしれないが……頭の切れる奴らは静観。王も知っていて動いていない。むしろ自分の娘を撒餌として扱って、馬鹿をやらかした奴らを断罪してる。為政者ならではの見事な掃除の仕方。この国の王は間違いなく本物の王だ。
それに、この小さなお姫様はなんだかんだで恵まれていた。人よりも多い魔力量以外は特に秀でた能力は見られないが……それでも、大物を釣り上げる能力はあったらしい。憐れみでも同情でも庇護欲でもなんでも良い。今のこのお姫様に必要なのは、庇護する権力者。どれだけ上手く立ちまわったとしても、庇護される者である限り絶対の安寧はない。庇護すべき本来の保護者……国王は静観を決め込んでるんだからどうしようもない。その変わりが必要だ。本来ならば絶対の庇護者である親の変わりに、俺の依頼主を釣り上げるってのも見どころがある。育ててみたい、と思わせる何かがあったんだろう。
「タナトスはすごいのね」
「ずっとこの世界で生きてきたらこうなるよ。ここまできちゃうと、流石になかなか順番は回ってこなくなっちゃうからなあ」
薔薇園を抜け、各要所や見回りの衛兵達の目をかいくぐりながらも進むペースは落とさずに目的地を目指す。
お姫様は小さな声で俺が言った順番って言葉を呟いていた。聡いからこそ、それの意味を正確に理解してしまったのかもしれない。それについて気まずく思うところがあったのかもしれないが、特になんの反応も返して来ない事に少しだけ好感を抱く。その事に気付いて笑った。俺まで釣られてどうする。釣られるのは依頼主だけで十分だ。
本来であれば魔力暴走の件を調べ、このお姫様の体調を調べて報告する。それだけで良かった。ただ生まれた時から一方的に知っていたから、つい捕まえられてしまう範囲まで近づいてしまった。 ん? これは結局のところ、俺も釣りあげられていたのか? いや、それでも俺は殺せる。きっと誰かがうちのギルドに依頼し、受理されたならば迷うことなく俺は殺せるだろう。ただ少し、残念に思うだろうがそれは変わらない。
「今、なんか悪寒がした」
「そうか。その感覚を大事にするんだな。忘れるとこれから先うっかり死ぬかもしれないね?」
「あー、うん。頑張る」
階段を登り、廊下をしばらく進んだ先にあった階段を今度は降りる。
姫様は姫様で、やっぱり俺の意図を正しく理解出来ているみたいで会話が気持ち良いくらいのテンポで進む。無駄な説明をしなくて済むのが楽だ。
それに仕事以外で誰かと会話するってのは振り返って見てもそうなかったと記憶してる。今は仕事中だけど、殺しの方針を話し合うわけでもなく、どちらかというと雑談に近い感じだ。うん、やっぱり今このお姫様が消されてしまうのは、今後がつまらなくなるかもしれないと改めて思った。
幸いなことに今回の依頼主は姫様をよく気に掛けているみたいだし、姫様の部屋で一度連れ出しても大丈夫かと暗殺者独自の風の伝達術で伺いを立てても了承とあっさりした返事が返ってきたことから、姫様自身が動くのを推奨している風に受け取れる。
下町の五歳児ではなく真綿にくるまれて育つ王族の五歳児に何を求めてるんだと思ったが……こういうのは良い。突き落としたくなる。這い上がってくるなら拾えば良いし、駄目なら見る目がなかったのだと費やした時間分諦めれば良い。
「はい」
「あり……がとう? おお、すごい」
しばらく進んだ先でそっと降ろす。
こんなに丁寧な扱いをしたのは初めてかもしれない。今までは壊す専門だっただけにこういう扱いも新鮮で良いものだとまた口元だけに笑みが浮かんだ。
お姫様はぐるりと位置を確認して、やっぱりきちんと現状の把握が出来たようでお礼を言ってくる。
今さらだけど、俺みたいな立場の奴にきちんとお礼が言えるって、それだけで稀有な存在じゃないだろうか? 面白い。もともと観察していたけれど、実際にこうして触れあってみると随分と印象が変わってくる。つい手を差し伸べたくなってしまうのも頷けるかもしれない。
「じゃあ、次に会った時は頑張って捕まえるから手加減してね」
ここからどうしたら良いのかだとか、手伝ってだとかそんな事は一切言わず、態度ですら匂わせずあっさりと俺に背を向ける。
赤絨毯の敷かれた廊下。突き当たりを曲がれば玉座の部屋に繋がる。
まあ、ここで俺の手助けを求めたとしても暗殺者に出来ることなんてたかがしれてる。俺の背後にいる依頼主を頼るっていうなら分かるが……さすがにそこまで思い浮かばなかったか? いや、そうじゃない。頼る気がないのか。いっそ潔いその小さな背中に知らないうちにまた笑みが広がる。本当に面白い。ここで潰してしまうには惜しい。まあ、だからと言ってここで俺が出来ることは何もない。あとは依頼主の元に戻るだけ。
小さな背中が角を曲がって見えなくなったのを見届けて、俺はまた気配を殺して元来た道を戻った。