十六話
「私はタナトスを絶対に忘れない。本気で隠れられたら見つけられないけど、でも! 私はタナトスを忘れないしタナトスが私から本気で逃げなかったら捕まえられるよ。それって面白そうでしょ? でも今以上に私の自由がなくなったらそれが出来なくなっちゃう。それはつまらないでしょ?」
我ながらなんとも言えない暴君的な提案。むしろ提案と言うよりも子どもの宣言。タナトスは少しだけ面白そうに眼を細めて、でも何も言わない。
私がもう少し大きければ、ベッドに押し倒されるこの状況はもっと殺伐としたものではなくて、ちょっとだけあはーん、うふーんな展開になっていたかもしれない。むしろ成長したルナティナとの絡みで闇落ち的なシナリオもあったし。うん。私がもっと成長していれば今よりも助かる確率が高くなっていたかもしれない。
や、でもきっと今より大人になったタナトスにチートもなにも持っていない私じゃ色気で落とすとか出来なかっただろう。うん。将来は悪女顔の美人なおねーさんに成長するけど、中身が私じゃあ魅力は絶対に半減だ。だから、今で良かったのかもしれない。クルシュと接点を持つ前のタナトス。出来れば穏便な出会い方をしたかったけど、それこそ暗殺者のタナトスと穏便な出会い方って想像できないし、私がターゲットでない今の出会い以上の物はないんだと思う。だから、私はここを失敗出来ない。これ以上のチャンスはないから。
失敗=本来のルナティナの人生に軌道修正。
そんな気がした。
「へえ? 俺に交渉じゃなく提案を持ってきたのは君が初めてだよ」
そう言って楽しそうに笑うタナトスの顔を間近で見ながら、それは相手が交渉する間もなく殺してきたからでしょうとは言えず、曖昧に笑ってごまかすことに専念する。
「しかも、切るカードが自分自身。馬鹿? ああでも分かって差し出してんのか。ねえ、本当に王族?」
細められた眼差しに動けないでいると、体重をかけるようにしてベッドに押し付けられていた体勢から一気に抱き上げられる。
私よりは背が高いけれど、それでも百五十ちょっとだろうタナトスはそれほどがっしりとした体つきではない。それなのに、片腕に私のお尻を乗せる形で軽々と持ち上げた事に驚いた。
「俺を見つけられなかったらどうすんの? というか、俺を忘れないって何か俺に利点があるわけ?」
「忘れない。それって、いつも忘れられちゃうタナトスにとっては面白くない?」
「へえ」
ぞわりと全身に悪寒が走った。蛇に睨まれた蛙、まさしくそれ。面白そうに笑うタナトスが怖くて仕方がない。それなのに、瞬き一つ出来ない。呼吸ってどうやるんだったっけ。
「俺って、いつも忘れられちゃうんだ? いつも、ねえ? まあいっか。それで、もし忘れちゃったらどうすんの? 命かける?」
「うん。あげる。でも、忘れないけど意地悪されたら見つけられないよ」
すぐに言葉の選択を間違った事に気付いたけど、もう後には引けない。
タナトスの闇の部分っていうのかな。乙女ゲームの定番。攻略対象者の闇の部分を晴らして新密度を深めるってやつ。
タナトスの場合は、魔力過多。自分で扱いきれない量の魔力に恵まれちゃったんだよね。しかも親から子に受け継がれる継承スキル持ち。修練とか関係なく、それこそ意識せず人が呼吸するようにそのスキルは使用することが出来るんだけど……タナトスが受け継いだのは隠密にすぐれた認識阻害。自分の存在を限りなく薄くして気付きにくくしてしまうもの。運が悪かったとしか言えない。多すぎる魔力はタナトスが物心ついて制御出来るようになる前に認識阻害を常時発動って形で表れてしまった。親しい人でさえタナトスを認識出来ず、いるのにいない子として扱われた幼少期……ネグレクト。育児放棄というのか。幼いころに抱えてしまった闇はどれほどの深さなんだろうか。現在進行形で自分の魔力をあまりコントロール出来ていないタナトスにとって、絶対にタナトスを忘れない存在っていうのはそれだけで大きい。それをデータとして知っていたからこそここで出したんだけれど……ゲームとは違って現実のこの世界で、勝手にいろんな人達の人生の背景を知っているっていう事が申し訳なくなると同時に、なんともいえない苦い気持ちになった。
「ねえ、死ぬの怖くないの?」
「怖いよ。死にたくない。死にたくないから頑張るの」
かなりの博打を打ってる自覚はある。
でもなりふり構っていられない。今の私自身が切れるカードはほぼない。ほぼっていうか、私が持っている物って私自身しかない。タナトスにとって名誉も地位も必要ない物だろうし……私が自由に出来る資産っていうのを持っていないからお金でタナトスを雇う事も出来ない。
「結構殺伐としてるね。まあ流石にそうならざるのを得ないのかなあ。王族って言っても俺らとかわらないね」
なんとなく憐れまれたようにぽんぽんと頭を撫でられて、曖昧に笑い返す。
リオンの本来あるべき未来を変えてしまった時点で、二度目の魔力暴走とかいうイレギュラーな出来事が起こってしまった。これは公式ファンブックに載っていたルナティナの生涯に記されていなかった出来事。まあ一度目にやらかした感覚と大分違うから、仕組まれた可能性が高いんだけど。
それでも、少しずつ本来のゲームの道筋からずれている。私がそういう風に持って行っているんだけど、世界の強制力というか、大人の思惑とかでそれと近しい未来の方が起こりやすかったりするのかもしれない。これはもう、地道に信頼関係を築いて行って切り開いて行くしかないんだと思う。今まではあまり関わらない方向でいたかったけど、私がそうしたくても周りは許してくれない。私が逃げの態勢でいたから招いてしまった私のミスだ。
「王族ってみんなそうなの? んにゃ、違うか。君が面白いんだ」
ゆらりと風が吹いていないのにカーテンが揺れる。
テラスへと続くガラス戸は閉ざされてた。それなのに、ざわりと生ぬるい何かを感じて、無自覚のままタナトスにしがみつく。
「ふーん? ああそうだ。どうせ後で説明されるんだろうけど教えてあげるね。魔力測定で魔力暴走を起こして装置が割れた。部屋中に粉々になってはじけ飛んだ魔力測定装置を君の小さな騎士が部屋ごと凍らせて被害を防いだんだけど、本人以外みんな凍傷。君が全身ぐるぐるなのも、一気に治すのはその体の元々の治癒力を上回ってしまうから、徐々に治す方向らしいよ」
「本人以外みんな……凍傷?」
「そう。みーんな凍傷。でも幸いな事に死傷者なし」
リオン以外みんな凍傷。その言葉に頭を鈍器で殴られたような衝撃が襲う。
てっきり私が巻き起こしただけだと思っていた。それなのにリオンが関与している? 状況は最悪だ。
私は良い。私の怪我はまだ自業自得で済むし、被害拡大を防ぐために部屋を凍らせたというリオンからの凍傷も、そもそもが私が魔力暴走を起こしてしまったからだと言いきることも出来る。でも、タナトスはなんと言った? 本人以外みんな凍傷。怪我の規模はわからない。それでも、みんなと言った。あそこには王妃様とクルシュがいた。王族が二人。平民が王族を傷つければ死刑になっても文句は言えない。でもリオンは平民ではなく貴族。なお悪い。子どものしたこととはいえ、王を支える重臣であるダクルートス家の嫡子が王族に怪我をさせた。反逆と取られても仕方がないし、過剰防衛ではないかと攻められても逃げ切れない。
よしんばなんとか出来たとしても……リオンのまっとうな将来は死んだも同然だ。
「ああ、やっぱり賢い。どうする? 騎士の所にいってもなんとか出来ると思うわけ?」
「王妃様やクルシュ……姫はどの程度の怪我を?」
「それは優秀なメイドが盾になったみたいでね。末の姫は一回の治療で完治。王妃もちょろっと腕に負ったくらいで、こっちも完治してるよ。」
その言葉にほっと息を吐く。
最悪は最悪だけれど、それでもまだなんとか出来るかもしれない。違う。なんとかしなくてはいけない。
「私は……どれくらい眠ってたの?」
「一日過ぎてないよ。ほら、夜でしょ? 日付は過ぎてない」
なら、まだリオンや私の判決は決まっていない? 今、丁度話し合われているんだろうか?
そこに私が直談判をしに行ったとして……結論を良い方向に変えられる? 限りなくゼロに近い可能性だ。どうする? どうすれば良い?
普通に部屋を出て行こうと思ったけど、多分私は軟禁されてる。
私がこの部屋から出る時は、玉座に座るお父様に呼ばれた時。そう思った。王妃と王位継承権一位の者を王族と王の重臣の子どもが傷つけた。極刑にまではならないとしても、幽閉や地位剥奪。リオンはダクルートスの名を取りあげられる可能性も高い。思い出せ、思い出せ。シフィ先生の授業で何を習った? 私は何をすれば良い? 何が最善の手?
「楽しそうだね」
人が真剣に悩んでいると言うのに、場にそぐわない言葉をかけられて思わずタナトスを睨みつける。それでも、タナトスはにやにやと人の悪い笑みを浮かべて声に出さずに笑う。
「切り返せる手数が少ないなら何を悩む必要がある? あんまり悩みすぎるのも優柔不断すぎて好機を逃すと思うけど」
「それも……そうだね。うん。そうだった」
タナトスの言葉が意外にもすとんと胸の中に落ちてきた。
そうだ。何を悩む必要がある? もともと、悩む程私に出来る事は多くない。私が自由に行使できる力なんてたかがしれてる。常に最善の手を取り続ける。次策は考えない。二番目の手を残しておくのも時として大事だけれど保身に走るわけにはいかない。最善を取り続けなければ逃げ癖がついてしまう。勝負せねばならぬ時に牙を折られた竜では話にならない。そう口を酸っぱくして私にいろんな事を教えてくれたシフィ先生の言葉を思い出す。
私は私に出来る最善の手を取る。目的はリオンの将来の安全。
「えーっと、なにしてるの?」
「何って、玉座に連れていけば良いのかなーって」
ふと気付けば、いつの間にかテラスの手すりの上にタナトスが立っていた。大事な事なのでもう一度言おう。手すりの上。あれ? ここって何階だったっけ? 一階じゃないよ二階だよ?
二階と言ってもそこは王族の居住区。しかも王城だ。天井は高く造られているから二階と言っても実際はビルの三階くらいの高さはあるはず。それをなんの躊躇いもなく飛び降りた。
声にならない悲鳴が響き渡ったが、幸いというかタナトスの能力のお陰というのか、誰も気付く者はいなかった。




