十五話
真っ赤に染まってしまった視界に、今自分が目を開けているのか閉じているのか分からなくなる。
ただ、強く私を呼ぶリオンと悲鳴みたいに叫び続けるスティの声だけがずっと耳に残った。
「私は大丈夫」
そう声に出したいのに出せているかどうか分からない。体のあちこちが熱くて、どろりと不快な物が流れてる気がする。溢れる口は熱いのに、流れた所から冷たくなっていってなんとも気持ち悪い。
見えないけれど、側にリオンがいる。それだけは確信めいたものがあって、重たい腕をなんとか持ちあげて伸ばしたら……何かを掴んだ。とても手によく馴染むそれ。前世でずっと暇さえあれば握りしめていた……コントローラー?
どうしてコントローラーが? 不思議に思うはずなのに、それほど不思議に思えない。むしろ持っている事の方が普通。そう、お気に入りのぬいぐるみに囲まれて、ベッドに寝そべって。いつでも寝落ち出来る態勢で私はいつもそうしてプレイしていたんだ。
→カーテンを開ける
そのままベッドに入る
画面に映るのは、白と薄紅と薄緑。淡い色を基調とした可愛らしくも華美な部屋。
そう、夢の国のお城の一室。お姫様の部屋に相応しい外装。
そんな中で私は現れた選択肢を迷うことなく選ぶ。
コンプリートを目指して何度も繰り返して、時々耐えきれなくなったら萌えーと交流サイトに叫びまくる。いつもの私の遊び方。
「おかしいな。完璧に気配を消したと思ったのに。お姫様はやっぱり俺を見つけてくれるんだね」
正しく選択肢を選びとれば、次に広がるのはカーテンにもたれかかるようにして微笑む彼のスチル。他の攻略対象者と比べれば、ビジュアルも服装も地味の部類に入る彼。稀代の暗殺者という設定からか、あまり周囲に認識されないようにそんな姿になったんだろうけれど。ただ、声優は大御所だった。アザゼル程ではないけれど、それでも耳に心地よい声。その声で囁くように子守唄を歌ってもらえたら、あっさりと眠りにつけるだろう。それくらいに、心地よい感じの声だった。
ああ、でも彼の職業的には永久の眠りかもしれないが。
「全部知ってしまったんだね。今まで仕向けられていた暗殺者の出所も、事故にみせかけられた数々のあれも。そうそう。視察に出た時の馬車の暴走はとても大変だったよね。あんまりにも急だったから、お姫様の騎士が怪我をしちゃった。俺を選んでくれてたら、誰も怪我なんてしなかったのに」
「全てを知った私を殺しに来たの?」
「まさか。俺は関わったりしない。これでも優秀なギルドマスターだからね。泥舟には絶対に乗らないよ。だからね、お姫様。いい加減正しい選択をしない? 簡単だよ。さくっと俺に命じてくれればいいんだ。全ての原因で黒幕の姫様の姉姫。ルナティナ姫を消してって。そうすれば全てが丸く治まるよ?」
「私は」
ルナティナ……私を殺す?
普段であればこんな所で戸惑うことなく次の選択肢を選んでいたはずなのに、何故かコントローラーを持つ手が固まってしまった。それなのに、私は操作をしていないはずなのに画面のスチルは切り替わり、彼のアップになる。少しだけ目を細めて、何かを言いたくて、でもぐっとこらえている表情。
頷く
→そのまま見つめる
選択肢は表示されたまま。
選んでいない。なのに、アップのスチルからさらに切り替わって彼が背を向けて離れていく。待って! 私はまだ何も選んでいない!
いつの間にか持っていたはずのコントローラーが消えていて、そんな事に気付きもしない私は手を伸ばして掴もうとする。画面に手を伸ばしたって掴めるはずないのに。それなのに、そんな当たり前の考えにも至らずに必死に伸ばして……触れた?
ちょっとごわごわした触り心地。
ルナティナとして生まれ変わってから、恐らく触れたのはこれが初めてであろう安い生地のそれ。
「わあお。捕まっちゃった」
「へ?」
ぱちっと視界が切り替わる。
同時に感じるのは、プールとか水の中から上がって、一気に重力を感じるあの感覚。
もみじみたいに小さな私の手が掴むのは、ごわごわとした感触の宵闇色のマント。
「あれ?」
見慣れた部屋の馴染んだベッド。伸ばした腕は包帯が巻かれていて、握っている手のひらにぎゅっと力を込めると所々が引き攣ってしまう。
どう、なっているんだろうか。私は魔力測定をしていて……気を失った? でもこれも夢の続き? ゲームをしていたのは前世の記憶? ううん。それよりもなんで攻略対象者が私の部屋にってああああああああああああああああ!?
「はい、静かにしようね?」
彼の職業を思い出すと同時に口から出ていたはずの叫びは脳内の中だけで叫ばれる。リオン! スティ! 彼らが無事だったのかすぐにでも確認したい! でも、それどころじゃない感じ!?
待って、どこ押さえてるのかな、お互い冷静になろうよ。殺人良くない! 殺人反対! 喉元をごつごつした片手で圧迫するように押さえつけられているのに、声が出ないだけで息は出来る不思議。
声帯だけを器用に潰してるってこと? 何それ怖い。
「騒がれるとちょっと面倒だからやめてね。自分の部屋が汚れちゃうのは嫌でしょう? あー。子ども相手にこの言い回しは分かり辛いか。えーっとね、痛い事しないから静かに出来る?」
あいにくと私の精神年齢は子どもではないから理解出来てしまう。
つまり、死体を出したくないよねって意味だよね? ね? てかなんでいるのよ!?
怖いっていう感情よりも、驚いたっていう感情の方が勝ってしまって、私はとりあえずじろじろと彼を眺めながら静かにうなずいた。それだけでいい子、ともう片方の手で頭を撫でてあっさりと私の喉元から手を離される。
稀代の暗殺者。逃避不可の死神。いろんな軍名というか二つ名がある攻略対象者……タナトス、だよね? 見た目若いというか、リオンよりはかなり年上なんだろうけど…中学生くらいな印象を受ける若さ。声変わりもまだなのか、ちょっとだけ高く感じるアルト声。
「お仕事、ですか?」
「あれ? 何の仕事だか分かって聞いてるの?」
思ったよりもはっきりと出た声にほっとする。良かった。声帯潰されてなかった。だけど、目の前にいきなり立っている死亡フラグにごくりと勝手に喉が鳴った。
「暗殺者、でしょ?」
まさかこんなに早くに私と接するようになるなんて。そんなの、公式ファンブックに乗ってなかった。
私の答えに、面白そうに笑ったタナトスがベッドの縁に腰掛ける。私の手はまだマントを掴んだまま。タナトスは外そうとする気配はない。逃げないよっていう意思表示?
なんとなくどちらも口を開かない間が嫌で、前世の記憶をいろいろと引っ張り出してみる。
この状況から現実逃避したくて、記憶はあっさりと引き出せた。
主人公とタナトスの出会い。
王城をこっそりと抜け出してお忍び散策を楽しんでいたら、どういうわけか裏道的な所に迷い込んでそこで商談をしてるタナトスとその部下達に出会うんだ。
なんとなく聞いちゃいけない気がして物陰に隠れてたら、タナトスの部下に見つかって乱闘。その時点で一番高感度の高い攻略対象者がその場を救ってくれて、タナトスも仲裁に入ってお互い何も見ていないっていう取り決めを交わしてその場は解散。後日、お城に忍び込んだタナトスをたまたま見つけて、タナトスをしっかりと覚えていたってことに興味を持たれて交流が始まるんだよね。
絶えず認識阻害の魔術を身にまとってるタナトスは、一度意識をタナトスからずらしてしまうと認識出来なくなってしまう。そういう設定だったはず。
夢で見たやりとりはいくつかあるうちのエンドの一つで影の騎士エンド。女王となった主人公を影から支える暗殺者。暗殺者のギルド自体は部下に譲って、女王専属の暗殺者として影の舞台を取り仕切るってエンドだったと思う。なんで影の騎士エンドっていうかは、主人公を守るのは自分だけで良いっていう狂愛的な理由からタナトスが独占するから。一応自分だけの騎士を見つけるってのがこのゲームの目的だったしね。
それからもう一つは通い婚エンド。自国他国問わずに主人公の為だけに暗殺を続けるタナトスが、ひたすら主人公に夜這いをかけるエンドだったはず。あとは誘拐エンドで他国に攫われて籠の鳥となるエンド。もちろん自国は私……ルナティナに乗っ取られてゆるやかな崩壊を辿るんだけど、いろんなしがらみから解放されるエンドでもある。これはプレイヤーによってはバッドだとかってネットでは賛否両論だったっけ。
頭ではぐるぐるといろんな事を考えて今この瞬間から目を逸らそうとするけれど、実際は目を離すことが出来ない。殺されそうな気配はないけど、そんな気配を感じさせないのがプロなんだろうし、タナトスから目を離したその瞬間が自分の最後になりそうで、私の首はどこか壊れたように固定されて、ずっとタナトスに向き合ったまま沈黙に耐えきれなくてもう一度口を開いた。
「私はルナティナ。貴方はだあれ?」
「タナトスだよ。ふふ。いいね。覚えていたらよろしくしてあげても良いよ。むしろ見つけられたら、しばらくの間飼ってもらうのも楽しいかもしれない」
見つけられたら。つまり、今この場では殺さないってこと?
そんなつもりはなかったけれど、ふっと肩の力が抜けた私を見て、タナトスは面白そうに笑った。
少しだけ細められたタナトスの目に、全身包帯だらけの私が映る。包帯……そんなに酷い怪我を負ったんだろうか? 治されていないという事実に、少しだけ不安になる。私は何をやらかした? 今それを考えては駄目だと分かっているのに、思い出そうとしてしまう。思い出すのは真っ赤に染まった視界。 リオンとスティの悲鳴。私は、また魔力暴走をさせてしまった!?
びくり、と震えた体をタナトスは面白そうに眺めながら、そっと私の頭を撫でた。
「全身凍傷だったみたいだよ? 素敵な騎士を持ってるみたいで羨ましいよ。流石に使い捨てにするにはちょっと勿体ないかもしれないけど、まあ自分の命には代えられないよね」
タナトスの言葉が右から左に流れていく。うまく、頭に残らない。違う、きちんと思い出すのが怖くて深く考える事が出来ない。でも、それは絶対にしてはいけないこと。
「ひゃ!?」
ずっと掴んでいたマントから手を離してベッドから出ようとしたら、いつの間にか視界がくるりと反転して天井に変わる。
ぽすんと、たいした音も痛みもなくベッドに縛り付けられる。
肩に軽く手を置かれているだけ。たったそれだけなのに、起きあがれない。
「あの!」
「今夜はやめておいた方がいいよ。状況は説明してあげる。今は大人しくしているのが最善の手だよ?」
ベッドに押し倒される。
甘ったるさの一切ない、どことなく試されているようなピンとした雰囲気。夢で見たゲームと同じだ。選択を迫られている。そんな気がした。
何故タナトスがここにいるのか。暗殺の仕事が入った? 違う。だったらさっさと標的を殺してそれでおしまいなはず。私を殺さなかった。姿を見られたのに、彼は口止めすらしない。口止めをする必要がない? それは何故? 私は本当に魔力暴走を起こしたの?
ぐるぐると廻る思考に、クルシュを抱いて笑う王妃様を思い出す。
「タナトスは……私を守りに来たの?」
「はい?」
目を丸くするタナトス。その姿を見て、なんとなく確信する。これはアザゼルの命令? 彼とはそれなりな交友を築けているはず。ほんの数日。それも時間にしてはごくわずか。それでもアザゼルという攻略対象者は懐に入れた相手ならばとことん守り抜くタイプだったはず。こういう風に打算的になってしまう私に軽く自己嫌悪してしまうけど……優しいアザゼルであれば、まだ幼い私を救おうとしてくれるかもしれない。
「アザゼル様の指示? 今、私はここにいれば安全……でも、そのかわりにリオンが駄目になるんじゃ意味がない。リオンのところに行く」
「ねえ、君って本当に五歳児? 俺みたいに擦れてるわけじゃないだろうに……なんか頭の回転速すぎない?」
タナトスの言葉に内心ぎくりとするけれども、何も言わずにじっと見つめるだけに留める。ただ、見つめて待った。タナトスから絶対に目を離さない。離してはいけない気がした。
「王族の血をひく者は早熟だって聞くけど本当なんだね。確かに今回は暗殺じゃなくて護衛が仕事だけど、だからって俺が依頼者以外の頼みを」
「次に会ったら、私は絶対にタナトスを見つけるよ。絶対に、忘れない」
タナトスの言葉を遮って、笑う。なるべく不敵に見えるように。少しだけつり目のこの顔なら、さぞかし良い悪人顔に見えるはず。笑え、笑え! どきどきと煩くなってきた心臓の音を悟られないように、私は引き攣る頬を叱咤して笑みの形を作る。
「ふーん。見つけられなかったらどうすんの? 俺、結構優秀な暗殺者だよ?」
ぞくりと、全身の毛が震えた。鳥肌が立ったと言った方が良いかもしれない。
どこにでもいそうな、それこそすぐにでも人ごみの中に埋もれてしまいそうな平凡顔。それなのに、ただ笑った、たったそれだけで心臓を鷲掴みにされたような緊張が走る。選択肢を間違えたら殺される。そう確信できる笑いだった。でももう後には退けない。退きたくない。だから私は、ぐっと手を握り締めてタナトスを真っすぐに見て、一つの提案をした。




