十二話
今夜は風が少しだけひんやりしていて気持ちが良い。
この世界は前世と同じように四季があって一年は三百六十五日。一日の時間も二十四時間と生前の世界と同じだからありがたい。
夜、眠るまでの少しの時間こうしてぼんやりとして過ごすのが案外良い気分転換にもなったりするんだよね。それに、流石主人公というかなんというか、今の季節は春。愛されキャラである主人公のイメージにぴったりというか……まあそれは良いとして。ちょっと涼むのには丁度良い季節。まあもともとこの国は滅多に雪が降らないし、あまり暑くもならなくて一年中花に優しい気温が保たれてる環境なんだよね。国ごとに環境が違うってそこは不思議で仕方ないんだけど……確かアザゼルのとこの国は年中乾燥気味であまり植物が育たない国だったはず。おかしいな。隣国なはずなのに。
「どうやら当たりだったようだねえ。こんばんは。数刻ぶりだね」
耳に心地良い、ずぐんと腰にくる甘い声。それに反応してぼんやりと見上げていた目線を下に降ろすと、いるはずのない人がいて思考が固まる。
はい? えっと?
私の部屋は二階にある。王城の居城エリアは二階から五階まであって、お父様達は最上階。クルシュは四階。
これはなにか不測の事態。えーっとあれだ。例えば隣国が攻めてきた時とかに少しでも下で時間を稼げるようにってなってる。もちろん、私が二階に部屋を貰っているのだって、五階の部屋とは違う出口に繋がる抜け道があるからだ。クルシュが違う階なのも理由は同じ。何か不測の事態が起こったとしても、血は残さなくてはならない。私達の誰かが生き残れば、国が滅びることはないのだから。
うん。ちょっと格好良く言ってみたけれど、そんな事態は滅多にない。大事な事なのでもう一度言おう。滅多にない……はず。なにせこの居城エリアには至る所に結界石っていうのが設置されていて、正しいルートで入らないと目的地には辿りつけないし、同じところをぐるぐる回ってしまうようになってる。
この居城エリアに勤めてる使用人の人達も例外ではなくて、決まったエリアしか入る事が出来ない。使用人にこっそりついて行ったとしても、許可を得ていない人は弾かれる。見えない壁に拒まれて無理に突破しようとすれば警報がなる。うあれー? 警報ってなってないよね?
「アザゼル様?」
だから目の前にいるはずのない人がいることが信じられなくて、茫然としながら名前を呼ぶ。
生前呼んでたみたいに、呼び捨てにしなかっただけ私偉い!
「ここの薔薇園は本当に見事だね。何度散策しても飽きない。それに可愛らしい花にも出会えるとはね」
柔らかく向けられる笑みが、脳内の奥底に仕舞い込まれていた記憶を呼び戻す。
そう。こういう風に笑って、こういう優しい目を向けてくれる人だった。
それはどんな時も変わらず、バッドエンドでヤンデレ化しても変わらずに優しく笑う人だった。
「私の可愛い花」
「私の小さな姫」
そんな風にゲームでは主人公の事を呼んで、真綿でくるんだように笑うんだ。
今は赤ちゃんで何も出来ない主人公のクルシュ。でも、あと数年後は? 数年なんてあっという間だ。だって私が前世を思い出して今に至るまでがあっという間だったもの。そう、あと数年したら私に向けられている優しい笑顔は本来向けられるべき主人公のクルシュへと戻る。おかしいな。主人公が攻略対象者の誰かと恋愛をするならアザゼルが良い。そう思った時もあったし、今でもそう思うけれど……ちょっとだけ寂しく感じる私がいる。
これは、あれだ。
リオンと違ってアザゼルとの関わりは、現段階ではあんまりない。
ゲーム通りの流れだったら、まあリオンが死んでなかったとしても私は心に結構なトラウマを負っていろいろ壊れ始めているころだし、完全に壊れたと言うか悪役になった頃にようやくアザゼルとの絡みが始まる。だから、なのかな。まだゲームとは関わりがない。つまり私のバッドフラグとは関係ない。その事実が私の心を落ちつける。アザゼルは悪の薔薇姫と呼ばれるルナティナじゃなく、ただのルナティナとしての私を見てくれてるってことで、アザゼルの前だと素直に笑えた。
「どうやってここまで来たんですか?」
そういえばアザゼルルートでは、ここまで忍び込んで主人公を夜の散歩に誘うってイベントがあったっけ。ゲームの舞台は主人公が十五歳になった所から。成人までの一年間が本編。
それまでに私はいろいろフラグを負って悪の薔薇姫の汚名を返上というか、どこかに嫁ぐなりして表舞台から退場しておかないといけないわけだけれど。うん。そっか。アザゼルがここに入れたのも何かゲーム補正みたいなのがあるのかな?
他の人とかだったら、偶然辿りついたって言うのは信じられないけれど、攻略対象のアザゼルだったらあり得るかもしれない。主に世界が味方したとかそんな理由で。まあそうなるとこの世界はゲームによく似た世界ではなくゲームそのものの世界ってことで、修正しようとする世界の意思みたいなのが存在してしまうって事だから、私にとってかなり不利になっちゃうんだけど……そこら辺はどうなんだろう?
「ちょっとした伝手があってね。ねえ、そっちに行っても良いかい?」
伝手。その言葉にそういえばとアザゼルと絡みの多かった一人の攻略対象者を思い出す。それと同時に毒殺、事故死、斬首、絞首でのバッドエンドも芋づる式に思い出してしまって顔が引き攣ってしまう。こんな顔を見られるわけにもいかないから慌ててアザゼルから見えないよう下がれば、ふわりと温かい魔力を感じた。アザゼルが魔術を使ったんだ。なんとなく、あの魔力暴走を起こしてから他人の魔力に敏感になったような気がする。もともとのルナティナのスペックもあったんだろうけれど、今となっては最善な目覚め方をしたのかもしれない。他人の魔力って温度に例えると分かりやすいのかな。シフィ先生の魔力はどこまでも冷たくって心の底から凍ってしまいそう。リオンの魔力も冷たいけど、まだヤンデレ化というか狂ってないというか……ゲーム本編とは違う方向に進んでるからか、冷蔵庫を開けた時のひんやりした感じ。対するアザゼルのはなんていうか、春風みたいな、ちょっとあったかく感じる魔力。
「よっと。ふふ、失礼するよ。あまり驚かないんだねえ。これは見慣れていた?」
魔術で体を浮かせてテラスに上がり込む。
ラグーン国は花関連の輸出と人材派遣の国だ。だからそれなりに魔術を使える人は多いけれど、私の前で使うって言ったらシフィ先生くらいしかいない。
魔法具が生活の基盤になっているからか、こういういかにもな魔術師ですってのを使う人がいないんだよね。まあ戦時中でもないし平和ってことだから良い事なんだろうけど。
「シフィ先生やリオンのくらいしかあまり見た事がないです。えーっと、属性は風ですか?」
「そうだよ。私はあまり魔力が多い方ではないからねえ。こういう少しの魔力で扱える簡単なものしか出来ないんだ」
多い方ではないけど少ない方でもなかったはず。
アザゼルに対してのデータはゲームの物しか持っていないから、ボロが出ないように笑ってごまかす。
「じゃあこういうのは初めてだったりするのかな? おいで」
「へ!?」
艶やかな微笑みに目を奪われているうちに、気付いたら足が床を離れていてアザゼルの腕の中。おお! 浮いてる!? これはあれだ!! 序盤イベントをこなしてちょっと親密になったかなーってくらいで起こる夜のお散歩イベント! このまま薔薇園へ夜のお散歩ですね! 素敵です!! ゲームで見てきゃーきゃー言ってた場面が今再現……されちゃ駄目だよね!?
「あ、あの! アザゼル様!?」
「ん?」
ん? じゃない。いやいやいや、首の傾け方なんてのもこれまた様になってますけど、私が一緒にアザゼルとお散歩とかっていろいろとやばくない?? だってアザゼルは攻略対象者! ひょっとしたらクルシュの相手になるかもしれない人! あ、でもちょっと待って。今から仲良くなって将来のアザゼルのフラグをへし折っておけば……うん。そうするときっと王妃様が黙ってないだろうし、いらないフラグが立ちそうだ。本来であれば行きたい! 行きたいけど! だがしかしなのですよ!
「あの、降ろして下さい。誰かに見つかったら、アザゼル様が叱られてしまいます」
「叱られる、ねえ」
何が可笑しいのかくすくすとアザゼルが笑う。その間も私はずっとアザゼルの腕の中で、お尻をアザゼルの片腕に乗せて抱き上げられている状態で、降ろしてくれる気配が微塵も感じられない。
なんでそんなに笑うのかって思ったら。不機嫌そうにぷくっと頬を膨らませてしまっていたらしい。ふに、と空いている方の腕で頬をつつかれた。むう! 完璧に子ども扱い! いや、確かに子どもなんだけどね! 王族同士の関わり方っていうのがあるはずでしょう!
「もう、アザゼル様!」
「ふふ。ごめんごめん。でもねえ……小さな姫は私では不満かい?」
赤面するって、こういうことを言うんだろうか。五歳児にお色気むんむんの流し目なんてものを送らないでほしい。
今が夜で良かったと思いながらも、同じ目線に抱き上げられていたのでとりあえずぽすりとアザゼルの首筋に顔をうずめて隠す。ふんわりと香るアザゼルの香りは、どこかほっとするモノだった。
大好きだったキャラと夜のお散歩。それはすごく魅力的なお誘いだ。ちらりとアザゼルの肩に顎を載せながら薔薇園の方へ目線を向ければ、色とりどりの光で薔薇園を照らしている魔法具がイルミネーションみたいに薔薇園を飾り立ててる。今日はお祝い事だったからか、いつも以上に魔法具の数が多い気がする。うん、綺麗。その中をアザゼルと散歩するっていうのはとっても楽しいんだろう。でも、それでも、私はアザゼルの誘いを受けられない。だってここは現実で、私は主人公でもなんでもない。王位継承権こそあれど側室の子ども。本来であれば公式の場以外でアザゼルと関わる事なんて許されるはずがない。アザゼルにとっても、私との関わりはマイナスになることはあってもプラスになることはないんだから。
「アザゼル様」
「仕方ないねえ」
まるで子どもの我儘を聞くみたいに仕方ないなあって感じで笑ったアザゼルは、ゆっくりと下降していってそっと私を降ろす。
腕の中から出された事をちょっとだけ残念だと感じつつも、これで良いんだよねって自分を納得させる。リオンを手元に置いてしまった私が、更にアザゼルと交友を深めちゃうとかあってはいけないことだもん。
「明後日自国に戻る。次に会うのはいつだろうねえ。そうだ。いっそのこと攫ってしまおうか」
明日の天気でも話すみたいに簡単に笑って言ってのけるアザゼルに、ああ、この人は正しく私が置かれている立場を理解して心配してくれてるんだって分かって嬉しくなる。
多分次に会うのは十五年後。ゲーム本編がスタートする時だ。場合によっては、出会えない。私がフラグを折る事に成功して悪役の座から降りれていれば、だけれど。
「私がもう少し若ければねえ……私の国もそれなりに過ごしやすい所だよ」
「機会があれば行ってみたいです」
そんな機会、これから先絶対にないだろうけど。
ふわりと頭を撫でるアザゼルの手を享受しながら、ちょっとだけ寂しいと思ってしまった心に蓋をする。
「行ってみたい、か。そう。ふふ。機会は作るものだよ?」
私の髪を撫で続けたまま、アザゼルの体だけが宙に浮く。
私はそれをじっと見つめる。
ほんの少ししか話す事が出来なかったけど、もし私がルナティナでなければ、それなりに良い関係が築けたのかも……ううん。私がルナティナだったからこそ、こうしてアザゼルと出会うことが出来たんだ。
アザゼルからみたら私はうんと年下で、庇護すべき子どもだから優しくしてくれてるのだとしても、それでも。この出会いをぶち壊すような運命にはしたくない。
「それではおやすみ。体を冷やさないようにね……良い夢を」
「はい。おやすみなさい」
見送ろうかと思ったけど、そのまま立ち去る気配を感じなかったから、ドレスのスカートをつまんで軽くお辞儀をして部屋に戻る。もちろん、普段は自分で閉めたりなんかはしないけど、カーテンをきっちりと閉める。完全に締め切る前にニコって笑うのも忘れちゃいない。完全に締め切ったあと、アザゼルの魔力が離れていくのを感じ取ってから扉を離れる。
「疲れたあ」
本当はお行儀が悪いから滅多にしないんだけど、スプリングのよく聞いたベッドにそのままダイブする。んー。なんだろうこれ。リオンとのルートをへし折ってしまった弊害? 少しずついろんなところで小さな変化が起きてる気がする。
リオンとのフラグ。人攫いのイベントをへし折っていなかったら、こんな風にアザゼルと話すことはなかったと思うんだよね。
ゲームの事、まだちょっと曖昧な部分も正直ある。曖昧と言うか、攻略対象者のデータはきっちりと頭の中に残っていたけれど、それはあくまで主人公視点であってルナティナ視点じゃない。設定集とか買ってはいたけれど、リオンのフラグを折っちゃった時点でスタートが違うわけだから、鵜呑みにするわけにはいかない。でも、参考には出来るはず。
「もう。どうしようかなあ」
ぐるぐる。ぐるぐる。
本当はノートに書いてまとめたい。でもそれを誰かに見られてしまったら? そう思ってしまうと実行に移す事が怖くて出来なかった。頭の中でうんとよく考えて、整理しておくしかない。
ベッドに寝転びながら、これから先の事をぼんやりと考える。それからしばらくして、スティが来るのを待っていたつもりだったけれど、じわじわと迫ってきた睡魔にあっさりと白旗をあげてしまったらしい。次に目を開けた時は、もう部屋は明るくて日付が変わっていた。