十一話 リオン・エイタット・ダクルートス
ふわふわ、ふわふわ。
ああ、これは夢だなって分かる不思議な感覚。
夢の中での僕は、お花畑にいた。
でも残念。お花は綺麗だけれど、綺麗だなーって思うだけ。
見て愛でるのが良いのだとかお母様は言うけれど、そこら辺は僕には良く分からない。見てるだけなんてつまらないし、すぐに散ったり枯れたりして壊れやすいなんて面倒だよ。
その点、ルナティナ様はすぐには壊れなさそうだった。
僕が大事にするモノは、すぐ壊れちゃうから。
どんなに大事に大事にしても、あっという間に壊れちゃう。
壊れないよう細心の注意を払っているのに、なんでだろう。
大切にした分だけお別れの日は早くって、いつも、もうこれ以上は作らないようにしようって誓いを新たにするんだ。
でもでも、あの子だけは違った。
ちょっとお馬鹿そうだったけれど、まだまだ小さい子だし。
大きくなったら主を決めて、その人だけに仕えるのが僕の……ダクルートス家に生まれた者の定め。
そりゃあ、お父様みたいに心から仕える主なんて、そうそう見つかるものじゃないと思う。分家の人達だって主は少ない。とりあえず国に忠誠を誓ってのらりくらり主を決めずに暮らしてる。
僕も大人になったらそうなるんだろうなって思ってたけれど、どうせなら可愛い主が良い。あの子なら、僕の全部をあげてもいいかなって思えたんだよね。
こればっかりは、ちょっとうざいかなーって思ってた姉様に感謝しないといけない。この夢が覚めたら、姉様の好きな笑顔でありがとうって言おう。
そう、それはいつもと変わらない一日だった。
姉さまに連れられて城下町に繰り出して、姉様が悪だと判断した人達を狩る。
姉様曰く実地訓練とか言うらしいけれど、そんなことばかりをしていたからか、悪い人達に目をつけられるようになって……襲撃っていうのかな。そういうのがしょっちゅうある生活になってた。だから、この日もいつもと変わらないはずだった。
「なかなか撒けないわね……仕方ないわ。リオン、二手に別れましょう」
魔力量とかいろいろ姉様より上なはずの僕だけれど、何故か姉様には敵わないんだよね。
ううん、違う。
こと、戦闘に関してじゃ姉様はダクルートス家で右に出る者はいない。そう大人達が言っていた。
つまり、姉様はすごいんだ。それなのに、姉様は僕より魔力量が少ないからちょっと卑屈になっているみたい。
卑屈ってどういう意味なのかよく分からないけれど、僕の事が羨ましいんだって。直接そう言われたことはないけど。
僕からしたら、それこそ手品みたいにドレスとか髪とかいろんな所から武器を出して踊ってるみたいに戦える事の方が羨ましいけどなあ。
姉様はどんな武器でも使いこなせているから、いろいろ気分によって武器を変えられて楽しそう。僕はそこまで器用じゃないから、いつも鍛練の時、腰に下げている細剣しか今の所上手に扱えない。
姉様と同じ年。
僕も二十歳になったら姉様みたいになれるかと言われたら、自信はない。
というか、無理だと思う。
「ああ、一応顔を怪我するんじゃないわよ? 貴方、折角綺麗な顔に産んで貰えたんだから、顔だけは守るように。多分後を付けている者達も女であるわたくしの方を舐めてかかって優先するでしょうからそこまでお前に危険はないでしょうけれど……油断はしないように」
油断も何も、二十歳と七歳だったら七歳の方を狙うと思うけれど……僕は目立ち過ぎた。それこそ、姉様の指示に従ってほぼ九割は僕が狩りを行っていたから、後ろで指示だけ出してた姉様の方がチョロそうに見えたのかなあ。
本当は、姉様と一緒に戦う時の理想的な隊形は姉様が前衛で僕が後衛。
結構な数の悪人につけられたりする時は、あんまり迷惑にならないように路地とかに誘導して片付けてたけど、この日はちょっとだけ姉様は変だった。
今にして思えば、姉様は感づいてたんだと思う。いくら魔力量で姉様に勝てていたとしても、武術ではまだまだ足元にも及ばない。そんな姉様から見たら今回の敵は、僕にとって荷が重いって判断したんだよね……だから僕を先に行かせて姉様が残った。本来であれば、安全地帯である屋敷に戻って応援を呼ぶ。でもそれは最終手段で、だいたいこんな時は僕は姉様の取りこぼしっていうか、姉様が僕と戦わせても良いって判断してわざと取りこぼした人達と戦うんだけれど……その日ばかりは違った。
僕からしたらいつも通り。
わざと狭い路地に逃げ込んで一対一に持ちこんで、さらに遠距離からの魔術での攻撃で順番に沈めて行く。そう、本当にこれはいつも通りの事で、その日もそうなるはずだった。実際何人か姉様が僕でも大丈夫って判断した人達は倒したけれど……最後のおっきなおじさんを氷漬けにした後に僕の記憶はそこで一回途絶えた。うん。姉様に叱られるなーって思って泣きそうになったのは内緒。
ダクルートス家としての教育を受けるようになって一年。
それなりに使えるようにはなったって先生には褒めて貰えたけれど、やっぱり先生が言うようにそれなりにであって、強くなったわけじゃない。
魔術なしでの剣での討ち合いじゃ姉様に勝てたことなんて一度もないし、周りからは神童とか言われていたりしても、身内の中じゃ一番僕が弱い。攻撃を繰り出す姉様の気配を察知することが出来ない。
攻撃が来るって認識する前に、いっつも床とお友達になってるんだよね。あの時もそんな感じだった。姉様が負けるってイメージは持てなかったから、姉様と戦うことなく僕の方に回って来たのかな。
でもでも、今回は良いんだ。
限りなく黒に近い灰色の髪に、宝石みたいに綺麗な赤い目。姉様みたいにまっすぐだけれど、炎みたいな熱い感じの色じゃなくって、薔薇とかお花みたいな、ふわふわしたちょっと柔らかい色。神様に祝福された色を持つ稀有な存在。
初めて目にして、物語のお姫様みたいだなって思った。
あ、そうじゃなくって、本当にお姫様なんだよね。
全部は名乗って貰えなかったけど、祝福された色を持つルナティナ姫は、この国ではそれなりに有名だ。
まだ社交デビューはしてないから、顔を知る人は少ないけれど、武に携わる僕達からしたら、将来守る対象になるかもしれない人だから。
それなりの情報は教えられる。本人はバレないって思ったのかなあ。隠してるつもりっぽかったけど。権力を笠に着る我儘な女の子だったら、適当に捨てて……ダメダメ。そんなことがバレたら姉様に半殺しにされる。適当に安全そうな所に放置しよう、そう思ってた。けれど。
この国唯一の尊い花。
祝福を受けし王の小さき花。
そんな風にあの子の事は習った。
どこから見ても、守られるべき対象の子。そんな子が。
「ドレスばっさり切っちゃうんだもんなあ……格好良いよね」
「あら、おそようリオン。起きたのね」
目を開けたらそこはあの薄汚い天井じゃなくて、見慣れた僕の部屋のそれ。
窓からぽかぽかお日様の光が入って気持ちが良い。
腕の中に何もいない事を静かに確認して、辺りを見回す。
あんまりゴテゴテしたのは僕は好きじゃないから、必要最低限の家具しかないようにお願いした部屋。
うん。隠れられそうな場所はないよね。
地下牢とか隠し部屋とか作りたいけれど、僕の部屋は二階の角部屋だし。
昔はここじゃなかったんだけど、いつだったかお母様が問答無用でこの部屋に変えたんだよね。なんでだろう。
「いない」
「あんな小さな女の子がここにいたら、それこそわたくし達が誘拐犯になってしまうでしょう」
少しだけ重たい体をゆっくりと起こしたら、姉様が水を入れてくれた。
姉様が僕の世話を純粋に焼いてくれるとか……僕って結構危ない状態だったのかなあ。
見た感じ、体の節々が引き攣るくらいで、火傷が綺麗に治されてる。
「ねえ、姉様。危ない状況で、勝てそうにない敵に囲まれたらね」
「ありえないわ」
「あーうん。例えばだよ。でね、戦うのにドレスが邪魔だったら、どうする?」
「邪魔って……。女にとってドレスは鎧よ。そりゃあ、短く切って動きやすくすればいろいろと足掻けるのでしょうけれど、平民の女ですらそんな事、思いつきもしないでしょう。自ら足を晒して恥をかくくらいならば多くの敵を道連れにする方を選ぶわ」
「あーうん。姉様はそうだよね」
でも、あの子はなんの躊躇いもなくドレスを切った。
男の僕からしたら、最適の判断……だと思う。
でも、王族とか姫としては最低の判断。大人達の嫌う醜聞ってやつだ。
どんなに正しい事をしても、それが醜聞として取られるならその人の人生はそこで終わり。それくらい怖いモノなんだって先生は言ってた。
いくら僕より小さくて、ちょっとお馬鹿そうでも、流石に女の子なんだし。
というかまず、守られるべき存在であるあの子の頭の中で、どうすれば良いかって考えてあの行動に繋がったのならすごいことだよね。
多分、ルナティナ様以外なら思いつかない。
思いついても、実行出来る子はそうそういないと思う。
なんだっけ。足を見せる服を着る人達。あれだ。春を売る人、だ。
じっと両手を見る。
少し動かすと引き攣るけれど、傷一つない手。
しっかりと抱きしめて、確かにこの腕の中に閉じ込めたのに、今はもうぬくもりすら残っていないのが悲しい。
それに、ルナティナ様に付けられた傷なら、ちょっとは跡が残っても良かったのにって思う。
ああ、そうだ。まだ、約束を果たしてない。行かなきゃ。
「駄目よ」
「まだ何も言ってないよ、姉様」
「リオンが笑うからでしょう。とりあえず、駄目。しばらくは安静よ。かなり危ない状態だったのを無理やり他者の魔力を流し込んで体の治癒能力を高めたのよ? しかも貴方、大怪我した上に、魔力まで底を尽きかけていたそうよ。魔力枯渇で死ぬつもりだったの?」
「まさか。でも、あの時はああするしか一番良い方法を思いつかなかったんだもん」
「話しなさい」
「えー。お父様が来てからじゃ駄目?」
「お父様は今回の件の事後処理中よ……お母様も一緒に」
「それは……ごめん」
うろ覚えだけれど、多分誘拐犯は死んではいないはず。
今頃、死んだ方がマシな扱いを受けてるんだろうな。
でも、丸焦げにされるのと、ねちねちされるのってどっちがマシなんだろう。
「あー。うん。あのね、姉様。僕、主を見つけたよ。僕だけの花。お父様が王様を主と決めたように、僕も僕だけの主を見つけたんだ」
「それが、あの子? その割には心配すらしていないようだけれど」
「だって、きちんと守ったもの。そりゃあ、完全に全部は無理だったけど、生きてる。生きてれば良いよ」
生きていてくれさえすればそれでいい。
体の怪我は僕みたいに治されているだろうし。
もし心に傷があるなら、僕が治せば良いよね。
何故かは分からないけど、姉様はそんな僕を見て溜息をついた。
そうして、笑う。
ぞわあって背中を何かが走っちゃうような、嫌な笑顔。
僕はこれを知ってる。
勉強と言って僕を連れ出したり、あとでお父様から怒られちゃうようなことをやっちゃう時の笑顔。
に、逃げたい。
でも、逃げられないってこの一年で体が覚えちゃってて、僕は姉様をじっと見つめる事しか出来ない。
「おめでとう、リオン。姉さんはリオンが主を見つけられて嬉しいわ。でも、そう。主。ふふふふ。そうね、主、なのね」
「え、えーっと。うん。ありがとう?」
「もうあの子が、この国唯一の花。神に祝福された第一王女だと知っているんでしょう? いくらダクルートス家がその地位を築き上げていたとしても。いくらお父様が国王にお仕えしているとしても。まだたったの七歳の貴方が入り込める隙間はないわ。ふふ。力を示して成り上がっていらっしゃい。先にあの子の側で待っているわ」
「うん。ってえ? ちょ、姉様?!」
先にって何! 先にってどういうこと?!
姉様は僕の質問には答えてくれず、それはもう、本当に嬉しそうに楽しそうに笑いながら部屋から出て行った。
嫌な予感しかしない。
僕の主なのに!
そりゃ、まだ正式ではないけれど、あの子以外考えられない。
あの子しかいないと、そう思ったから。
「絶対成り上がってやる。そんなに待たせない。既成事実さえ作ってしまえば良いんだもの。待っててね、ルナティナ様」