ガチで百合でヤンデレな私は、あなたに恋している。
ザザーン、ザザーンと波打ち際の波音が、鼓膜を優しく響かす。
強烈な潮の芳香が鼻腔を突き刺すようで、どこか擽ったい。パシパシと長い睫毛を瞬かせながら、傾く夕日の景観に、すっかり藍子は息を詰めていた。
半熟卵のような夕日は、躯の半ばまでを海に浸からせ、ギラギラと光輝する海面にもう半身を反射させている。
無限に思われる海はあまりにも広大だが、この奇跡にも似た刹那はあまりにも尊い時間。
息を呑むような美麗な光景に、透明なものが瞳から溢れそうになるぐらいだった。
冷め切ってしまった砂浜に手を置いていると、
「藍子、冷えてるね」
柔らかい掌が上から添えられると、
「私、冷え性なのよ。でも、藍子の手は温かくていいね。ずっと……こうして握っていたいくらい」
莉奈の艶やかな声に、一瞬ドキリとしながら、かろうじて余裕のあるフリができた。熱を帯びた彼女のしなやかな指一つ一つの触れている箇所が、まるで電撃が流れているかのように痺れる。
(――いつもこうだ。莉奈は私に持っていないものを全て持っている)
女性らしい華奢な手首から視線を上へと促していくと、そこには下着が薄着のTシャツから透けて見える。決して慎ましくない双丘は、服を押し上げるようして自己主張している。首のラインはとても優美で、そこから丸みを帯びている顔貌の輪郭を滑っていた。
顔のパーツは全てが小ぶりで綺麗。整然としている目鼻立ちには、まるで神様が手ずから造形しているかのように、光り輝いていた。
眉目秀麗な莉奈は同性である藍子をハッとさせるほど。……いいや、同性であることは関係なく、ただ一人の人間として莉奈のことを愛していた。愛しすぎて、独占欲が胸を蝕んで苦しくなるほどに。
「私、前の彼氏にフラれる前にね……」
「う、うん」
ズキン、と莉奈の口から『彼氏』という単語が出てきた瞬間に、胸中に激痛が奔る。
彼女に彼氏ができたと聞いた時は、親友として表向きは喜んでいた。彼女から付き合っている彼氏との惚気話を聞くたびに、血が滲んでしまうぐらいに下唇を噛み締めていた。
莉奈を悲しませたくなかった。
こんな醜悪な感情を晒してしまえば、きっと優しい彼女は傷つく。
だからどれだけ自分が苦しもうとも、心の底で蠢く嫉妬という化物を飼い殺していた。別れたと聞いた時は飛び上がるような喜びと同時に、どうして莉奈をフッたのかという憎悪が心を満たした。
一体この気持ちは何なのだろうかと、思い悩んだ瞬間もあった。
だが、相反する気持ちが同居しながらも、今更些細な矛盾ごときで葛藤するのもおかしいものだと思い、彼女が付き合っていたということすら記憶の隅に追いやっていた。矛盾といえば、この恋心こそがそもそも矛盾。ちょっとした事故のような過ちなのだから。
「彼に言われたのよ。『お前は汗っかきだな』って。流石にそれが別れた直接の原因じゃないと思うんだけど、それがずっと耳に残ってるの。手だけが汗かくから、小さい頃からずっとコンプレックスだった。文化祭の時にフォークダンスしたりするとね、相手が怪訝な顔しちゃうの。高校生である今はなんともないけど、中学生の時は辛かったかなー」
「わ、私は!」
「……うん?」
「私はそんなの気にしない。手が冷たいからそういうの気にしない。……馬鹿なんだよ、その人。莉奈のいいところ、全然わかってない」
「――ありがと、藍子」
はにかむようして微笑む莉奈の顔が眩しくて、直視なんてできなかった。逸らす顔の頬は、夕日に染まったかのような羞恥の色になる。
「私……だったら……いるよ」
「どうしたの? 藍子」
「私だったら、ずっと莉奈の傍にいるよ! どんなことがあっても見捨てない。……だから――」
「あはは、そうだね。やっぱり男はだめだ。きっと、女の友情の方が永遠だよね」
自由になっている方の手をパタパタさせながら、莉奈は軽薄な口調で流す。
(そうじゃない。そうじゃないよ、莉奈。私が言いたかったことは――)
締め付けられた胸があまりに苦しくて、耐えることがあまりに困難だった。歯噛みしながら、フッと熱い吐息を歯の僅かな間隙から漏らす。
そして、親愛の情、それ以上の感情を込めながら、藍子の手を取る。絶対に放したくない。そう頭の中で黙考しながら、ギュッと握り締める。
「――藍子?」
突発的な藍子の行動に、驚きの声を上げる莉奈の瞳には拒絶の色は孕んではいない。信頼しきっているどこまでも澄んでいる瞳に、チクリと胸に刺が刺さったかのような痛みが奔る。
「私は、莉奈が思っているような女の子じゃないんだよ」
「どうしたの? 藍子は優しい子じゃない」
「ううん。全然優しくなんない。莉奈には、優しくなんてしてあげられない」
火照った肢体のまま、莉奈の腕やら手首辺りを掴んで、合気道の要領で砂浜に倒す。興奮してきた頭を抑えるために、ハァハァと吐息を空気中に撒き散らすが、それも快楽を高めるためのエッセンスと成り果てる。
透き通るような色をしている薄い唇に、視線をやる。身を焦がすような思いを抱えながら、ずっとその場所を見続けてきた。だけど、もう我慢の限界だった。
「あっ――」
莉奈が可愛い声を上げるのをどこか他人事のように聞きながら、その口を手ではない方法で塞ぐ。
潮騒の音が高まったと思ったら、一際大きな波が折り重なっている二人を波が呑み込む。
水中にも関わらず、どんな顔をしているのか気になった藍子は瞑っていた目をこじ開けると、莉奈も瞳を見開いていた。
一切逸らさずに、その視線は淫靡に絡み合っていた。
一生このままでいたかったが、そういうわけにもいかず、呼吸が困難となって、波が引いた瞬間にプハッと空気を求めるようにして藍子は顔を上げる。
莉奈の濡れてしまったTシャツは、下着を透けさせてしまって、視線がそこに釘付けになってしまう。ゴクリと思わずリアルに生唾を呑み込んでしまっていると、
「プッ、ハハハハ」
下になっている莉奈は、腹を抱えて笑い声を上げる。歯を見せながら笑顔になっている莉奈は、それだけで心を奪われそうになる。
「なっ、なんで笑ってるのよ、莉奈」
「だって、すっごい必死な形相で見てくるんだもん。笑っちゃうよ」
「そ、そんなに見てないよ」
猛烈な羞恥心に、海水でいい具合に冷えたはずだった頬の熱がまたもや上昇し始める。そして、聞きたくはないが、確かめなくてはならないことを莉奈に問いただす。
「……怒って、ないの?」
「なんで?」
「だって、私がこんなことしたから」
「怒ってる」
莉奈はぷくりと頬を膨らます。
怖くなった。
このままでは、莉奈を失ってしまう。取り繕ろうのがみっともないだとか、そんなことは一瞬脳裏に過ぎっただけだった。
「ご、ごめんね。こんなことしちゃって。ほんとはこんなことするつもりなんて私にはなくて、もっと莉奈の傍に近づきたいって思っただけで……。だからもう、こんなこと――」
「怒ってるよ。最初のキスは、私の方から藍子にしたかったんだから」
えっ、と驚愕の声を出せるのは、言葉を発することができる状態であればこその話。首に手を回され、吸いつくようにして唇同士を重ね合わせる。先刻は味わうことはできなかったが、今度ははっきりと潮の味がした。あまりにも甘美な味に、頭の中がチーズのようにとろけそうになった。
意識が全てもっていかれそうになりながら、スパークする脳髄をなんとか沈めるように努める。何が自分の身に起こっているのか確かめたい。
(もしかして、ずっと前から私たちは――)
ほうっ……と、阿呆な声をだしながら、恍惚の表情を浮かべていたが、ハッと気がつく。そこにはにんまりと笑みを浮かべる莉奈の顔がすぐそばにあった。からかうような表情をすると、莉奈はそんな莫迦みたいな藍子にトドメを刺す。
「――もう一回する?」
今度こそ、藍子は違う意味で耐えられそうになかった。