たわーいん……火事だ
もうだめだな。
喉、焼けたかも。目も見えないし。暗いし。逃げられないし。
お父さん。思いのほか早くそっちにいけそう。ごめんね。
「澄香」おとうさん。お父さんよりは長生きしたんだから許してね。
「ばか言え。私はお前が生まれたときはまだ原子だ」????????
え? え? えええっ??!
「状況を説明するぞ。澄香。落ち着いて聞け。
午前八時。現在お前がいる地下街の飲食店街の一店舗からガスの不始末による爆発が発生。
排気弁などの安全装置が発動するも、点検漏れや点検義務違反により火災は拡大」
煙に巻かれてお前はそこにいる。違いないな」げぼっ。げぼっ。
喉いたい。頭考えられない。あと掃除機さんの声が聞こえる。
「ガスを吸ったな。なるべく頭を低くして、コートでもなんでもいいからマスク代わりにしろ。煙は熱を持っている。喉が焼ける」それどころじゃない……。
「こっち! こっち! お姉さんこっちだよっ! 」??
割れた『誘導灯』から少年の声が聞こえる。「お姉さん! 諦めちゃダメ! こっちにきてっ! 」
「火で焼死する前に煙で死んじゃうよ! ぼくを割って! 」……。
「はやくはやく! アタシを出してっ 酸素が入っている! 」……。
「こっち! こっちが非常口だよっ! 」あなたたちは?
「いいんだよ」「はやく」「はやくいって」げほっ。げほっ。
「澄香ッ 澄香ッ 澄香ッ 」……新?
「澄香ッ 何処だっ 澄香ッ?! 」ああ。私を探してくれているんだ。逃げなよ。無理だし。
「もう諦めて逃げて」なに? この綺麗な若い女の子の声。……泣いているの?
「私だって貴方のことが好きなんだもんッ 貴方に死んでほしくないもんっ 」
かすかに音楽と珈琲の香りを感じた気がした。
……。まさか。新の言う珈琲メーカーの声?
聞こえる。
聞こえる。聞こえる。
「いやだ。消えたくない」「ぼくは美味しく食べてもらうつもりだったのに」「楽しかった。よかった」「ぼくで料理を楽しんでもらったり、ダメだったり。色々あったなぁ」「こっち! お兄ちゃんこっちに逃げるんだッ 」「坊やッ 諦めるなッ こっちにこいッ 」
「だめだ。俺の近くに来るな。俺は燃えると有毒物質が出るんだ」
コレ。全部。
「『ツクモガミ』の声だ。澄香」……。
「おちつけ。澄香。煙は上には急速に向かうが、横には遅い。歩く早さくらいだ。
地下街なら60メートル間隔で脱出口があるはずだ」
「現代の火災は焼け死ぬわけではない。有毒物質。主に煙の中の一酸化炭素中毒で行動不能になって死ぬ。
煙の危険性だが。
見通しが悪くなる。恐怖感が増す。微粒子が肺細胞に入り窒息する。
そして熱気流は呼吸器系の熱傷を起こす。今のお前だな。
そして有毒ガスを含んでいる。煙の上昇は急速だ。横に脱出口はないか」暗くて煙だらけで何も見えないよ。
「こっち! こっちにきてッ 」『誘導灯』たちの声が聞こえる。停電になっても彼らは動作する。
「60分しかもたないよっ! あと35分ッ 」ちょ……もっとがんばってよ。
だけど私はその声を無視した。
「おねがいっ! 誰かッ 誰か新を助けてッ 助けてよッ 」
綺麗な女の子の声に従い、私は二つのガスマスクを持って進む。
だめ。閉じ込められている。
「閉じ込めていないよッ 変なこといわないで! 」シャッターの横にくぐり扉があるでしょ!
見えないって。本当に「こっちこっち。お姉ちゃん。ここだ」扉から聞こえる『声』に従う。
「あわてず防火戸をあけてみろよ。でも素手は火傷するから気をつけな」げほ。げほ。
「視界が利かないだろう? 床や壁に手を当てて這うようにしな。まだ視界が利く」
「床と壁や家具の立ち上がり、階段の角などに新鮮な空気がまだ残っているよ」
「煙の層と空気の層があるけど、床付近のぼくの付近なら空気の層に近い」
床に封入された浮世絵の中の鯉が呟く。
かいだん……。
「煙が充満している。危険だよ」マスクあるもん……。
「煙と熱と毒ガスの煙突になっているからやめろ。別の階段を使え澄香。付近にある」何処よ。
「こっち。こっちに来て。お願い澄香さん。新を助けて」
あらた。あらた。しっかりしなさいよ。
私は元恋人にマスクをつけ、自分でも驚くべき怪力で彼に肩を貸す。
「私は、動くことすらできやしない」貴女。心があるのね。
「不思議だが私にもあるようだぞ」もともとあったわよ。貴方が気づこうとしなかっただけじゃない。
というか、騒がしいッたらないわよね。
「がんばって」「もう少しで出られる」「俺が燃えるからって戻ってきたらダメだからな」
「生きてッ 」「なあに。俺たちは原子に戻るだけだ。また会えるさ」
煙の中、人には本来聞こえない絶叫と怒号と励ましを受けながら私たちは歩く。光に向かって。
また。あえるか。
目が覚めると救急病院の中だった。私たちは生還したらしい。
「新を助けてくれてありがとう」
病院の中では趣味のよい音楽が流れている。
元恋人が持ち込んだのであろう古びた珈琲メーカーの声を聞きながら私は呟いた。
はじめまして。新の恋人さん。「はじめまして。恋敵さん」くす。
「珈琲飲みたい」
「生還して一言目がそれか。澄香」
母が持ってきたらしい『彼』の懐かしい声が聞こえる。
「もちろん。ブラックで」「残念な娘だな。澄香」そんなこと言われる覚えはない。
私の名前は昆野澄香。
珈琲を飲んだり、音楽を聴いたり。危機に陥ったりぼうっとしていると。
『まれによく』モノに宿った魂の声が聞こえてしまう女。




