お墓参り……お父さん。久しぶりだね
冷気にかじかむ手に白い息を吹きかけ、私は歩む。
京都のとあるお寺の墓地にお父さんは眠っている。
正直、ほとんど記憶にないんだけどな。
自分の知る父の姿は母の語るやさしくて強くてカッコいい理想的な男性像としてでしかない。
だからかな。男の人に父性まで求めてしまっていたのは。
それが判るだけ、私も少し大人になったのだろう。
花を手に、お墓を掃除するためのバケツとひしゃくを持ってお父さんのお墓に。
ひさしぶりだね。お父さん。昨日は雪が降って寒かったね。
管理の行き届いた墓は私が掃除するまでもなく綺麗にしてある。
とはいえ、少し寂しいので少しぐらいは。お墓を綺麗にして、花を活けてお線香。
お父さんが亡くなって二十年近く経つのか。
正直実感がないんだけどね。うん。
手を合わせていると隣に誰かが立った。この日になると彼女は一度も欠かすことなくここにやってくる。
「澄香。あなたがお父さんのお墓にお参りにくるなんて珍しいわね」母だ。
昆野美夏。
この妙齢の美女に見える女性は私の実の母だ。
夫や舅や姑。つまり私のお爺ちゃんお婆ちゃんが亡くなった後も昆野姓を名乗り続けている。
命日だもん。いつもは嫌々でたまに、ごくたまにしか行かないけど。
やっぱり、ここに来るのは気が引ける。引けていた。
「せっかく一年に一回のお父さんとのデートなのに」苦笑い。
死んだ後も仲がいいとか。どれだけ未練なのよ。いい歳でモテモテの癖に。
……。
……。
「お父さん。あなたが少し旅立っている間、澄香はこんなに美しく育ちました」
やめてよね。母さんが言うと説得力ないから。
そう呟くと彼女はニッコリ。
「そうかしら? 前に逢ったときより綺麗になっているわよ。新君とは別れたって言うけどいい人でもできたの?」
う~ん。いい人。か。人じゃないなんていえない。
あの口うるさかった掃除機をお墓参りに持ってくるなんてナンセンスだ。
そもそも掃除機が喋っていたとか、母にも言えない気がする。
「何でも言ってね。貴女は私の娘なんだから」……。
察しがついていたらしい。仕方なく今まであったことを彼女と、墓石の下で眠る父に報告する。
まるでお父さんのように、過ちや間違いを認めつつ、後を押してくれ、無償の愛情を注いでくれた不思議な掃除機のお話を。
あまりにも荒唐無稽なお話なのに、お母さんはうんうんと頷いてくれた。
「きっとお父さんが見ていてくれたのよ。たぶん」そうかな。そうだったらいいな。
冬の空に瞳を上げる。空から舞う雪が瞳に染みた。
お母さん。寒い。
「うーん。もうちょっといようよ」だめ。風邪ひく。歳なんだから自重してよ。
「まだ四十八だもん~」「十二年なんてあっという間よ。すぐ還暦なんだから」「あら。三十路前の娘に言われちゃった」
コロコロ笑う彼女は『孫はまだか』とせっつく。
あ。お母さん。梅が咲いている。
「お父さんは梅が好きだったな」そうなの?
不思議そうに母を見ると彼女は苦笑した。
「お母さん、自分のことを松竹梅の梅だってクサっていたことが若いころあってね」ふうん。
当時のお父さんによると、別に松竹梅っていうのは松が一番で竹は二番とか言うものではないらしい。
「寒い冬に耐え、春の訪れを知らせる梅なんて最高じゃないかって」そういって彼女は笑う。
「寒さに耐えてなお輝く梅。春の祈りを咲かせる桃。華麗に舞って命の緑を芽吹かせる桜。どれもすきだって」
一番なんて、そう選べないのかもしれない。
オトナになるって難しいよね。
私と母は少女のようにはしゃぎあいながら帰路につく。
振り向くとお父さんのお墓に添えられたお花が、雪の一辺を乗せて輝いていた。
またね。お父さん。
「またな。澄香。美夏」
力強くて優しいお父さんの声は、私のかすかな記憶に残っている。
ひとりじゃない。
私もいつかお父さんのところに行くけど。
そのときは笑って迎えてね。何年先になるかは未定だけどね。
私の名前は昆野澄香。
珈琲を飲むと不思議な声が聞こえていたのは。たぶん天国から私たちを見守るお父さんの導きだ。




