僕の澄香を守って……引越し
来ない。
安い引越し会社を選んだのはいいんだけど。
メールやファックスと電話だけで見積もりしたので、荷物の種類、量、サイズを正確に把握していなくて一度電話を切る羽目になった。
一人暮らしの家に男をあげるのはなぁ。基本的にありえない。
大家さんからめっちゃくちゃ叱られた。
なんでも一ヶ月前に解約手続きをしていないといけないし、
住所や電話番号の変更もあるらしい。あと恐怖の敷金については……負けてもらえた。
ゴキブリを根絶しようと熊スプレーを持ち出し、ぶっ倒れて『彼』に呆れられたのは今ではいい思い出だ。
そういえば片付け。意外と大変。
大型ゴミとか、テレビとか洗濯機は買い換えるつもりだからもって行かないけどこれはリサイクルゴミなんだよね。
見せたくない下着とか、新が残したアレなおもちゃ。
前者は全部黒ゴミ袋に入れてタンスごと運んでもらおうと思っているし、後者は夜中に紙袋に入れて燃えないゴミに出した。
というか、プラレールはいいけどこういうのは捨てて行け。捨てるだけでも恥ずかしい。
忙しい身なのは知っているから仕方ないけどさ。引越しのときに出てきたら余計なサービスをしましょうかとか言い出したらどうするのよ。まぁあいつが隠していたエロDVDのアレだけどさ。
あの時は軽く喧嘩になった。男の場合性欲と彼女は別枠らしい。
閑話休題。
『開梱不要』
見てほしくない荷物はみんなまとめた。黒ゴミ袋大活躍だ。
服とゴミを間違えられないように『衣類』と書いた紙を張って箱に入れる。
意外とこのマンション、長くいたな。
あの時は新が全部やってくれたからな。治安の情報収集とか、周囲にどんな商店があってすごしやすいかどうかとか。防犯とか。
あいつは部屋を空けることが多かったからいろいろ不安だったんだろう。
掘り出し物を見つけたのは彼があちこち実際に調べたり、業者さんと直接交渉に行ったのも大きい。
とはいえ、一人暮らしの女の身だからなぁ。変な男とガラガラの部屋にいるとかちょっとね。
なんでも引越し前に盗聴器やカメラを取り付けてられていないか確かめるサービスもあるらしいけど。
……新ならやるか? ないな。さすがに。ということで断った。
養生テープという便利なものを大家さん一家がくれた。
なんでも普通のガムテープを家具に張るとはがすとき家具を傷めるし、手で綺麗にガムテープは切れないらしい。
大家さんは引越しにいろいろ助言をくれた。
新の言う『掘り出し物』は大家さんの人柄だったんだと思う。実際、このマンション高かったもん。
『ほら。澄香ちゃん一人じゃ荷造りのやり方もわからないでしょ』
大家さんの奥さんと大家さん、娘さんたちが引越しの手伝いをやってくれた。
忙しいだろうに。申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
娘さんの一人、順子ちゃんが要らないウエストポーチをくれた。
当日は貴重品を皆入れて身に着けておきなさいということだ。確かに便利である。
和代ちゃんが空気をつぶして遊ぶあのプチプチをもってきて、パソコンや家具や食器を保護してくれる。
正確にはエアシートといって養生テープともどもホームセンターで買ったらしい。
この子、すごくしっかりしていて、私は好きだ。
「急に引越し業者を決めたりして。普通一ヶ月前に解約や届出も済ましておくべきでしょ」すみません。
「粗大ゴミ残して引っ越されるよりマシだけどね」順子ちゃんにも思うところがあるらしい。
「夜逃げなら仕方ないだろう」とは和代ちゃんの弁。……大変ね。大家さんの一家って。
「電気とかガスとか水道の解約した? 」していません。
「さっさと退去日と同じ日に解約をするように手続きしなさい」すみません。
「こっちのバックに契約書を入れるようにしてね」和代ちゃんがちょうどいいバックを持ってきてくれた。
「後郵便局の転送手続きやってないでしょ」げ。
「窓口に転送申し込みハガキがあるけど、この場合印鑑と身分証明書が必要。
ポストに投函する場合には押印、記入だけでOKね」便利ね。
「通販のカタログとか送られても困るから。そっちもやってね」う。
大家さんたちは苦笑してつぶやいた。
「最近澄香ちゃんもしっかりしてきたなと思ってたのに、まだまだだね」はう……。
「新君は当日手伝いにくるの? 」ここで私は嘘を言ってしまった。ここまで手伝ってもらって申し訳ないから。
「うん」「じゃ安心だ」
たかが一人分の最低限の荷物だし。大丈夫だと思っていたのだ。
ピンポーン。
あ。やっときた。って五時じゃないか。予定時間は一時だぞ。
ちょっと。遅いじゃ……ないの……。
なんか。金髪と茶髪だし。
どうみても引越しの人に見えないんだけど。
遅れたお詫びもなくだるそうに作業をして、時々私のプライベートにかかわることを聞いてくるのはどうかと思う。
いらいら。新と新の友人だけで引越ししたときもこんなに遅くなってないぞ。もう夜の七時だし。
それとなんかこの人たち怖いし。男の人二人の間に入って荷物と一緒に新居を目指すのはとても惨めだった。
あと、間違いであってほしいけど、手が妙に太ももとか肩とか。たまに胸に当たってくる。
すごく怖い。やっぱり新に来てもらえばよかった。
ああ。ここに『アイツ』がいれば気のまぎれることを言ってくれるのだけど。
あいつは養生テープと毛布に包んで『最重要。天地無用』と書いた袋に入っている。
うん。結論で言うとすごく怖い目にあった。
『助けて』私は『彼』に声をかけるが、当然『彼』は何もできない。
そもそも掃除機には手足はないし、語る言葉もない。新は今一番忙しい時間だろう。
もうだめ。そうおもったとき。
「えい」ごつん。
呆然とする私を誰かが抱き起こしてくれる。
金属バットを手に持った少女を見て唖然呆然。
順子ちゃん? 和代……ちゃん???!
警察に連れて行かれる男たちを尻目に。
私は大家さんの所有する物件のひとつのアパートにたまたま転居したことを知った。
どうりで丁寧に転居手続きを手伝ってくれたわけである。
「このアパート、私たちが住んでいるの」「人のアパートで婦女子を襲おうなんてふてえやつらだ」
「新お兄さんが何かあったときにこまるからって連絡くれてよかったよ」新? そんなはずは。
「あれ? あれ新お兄さんだったのかな? なんかすごく切迫した声だったよ」まさか。
私はのんびり掃除を続ける『彼』に目をやったが、『彼』は何もしゃべらなかった。
「猫が好きなら、きっと気にいるよ。このアパートは」和代ちゃんがそういってくれたのでちょっと安心した。
「正面に一応格子門ついているから、深夜帰宅の時は私のケータイにメールして」二人とも受験生なのに。うれしい。
「あと、電話は公衆電話しかないんだ。電話があったらブザーを鳴らすけど、ごめんね」何年前のアパートなんだろう。
インスタント珈琲をミルクと砂糖入りで順子ちゃんが入れてくれた。
今日は一緒に寝てくれるらしい。
「本当に残念な娘だな。澄香。危機一髪だった」
懐かしい声が足元から聞こえた気がした。
私の名前は昆野澄香。
珈琲を飲むと素敵な掃除機さんの声が聞こえた女。
そしてなぞの電話で命拾いしたラッキーな女だ。




